21話 二十一
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「ねえ、小松原さん、」
とぼかしたような顔が、蚊帳の中で朧に動いて、
「あの御骨だって、水に縁があるんですもの。」
「婦女子の言です。」
と医師は横を向く。小松原は、片手を敷布の上、隣室へ摺寄る身構えで、
「水に縁と……仰有ると?」
「あれは貴下、何ですわ、つい近い頃、夫が拾って来て、あすこへ飾ったんですがね。その何ですよ、旧あった処は沼なんですって。」
「沼!」
「おっと直ぐに、そう目の色を変えるから困る。鯰に網を打ちはしまいし、誰が沼の中から、掬上げるもんか。」
「だって、そりゃ沼からじゃありますまいけれど、梅雨あけに水が殖えたので、底から流出したんだろうッて、貴郎がそう言っていらしったではありませんか。――小松原さん、この梅雨あけにも田圃へ水が出ましてね、先刻おっしゃいました、踏切の前の橋も落ちたんですよ。蒼沼が溢れたんですって、田圃の用水は、皆そこから来るんだって申します……
その近処の病家へ行きました時に、其家の作男が、沼を通りがかりに見て来たって、話したもんですから、夫が貴下、好事にその男を連れて帰りがけに、廻道をして、内の車夫に手伝わして、拾って来たんですわ。
御骨は、沼の縁に柔な泥の中にありましたって、どこも不足しないで、手足も頭も繋って、膝を屈めるようにしていたんだそうです。」
「妄誕臆説!」
と称えて、肩を一つ団扇で敲く。
「臆説って、貴下がお話しなすった癖に。そうしてこう骨になってから、全体具っているのは、何でも非常な別嬪に違いない。何骨とか言って、仏家では菩薩の化身とさえしてある。……第一膝を折った身躾の可い処を見ろッて、さんざん効能を言ったではありませんか。」
と、もう小児も寝たので、掻巻からするりと出て褄を合わせる。
医師喟然として、
「宜しく頼む。あとは君にまかせるから、二人して、あの骨をその人だとでも何とでも御意なさい、こちらへ来て講中にならんか。」
と笑いながら、むずと蚊帳を出て、廊下へ寝衣で突立った。
が横向に隣を見て、
「何だ、お前も手水か。馬鹿な、今の話しで不気味だからって。お客様の居る処を、連立って便所へ行く奴があるかい。」
と言う。
小松原が、ト透すと、二重遮って仄ではあるが、細君は蚊帳の中を動かずにいたのである。
「貴郎、」
とこの時、細君の声は、果せる哉、太く震えて、
「貴郎……」
「うむ、」
小松原も蚊帳の中に悚然として、
「酒田。」
と変な声をする。
「誰か居ますか。」
「おお……」
と医師は、蹌踉けたように、雨戸を背に、此方を向き替え、斜めに隣室の蚊帳を覗いた。
「私はここに居ますんですよ。」
「誰だ、今のは?」
うっかり医師が言うや否や……
「厭……」
と立って、ふらふらと、浅黄に白地で蚊帳を潜ると、裙と裙とにばっと挟まる、と蜘蛛の巣に掛ったように見えたが、一つ煽って、すッと痩せたようになって、此方の蚊帳へ――廊下に事はあるものを、夫を力にそこへは出られぬ――腰を細く、乗るばかり、胸に縋った手が白く、小松原の膝にしがみついた。
――この状を……後に、医学士が人に語る。――
「蒼沼の水は可恐しい、人をして不倫の恋をなさしむるかと、私は嫉もうとした。」