27話 烏帽子折 三
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「ほう、千枝まよ。いつ戻ったぞ」
陶器師の翁は笑いながら見返った。彼は手づくりの壺をすこし片寄せながら、狭い仕事場の入口に千枝太郎を招き入れた。
「この頃は家に戻っているとかいう噂を聞いたが、なぜ早う訪ねて来てはくれぬ。婆めは死ぬ。隣りの藻の家は引っ越してしもうて馴染みの薄い人が移って来る。ここらでも四年五年といううちには、住む人がだんだんに移り変わって、むかし馴染みの減るのが寂しい。して、お前はなぜお師匠さまの屋敷から戻って来た。都の奉公はつらいかの」
千枝太郎は黙って、すだれの隙き間からさし込む秋の日が仕事場のぬれた土を白っぽく照らしているのを眺めていたが、やがて沈んだ声で言った。
「わしはお師匠さまから勘当された」
「勘当……」と、翁も白い眉に浪を打たせた。「なんぞ過失でもおしやったか」
「お師匠さまのおそばにいてはわしのためにならぬ。家へ帰れと仰せられた」
「なぜかのう」と、翁は再び首をかしげた。「じゃが、お師匠さまがそう言わるれば、それも是非ない。して、これからはどうおしやる。叔父御も次第に年が寄って、この頃は思うように稼業もならぬと言うていた。お前の戻って来たは丁度幸いかもしれぬ。若い者はせいぜい働いて、叔父御や叔母御に孝行おしやれ。のう」
「おお、わしもそのつもりでこの頃は稼ぎに出る。あれを見やれ」
彼は表を指さすと、門口に烏帽子折りの荷がおろしてあった。翁はうなずいた。
「おお、よい、よい。昔の千枝まとは違うて、今では立派な若い男じゃ。まして子供の時から習いおぼえた職もある。怠らず稼いだら不自由はせぬ筈じゃ」
物に屈託しない翁は心から打ち解けたような笑顔を見せて、昔の千枝まと懐かしそうに話していた。千枝太郎もなつかしそうな眼をして家の中を見まわすと、今向かい合っている小さい窯も、奥に切ってある大きい炉も、落ちかかっているように傾いた棚も、すべて昔のさまとちっとも変わっていなかった。秋の日を浴びている翁の寂びたひたいにも皺の数が殖えていないらしかった。物静かな山科郷の陶器師の家には、月日の移り変わりというものがないようにも思われた。それにひきかえて、久安四年から仁平二年――この足かけ五年のあいだに、自分の身の上はどう変わったか。千枝太郎は振り返って考えた。
叔父の職を見習って、烏帽子折りになるはずの彼は、藻に振り放されたのが動機となって、日本に隠れのない陰陽博士の弟子となった。そうして、師匠にも可愛がられた。自分が未来の出世も眼に見えるようであった。その幸いも長くは続かないで、この三月に偶然かの玉藻にめぐり逢ってから、今まで消えかかっていた思いの火が再び胸に燃えあがった。師匠にも諭され、自分も戒めて、魔性の疑いある彼女と努めて遠ざかろうと試みたが、その因縁は不思議にからみ付いて、幾たびか彼女にめぐり逢う機会が偶然に作られた。そのたびごとに怪しく掻き乱される自分の心を危うくも取り留めようとしながら、所詮はひと足ずつに彼女の方へ引き寄せられて行くらしいのを、神のような師匠の眼に観破られて、彼はついに慈悲の勘当を言い渡された。今さら詫びても肯き入れる師匠でないのを知っているので、彼はすごすごとそこを立ち退いて昔の山科の家に戻った。
戻ってみると、叔父や叔母の老いの衰えが今さらのように彼の眼についた。千枝太郎は悲しくなった。師匠の勘当をうけて来た甥を叔父や叔母はさのみ叱りもしないで、かえって懐かしそうに迎えてくれたので、彼はいよいよ涙ぐまれた。足かけ五年のあいだ、師匠の教えをうけた学問はありながら、勘当された今の身の上では、それを表向きの職として世に立つことは出来ない。さりとてもう一人前の若い者が、手を袖にして叔父や叔母の厄介にもなっていられないので、差しあたっては昔の烏帽子折りに立ちかえって、ちっとでも叔父の手助けをしたいと彼は思った。叔父も喜んで承知した。千枝太郎はその以来、叔父と一緒に商売に出ることもある。自分ひとりで出ることもある。こうしてもう小ひと月を送っているうちに、彼もだんだんに仕事に馴れて来て、朝に家を出て暮れ方に戻れば、きっと幾らかの銭を持って来るので、年をとった叔父や叔母はよい稼ぎ人の戻ったのを、むしろ喜んでいるくらいであった。
これがおれの運かもしれない。せめてこうしているあいだに精ぜい働いて、叔父や叔母に孝行を尽くそうと、彼もこの頃ではあきらめた。師匠のこと、玉藻のこと、それが胸いっぱいに支えているのを、彼は努めて忘れようとしていた。
きょうもそれをうっかりと考えていると、翁は日影がだんだん映しこんで来るのにまぶしくなったらしい。だるそうに立ちあがって入口の蒲すだれをおろした。
「千枝まよ。なにを思案している。叔父御や叔母御もお前が戻ったので喜んでいよう。むかし馴染みが帰って来てわしも嬉しい。これからは今までのように遊びに来ておくりゃれ。よいか。あれ、お見やれ。となりの門の柿の実は年ごとに粒が大きくなって、この秋も定めて美事に熟れることであろうよ」
「そうであろうのう」
ここの門に立った時に、千枝太郎もすぐに隣りの梢を仰いだのであった。実がまだ青いので、そこに大きい鴉の影はみえなかったが、彼は藻と一緒になってその梢の憎らしい鴉を逐った秋を思い出さずにはいられなかった。今も翁からそれを言い出されて、彼は蒲すだれの外をのぞきながら低い溜息を洩らした。
「月日のたつのは早いものじゃのう」
「ほんとに早い。婆めが死んでからもう四年目になる」と、翁はすこし寂しそうな顔をして言った。
自分と仲悪の婆の死――それが藻と何かの因縁があるらしく考えられるので、千枝太郎は何げなく翁に訊いた。
「婆どのが死んで四年目になるか。婆どのはあのような怪しい死にざまをして、今にその子細は判らぬかの」
その後になんの不思議もなかったかという問いに対して、翁はこう答えた。
「さあ、不思議というほどのことは……。いや、たった一度あった。おお、たしか去年の秋……やはり丁度今頃のことじゃと覚えている。お前も識っているであろう。この村の弥五六という男……。あの男が暗い夜に、小町の水の近所を通ると、ここらには珍しい美しい上臈が闇のなかを一人でたどってゆく。いや、不思議なことには、その女のからだから薄い光りがさして、遠くからでもその姿がぼんやりと浮いて見えたそうな。弥五六もあまりの不思議にそっと後をつけてゆくと、女の姿はあの古塚の森の奥へ消えるように隠れてしもうた」
千枝太郎は息をつめて聴いていた。
「弥五六もぞっとして逃げて帰った。あくる日近所の者にその話をすると、皆もただ不思議じゃと言うばかりで、その子細は誰にも判らなんだ。すると、その晩のことじゃ。弥五六は急に死んでしもうた。丁度わしの婆と同じように、喉を喰い裂かれて……」
「その上臈はどんな顔かたちであったかな」と、千枝太郎は忙がわしく訊いた。
「それは知らぬ。わしが見たのでない、唯その話を人から聞いたまでじゃ」と、翁はおちつき顔に答えた。「しかしわしの考えでは、それが古塚のぬしであろうも知れぬ。うかと出逢うたが弥五六の不運じゃ。それに懲りてこの頃では、日が暮れてからあの森の近所を通り過ぎるものは一人もないようになった」
「不思議じゃのう」
「不思議というよりも怖ろしい。お前も心してその祟りに逢わぬようにおしやれ。婆や弥五六がよい手本じゃ」
その上臈がもしや玉藻ではないかという疑いが、千枝太郎の胸にふと湧き出した。果たしてそうならば、藻は塚のぬしに祟られて、その魂はもう入れ替わっているのである。たといその形はむかしの藻でも、今の玉藻の魂には悪魔が宿っているのである。彼はその疑いを解くためにこれから毎晩その森のあたりに徘徊して、怪しい上臈の姿を見とどけたいと思った。そうして、それを一つの手柄にして、彼は師匠の勘当をゆるされようと考えたのであった。
翁との話はここらで打ち切って、千枝太郎は早々にここを出た。出る時に、彼は再び隣りの柿の梢をみあげると、その高い枝は青い大空を支えているように大きく拡がって、ところどころにはもう薄紅い光沢をもった木の実が大きい鈴のように生っていた。幼い藻の顔と臈たけた玉藻の顔とが一つになって、彼の眼さきを稲妻のようにひらめいて通った。
「あきないが遅うなる」
千枝太郎は京の方角へ足を向けた。
むかしの相弟子や知りびとに顔をあわせるのがさすがに辛いので、彼はこれまで京の町へは商売に出なかったが、商売はどうでも京の町にかぎると叔父からも教えられ、自分もそう覚ったので、きょうは思い切って繁華な町の方へ急いで行った。その目算は案外に狂って、顔馴染みのない若い職人をどこでも呼び込んでくれないので、彼はひどく失望した。一日根気よく呼びあるいても、彼は京の町で一文も稼ぐことは出来なかった。
九月はじめの秋の日は吹き消すようにあわただしく暮れかかって、うすら寒い西山おろしが麻の帷子にそよそよと沁みて来たので、千枝太郎はいよいよ心寂しくなった。こうと知ったら京の町まちへ恥がましい顔をさらして歩くのではなかったものをと悔やみながら、疲れた足を引き摺ってとぼとぼと戻ろうとすると、六条の橋の袂で呼び止められた。
「烏帽子折りか。頼みたい」
振り返ると、それはもう六十に近い、人品のよい武士で、引立烏帽子をかぶって、萌黄と茶との片身替わりの直垂を着て、長い太刀を佩いていた。彼は白い口髯の下から坂東声で言った。
「それがしはこのごろ上った者じゃで、都の案内はよう存ぜぬが、見るところ烏帽子折りであろう。頼まれてくれぬか」
「心得ました」
そこですぐに荷をおろすと、武士は一人の家来を見かえって、その烏帽子が折れたら受け取って来いと言い付けて、自分はそのままに行き過ぎてしまった。
「手もとは暗うはないかな」と、あとに残された家来は千枝太郎の手もとを覗きながら言った。
「いえ、烏帽子一つ折るほどの間はござりましょう」と、千枝太郎は手を働かせながら答えた。
「して、お前さま方は坂東の衆でござりまするか」
「おお、相模の者じゃよ」と、家来は立ちはだかったままで誇るように言った。「それがしの御主人は三浦介殿じゃ」
「三浦介殿……。では衣笠の三浦介殿でござりますな」
「よう存じておる。唯今まいられたのがその三浦介殿じゃ」
烏帽子のあつらえ手は相州衣笠の城主で三浦介源義明であることを家来は説明した。三浦介は上総介平広常と共に京都の守護として、このごろ坂東から召しのぼられたのであった。
「そのような武将の冠り物を折りまするは、わたくしの職の誉れでござりまする」と、千枝太郎は追従でもないらしく言った。
「そう存じたら、念を入れて仕まつれ」と、家来は直垂の袖で鼻をこすった。
坂東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいようであった。