31話 ルパン対明智小五郎
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百千の目が、黒檀の大時計を背にして立ちはだかっている、たった一人の人物、燕尾服姿のルージェール伯爵に集中された。
死に絶えた様な沈黙、身動きする者もない長い長い睨み合い。
「ワハハハ……、これはいかん。いやに滅入ってしまったぞ。……サア、皆さん舞踏を続けて下さい。伯爵も、どうかあちらへ。跡始末は我々の方でうまくやって置きます」
警視総監は、日本語で云いながら、手真似をして見せた。
「閣下!」
明智が血相を変えて、総監を見つめた。
「この明瞭な事実を、お信じなさらないのですか」
「アハハハ……」総監は腹を抱えんばかりに哄笑した。「君、そりゃいかんよ。いくら名探偵の言葉でも、こいつばかりは採用出来ん。仮りにも君、一国の特命全権大使ともあろうお方が、盗賊を働くなんて、そ、そんなバカなことが、ハハハ……」
「この男が、証人です」
明智は、已に息絶えた浦瀬秘書官を指さした。
「証人? バカな。こいつは伯爵に射殺された恨みがある。それに瀕死の苦しまぎれ、血迷った奴が何を云うか分ったものではない。一秘書官の言葉を信ずるか、F国大統領の信任厚き全権大使を信ずるか、一考の余地もないことだ」
「では、これをごらん下さい。僕は何の証拠もなくて、迂闊にこの様な一大事を口にするものではありません」
明智は云いながら、黒毛糸シャツのふところから、大事そうに一通の西洋封筒を取出して、総監に示した。
総監は明智の一本気が腹立たしかった。彼は一秘書官よりも全権大使を信じたかもしれぬが、同時に、全権大使よりも、更らに名探偵明智小五郎の手腕を信じていた。事実、ルージェール伯こそ、彼の力説するが如く、大侠盗アルセーヌ・ルパンかも知れないと、心の一隅には、深い疑心を生じていた。だが、ここで事をあらだてるには、余りに問題が大き過ぎる。のみならず、手出しをしようにも、警視総監の権限では、一国の全権大使をどうすることも出来ないのだ。
そこで、さりげなくこの場をつくろって、急遽夫々の関係官庁と協議をとげる積りで、事もなげに哄笑して見せたのだ。その腹芸を、一本気の明智が理解してくれなかったことを、彼は甚だ不本意に思った。
だが、もう仕方がない。明智は何やら証拠物を持出した。彼のことだ。どんな重大な証拠を握っていまいものでもない。
「待ち給え」
総監は流石に機宜の処置を誤らなかった。
「みなさん。暫く御引取り下さい。波越君丈け残って、外の刑事諸君も、一度外に出てくれ給え。そして、そのドアを締めて下さい」
明智もそれに気づいて、総監の言葉を外国紳士貴婦人達に通訳した。
入口から覗いていた人々が立去り、ドアが閉まると、総監はその前に立ちふさがる様にして、ジロジロとルージェール伯爵に流し目を与えながら、明智に言葉をかけた。
「手紙の様だが、それはどこから来たのかね」
「巴里からです」
「フン、巴里の何人から?」
「お聞き及びでしょうと存じますが、元巴里警視庁刑事部長のエベール君からです」
「エベール?」
「そうです。ルパンが関係した、二つの最も重大な犯罪事件、ルドルフ・スケルバッハ陰謀事件と、コスモ・モーニングトン遺産相続事件で、ルパンと一騎打をした、勇敢な警察官として、よく知られている男です。当時の警視総監デマリオン氏の片腕となって働いた男です」
「成程、して?」
「今では職を退いて、巴里郊外に引退していますが、僕は、先年巴里へ行きました時、同君を訪ねて、一日話し込んだことがあります。彼は警察事務にはもう飽き飽きしたといっていましたが、談一度ルパンに及ぶと、額に癇癪筋を出して、息を引取るまで、あいつの事は忘れないだろうと、非常な見幕でした。なにしろ、ルパンの化けた刑事部長の下で、散々こき使われ、愚弄された男ですからね」
「で、そのエベール君から、何を云って来たのだね」
「僕は電報で、ルージェール伯爵の身元調査を頼んでやったのです。伯爵はシャンパーニュの大戦で一度死を伝えられた人物です。そして、彼が巴里の政界でメキメキと売出して来たのは、大戦の後でした。ここに恐ろしい疑いがあるのです。大戦以前のル伯と、戦後のル伯とが、全く同一人であるかどうか。万一別人であったならば、それはアルセーヌ・ルパンではないか。ということを尋ねてやったのです。ルパンと聞くとエベール君、異常な熱心で調査を始めてくれました。戦友を探し出し、伯爵の幼馴染を探し出し、写真を蒐集し、あらゆる方面を調査した結果、大統領を初め戦友達の一大錯誤を発見したのです。ル伯はシャンパーニュで、本当に戦死したらしいことが分ったのです。併し、事は余りに重大です。迂闊に一退職警察官の進言を採用することは出来ません。盗賊に大統領の親書を与え、国家の代表者として、日本皇帝陛下に謁見せしめたとあっては、巴里政界に大動揺を来すは勿論、由々しき国際問題です。一通の電報によって、犯人引渡しを要求するが如き、軽挙に出でることは出来ません。そこで、ルパンを最も熟知せるエベール君をひそかに日本に派遣して、ル伯の首実検をさせた上、適宜の処置をとらしめることになったのです。エベール君は、この手紙を書くと同時に本国を出発しました。恐らく数日中には到着することと思われます」
警視総監も、波越警部も、云うべき言葉を知らなかった。黄金仮面は稀代の怪賊であったばかりではない。西洋の天一坊なのだ。
「わたしは、あちらへ引取っても差支ありませんか」
しびれを切らせたルージェール伯が、三人の顔を見比べながら、彼の国の言葉で尋ねた。
「失礼しました。伯爵。お察しでもございましょうが、我々は警察の者です。殺された男が、有名な盗賊とは申せ、兎も角ここに殺人事件が起ったのです。被害者の身元も調べなければなりません。又、ご迷惑ながら、大使閣下に二三御尋ねしなければならぬ点もございます。今少々この部屋に御止まりを願わねばなりません」
明智がフランス語で、うやうやしく答えた。
「さっき、この男は、わたしを指さして、何を云ったのですか」
明智が外国語を話すことが分ると、大使は落ちついた調子で尋ねた。
この質問にあって、明智は一刹那困惑の表情を示したが、思い切った様に、ズバリと云ってのけた。
「閣下が、有名な紳士盗賊アルセーヌ・ルパンだと申したのです」
伯爵は、それを聞くと、別に驚いた様子もなく、じっと明智の顔を眺めた。明智の方でも、必死の微笑を浮べながら、大使を見つめていた。
数秒間奇妙な沈黙が続いた。
「ハハ……、このわしが、……全権大使ルージェール伯爵が、ルパンだというのかね。そして、君は、それを信じているのかね」
伯爵は奥底の知れぬ、薄笑いを浮べている。
「若し信じていると申上げたら、閣下はどうおぼしめしましょうか」
明智は必死の気力を振い起して云った。
「あらゆる事実が、それを物語っているとしたら、仮令大使閣下であろうとも、御疑い申上げる外はないのです」
「あらゆる事実? それを云ってごらんなさい」
大使は相変らず、迫らぬ態度を続けていた。
「黄金仮面は滅多に口を利きません。止むを得ない場合には、ごく簡単な言葉を喋りますが、それは非常に曖昧な、日本人らしくない発音です。これは、黄金仮面が外国人であることを語っています。奇妙な金色のお面も、一目で分る異国人の容貌を隠す為に考案されたものです」
「それで?」
「黄金仮面は、日本に一つしかない様な、古美術品ばかり狙っていますが、並々の盗賊には、そういう有名な品を処分する力がありません。ルパンの様に私設の博物館を所有するものでなくては出来ない芸当です」
「それで?」
「大鳥不二子さんは、なぜ恐ろしい黄金仮面に恋をしたか。それは彼がアルセーヌ・ルパンだからです。あの気高い令嬢が、若し盗賊に恋をするとしたら、世界中に、ルパン一人しかありません。ルパンはどんな女性をも惹きつける、恐ろしい魔力を持っているのです」
「ルパンがそれを聞いたら、さぞかし光栄に思いましょう。併し、わしには何の関係もないことです」
「鷲尾侯爵家の如来像が偽物と変っていました。その偽物の像の裏にA《ア》・L《エル》の記号が記してありました。日本人にLの頭字を持った人名はありません。アルセーヌ・ルパンでなくて誰でしょう。頭字が一致するばかりでなく、犯罪の現場に自分の名札を残して行く盗賊は、恐らくルパンの外にはありますまい。彼は欧洲各国の博物館の宝物を、にせものと置き替え、そのにせものの人目につかぬ場所へ、悉く署名を残して置いた先例があります」
「…………」
「そして、あの盗難のあった頃、鷲尾侯爵邸を訪れた外国人と云えば、閣下、あなたの外にはなかったのです。僕は当時已に、黄金仮面がアルセーヌ・ルパンであり、ルパンは即ちルージェール大使であることを、薄々感づいていたのです」
「ハハハ……、愉快ですね。このわしが世界の侠盗アルセーヌ・ルパンか。で、証拠は? 空想でない証拠物は?」
「浦瀬の証言です」
「こいつは気狂いだ」
「エベールの調査です」
「ナニ、エベール?」
伯爵は、この時初めて、やや顔色を変えた。
「御記憶でしょう。ルパンの仇敵、元のエベール副長です。彼がルージェール伯爵の身元を調査した結果、何もかも分ったのです。大統領は、閣下を捕縛させる為に、あのエベールを日本へ送りました。閣下は已にF国政府の信任を失われたのです」
伯爵は、遂に絶体絶命となった。返すべき言葉がない。だが、彼は少しも騒がなかった。この様な場合には、千度も出会ったことがあるからだ。騒がぬばかりか、却って高らかに笑い出した。
「アハハハ……、日本の名探偵明智小五郎君、よくもやったね。イヤ、感心感心、アルセーヌ・ルパン、生涯覚えて置くよ」
「で、君は白状した訳だね」
巨人と怪人とは今や対等の置位に立った。