坊っちゃん

7話 六(2)

6,286字 約13分 1999年9月13日 公開

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 午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始めてだからとんと容子(ようす)が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏(まと)めるのだろう。纏めるというのは黒白(こくびゃく)の決しかねる事柄(ことがら)について云うべき言葉だ。この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰(ひまつぶ)しだ。誰が何と解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座(そくざ)に校長が処分してしまえばいいに。随分(ずいぶん)決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮(に)え切(き)らない愚図(ぐず)の異名だ。

 会議室は校長室の隣(とな)りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅子(いす)が二十脚(きゃく)ばかり、長いテーブルの周囲に並(なら)んでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ。そのテーブルの端(はじ)に校長が坐(すわ)って、校長の隣りに赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くんだそうだが、体操(たいそう)の教師だけはいつも席末に謙遜(けんそん)するという話だ。おれは様子が分らないから、博物の教師と漢学の教師の間へはいり込(こ)んだ。向うを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥(はる)かに趣(おもむき)がある。おやじの葬式(そうしき)の時に小日向(こびなた)の養源寺(ようげんじ)の座敷(ざしき)にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主(ぼうず)に聞いてみたら韋駄天(いだてん)と云う怪物だそうだ。今日は怒(おこ)ってるから、眼をぐるぐる廻しちゃ、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇(おど)かされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの眼は恰好(かっこう)はよくないが、大きい事においては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく云ったくらいだ。

 もう大抵お揃(そろ)いでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定(かんじょう)してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子(とうなす)のうらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどう云う宿世(すくせ)の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中(とちゅう)をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮(うか)ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼(あお)い顔をして湯壺(ゆつぼ)のなかに膨(ふく)れている。挨拶(あいさつ)をするとへえと恐縮(きょうしゅく)して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。めったに笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢(あ)ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。

 このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。実を云うと、この男の次へでも坐(す)わろうかと、ひそかに目標(めじるし)にして来たくらいだ。校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫(むらさき)の袱紗包(ふくさづつみ)をほどいて、蒟蒻版(こんにゃくばん)のような者を読んでいる。赤シャツは琥珀(こはく)のパイプを絹ハンケチで磨(みが)き始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語(ささや)き合っている。手持無沙汰(てもちぶさた)なのは鉛筆(えんぴつ)の尻(しり)に着いている、護謨(ゴム)の頭でテーブルの上へしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただうんとかああと云うばかりで、時々怖(こわ)い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨(にら)め返す。

 ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻致(いた)しましたと慇懃(いんぎん)に狸(たぬき)に挨拶(あいさつ)をした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締(とりしまり)の件、その他二三ヶ条である。狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊(いきりょう)という見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳(かとく)の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧(ざんき)の念に堪(た)えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を参考のためにお述べ下さい」

 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎(とが)だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職(めんしょく)になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒(めんどう)な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云(い)っても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極(きま)ってる。もし山嵐が煽動(せんどう)したとすれば、生徒と山嵐を退治(たいじ)ればそれでたくさんだ。人の尻(しり)を自分で背負(しょ)い込(こ)んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼(かれ)はこんな条理(じょうり)に適(かな)わない議論を吐(は)いて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏(からす)がとまってるのを眺(なが)めている。漢学の先生は蒟蒻版(こんにゃくばん)を畳(たた)んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気(ばかげ)たものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。

 おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞(しま)のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾(はんけち)はきっとマドンナから巻き上げたに相違(そうい)ない。男は白い麻(あさ)を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届(ふゆきとどき)であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚(は)ずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠(かんけつ)があると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯(いたずら)をやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙(ようかい)する限りではないが、どうかその辺をご斟酌(しんしゃく)になって、なるべく寛大なお取計(とりはからい)を願いたいと思います」

 なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂(きちがい)が人の頭を撲(なぐ)り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有(ありがた)い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲(すもう)でも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸(ねくび)をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。

 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々(とうとう)と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞(つま)ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌(しゃべ)って揚足(あげあし)を取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊(とっかん)事件は吾々(われわれ)心ある職員をして、ひそかに吾(わが)校将来の前途(ぜんと)に危惧(きぐ)の念を抱(いだ)かしむるに足る珍事(ちんじ)でありまして、吾々職員たるものはこの際奮(ふる)って自ら省りみて、全校の風紀を振粛(しんしゅく)しなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮(こうけい)に中(あた)った剴切(がいせつ)なお考えで私は徹頭徹尾(てっとうてつび)賛成致します。どうかなるべく寛大(かんだい)のご処分を仰(あお)ぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列(ちんれつ)するぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。

 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起(た)ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢(とんちんかん)な、処分は大嫌(だいきら)いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪(わ)るいです。どうしても詫(あや)まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説(おんびんせつ)に賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々(いまいま)しい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟(かくご)でいた。どうせ、こんな手合(てあい)を弁口(べんこう)で屈伏(くっぷく)させる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄(すま)していた。

 すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子(ガラス)窓を振(ふる)わせるような声で「私(わたくし)は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏(ぼうし)を軽侮(けいぶ)してこれを翻弄(ほんろう)しようとした所為(しょい)とより外(ほか)には認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃(ころ)であります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌(しんしゃく)を加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄(ぐろう)するような軽薄な生徒を寛仮(かんか)しては学校の威信(いしん)に関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚(こうしょう)な、正直な、武士的な元気を鼓吹(こすい)すると同時に、野卑(やひ)な、軽躁(けいそう)な、暴慢(ぼうまん)な悪風を掃蕩(そうとう)するにあると思います。もし反動が恐(おそろ)しいの、騒動が大きくなるのと姑息(こそく)な事を云った日にはこの弊風(へいふう)はいつ矯正(きょうせい)出来るか知れません。かかる弊風を杜絶(とぜつ)するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃(みの)がすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰(げんばつ)に処する上に、当該(とうがい)教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰(こし)を卸(おろ)した。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭(ふ)き始めた。おれは何だか非常に嬉(うれ)しかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有(ありがた)いと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面(かお)をしている。

 しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落(おと)しましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎(とが)める者のないのを幸(さいわい)に、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」

 妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃(こうげき)されても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等(やつら)だ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。

 それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀(ふうぎ)は、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入(しゅつにゅう)しない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋(そばや)だの、団子屋(だんごや)だの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅(てんぷら)と云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味(きび)だ。

 おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒(しんぼう)にゃ到底(とうてい)出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇(やと)うがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令(ふれ)を出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽(ふけ)るとつい品性にわるい影響(えいきょう)を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽(ごらく)がないと、田舎(いなか)へ来て狭(せま)い土地では到底暮(くら)せるものではない。それで釣(つり)に行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚(こうしょう)な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」

 だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖(おき)へ行って肥料(こやし)を釣ったり、ゴルキが露西亜(ロシア)の文学者だったり、馴染(なじみ)の芸者が松(まつ)の木の下に立ったり、古池へ蛙(かわず)が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑(の)み込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯(せんたく)でもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢(あ)うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互(たがい)に眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。

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