日記 33 一九五〇年(昭和二十五年)

5話 〔二〕月六日

1,649字 約3分 2021年1月21日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 きょう宮、はじめて朝食堂へ下りた、床をしいて。しかしまだ食ヨクなし、やっと仕事にとりつける。大森寿恵子手つだいに泊る、そして、年よりの女、下働きに来ることにきまる。宮十日に出発は無理だ。(以上、二月の分を間違う)

二月四日 土

 林米子、きょうから水のさんのところの治療に通うことにする、一回 200 円費用をもつ。Yちゃん、ハハキトクスグカヘレで夜十時に立つ、お客四人に食事、咲とわたし大童、古、松(夫人)、クボ

二月五日 日

 編輯会議。

 文学サークル協ギ会のことについて岡本潤、青山が指導していると云うと「フーム、そういうことがあるならいい、この間の話は放っておけないね」青山に関東地方の□□□にたのまれたことを云い出す。グループの反青山、増山熱にのって、その反面、御用をつとめようとするところ。それからヴェトナムについて(知識そのものをしっているんだから、利用できると思う)云々

 大日本がダメということ。

二月七日 火

 きょうからやっと仕事にとりかかる。「道標」第三部第四章

 朝ふと目がさめたら、となりで人の声がする岡田文吉の声“十三日の芸術家会議には書記長と野坂が出ると云ってる”“紺野がつるし上げられたそうだ”

二月八日 水

 仕事。

 政治局で、まだ青山の論文をまわしよみしている由。

二月十五日 水

 雪。宮はじめて政治局。

『婦人公論』未亡人の手記の選者座談会、もちろん欠席。

 やっと『前衛』の論文出るにきまる、“これを出すのは君のためにならない”と云った由。

二月十六日 木

 徳の“われわれは落付いてやっている”コミンフォルムののちの第一声がこれで通ると思っているとは世間しらずも甚しい。共産党書記長というものは幹事長ではない。

二月十七日 金

 開成山の小池歯科医の未亡人、上京、国のところに泊っている。必死に生きている人と咲枝との対照。

二月十八日 土

 寒い

 仕事、もうすこしで終るが、伸子のボーッとしたところがうまく描き出されない。吉田をめぐる文士のおたいこ言葉(ニュアンス)天皇、宮様、首相、それぞれ段があって、うまいものだ、そして小説は益、無くなる、荷風(放談)(エッセイ)これだけいうものもいない。

二月十九日 日

 小説54枚わたす。

 税が八十万で、四十万ぐらい払うことになりそうだ。うちにそんな金はない。宮の出発木曜日にきまる。Yちゃんの帰りのびる。アジアの地図を眺める、そして、九州はこんなに近いのに、と思う。わたしが、一つ太陽の下、どこにいても、と思うのが自然にならなければならないのが、しみじみわかる。1950 年の一月は、わたしたち夫婦の一生に一つの大きいマイル・ストーンとなった。

二月二十二日 水

 夜、風呂から出て、宮、墨をすり、たのまれた色紙に字をかいた。実にいい字、“すでに十億の民衆が平和のために立った”それを見たらからりとしたいいこころもちになって、苦しい気持が忘られた。

二月二十三日 木

 宮、福岡へ出発。

三月六日 月

 やっと、日評の辞典の原稿をかき終った。大疲れ、二度直したから。

三月七日 火

 小説の下ごしらえ。

三月九日 木

 仕事。

三月十日 金

 仕事。

三月十一日 土

 仕事。

 アサから奥さん来。判断にやっぱりちがうところがある。

 宮から帰りをしらせる電報。

三月十二日 日

 小説

 m夫婦。わたしの生活にない女、男、一家。現実の一つの面。風俗小説の生れ出る原因。分析のできない人のごたごた、とりみだし、それで風俗小説にならざるを得ない。

三月十三日 月

 宮、夜七時何分かで帰って来た、土からほり出した何かのキノコのように、もっくりとして帰って来た、気持よさそうに。

 仕事

三月十四日 火

 仕事、27枚まで。アサ夫人の話、どこまでどうか、宮出勤。

三月二十日 月

 宮九州へ、午後一時で立ったが、まだ書きもの終らず(積極的意義)沼津までついて行って、夜八時ごろ、グロッキーで送ったものかえる。

四月三日 月

 世界評論へやっと「十二年の手紙」第一巻分十三年までわたす。

四月八日 土

 宮、帰宅。

目次に戻る

目次