6話 紅茶会 六
読み方を変える
「だから神月、君自ら感情を制して、その美人と別れたら可かろう、」と柳沢は慎重に諭した。
「何、もう子爵家を去って、寺に下宿したら可いじゃあないか。僕はね、爵位と、君があの高慢な嚊々とを棄てたというので、すべての罪を償うて余あるもんだと思う。借金でも何でも遣ッつけッちまえ。癪に障ったら片端から弾飛せ。一般の風潮で、日本に容れられなかったら、二人で海外に旅行するさ。それでも可けなけりゃ、天に登るこッた。美しい星が二つ出来るんです。天文学者には分らなくッても、情を解するものには、紫か、緑か、燦然として衆星の中に異彩を放つのが明かに見出される。」といい放って、竜田はその若々しい、美しい顔を仰向けて、腕組をした、毛糸の茶色の襟巻は端がほろほろと解けた。
その背を叩いて、
「江戸ッ児! 相変らず暢気なものだな、本人の神月は、君よりよっぽど訳が分ってるよ。だから心配をするんじゃあないか。」と穏に云いながら柳沢は老実々々しく、卓子の上に両方からつないで下げた電燈の火屋の結目を解いたが、堆い書籍を片手で掻退けると、水指を取って、ひらりとその脊の高い体で、靴のまま卓子の上に上って銅像のごとく突立った。天井はそれよりも遥に高いが、室は狭く、五人を入れて、卓子を真中に、本箱を四壁に塞いだ上に、戸の入口には下駄箱が竝んで、これに、穿物が脱いであるなり、衣服は掛けてあり、外套は下ってる。避て通らなければ出られないので、学士はその卓子越の間道を選んだので、余り臨機な働であったから、その心を解せず、三人は驚いて四方を囲んで、斉しく高く仰ぎ見た。ために国史専修の学士も、しばらく岩見重太郎に別れなければならず余儀なくされた。
柳沢は突立ったまま、
「おい、ちょっと退かないか。」
「何をする、」と哲学者は呆れ顔をしてほとんど問題を研究する時のように難しく眉を顰めた。
事も無げに、
「紅茶を入替えよう、湯を取りに行くんだから、」
「こっちへ寄越せ、僕が行こう、」と哲学者も衝と立上る。
「そうか。」といいさま、柳沢はひらりと下りて、身軽に立直った、ぱたりと靴の音。
電燈の球は卓子の上を這ったまま、朱を灌いだように颯と赫くなって、ふッと消えたが、白く明くなったと思うと、蒼い光を放つ!
「星を仰ぐこと、正に、」と竜田若吉は腰を落して頭を卓子の下に入れ、顔を上げて、清しい目を《みは》って、
「こういう風。」
梓はその面羞気な顔を照らされるのを厭うがごとく、椅子を放れて疾く背後に退いた。柳沢は長い足を素直に伸ばして、膝を膝に乗せて組違えると同時に仰向けに寝て一杯に肱を張って、両手で項を抱きながら、じッと件の電燈を瞶めた。
その時、国史専修の学士は、静に糸を取って、無心に繋合せて、灯を宙に釣したと思うと、袴の下へ手を入れて、片手で赤本をおさえてみたが、そのまま腰を掛けて、また読みはじめる、岩見重太郎武勇伝。