即興詩人

23話 即興詩人(23)

7,984字 約16分 2005年9月18日 公開

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 サンタのわれに優しきことは昔に變らず。されど人なき處にてこれと相見んことの影護(うしろめ)たくて、若しフエデリゴの共に往かざるときは、必ず人の先づ(つど)ひたらん頃を待ちて、始ておとなふこととなしつ。()にあやしきものは人の心なり。曾て心にだに()めざりし人と、ゆくりなく浮名立てらるゝときは、その人はそもいかなる人にかと疑ふより、これに心付くるやうになり、心付けて見るに隨ひて、美しくもおもはれ慕はしくもおもはるゝことありと聞く。我が夫人に於けるも亦これに似たるなるべし。(さき)の事ありしより、我が夫人を見る目は昔に同じからで、その(ゆたか)なる肌、(こび)ある振舞の胸騷(むなさわぎ)の種となりそめしぞうたてき。

 我がナポリに來てより早や二月とはなりぬ。次の日曜日はわが「サン、カルロ」の大劇場に出づべき()なり。其日の興行はセヰルラの剃手(とこや)にて、その末折(まつせつ)の終りてより、我即興詩は始まるべしとぞ(おき)てられし。番付(ばんづけ)には流石(さすが)にわが(まこと)苗字(めうじ)をしるさんことの恥かしくて、假にチエンチイと名告(なの)りたり。この運命の定まるべき日の、(せち)に待たるゝと共に、あるときは其成功の覺束(おぼつか)なき心地せられて、熱病む人の如くなることあり。けふも博士の家をおとづれたれど、われは人々の背後(うしろ)にかくれて物言ふことも稀なりき。フエデリゴは我が物思はしげなるを見ていふやう。いかに心地や惡しき。われとても同じさまなり。こは火山の所爲にて、この(さと)の空氣の惡しくなれるならん。ヱズヰオの噴火は次第に(さかん)なり。熔巖の流は早く(ふもと)に到りて、トルレ、デル、アヌンチヤタの方へ向へりと聞く。今宵は激しき音の聞ゆるならん。空氣には灰多く(まじ)れり。山に近き處にては、木々の梢皆灰に掩はれたり。(いたゞき)の上は黒雲覆ひ(かさな)りて、爆發の(たび)ごとに青き《ほのほ》その中に立ち昇れりといふ。サンタは色蒼く、(ひとみ)常ならず耀(かゞや)けるが、友の詞を聞きていふやう。われも熱に(かゝ)れりと覺ゆ。されど日曜日には病を(つと)めて往くべし。友のためには命をさへ輕んずべし。その翌日(あくるひ)熱に苦めらるゝこと前に倍すとも、そは顧みるべき事ならず。友は嬉しとおもふや、あらずや、そは知るべきならねどなど、心ありげに云へり。

 われは日ごとに公苑に往き戲園(しばゐ)に入り、又心安からぬまゝに寺院を尋ねて、聖母(マドンナ)の足の下に()することあり。頬燃え胸跳るばかりなる怖ろしき誘惑に想ひ到れば、懺悔の念(うたゝ)深く、志を遂げ功を成さんと欲する大いなる企圖を顧み思へば、祈祷の心愈切なり。されど我靈は我肉と鬪へり。わが心機の一轉すべき()は、想ふに日曜日にあるならん。われは慰藉を得ずして、空しく聖母の膝下を走り出でぬ。

 一たび(とも)嚢家(なうか)博奕場(ばくえきぢやう))に往かずや、いかなる境界(きやうがい)をも詩人は知らざるべからずとは、吾友フエデリゴの曾て云ひしところなり。されど友は我を伴ひしことなく、我も亦獨り往かん心を生ずることなかりき。こは見んことの願はしからざるにあらず、心の(おく)れたるなり。むかしベルナルドオの我にいひしことあり。汝はドメニカに育てられ、「ジエスヰタ」派の學校に人となりて、その血中には山羊(やぎ)乳汁(ちしる)雜れり。されば汝は臆病なりといひき。當時われはその無禮を怒りしが、今思ふに此言は幾分の(ことわり)なきにあらず。われまことに詩人となりて、善く社會の状態を歌はんには、先づかゝる怯懦(けふだ)の心を棄てざるべからず。わが此(おもひ)をなしゝは、夕ぐれに此市に聞えたる嚢家の門を過ぐる時なりき。これぞ我膽を試みるべき好き機會なるべき、自ら博奕(ばくえき)せでもあるべし、後に相識れる人々に語るとも、必ず咎むるものはあらじなど、自ら問ひ自ら答へて、騷ぐ胸を押し鎭めつゝ門に入りぬ。こゝには(おごそ)かなる(よそほひ)したる門者(かどもり)立てり。兩邊に(ともしび)を點じたる石階を登れば、前房あり。僮僕(しもべ)あまた走り迎へて、我帽と杖とを受取り、我が爲めに正面なる扉を排開したり。

 戸内(とぬち)には燈明き室あまたあり。室ごとに大卓幾箇か据ゑたるを、男女打雜りたる客圍み坐せり。われは勇を鼓して先づ最も戸に近き一室を大股(おほまた)に歩み過ぎしに、諸人は顧みんとだにせざりき。卓の上には(うづたか)く金貨を積みたり。我目に留まりしは、十年前までは美しかりけんと思はるゝ、さたすぎたる婦人の服飾美しく面に紅粉を施せるが、痩せたる掌に骨牌(かるた)(きび)しく握り持ちて、鷙鳥(にへどり)の如き眼を卓上の黄金に注ぎたるなり。若く美しき女子も二人(ふたり)三人(みたり)見えたるが、その周匝(めぐり)には少年紳士(むらが)り立ちて、何事をか語るさまなりき。老若いづれはあれど、皆嘗て能く人の心を(うごか)しゝ人の、今は他の心文牌(キヨオル)に目を注ぐやうになりしなるべし。

 稍狭き室に紅緑に染め分けたる一卓あり。客は柱文銀(「コロンナアトオ」といふ、その文樣(もんやう)に依りて名づく、我二圓十五錢(ばかり)に當る)一塊若くは數塊を一色の上に置く。球ありて此卓上を走り、その留まる處の色は、賭者をして倍價の銀を()ち得しむ。傍より(うかゞ)ふに、その(すみやか)なることは我脈搏と同じく、黄白の(たい)は忽ち卓に上り又忽ち卓を下る。われは覺えず兜兒(かくし)を搜りて一塊の柱文銀を取り、漫然卓上に(なげう)ちたるに、銀は紅色の上に(とゞ)まれり。監者は我面を注視して、其色の意に(かな)へりや否やを問ふものゝ如し。われは又覺えず頷きたり。球は走り、我銀は二塊となりぬ。われはこれを收むるを()ぢて、銀を其處に放置せり。球は走り又走りて、銀の數は漸く加りぬ。運命は我に(くみ)するにやあらん。銀の(かさ)は次第に大いになりて、金貨さへその間に輝けり。われは(のど)の燃ゆるが如きを覺えたれば、葡萄酒一杯を買ひてこれに(そゝ)ぎつ。黄白の山はみる/\我前に(そび)えたり。忽ち球は我色に背きて、監者は冷かに我銀の山を(さら)ひ取りぬ。われは夢の醒めたる如くなりき。我がまことに失ひしは柱文銀一つのみと、獨り自ら慰めて次の室に入りぬ。

 こゝには數人の少女(をとめ)あり。中なる一人の姿(かほばせ)は宛然たるアヌンチヤタなるが、只だ身幹(みのたけ)高く稍肥えたるを異なりとす。われは暫くこれに注目せしに、少女は我前に歩み寄りて、傍なる小卓を指し、おん敵手(あひて)にはなるまじけれどと耳語(さゝや)きたり。わが輕く(いな)みて數歩を退(しりぞ)き去るを、少女は(いぶ)かしげに見送り居たり。

 奧の(つめ)なる室には、少年紳士等打寄りて撞球戲(たまつき)をなせり。婦人も幾人(いくたり)か立ち(まじ)りたるに、紳士中には上衣を脱ぎたるあり。われは初め此社會の風儀のかくまで亂れたるをば想ひ(はか)らざりしなり。入口の戸に近く、此方(こなた)に背を向けて撞杖(キユウ)を揮へる(たけ)高き一男子あり。今の()きざまや巧なりけん、人々喝采せしに、(さき)に我に骨牌を勸めし少女も彼男子の面を覗きて、笑みつゝ何事をかさゝやきたり。男は振り向きざまにその頬に接吻し、女は嬌嗔(けうしん)してその男を打てり。われは遙に彼男の横顏を望み見て慄慴(りつせふ)せり。そはその餘りにベルナルドオに()たるが爲めなり。われは進みてこれに近づくべき膽力なかりき。されどその眞のベルナルドオなりや否やを知らんことの願はしければ、傍にほの暗き室の戸の開きありたるを見て、我より窺ふべく彼より見るべからざらしめんために、壁に沿ひて(しづか)に歩み、そとこれに進み入れり。天井には紅白の硝子燈を()りたれど、わざと明闇相半(あひなかば)して處々蔭多からしめたり。室は假の庭園なり。薄片鐵(ブリキ)を塗りて葉となしたる蔓艸(つるくさ)は、幾箇のさゝやかなる(あづまや)に纏ひ附きて、その間には巧に盆栽の橘柚(オレンジ)等を(なら)べたり。亭の前なる梢には剥製の鸚鵡(あうむ)()まりたるあり。冷なる風は窓より入りて、自奏器の樂聲人の眠を催さんとす。

 わが此裝置を一瞥し(をは)りし時、彼のベルナルドオに()たる男はこなたに向ひて足の運び輕げに歩み來たり。われは思慮を費すに(いとま)あらずして、近き(あづまや)の内に濳みしに、男は(おもて)(ゑみ)を湛へて閾上(よくぢやう)に立ち留まりぬ。その面は恰も我方へ眞向(まむき)になりたるが、われはそのまがふ方なきベルナルドオなることを認め得たり。(かれ)は隣なる亭に歩み入り、長椅(ヂノワ)に身を投げ掛けて、微かに口笛を鳴し居たり。我胸裏には萬感叢起(さうき)せり。ベルナルドオこゝに在り。我と(かれ)咫尺(しせき)す。われはかく思ふと共に、身うちの悉く(ふる)ひわなゝくを覺えて、力なく亭内なる長椅の上に坐したり。花卉(くわき)(かをり)、幽かなる樂聲、暗き燈火(ともしび)(やはらか)なる長椅は我を夢の世界に(いざな)ひ去らんとす。()に夢の世界ならでは、この人に邂逅すべくもあらぬ心地ぞする。少焉(しばし)ありて(さき)のアヌンチヤタに似たる少女は此室に入り、將に進みて我が居る亭に入らんとす。われは心にいたく驚きて、身内(みうち)の血の湧き立つを覺えき。その時ベルナルドオは忽ち聲朗かに歌ひはじめたり。少女は聲をしるべに隣の亭に入りぬ。(きぬ)(そよ)ぎと共に接吻の聲我耳を襲へり。此聲は我心を(こが)(たゞら)かせり。嗚呼アヌンチヤタは我を去りて此輕薄男子に()きしなり。この男子アヌンチヤタを獲てより幾時をか經し。而るに其唇は早く既にこの淤泥(おでい)もて()ね成したる妖姫の身に觸るゝなり。われは此室を()せ出で、此家を馳せ出でたり。我胸は怒と悲とのために裂けんとす。此夜は曉近うして(わづか)にまどろむことを得たり。

 我が「サン、カルロ」の劇場に登るべき日は明日(あす)となりぬ。これを待つ疑懼(ぎく)の情と、さきの夜戀の敵に出逢ひたる驚愕の念とは我をして暫くも安んずること能はざらしむ。わが聖母(マドンナ)其他の諸聖を祈る心の(せち)なりしこと此時に過ぐるはなかりき。われは寺院に往きて、彼の救世者流血の身に擬したる麪包(パン)を乞ひ受け、その()しき力の我を清淨にし我を康強にせんことを(いの)りぬ。尊き麪包は果して我に多少の安堵を與へぬ。されどこゝに最も心にかゝる一事あり。そはアヌンチヤタの此地にあるにはあらずや、ベルナルドオはこれに隨ひて來たるにはあらずやといふ疑問なりき。既にしてフエデリゴは我が爲めに偵知して、アヌンチヤタのこゝにあらず、ベルナルドオの四日前に單身こゝに到りしを報ず。友は綿密に(まち)の來賓簿を(けみ)しくれたるなり。サンタの熱は未だ()えず、されど明日(あす)の興行には必ず往かんと誓へり。ヱズヰオは火を噴き灰を()らすること(もと)の如し。而して我名を載せたる番付は早く通衢(ちまた)()り出されたり。

   初舞臺

 日暮れて劇場の馬車の我を載せ行きしは、樂劇(オペラ)の幕の既に()きたる後なりき。若し運命の女神にして、剪刀(はさみ)を手にして此車中に座したらんには、恐らくは我は、いざ、()れと呼ぶことを得しならん。われは只だ神を頼みて餘念なかりき。

 場内の逍遙場(フオアイエエ)には俳優と文士と打雜(うちまじ)りたる一群ありき。中には我と同業なる即興詩人さへありて、其名をサンチイニイと云ふ。平素人に佛蘭西語を教ふ。われはその群に近づきたり。會話は甚だ輕く、交ふるに笑謔(せうぎやく)を以てす。セヰルラの剃手(とこや)の曲の爲めに登場する俳優は、(たちまち)ち去り乍ち來り、演戲のその心を(みだ)さゞること尋常(よのつね)の社交舞に異ならず。舞臺はその定住(ぢやうぢゆう)の地なればさもあるべし。

 サンチイニイの云ふやう。吾等は君に難題を與ふべし。譬へば殼硬き胡桃(くるみ)()き難きが如し。されど君は能く拆き能く解き給ふならん。われも猶初めて登場せし時の戰慄の(さま)を記せり。されど我智は我に祕訣を授けたり。そは閨情(けいじやう)、懷古、伊太利風土の美、藝術、詩賦等、何物にも附會し易きものあるを用ゐ、又人の喝采を博すべき段をば先づ作りて(そら)んじ置くことを得る事なりと云ふ。われ絶て此種の準備なしと答へしに、サンチイニイ頭を()りて、否、そは隱し給ふなり、要するに君の如き怜悧なる人には此(わざ)いと易しと耳語(さゝや)けり。

 剃手(とこや)の曲は終りて、われは獨り廣闊なる舞臺の上に立てり。座長(レジツシヨオル)は笑を帶びて我顏を打目守(うちまも)り、斷頭臺は築かれたりと耳語(さゝや)きて、道具方(マシニスト)に相圖せり。幕は開きたり。(かく)て此大劇場の觀棚(さじき)に對して立てる時、わが視る所は譬へば黒洞々(こくとう/\)たる大坑に臨める如く、僅に伶人席(オルケストラ)の最前列と高き觀棚(ロオジユ)の左右の端となる人の頭を辨ずることを得るのみ。濃く温なる空氣は(みなぎ)り來りて我面を()てり。われは我精神の此の如く安く(たひらか)なるべきをば期せざりき。その状態は固より興奮せり。(しか)れどもその諸機に(たうしよく)觸」は底本では「 觸」]し易き性は十分に備はりたり。われは自家の精神作用の緊張を覺ゆると共に、又其明徹を覺えたり。猶晴れたる冬の日の空氣の極めて冷に兼ねて極めて明なるがごとくなるべし。

 看客は片紙に題を記して出し、警吏これを檢して、その法律に抵觸せざるを認めたる後、われに交付す。われは數題中に就いて其一を(えら)み取る自由あり。初なる一紙には侍奉(じぶ)紳士と題せり。こは人妻(ひとづま)(つか)ふる男を謂ふ。中世士風の一變したるものなるべし。されどわれは未だ深く心をこれに留めしことなし。(原註。「イル、カワリエル、セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と(ほん)す。此俗()とジエノワ府商賈(しやうこ)より出づ。その行販して郷を離るゝもの婦を一友に托す。これを侍奉紳士といふ。初め僧に托するを常とせしが、後又俗士を(えら)む。侍奉紳士は婦の早起盥漱(かんそう)する時より、深更寢に就く時に至るまで、其身邊に在りて奉侍す。他婦を顧みることを(ゆる)さず、聞く侍奉紳士中(いんせつ)に及ばざるもの往々にして有り。嘗て一男子の歿するや、其誄辭(るゐじ)中侍奉紳士となりて責を負ひ任を全うすといふ語ありきと。)われは此俗を歌ふ一曲の人口に膾炙(くわいしや)するものあるを知れど、急にこれに依りて思を(かま)ふること能はず、(曲とは「フエミナ、ヂ、コスツメ、ヂ、マニエレ」と題するものを謂ふ、「ソネツトオ」なり、ミユルレルの羅馬と其士女との卷中に收めたり。)望を第二紙に屬してこれを開きたり。紙上にはカプリと書せり。是れ亦わが爲めの難題なり。われは拿破里(ナポリ)よりその山脈の美しきを賞しつれども、未だ一たびも此島に航せしことあらず。若し二者中一を取らば、猶侍奉紳士をこそ辭を()き易しとせめ。われは第三紙を開きたり。題して拿破里の窟墓といふ。これも亦我未知の境なり。されど窟墓の一語は忽ち少時の怖ろしき經歴を想ひ起す(なかだち)となりぬ。フエデリゴとの漫歩(そゞろありき)より地下に路を失ひたる時の心の周章など、悉く目前に浮びぬ。われは直ちに絃を(はじ)きて歌ひ出でぬ。章句は自らにして成りぬ。われは唯だ自家少時の經歴を語りしのみ、唯だ羅馬の地下窟を以て拿破里の地下窟となしゝのみ。即興詩の末解は、一たび失ひつる絲の端を再び探り得たる喜を敍したり。喝采はあまたゝび起りぬ。われは脈絡中に三鞭酒(シヤムパニエ)(めぐ)るが如き感をなしたり。

 われは第二曲の題として蜃氣樓(しんきろう)を得たり。こは拿破里又シチリアの水濱にて屡見(あらは)るゝものといへど、われは未だ嘗て見しことあらず。唯だ此重樓複閣の奧には、我に親しき神女()み給ふ。これをフアンタジア(空想)の君とはいふなり。われは唯だ平生夢裏に遊べる境界(きやうがい)を歌はんのみ。その中には同じ神女の宮殿あり、苑囿(ゑんいう)あり。われは急に我資材を引纏めて、一の布局を定め、一の物語となしたり。歌ひ出づるに從ひて、新しき思想は多く來り加はりぬ。先づ敍したるは荒廢せる一寺院なりき。景をポジリツポに取りて、わざと其名をば擧げざりき。(のき)傾き廊朽ちて、今や漁父の栖家(すみか)となりぬ。聖像を燒き附けたる窓の下に床ありて、一童子臥したり。月あかくいと靜けき夜、美しき童女來りおとづれぬ。その美しさは譬へんに物なく、その身の輕きことそよ吹く風に殊ならず。兩の肩には五彩燦然たる翼()ひたり。二人は共に(たのし)み遊べり。少女(をとめ)は漁家の子を引きて、緑深き葡萄園に往き、又近きわたりの山に分け入るに、まだ見ぬ景色いと多く、殊に山腹の自ら(ひら)けて、その中にめでたき壁畫と數多き贄卓(にへづくゑ)とある寺院の見えたるなど、言へば世の常なり。或るときは共に舟に(さをさ)して青海原を渡り、烟立つヱズヰオの山に漕ぎ寄せつるに、山は(また)く水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐(こうろ)中に、(けぶり)渦卷(うづま)き火燃え上るさま(たなぞこ)に指すが如くなり。或るときは共に地下の古市に遊ぶに、康衢(かうく)屋舍悉く存じて、往來織るが如く、その殷富(いんぷ)豐盛なること、(ふみ)讀む人の遺蹟を見て説き聞かするところに増したり。少女は嘗て其羽を脱ぎ(おろ)して、その童子の肩に結び、いざ共に空に(かけ)らんといふ。おのれは風なす輕き身なれば、羽なきと羽あると殊ならずとなり。橘柚(オレンジ)檸檬(リモネ)の林を見下し、高くは山巓(さんてん)の雲を踏み、低くは水草茂れる沼澤の上を飛びしときは、終に茫漠たる平野の正中(たゞなか)なる羅馬の都城に至りぬ。鏡の如き蒼海を脚下に見、カプリの島の外遠く(かけ)りて、夕陽の雲の奧深く入りしときは、忽ち粉彫墻(ふんてふてうしやう)の前に横はるを見て、これは何ぞと問ひしに、少女答へて、母君の築き給ひし城よと云ひぬ。少女は童子と樂しき日をこの城の内に送りしこと數なりき。童子の(よはひ)漸く長ずるに及びて、少女の訪ひ來ること漸く稀になり、はてはをり/\葡萄棚の葉の間又は柑子の樹の梢の(ひま)より、美しき目もてそとさし覗くのみとなりぬ。童子はこれを見るごとに戀しく(なつ)かしきこと限なく、人知らぬ愛に胸を苦めたりき。漁父は童子を伴ひて海に往き、()(うごか)し帆を揚げ、暴風と爭ひ怒濤と鬪ふことを教へつ。年()けて後、この少年の今は影だに見せぬ昔の友を懷ふ情は愈深くのみなりゆきぬ。月清く波靜なる夜半に、獨り舟中にあるときは、ともすれば艫を搖す手のおのづから休み、澄み渡りて底深く()ふる藻のゆらめくさへ見ゆる水にきと目を()けて、(またゝき)もせず打目守(うちまも)ることあり。かゝる時は昔の少女、その嬌眸を《みひら》きて水底(みなそこ)より覗き、或は(うなづ)き或は招けり。とある朝漁村の男女あまた岸邊に集ひぬ。そは旭日の波間より出でんとする時、一箇の()しく珍らしき島國のカプリに近き處に湧き出でたればなり。飛簷(ひえん)傑閣隙間なく立ち並びて、その(くもり)なきこと珠玉の如く、その光あること金銀の如く、紫雲棚引き星月(かゝ)れり。()にこの一幅の畫圖の美しさは、譬へば長虹を()ちてこれを(いろど)りたる如し。蜃氣樓よと漁父等は叫びて、相(ゆびさ)して(たのし)み笑へり。彼の漁父の子のみは獨り笑はざりき。知らずや、かの樓閣はわが昔少女と共に遊び暮しゝ處なるを。懷舊の念しきりにして、戀慕の情止むことなく、雙眸(さうぼう)涙に曇る時、島國は忽ち()えたり。月あかき宵の事なりき。島國は又湧き出でぬ。忽ち一隻の舟ありて、漁父等の立てる(みさき)の下より、(つる)を離れし征箭(さつや)の如く、波平かなる海原を漕ぎ出で、かの怪しき島國の方に隱れぬ。黒雲空を蔽ひて、海面には暗緑なる大波を起し、潮水倒立して一條の巨柱を成せり。須臾(しゆゆ)にして雲(をさ)まり月清く、海面(また)た平かになりぬ。されど小舟は見えざりき。彼漁父の子も亦あらずなりぬ。歌ひ(をは)るとき、喝采の聲前に倍し、我膽力は漸く大に、我興會(きようくわい)は漸く高し。

 第三曲の題はタツソオなりき。われは一たびタツソオたりしことあり。レオノオレは即ちアヌンチヤタなり。我等はフエルララ宮中に相見たり。われは囹圄(れいご)の苦を嘗め、懷裡に死を藏して又自由の身となり、波立てる海を隔てゝソルレントオより拿破里(ナポリ)を望み、また(サン)オノフリイ寺の(かしのき)の下に坐し、戴冠式の鐘聲カピトリウム街頭に起るを聞けり。されど冥使早く至りて其冠をわれに授けつ。是れ不死不滅の冠なりき。思想の急流は我を漂し去りて、我心跳(しんてう)は常に倍せり。

 最後の一曲はサツフオオの死を題とす。嫉妬の苦も亦我が自ら味ひたるところなり。アヌンチヤタが痍負(てお)ひたるベルナルドオに(おし)まざりし接吻は、今(おも)ふも猶胸焦がる。サツフオオの美はアヌンチヤタに似て、その戀情の苦は我に似たり。波濤はこの可憐なる佳人を覆ひ(をは)んぬ。(十六世紀の伊太利詩人タツソオと前七世紀の希臘(ギリシア)女詩人サツフオオとの傳は今煩を(はゞか)りて悉く註せず。)看客は皆泣けり。拍手の聲は狂瀾怒濤の如く、幕一たび墮ちて後、われは二たび幕の外に呼び出されぬ。

 喜は身に滿ち兼ねて胸を壓せり。舞臺を下りて、人々の來り賀するに逢ひし時、われは痙攣(けいれん)のさましたる啼泣を發したり。此夕サンチイニイ、フエデリゴ及二三の俳優は我が爲めに小筵(せうえん)を開けり。我心は(たのし)みたれど我舌は(むす)ぼれたりき。フエデリゴ打興じて曰ふやう。此男は一の明珠なり。その一失は第二のヨゼツフたるにあり。(ヨゼツフは童貞女の夫にして耶蘇の義父なり。)(なん)ぞ薔薇を摘まざる、その凋落(てうらく)せざるひまに。

 夜更けて後客舍に歸り、聖母と救世主との我を棄て給はざりしを謝して、いと穩なる夢を結びつ。

   人火天火

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