5話 雪の女王 ――七つのお話からできている物語――(5)
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お城のかべは、降りしきる雪でできていて、窓や戸は、身を切るような風でできていました。お城には、大きな広間が百いじょうもありましたが、それは、みんな雪が吹きよせられて、できたものでした。いちばん大きな広間は、なんマイルもなんマイルもひろがっていました。その上を、光の強い極光が、明るく照らしていました。見わたすかぎり、なに一つなく、はてしのないところでした。あたりいちめんの氷がキラキラと光って、それはそれは寒いところでした。ここには、楽しさというものがありません。吹きすさぶあらしの伴奏にあわせて後足で踊り、ちゃんとした礼儀作法を心得ている、北極グマの小さな舞踏会もありません。口や手足を打っての、小さな宴会もありません。白ギツネのお嬢さんたちの、ちょっとしたコーヒーの会も、あるわけではありません。ほんとうに、雪の女王の広間は、がらんとして、だだっぴろい、寒々としたところでした。極光は、きちんきちんと燃えあがっていましたので、それがいちばん高いのはいつかも、また、いちばん低いのはいつかも、よくわかりました。
この、かぎりなく広々とした、雪の大広間のまんなかに、こおった湖が一つありました。湖の面は、なん千万という、小さいかけらにわれていました。けれども、そのかけらの一つ一つが、まったく同じようでしたから、そのぜんたいが、一つのすばらしい美術品のように見えました。雪の女王は、お城にいるときは、いつも、この湖のまんなかにすわっているのです。そして女王は、あたしは理知の鏡にすわっているのです、この鏡は世界じゅうにたった一つしかない、いちばんすぐれた鏡ですよ、と、言っていました。
小さなカイは、寒さのために、まっさおになっていました。いやそれどころか、どす黒くさえなっていました。でも、自分では、それがわからないのです。むりもありません。いまでは、雪の女王がキスをして、カイから寒いという感じを、とってしまっていたのですからね。それに、カイの心臓は、まるで氷のかたまりのように、つめたかったのです。
カイは、とがった、ひらたい氷のかけらを、いくつか引きずってきて、それをいろいろに組みあわせていました。こうして、なにかをつくり出そうというのです。ちょうど、わたしたちが、小さい木切れを、さまざまな形にならべてあそぶ、あの「中国遊び」というのに、似ていました。カイは、いろいろの形にならべてみました。それは、「知恵の遊び」といって、いちばんくふうのいるものでした。カイの目には、こういういろいろの形が、とってもすばらしくて、しかもいちばん意味があるように思われたのです。それもこれも、カイの目の中にはいりこんでいる、ガラスのかけらのしわざなのです! ぜんぶをちゃんとした形にならべると、それは一つの言葉になるのです。ところが、カイがならべたいと思っている言葉だけは、どうしてもうまくならびません。それは、永遠ということばです。そして、雪の女王は、前から、こう言っていました。
「おまえがね、その形をつくりだすことができたら、おまえを自由にしてあげるよ。そのうえ、わたしは全世界とあたらしいスケート靴とを、おまえにあげるよ」
しかし、カイには、それがどうしてもできないのです。
「わたしは、これから、暑い国々へ行ってくるよ!」と、雪の女王は言いました。「そこへ行ったら、黒い鉄なべをのぞいてこよう」――黒い鉄なべと言ったのは、エトナとかベスビオスとか言われている、火をふきだす山のことだったのです。――「わたしは、それをちょっと白くぬってやるんだよ! そうすると、レモンやブドウのために、とってもいいからね」
こう言って、雪の女王はとんでいきました。こうして、カイは、たったひとりのこされて、何マイルも何マイルもある、広々とした、氷の大広間のまんなかにすわっていました。そして、氷のかけらを見つめて、じっと考えこんでいました。しまいには、からだの中がミシミシいうほど、かたくこおりついてきました。それでも、じっとすわっていました。このようすを見れば、だれでも、カイはこごえ死んだのだろう、と思うことでしょう。
ゲルダが大きな門をくぐって、お城の中へはいってきたのは、ちょうどこの時でした。お城の中は、身を切るような風が吹いていました。けれども、ゲルダが「夕べの祈り」をとなえると、吹きまくっていた風も、まるで眠ろうとでもするように、みるみるうちに静まってしまいました。そこで、ゲルダは、寒々とした、なに一つない大広間にはいりました。――と、そこに、カイの姿が見えました。ゲルダには、カイであることが、すぐわかりました。ゲルダは、カイの首にとびついて、しっかりとだきしめながら、さけびました。「カイちゃん! なつかしいカイちゃん! ああ、とうとう見つけたわ!」
ところが、カイはつめたくなって、かたくなったまま、じっと動きません。――と見ると、ゲルダは、熱い涙をはらはらとこぼしました。その涙がカイの胸に落ちて、心臓の中にしみこんでいきました。そして、氷のかたまりをとかして、その中にあった、小さな鏡のかけらを、くいつくしてしまいました。カイはゲルダをながめました。そのとき、ゲルダは讃美歌をうたいました。
バラの花 かおる谷間に
あおぎまつる おさな子イエスきみ!
この歌を聞くといっしょに、カイはわっと泣き出しました。そして、あんまりはげしく泣いたので、とうとう、鏡のかけらが、目からころがりでました。とたんに、カイはゲルダに気がついて、うれしそうな声をあげました。
「ああ、ゲルダちゃん! なつかしいゲルダちゃん! ――きみは長いあいだ、どこへ行ってたの? それで、ぼくはどこにいるんだろう?」こう言いながら、あたりを見まわしました。「ここは、なんて寒いんだろう! なんて広々として、がらんとしたところなんだろう!」
こう言って、カイはゲルダにしがみつきました。ゲルダは、ただただうれしくて、泣いたり、笑ったりしました。そのようすが、あんまりしあわせそうなものですから、氷のかけらまでがうれしくなって、ぐるぐる踊りまわりました。やがて、踊りつかれて、横になりました。ところが、どうでしょう。今度は、あのことばのつづりどおりに、ならんだではありませんか。そら、雪の女王が、うまくできたら、自由にして、全世界とあたらしいスケート靴とをあげると言った、あの言葉があらわれているのです。
ゲルダは、カイの頬にキスをしました。すると、その頬に、赤みがさしてきました。目にキスをしました。すると、ゲルダの目のように、いきいきとしてきました。手と足にキスをしました。すると、カイはすっかり元気になりました。もうこうなれば、雪の女王がいつ帰ってきたって、だいじょうぶです。カイを自由にするという約束の文字が、キラキラかがやく氷のかけらで、いまは、はっきりと書き表わされているのです。
それから、ふたりは手を取りあって、この大きな城から出ました。ふたりは、おばあさんのことや、屋根の上のバラのことを話しました。こうして、ふたりが歩いていくと、風は静まり、お日さまはキラキラと顔を出しました。
赤い実のなっている、茂みのところまでくると、もうそこには、トナカイがきていて、ふたりを待っていました。けれども、今度は、もう一ぴき、若いトナカイもいっしょにいました。見ると、そのトナカイの乳房は、大きくふくらんでいて、ちょうどいま、子供たちに暖かいお乳を飲ませて、その口にキスをしてやっていました。二ひきのトナカイは、ゲルダとカイを乗せて、まっさきにフィンランドの女のところへ連れていきました。ここで、ふたりは、暖かい部屋の中でからだを暖めて、帰り道のことを教わりました。それから、ラップランドのおばあさんのところへ行きました。おばあさんは、ふたりにあたらしい着物をぬってくれたり、そりの用意をしてくれたりしました。
二ひきのトナカイは、そりとならんで走って、国ざかいのところまで送ってくれました。ここまでくると、はじめて、緑の草が大地から顔をのぞかせていました。ここで、ふたりは、トナカイとラップランドのおばあさんに、お別れをしました。「さようなら!」と、みんなは、口々に言いました。
そのうちに、さいしょの小鳥がさえずりはじめました。森には、緑の芽がもえでていました。そのとき、森の中から、ひとりの娘が、りっぱなウマにまたがって、出てきました。そのウマには、ゲルダは見おぼえがあります。――そうです、それは、金の馬車をひいていたウマです。――娘は、キラキラ光る、赤い帽子をかぶり、腰にピストルを二ちょう、さしていました。それは、あの小さな山賊の娘でした。娘は、家にいるのがたいくつになったので、まず北のほうへ行ってみようと思って、やってきたところだったのです。そして、もしそこがおもしろくなければ、今度は、べつの所へ行ってみようと思っていたのでした。娘には、ゲルダがすぐわかりました。ゲルダのほうでも、すぐわかりました。ふたりは、どんなによろこんだかしれません。
「おまえさんは、おもしろいひとだね。ずいぶんあっちこっち、ほっつき歩いたんだろう」と、娘は、カイにむかって言いました。「おまえさんをさがしに、世界のはてまで、行くほどのねうちがあるのかねえ?」
けれども、ゲルダは、娘の頬をなでながら、王子と王女のことをたずねました。
「あの人たちは、外国へ旅行に出かけたよ」と、山賊の娘は言いました。
「じゃ、カラスは?」と、小さなゲルダはききました。
「うん、あのカラスは死んだよ」と、娘は答えました。「おかみさんのカラスは、後家さんになってね、黒い毛糸の切れっぱしを足につけて歩いてるよ。とんでもなくなげき悲しんでるよ。なにもかも、ばかばかしいことばっかしさ! ――だけどおまえさんは、あれからどうしたんだい? で、このひとを、どうやってつかまえたんだい? それを話しておくれよ」
そこで、ゲルダとカイは、いままでのことを、ふたりで、のこらず話しました。
「なるほど、それで、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、ぺちゃっとね!」と、山賊の娘は言いました。それから、ふたりの手をにぎって、いつかふたりの町を通ることがあったら、きっとたずねていくよ、と約束しました。そして、広い世の中へウマをとばしていきました。
カイとゲルダは、また手を取りあって、歩いていきました。ふたりが行くにつれて、あたりは、花と緑につつまれた、美しい春になりました。やがて、教会の鐘の音が聞えてきました。そして、見おぼえのある、高い塔が見え、大きな町が見えてきました。それは、ふたりの住んでいた町だったのです。
ふたりは、町の中へはいって、おばあさんの家の戸口まで行きました。そして、階段をのぼって、部屋の中にはいりました。部屋の中のようすは、なにもかもむかしのままです。時計は、カチ、カチ、いっていました。時計の針も、まわっていました。けれども、入り口を通ったときに、ふたりは、いつのまにか、自分たちがおとなになっているのに、気がつきました。屋根の雨どいの上に咲いているバラの花が、開かれた窓から、中をのぞいていました。そこに、小さな子供椅子が置いてありました。カイとゲルダは、めいめいの椅子に腰をおろして、手をにぎりあいました。ふたりは、雪の女王のお城の、なに一つない、寒々とした美しさを、おもくるしい夢のように、忘れてしまいました。
おばあさんは、神さまの明るいお日さまの光をあびて、聖書を読んでいました。「もし、なんじら、おさな子のごとくならずば、天国に入ることを得じ!」
カイとゲルダは、たがいに目を見あわせました。そのとき、きゅうに、あの古い讃美歌の意味が、よくわかってきました。
バラの花 かおる谷間に、
あおぎまつる おさな子イエスきみ!
こうして、このふたりは、おとなであって、しかも子供のふたりは、そうです、心の子供たちは、そこにすわっていました。いまは夏でした。暖かい、めぐみゆたかな夏でした。