葛飾砂子

1話 葛飾砂子(1)

7,028字 約14分 2009年6月10日 公開

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縁日  柳行李  橋ぞろえ  題目船  衣の雫  浅緑

記念ながら

     縁日

       一

 先年尾上(おのえ)家の養子で橘之助(きつのすけ)といった名題俳優(やくしゃ)が、年紀(とし)二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残して(はかの)うなり、贔屓(ひいき)の人々は()うまでもなく、見巧者(みごうしゃ)をはじめ、芸人の仲間にも、あわれ梨園の眺め唯一の、白百合一つ(しぼ)んだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。

 深川富岡門前に待乳(まっち)屋と謂って三味線(さみせん)屋があり、その一人娘で菊枝という十六になるのが、秋も末方の日が暮れてから、つい近所の不動の縁日に(まい)るといって出たのが、十時半過ぎ、かれこれ十一時に近く、戸外(おもて)人通(ひとどおり)もまばらになって、まだ帰って来なかった。

 別に案ずるまでもない、(おなじ)町の軒並び二町ばかり洲崎(すさき)の方へ寄った角に、浅草紙、束藁(たわし)懐炉灰(かいろばい)蚊遣香(かやりこう)などの荒物、烟草(たばこ)も封印なしの一銭五厘二銭玉、ぱいれっと、ひーろーぐらいな処を商う店がある、真中(まんなか)が抜裏の路地になって合角(あいかど)に格子戸(づくり)仕舞家(しもたや)が一軒。

 江崎とみ、と女名前、何でも持って来いという意気(づくり)だけれども、この門札(かどふだ)は、さる(たぐい)の者の看板ではない、とみというのは方違いの北の(くるわ)、京町とやらのさる(うち)に、博多(はかた)の男帯を(うしろ)から廻して、前で挟んで、ちょこなんと坐って抜衣紋(ぬきえもん)で、客の懐中(ふところ)を上目で見るいわゆる新造(しんぞ)なるもので。

 三十の時から二階三階を押廻して、五十七の今年二十六年の間、遊女八人の身抜(みぬけ)をさしたと大意張(おおいばり)の腕だから、家作などはわがものにして、三月ばかり前までは、出稼(でかせぎ)の留守を勤め(あが)りの囲物(かこいもの)、これは洲崎に居た年増(としま)に貸してあったが、その婦人(おんな)は、この夏、弁天町の中通(なかどおり)に一軒引手茶屋(ひきてぢゃや)の売物があって、買ってもらい、商売をはじめたので空家になり、また貸札でも出そうかという処へ娘のお縫。母親の富とは大違いな殊勝な心懸(こころがけ)、自分の望みで大学病院で仕上げ、今では町住居(ずまい)の看護婦、身綺麗(みぎれい)で、容色(きりょう)()くって、ものが出来て、深切で、(おとな)しいので、寸暇のない処を、近ごろかの尾上家に頼まれて、橘之助の病蓐(びょうじょく)に附添って、息を引き取るまで世話をしたが、多分の礼も手に入るる、山そだちは山とか、ちと看病(づかれ)も出たので、しばらく保養をすることにして帰って来て、ちょうど留守へ入って(ひとり)で居る。菊枝は前の囲者が居た時分から、縁あってちょいちょい遊びに行ったが、今のお縫になっても相変らず、……きっとだと、両親(ふたおや)が指図で、小僧兼内弟子の弥吉(やきち)というのを(むかい)に出すことにした。

「菊枝が毎度出ましてお邪魔様でございます、難有(ありがと)う存じます。それから菊枝に、病気揚句だ、夜更(よふか)しをしては()くないからお帰りと、こう言うのだ。(てめえ)またかりん糖の仮色(こわいろ)を使って口上を忘れるな。」

 坐睡(いねむり)をしていたのか、寝惚面(ねぼけづら)で承るとむっくと立ち、おっと合点お茶の子で飛出した。

 わっしょいわっしょいと()う内に駆けつけて、

「今晩は。」というと江崎が家の格子戸をがらりと開けて、

「今晩は。」

 時に返事をしなかった、上框(あがりがまち)の障子は一枚左の方へ開けてある。取附(とッつき)が三畳、次の()(あかり)()いていた、弥吉は土間の処へ突立(つった)って、委細構わず、

「へい毎度出ましてお邪魔様でございます、難有(ありがと)う存じます。ええ、菊枝さん、姉さん。」

       二

「菊枝さん、」とまた呼んだが、誰も返事をするものがない。

 立続けに、

「遅いからもうお帰りなさいまし、風邪を引くと不可(いけ)ません。」

 弥吉は親方の吩咐(いいつけ)に註を入れて、我ながら(うま)く言ったと思ったが、それでもなお応じないから、土間の薄暗い中をきょろきょろと《みまわ》したが、(そっ)と、(かまち)に手をついて、及腰(およびごし)に、高慢な顔色(かおつき)で内を(すか)し、

「かりん糖でござい、評判のかりん糖!」と節をつけて、

「雨が降ってもかりかりッ、」

 どんなものだ、これならば(あらわ)れよう、弥吉は菊枝とお縫とが居ない(ふり)でかつぐのだと思うから、笑い出すか、噴き出すか、くすくす()るか、叱るかと、ニヤニヤ(ひとり)で笑いながら、耳を(すま)したけれども沙汰(さた)がない、時計の音が一分ずつ柱を刻んで、(うしお)退()くように鉄瓶の()()(ひびき)、心着けば人気勢(ひとけはい)がしないのである。

可笑(おか)しいな、」と独言(ひとりごと)をしたが、念晴しにもう一ツ(わめ)いてみた。

「へい、かりん糖でござい。」

 それでも寂寞(ひっそり)、気のせいか(あかり)も陰気らしく、立ってる土間は暗いから、(くさめ)を仕損なったような変な目色(めつき)で弥吉は飛込んだ時とは打って変り、ちと悄気(しょげ)た形で格子戸を出たが、後を閉めもせず、そのままには帰らないで、溝伝いにちょうど戸外(おもて)に向った六畳の出窓の前へ来て、背後向(うしろむき)()りかかって、前後(あとさき)を《みまわ》して、ぼんやりする。

 がらがらと通ったのは三台ばかりの威勢の()腕車(くるま)、中に合乗(あいのり)が一台。

「ええ、驚かしゃあがるな。」と年紀(とし)には()ない口を利いて、大福餅が食べたそうに懐中(ふところ)に手を入れて、貧乏ゆるぎというのを()る。

 処へ入乱れて三四人の跫音(あしおと)、声高にものを言い合いながら、早足で(ちかづ)いて、江崎の前へ来るとちょっと(よど)み、

「どうもお嬢さん難有(ありがと)うございました。」こういったのは豆腐屋の女房(かみさん)で、

「飛んだお手数でしたね。」

「お蔭様だ。」と(とめ)という紺屋の職人が居る、魚勘(うおかん)親仁(おやじ)が居る、いずれも口々。

 中に(はさま)ったのが看護婦のお縫で、

「どういたしまして、誰方(どなた)も御苦労様、御免なさいまし。」

「さようなら。」

「お休み。」

 互に言葉を(かわ)したが、(つれ)の三人はそれなり分れた。

 ちょっと(たたず)んで見送るがごとくにする、お縫は縞物(しまもの)の不断着に帯をお太鼓にちゃんと結んで、白足袋を穿()いているさえあるに、髪が夜会結(やかいむすび)。一体ちょん(まげ)より夏冬の帽子に目を着けるほどの、土地柄に珍しい扮装(なり)であるから、新造の娘とは知っていても、(とな)えるにお嬢様をもってする。

 お縫は出窓の処に立っている弥吉には目もくれず、(くびす)を返すと何か(せわ)しらしく入ろうとしたが、格子も障子も突抜けに(あけ)ッ放し。思わず猶予(ためら)って振返った。

「お帰んなさい。」

「おや、待乳屋さんの、」と唐突(だしぬけ)に驚く間もあらせず、

「菊枝さんはどうしました。」

「お帰んなすったんですか。」

 いささか見当が違っている。

「病気揚句だしもうお帰んなさいって、へい、迎いに来たんで。」

「どうかなさいましたか。」と深切なものいいで、門口(かどぐち)に立って尋ねるのである。

 小僧は息をはずませて、

「一所に出懸けたんじゃあないの。」

「いいえ。」

     柳行李

       三

「へい、おかしいな、だって内にゃあ居ませんぜ。」

「なに居ないことがありますか、かつがれたんでしょう、呼んで見たのかね。」

「呼びました、(わめ)いたんで、かりん糖の仮声(こわいろ)まで使ったんだけれど。」

 お縫は莞爾(にっこり)して、

「そんな串戯(じょうだん)をするから返事をしないんだよ。まあお入んなさい、御苦労様でした。」と落着いて格子戸を(くぐ)ったが、土間を(すか)すと()天鵝絨(とうてん)の緒の、小町下駄を揃えて脱いであるのに(きっ)と目を着け、

「御覧、履物があるじゃあないか、何を慌ててるんだね。」

 弥吉は後について首を突込(つっこ)み、

「や、そいつあ気がつかなかったい。」

「今日はね河岸(かし)へ大層着いたそうで、(まぐろ)(あたら)しいのがあるからお(すき)な赤いのをと思って(きい)ちゃんを一人ぼっちにして、角の喜の字へ()くとね、帰りがけにお前、」と口早に話しながら、お縫は上框(あがりがまち)の敷居の処でちょっと(かが)み、(くだん)の履物を揃えて、

「何なんですよ、(あし)の湯の前まで来ると大勢立ってるんでしょう、恐しく騒いでるから聞いてみると、銀次さん(とこ)の、あの、刺青(ほりもの)をしてるお婆さんが湯気に(あが)ったというものですから、世話をしてね、どうもお待遠様でした。」

 と、(ふすま)を開けてその六畳へ入ると誰も居ない、お縫は少しも怪しむ色なく、

「堪忍して下さい。だもんですから、」ずっと、長火鉢の前を悠々と(はす)に過ぎ、帯の間へ手を突込(つっこ)むと小さな蝦蟇口(がまぐち)を出して、ちゃらちゃらと箪笥(たんす)の上に置いた。門口(かどぐち)の方を(すか)して、

「小僧さん、まあお上り、菊枝さん、きいちゃん。」と言って部屋の内を《みまわ》すと、ぼんぼん時計、花瓶の菊、置床の上の雑誌、貸本が二三冊、それから自分の身体(からだ)が箪笥の前にあるばかり。

 はじめて怪訝(おかし)な顔をした。

「おや、きいちゃん。」

「居やあしねえや。」と弥吉は腹ン(ばい)になって、(のぞ)いている。

「弥吉どん。本当に居ないですか、菊ちゃん。」とお縫は箪笥に凭懸(よりかか)ったまま、少し身を引いて三寸ばかり()いている襖、寝間にしておく隣の(なが)四畳のその襖に手を懸けたが、ここに見えなければいよいよ菊枝が居ないのに(きま)るのだと思うから、気がさしたと覚しく、猶予(ためら)って、腰を据えて、筋の(しま)って来る真顔は淋しく、お縫は大事を取る塩梅(あんばい)(そっ)と押開けると、ただ中古(ちゅうぶる)の畳なり。

「あれ、」といいさまつかつかと入ったが、(あわただ)しく、小僧を呼んだ。

「おっ、」と答えて弥吉は突然(いきなり)飛込んで、

「どう、どう。」

「お待ちなさいよ、いえね、弥吉どん、お前来る(みち)逢違(あいちが)いはしないだろうね、履物はあるし、それにしちゃあ、」

 呼び上げておきながら取留めたことを尋ねるまでもなく、お縫は半ば独言(ひとりごと)(ふた)のあいた柳行李(やなぎごうり)の前に立膝になり、ちょっと小首を傾けて、向うへ押して、ころりと、仰向けに蓋を取って、右手を差入れて底の方から(もた)げてみて、その手を返して、畳んだ着物を上から二ツ三ツ(おさ)えてみた。

「お嬢さん、盗賊(どろぼう)?」と弥吉は(たま)りかねて頓興(とんきょう)な声を出す。

「待って頂戴。」

 お縫は自らおのが身を待たして、蓋を引いたままじっとして勝手許(かってもと)(しま)っている一枚の障子を、その情の深い目で(みつ)めたのである。

       四

「弥吉どん。」

「へい、」

「おいで、」と言うや否や、ずいと立って(くだん)台所(だいどこ)の隔ての障子。

 柱に(つかま)って(のぞ)いたから、どこへおいでることやらと、弥吉はうろうろする内に、お縫は(すそ)を打って、ばたばたと例の六畳へ取って返した。

 両三度あちらこちら、ものに手を触れて廻ったが、台洋燈(だいランプ)を手に取るとやがてまた台所。

 その(たもと)に触れ、手に触り、寄ったり、放れたり、筋違(すじちがい)退()いたり、背後(うしろ)へ出たり、附いて廻って弥吉は、きょろきょろ、目ばかり(きらめ)かして黙然(だんまり)で。

 お縫は額さきに洋燈(ランプ)を捧げ、血が騒ぐか細おもての顔を赤うしながら、お太鼓の帯の幅ったげに、後姿で、すっと台所へ入った。

 と思うと、湿(しめり)ッけのする冷い風が、(さっ)と入り、洋燈の炎尖(ほさき)下伏(したぶし)になって、ちらりと(あお)く消えようとする。

 はっと袖で囲ってお縫は屋根裏を仰ぐと、引窓が()いていたので、(すす)真黒(まっくろ)な壁へ二条(ふたすじ)引いた白い縄を、ぐいと手繰ると、かたり。

 引窓の閉まる拍子に、物音もせず、五()ばかりの丸い灯は、口金から根こそぎ()いで取ったように火屋(ほや)の外へふッとなくなる。

(いや)だ、消しちまった。」

 勝手口は見通しで、二十日に近い路地の月夜、どうしたろう、ここの戸は(しま)っておらず、右に三軒、左に二軒、両側の長屋はもう夜中で、(あかる)い屋根あり、暗い軒あり、影は溝板(どぶいた)の処々、その家もここも寂寞(ひっそり)して、ただ一つ朗かな蚯蚓(みみず)の声が月でも聞くと思うのか、鳴いている。

 この裏を行抜(ゆきぬ)けの正面、霧の(あや)も遮らず目の届く処に角が立った青いものの(ちらば)ったのは、一軒飛離れて海苔粗朶(のりそだ)の垣を小さく結った小屋で()く貝の殻で、その剥身(むきみ)屋のうしろに、薄霧のかかった中は、直ちに汽船の通う川である。

 ものの景色はこれのみならず、間近な軒のこっちから(さお)を渡して、看護婦が着る真白(まっしろ)上衣(うわぎ)が二枚、しまい忘れたのが夜干(よぼし)になって(かか)っていた。

「お(ばけ)。」

「ああ、」とばかり、お縫は胸のあたりへ(さっ)と月を浴びて、さし入る影のきれぎれな板敷の上へ坐ってしまうと、

(あかり)を消しましたね。」とお化の暢気(のんき)さ。

     橋ぞろえ

        五

「さあ、おい、起きないか起きないか、石見橋(いわみばし)はもう越した、不動様の前あたりだよ、(すぐ)八幡様(はちまんさま)だ。」と、(しま)の羽織で鳥打を(かぶ)ったのが、胴の()に円くなって寝ている黒の紋着(もんつき)を揺り起す。

 一行三人の乗合(のりあい)で端に一人仰向(あおむ)けになって(ふなばた)(ひじ)を懸けたのが調子低く、

(つくだ)々と急いで()げば、

  潮がそこりて()が立たぬ。

 と口吟(くちずさ)んだ。

 けれども実際この船は佃をさして漕ぐのではない。且つ潮がそこるどころの沙汰ではない。昼過(ひるすぎ)からがらりと晴上って、蛇の目の(からかさ)を乾かすような月夜になったが、昨夜(ゆうべ)から今朝へかけて暴風雨(あらし)があったので、大川は八()の出水、当深川の川筋は、縦横曲折至る処、潮、満々と(たた)えている、そして早船乗(はやぶねのり)頬冠(ほおかぶり)をした船頭は、かかる()のひっそりした水に声を立てて艪をぎいーぎい。

 砂利船、材木船、泥船などをひしひしと(もや)ってある蛤町(はまぐりちょう)の河岸を過ぎて、左手に黒い板囲い、と大きく胡粉(ごふん)で書いた、中空に見上げるような物置の並んだ前を通って、蓬莱橋(ほうらいばし)というのに(かか)った。

 月影に色ある水は橋杭(はしぐい)を巻いてちらちらと、(うね)って、横堀に浸した数十本の材木が皆動く。

「とっさんここいらで、よく釣ってるが何が釣れる。」

 船顎、

沙魚(はぜ)鯔子(おぼこ)が釣れます。」

「おぼこならば釣れよう。」と縞の羽織が笑うと、舷に肱をついたのが向直って、

「何あてになるものか。」

()って御覧(ごろう)じろ。」と橋の下を抜けると、たちまち川幅が広くなり、土手が著しく低くなって、一杯の潮は(なかだか)(あふ)れるよう。左手(ゆんで)()(みさき)蘆原(あしはら)まで一望(びょう)たる広場(ひろっぱ)、船大工の小屋が飛々(とびとび)、離々たる原上の秋の草。風が海手からまともに吹きあてるので、満潮の河心へ乗ってるような船はここにおいて大分揺れる。

「釣れる段か、こんな晩にゃあ(うなぎ)が船の上を渡り越すというくらいな川じゃ。」と船頭は意気(すこぶ)(あが)る。

「さあ、心細いぞ。」

「一体この川は何という。」

「名はねえよ。」

「何とかありそうなものだ。」

「石見橋なら石見橋、蓬莱橋なら蓬莱橋、蛤町の河岸なら蛤河岸さ、八幡前、不動前、これが富岡門前の裏になります。」という時、小曲(こまがり)をして平清(ひらせい)の植込の下なる暗い処へ入って蔭になった。川面(かわづら)はますます(あかる)い、船こそ数多(あまた)あるけれども動いているのはこの川にこれただ一(そう)

「こっちの橋は。」

 間近く(にじ)のごとく(かか)っているのを縞の羽織が聞くと、船頭の答えるまでもなく紋着が、

汐見橋(しおみばし)。」

(さみ)しいな。」

 この処の角にして船が弓なりに曲った。寝息も聞えぬ小家(こいえ)あまた、水に臨んだ岸にひょろひょろとした細くって低い柳があたかも墓へ手向けたもののように果敢(はか)なく植わっている。土手は一面の蘆で、折しも風立って来たから(さっ)(なび)き、颯と靡き、颯と靡く反対の方へ漕いで漕いで進んだが、白珊瑚(しろさんご)の枝に似た貝殻だらけの海苔粗朶(のりそだ)(うずたか)く棄ててあるのに、根を隠して、薄ら(あお)い一基の石碑が、手の届きそうな処に人の背よりも高い。

       六

「おお、気味悪い。」と(ふなばた)を左へ坐りかわった(しま)の羽織は大いに悄気(しょげ)る。

「とっさん、何だろう。」

「これかね、寛政子年(ねどし)津浪(つなみ)死骸(しがい)(かたま)っていた処だ。」

 正面に、

葛飾郡(かつしかごおり)永代築地

 と()りつけ、おもてから背後(うしろ)草書(はしりがき)をまわして、

 此処(このところ)寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、溺死(できし)の難なしというべからず、(これ)に寄りて西入船町を限り、東吉祥寺前に至るまで(およ)そ長さ二百八十間余の所、家居(いえい)取払い空地となし置くものなり。

 と記して(かたわら)に、寛政六年甲寅(きのえとら)十二月 日とある石の記念碑である。

「ほう、水死人の、そうか、()わば土左衛門塚。」

「おっと船中にてさようなことを、」と鳥打はつむりを(すく)めて、

「や!」

 響くは(すさま)じい水の音、神川橋の下を(くぐ)って水門を抜けて矢を射るごとく海に注ぐ(ながれ)の声なり。

念入(ねんいり)だ、恐しい。」と言いながら、寝返(ねがえり)の足で船底を蹴ったばかりで、(いま)だに生死(しょうじ)のほども覚束(おぼつか)ないほど寝込んでいる(つれ)の男をこの際、十万の味方と(はげ)しく揺動かして、

「起きないか起きないか、(ひど)く身に染みて寒くなった。」

 やがて平野橋、一本(ひともと)二本蘆の中に(まじ)ったのが次第に洲崎のこの(あたり)土手は一面の薄原(すすきばら)、穂の中から二十日近くの月を遠く沖合の空に眺めて、潮が高いから、人家の座敷下の手すりとすれずれの処をゆらりと漕いだ、河岸についてるのは川蒸汽で縦に七(そう)ばかり。

「ここでも人ッ子を見ないわ。」

「それでもちっとは娑婆(しゃば)らしくなった。」

「娑婆といやあ、とっさん、この辺で未通子(おぼこ)はどうだ。」と縞の先生活返(いきかえ)っていやごとを謂う。

「どうだどころか、もしお前さん方、この加賀屋じゃ水から飛込む(うお)を食べさせるとって名代(なだい)だよ。」

「まずそこらで()し、船がぐらぐらと来て鰻の川渡りは御免(こうむ)る。」

「ここでは欄干(てすり)から這込(はいこ)みます。」

「まさか。」

「いや何ともいえない、青山辺じゃあ三階へ栗が飛込むぜ。」

「大出来!」

 船頭も(どっ)と笑い、また、

佃々と急いで漕げば、

  潮がそこりて艪が立たぬ。

 程なく漕ぎ寄せたのは弁天橋であった、船頭は(へさき)(のり)かえ、(さお)を引いて横づけにする、水は船底を()めるようにさらさらと引いて石垣へだぶり。

「当りますよ。」

「活きてるか、これ、」

 二度まで(ゆす)られても人心地のないようだった一名は、この時わけもなくむっくと起きて、真先(まっさき)に船から出たのである。

「待て、」といいつつ両人、懐をおさえ、(つま)を合わせ、羽織の(ひも)()めなどして、履物を穿()いてばたばたと(おか)(あが)って、一団(ひとかたまり)になると三人言い合せたように、

「寒い。」

「お(しずか)に。」といって、船頭は何か取ろうとして胴の間の処へ俯向(うつむ)く。

 途端であった。

 耳許(みみもと)にドンと一発、船頭も驚いてしゃっきり立つと、目の(さき)へ、火花が糸を引いて《ぱっ》と散って、川面(かわづら)で消えたのが二ツ三ツ、不意に南京(なんきん)花火を揚げたのは寝ていたかの男である。

 (ひと)しく左右へ退()いて、呆気(あっけ)に取られた(つれ)両人(ふたり)を顧みて、呵々(からから)と笑ってものをもいわず、真先(まっさき)に立って、

 鞭声(べんせい)粛々!――

     題目船

       七

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