猫八

6話

1,629字 約3分 2015年6月17日 公開

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 この時、近眼(きんがん)があまり遅くなると困るからと言って席を立った。その横顔をじろりと見上げて、自分は少し不愉快の意を表したけれども、彼は気がつかなかった。その上に、また他の二人も立って、いっしょに帰って行ったのである。これが寄席(よせ)なら、どうせ木戸銭はすんでるものだからという(あきら)めもつきやすい。けれども人がせっかく心を落ちつけて正直に語り続けているその中途で失敬して行くのは、本統の失敬ではないかと思えて、諦めがつきかねた。途中の暗い横丁から()けてでてやるぞと言ってやりたかったが、主人を初め、まだ熱心な相手が残ってるので話の調子はさほど折れもしなかった。

「今話が出たと言ってすぐ呼びに来るていなことはいかにも華族らしいです、な。そういう場合にでも、わたくしは行かないこともないのでげすが、――江戸ッ子の気性として、あたまから金のことを言われると、反抗心が起りまして、な」

「しかし商売なら、そんな必要はないじゃアないか」と、主人は反駁(はんばく)した。

「いや、いかに商売でも、四角張っていくらで来てくれるかと出られちゃア、もう、なに、くそッ、勝手にしろという気になります、な。寄附なら寄附でようごぜいますし、出せるならまた黙って身分相当に出せばいいでしょう」

「そんな旧式なことアだめだよ。それよりゃア初めから何円以上でなけりゃア招かれない、そして貴族なら貴族のように平民よりもずッと高く出せと、前もって請求する方が今時(いまどき)はかえって見識だろう」

「しかし金銭のことを申すときたなくなりますから、な」

「それが今の芸人どもの旧臭味(ふるくさみ)、さ!」

「どうせ今の芸人にゃア新らしい真似などはできません。奇麗に出てこなけりゃア、おそらく、たいていぴッたり断りましょう。ある時など、わたくしがはだかで(くわ)を運んでますていと、畑のところまで○○子爵からのお使いがあって、いつ、何時からという約束になりましたが、いくらやればいいのだと聴かれたので断然止めてしまいました。芸人は意気で生きてますから、な――その代り、気が進めば、ただでも行ってやります」

「それも悪いことはなかろう――ところで、高見君のやりだそうという養豚の事はどうなりました」と言って、主人は話題を転じてしまった。そして小説とはまったく別なことをもよく知ってるかして、その方の話がしばらく皆とともに続いた。

「わたくしが来ておりますからッて、そう動物の事をばかりお話になるにゃア及びますまい」と、洒落を言ったことは言ったが、自分は、もう、だいぶんに()んでいた。取るべき晩食(ばんしょく)をまだ取らないので、腹がすいてきたにも()るのだろう。

「どうせ電車はなくなったのだから」というようなのんきなことをあとの客は語り合ってたが、自分は皆が早く引き上げればいいと思われた。そして気がめいってくると、不思議に気にばかりなったのは、今夜の謝礼を――出なければ出なくてもいいのだが――高見さんから出すのか、ここの主人からか? それとも、このままになってしまうのか、ということだッた。本職の自分とともにお喋舌(しゃべり)ばかりする奴らはいるが、聴き手としての気が利いていそうなものはなかった。

 この会が今にも解散する時には分ることだろうと辛抱(しんぼう)しているのである。それにもかかわらず高見さんを始め、皆が思いやりなく動きもしないので、だからッてしかしぼんやりさきへ帰るのもつまらないので、自分はまた奥さんを相手に今までまだ忘れていた自分の畑の事を語った。別にこれは商売にしているものではないけれども、畑のことに話が向くと、どんな相手にだッても自分は時々われを忘れるほどにおもしろく、元気が出るのであった。これは自分としての趣味だ、楽しみだと、かねてから思ってる。で、

「お茄子(なす)でも胡瓜(きゅうり)でも、これからやがて取れるようになりますから、御入用の節はいつでもさしあげます」など言いながら、とかく不平そうになる自分の(いや)な顔を自分でまぎらしていた。そして前には少々さし(ひか)えられた手を餅菓子へ三度も続けてだした。

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