半七捕物帳 18 槍突き

1話 半七捕物帳 18 槍突き(1)

7,621字 約15分 1999年7月27日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

     一

 明治廿五年の春ごろの新聞をみたことのある人たちは記憶しているであろう。麹(まち)の番(ちょう)をはじめ、本郷、小石川、牛込などの山の手辺で、夜中に通行の女の顔を切るのが流行(はや)った。若い婦人が鼻をそがれたり、頬を切られたりするのである。幸いにふた月三月でやんだが、その犯人は遂に捕われずに終った。

 その当時のことである。わたしが半七老人をたずねると、老人も新聞の記事でこの残忍な犯罪事件を知っていた。

「犯人はまだ判りませんかね」と、老人は顔をしかめながら云った。

「警察でも随分骨を折っているようですが、なんにも手がかりが無いようです」と、わたしは答えた。「一種の色情狂だろうという説もありますが、なにしろ気ちがいでしょうね」

「まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ」

「槍突き……。槍で人を突くんですか」

「そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか」

「知りません」

(もっと)もこれはわたくしが自分で手がけた事件じゃあありません。人から又聞きなんですから、いくらか間違いがあるかも知れませんが、まあ大体はこういう筋なんです」と、老人はしずかに語り出した。「文化三、丙寅(ひのえとら)年の正月の末頃から江戸では槍突きという悪いことが流行りました。くらやみから槍を持った奴が不意に飛び出して来て、往来の人間をむやみに突くんです。突かれたものこそ実に災難で、即死するものも随分ありました。その下手人(げしゅにん)は判らずじまいで、いつか沙汰やみになってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町(ほりえちょう)の和国橋の(きわ)で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を()てたくらいの人ですから、誰かの(ねた)みだろうという噂もありましたが、実はなんにも仔細はないので、やはりその槍突きに()られてしまったんです。山の手には武家屋敷が多いせいか、そんな噂はあまりきこえませんで、(おも)下町(したまち)をあらして歩いたんですが、なにしろ物騒ですから暗い晩などに外をあるくのは兢々(びくびく)もので、何時(いつ)だしぬけに土手っ腹を(えぐ)られるか判らないというわけです。文化のころの落首(らくしゅ)にも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』などというのがありました。今度はもう落首どころじゃありません。うっかりすると落命に及ぶのですから、この前に()りてみな縮み上がってしまいました。そういう始末ですから、(かみ)でも無論に打っちゃっては置かれません。厳重にその槍突きの詮議にかかりましたが、それが容易に知れないで、夏から秋まで続いたのだから堪まりません。八丁堀同心の大淵吉十郎という人は、もし今年中にこの槍突きが召捕れなければ切腹するとか云って口惜(くや)しがったそうです。旦那方がその覚悟ですから、岡っ引もみんな血眼(ちまなこ)です。ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなければならないというので、詮議に詮議を尽していましたが、そのなかに葺屋町(ふきやちょう)の七兵衛、後に辻占(つじうら)の七兵衛といわれた岡っ引がいました。もうその頃五十八だとかいうんですが、からだの達者な眼のきいた男だったそうです。これからお話し申すのは、その七兵衛の探偵談で……」

 盛夏(まなつ)のあいだは一時中絶したらしい槍突きが、涼風(すずかぜ)の立つ頃から又そろそろと始まって来て、九月の末頃には三日に一人ぐらいずつの被害者を出すようになったので、下町の人達はまたおびやかされた。よんどころなしに夜あるきする者も三人か五人が一と組になって出ることにして、ひとり歩きは一切見合わせるようになった。しかしいつの場合でも、被害者の所持品を取ったという噂はなく、単に突いて逃げるばかりで、つまり一種の辻斬りのたぐいである。なまじいに人の物に眼をかけないだけに、その手がかりを見つけ出すのが困難で、所詮はその場で召捕るよりほかには、下手人(げしゅにん)を見いだす方法がなかった。

 文化の時と文政のときと、それが同じ下手人であるかどうかは判らなかった。それが一人であるか、五人六人が党を組んでいるのか、あるいはその噂を聞き伝えて面白半分に真似るものが幾人も出来たのか、そんなことも一切判らなかった。一体なんの為にそんな残酷なことをするのか、それも確かな判断が付かなかった。やはり在来の辻斬りと同じように持ち槍の穂の冴えをためすのと、自分の腕の働きを試すのと、この二つであろうとは誰でも思い付くことであるので、江戸じゅうの槍術指南者(しなんしゃ)やその門人たちが真っ先に眼をつけられたが、その方面では取り留めた手がかりもなかった。さりとて、それが普通の物取りでないことは判っているので、どうも其の理由を発見するのに苦しめられた。なにかの心願があって、千人の人間を突くのだという説もあった。又は戌年(いぬどし)の人に限って突くのだという説もあったが、かの延寿太夫は酉年(とりどし)の生まれで戌年ではなかった。なんにしても自由自在に槍を使う以上、それが町人や百姓とも思われないので、武家や浪人どもが注意の眼を逃がれることは出来なかった。七兵衛もやはりそう見ている一人であった。

 十月六日の朝は(くも)っていた。もう女房のない七兵衛は雇い婆のお兼に云った。

老婢(ばあや)、どうだい、天気がおかしくなったな」

「なんだか時雨(しぐ)れそうでございます」と、お兼は縁側をふきながら薄暗い初冬の空をみあげた。「今晩からお十夜(じゅうや)でございますね」

「そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気(ごしょうぎ)が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな」

「それが宜しゅうございます。御法要や御説法があるそうでございますから」

「老婢と話が合うようになっちゃあ、おれももうお仕舞いだな。はははははは」

 元気よく笑っているところへ、子分のひとりが七兵衛の居間へ顔を出した。

「親分、禿岩(はげいわ)がまいりました。すぐに通してやりますか」

「むむ。なにか用があるのかしら。まあ、通せ」

 小(びん)に禿のある岩蔵という手先が鼻の先を赤くしてはいって来た。

「お早うございます。なんだか急に冬らしくなりましたね」

「もうお十夜だ。冬らしくなる筈だ。寝坊の男が朝っぱらからどうしたんだ」

「早速ですが、例の槍突き……。あれで妙なことを聞き込んだので、ともかくもお前さんの耳に入れて置こうと思ってね」と、岩蔵は長火鉢の前に窮屈そうにかしこまった。「ゆうべの五ツ(午後八時)少し過ぎに蔵前(くらまえ)でまた()られた」

「むむ」と、七兵衛も顔をしかめた。「仕様がねえな。殺られたのは男か女か」

「それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が(から)駕籠をかついで柳原の(どて)を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて行けと云う。こっちも戻りだからすぐに値ができて、その娘を乗せて蔵前の方へいそいで行くと、御厩河岸(おんまやがし)の渡し場の方から……。まあ、そうだろうと思うんだが、ばたばたと早足に駆け出して来た奴があって、暗やみからだしぬけに駕籠の垂簾(たれ)へ突っ込んだ。駕籠屋二人はびっくりして駕籠を投げ出してわあっと逃げ出した。が、そのままにもして置かれねえので、半町ほども逃げてから、また立ち停まって、もとのところへ怖々(こわごわ)帰って来てみると、駕籠はそのまま往来のまん中に置いてあるので、(ため)しにそっと声をかけると、中じゃあなんにも返事をしねえ。いよいよやられたに相違ねえと、駕籠屋は気味わるそうに垂簾をあげて見ると、中には人間の姿が見えねえ。ねえ、おかしいじゃありませんか。それから提灯の火でよく見ると大きい黒猫が一匹……。胴っ腹を突きぬかれて死んでいるので……」

「黒猫が……。槍に突かれていたのか」

「そうですよ」と、岩蔵も顔をしかめながらうなずいた。「何のわけだか、ちっともわからねえ。娘はどこへか消えてしまって、大きい黒猫が身がわりに死んでいるんです。どう考えても変じゃありませんか」

「すこし変だな。どうして猫と娘とが入れ換わったろう」

「そこが詮議物ですよ。駕籠屋の云うには、どうもその娘は()人間じゃあねえ、ひょっとすると猫が化けたんじゃねえかと……。成程このごろは物騒だというのに、夜鷹(よたか)じゃあるめえし、若い娘が五ツ過ぎに柳原の堤をうろうろしているというのがおかしい。化け猫が娘の姿をして駕籠屋を一杯食わそうとしたところを、不意に槍突きを食ったもんだから、てめえが正体をあらわしてしまったのかも知れませんね」

「そうよなあ」と、七兵衛は苦笑(にがわら)いした。「まあ、そうでも云わなければ理窟が合わねえが、なにしろ変な話だな。で、その娘は()い女だと云ったな。(つら)をむき出しにしていたのか」

「いいえ、頭巾(ずきん)をかぶっていたそうです」

「そうか。そうして、その娘は駕籠に乗り馴れているらしかったか」

「さあ、そこまでは聞きませんでした。なにしろ真人間じゃあねえらしいから。そこはなんとか(うま)く誤魔化していたでしょうよ」

「もう一遍きくが、その娘は十七八だと云ったな」

「そうです。そういう話です」

「いや、御苦労。おれもまあ考えてみようよ」

 岩蔵は親分の前を退がって、ほかの子分どもの集まっている部屋へ行った。そうして大きな声で、水茶屋の娘の噂か何かをしているのを聴きながら、七兵衛は長火鉢の前でじっと考えていたが、やがて()いかけている煙管(きせる)をぽんとはたいて、ひとり言のように云った。

「わるい悪戯(いたずら)をしやあがる」

 日がくれてから七兵衛は葺屋町の家を出て、浅草の念仏堂の十夜講に行った。その途中で、念のために、柳原の堤を一と廻りして見ると、槍突きの噂におびえているせいか、長い堤には宵から往来の足音も絶えて、提灯の火一つもみえなかった。昼から陰っていた大空は高い銀杏(いちょう)のこずえに真っ黒に()しかかって、稲荷の(ほこら)の灯が眠ったように薄黄色く光っているのも寂しかった。かた手に数珠(じゅず)をかけている七兵衛は小田原提灯を双子(ふたこ)の羽織の下にかくして、神田川に沿うて堤の(ふち)をたどってゆくと、枯れ柳の痩せた蔭から一人の女が幽霊のようにふらりと出て来た。

 七兵衛は暗いなかでじっと透かしてみると、女の方でもこっちを窺っているらしく、やがて摺り抜けて両国の方へ行こうとするのを、七兵衛はうしろから呼び戻した。

「もし、もし、(ねえ)さん」

 女はだまって立ち停まったが、又そのままに行き過ぎようとするのを、七兵衛は足早にそのあとを追って行った。

「おい、姐さん。このごろは物騒だ。私がそこまで送って上げようじゃねえか」

 こう云いながら、かれは隠していた提灯をその眼先へ突き付けようとすると、提灯はたちまち叩き落された。こっちは内々覚悟していたので、すぐその手首を捕えようとすると、両手はしびれるほどに強く打たれて、数珠の緒は切れて飛んでしまった。さすがの七兵衛もはっと立ちひるむひまに、女のすがたは早くも闇の奥にかくれて、かれの眼のとどく所にはもう迷っていなかった。

     二

「あれが化け猫か」

 追ってもとても追い付きそうもないのと、また執念ぶかく追いまわす必要もないのとで、七兵衛は先ず足もとに叩き落された提灯を拾おうとして、身をかがめながら暗い地面を探っている時、どこから現われたのか、一つの黒い影がつかつかと走って来て、声もかけないで彼の(かが)んでいる左の脇腹を突こうとした。その足音に早くも気のついた七兵衛は、小膝をついて危く身をかわしたので、槍の穂先はがちりと土を縫った。その()をつかんで起き直ろうとすると、相手はすぐに穂をぬいて、稲妻のような速さで二の槍をついて来た。これも危く飛びこえて、七兵衛はようようまっすぐに起きあがると、槍はつづいて彼の腹か股のあたりへ突きおろして来たが、どれも幸いに(くう)をながれて彼の身には立たなかった。

「御用だ」

 もう堪まらなくなって声をかけると、相手はすぐに槍を引いて、暗いなかを一散に逃げてしまった。猫の眼をもたない七兵衛は、彼の姿をなんにも認めなかったのを残念に思ったが、自分に怪我(けが)のなかったのをせめてもの幸いにして、落ちた提灯をようように探しあてた。商売柄で夜は身を放さない(ひうち)袋から燧石を出して、折れた蝋燭に火をつけてそこらを照らしてみたが、なにかの手がかりになりそうなものは見付からなかった。

 さっきの怪しい女と、今の槍の(ぬし)と、それとこれとを結びつけて考えながら、七兵衛はそれから浅草へ行った。物騒な噂が後生(ごしょう)ねがいの人々をもおびやかしたとみえて、十夜詣りも毎年ほどは賑わっていなかった。切れた数珠を袂にした七兵衛も、今夜はおちつかない心持で御説法を聴いて帰った。帰り途には何事もなかった。

 臆病な駕籠屋の口から洩れたのであろう。この頃は市内に化け猫があらわれるという噂が立った。槍突きの噂が静まらないうちに、更に化け猫の噂が加わったのであるから、女子供などはいよいよおびえた。それが八丁堀同心の耳にもはいって、更に町奉行所へもきこえて、奇怪の風説を取り締るようにという注意もあったが、その風説は尾鰭(おひれ)をそえて、それからそれへとますます拡がった。もう打っちゃっても置かれないので、七兵衛は自分で浅草へ出張って、馬道(うまみち)の裏長屋に住んでいる駕籠屋の勘次をたずねた。

「辻駕籠屋の勘次さんというのは、この御近所ですかえ」と、七兵衛は路地の入口の荒物屋で訊いた。

「勘次さんはこの裏の三軒目ですよ」と、店で姫糊(ひめのり)を煮ている婆さんが教えた。

「勘次さんは毎日商売に出ていますかえ」

「なんだか知りませんけれども、この十日(とおか)ばかりはちっとも商売に出ないで、おかみさんと毎日喧嘩ばかりしているようです」

「じゃあ、けさも(うち)にいますね」

「いるでしょうよ。さっきから大きな声をしていましたから」と、婆さんは苦々(にがにが)しそうに云った。

「いや、ありがとう」

 あぶない溝板を渡りながら路地の奥へはいってゆくと、甲走(かんばし)った女の声がきこえた。

「へん、意気地もないくせに威張ったことをお云いでないよ。槍突きぐらいが怖くって、夜のかせぎが出来ると思うのかえ。おまえが盆槍(ぼんやり)で、向うが槍突きなら相子(あいこ)じゃないか。槍突きが出て来たら丁度いいから、富さんと二人でそいつを取っ捉まえて御褒美でもお貰いな、(かかあ)を相手に蔭弁慶をきめているばかりが(のう)じゃないよ。しっかりおしな」

 このあいだの晩、槍突きに出逢って以来、辻駕籠屋の勘次は怯気(おじけ)づいて商売を休んでいるらしかった。女房の悪態の途切れるのを待って、七兵衛はそっと声をかけた。

「ごめんなさい」

「誰ですえ」と、女房は八中(やつあた)りの尖った声で答えた。

「勘次さんはお家ですかえ」

 空駕籠を片寄せてある土間に立つと、長火鉢の前にあぐらをかいていた勘次が首をのばした。彼は三十四五の、背の低い、小ぶとりに肥った男で、こんな商売に似合わない、人のよさそうな顔をしていた。

「勘次はいますよ。こっちへおはいんなせえ」

「朝っぱらからお邪魔をします」と、七兵衛は上がり框に腰をかけた。「勘次さんというのはお前だね。話は早えがいい。おれは葺屋町の七兵衛と云って、十手をあずかっている者だが、すこしお前に訊きてえことがある」

「へえ」と、勘次は女房と顔を見あわせた。「なにしろ、親分。きたねえところですが、まあこっちへお上がんなすって下せえまし」

「親分。まあどうぞこちらへ……」

 女房は急にふくれっ面をやわらげて、しきりに内へ招じ入れようとするのを、七兵衛は手を振って断わった。

「まあ、いい。なにも構いなさんな。お客に来たんじゃねえ。そこで早速だが、お前はこのあいだ蔵前の通りで槍突きに出っ食わしたというじゃあねえか。いや、そりゃあまあ災難で仕方ねえが、その時にお前は変なお客を乗っけたそうだね。ほんとうかえ」

「へえ」と、勘次は不安らしくうなずいた。

「それがちっと面倒になっているんだ。気の毒だが、おれはお前を引っ張って行かなけりゃあならねえ」

 七兵衛はまずこう(おど)した。化け猫の風説はおまえと相棒の富松の口から出たに相違ない。奇怪の風説をきっと取り締れという町奉行所の御触れが出ている。そうして、その風説の張本人が辻駕籠の勘次と富松の二人とわかっている以上、自分はこれから二人を引っ立てて行って吟味をしなければならないから、そう思ってくれと云った。みだりに奇怪の風説を流布(るふ)したということになると、どんな御咎めを受けるか判らないので、勘次も女房も真っ蒼になった。

「でも、親分。そりゃあまったくのことなんですから」と、勘次は(ふる)えながら云った。

「そりゃあ俺も知っている。お前に迷惑をかけるのは気の毒だと思っている。就いてはそんな面倒は云わねえことにして、その代りに一つ御用を勤めてくれ。今夜の暮れ六ツが鳴ったら富松と一緒に駕籠をかついで俺の家まで来てくれれば、その時に万事の打合わせをする。いいか。頼んだぜ」

 否応(いやおう)なしに承知させて、七兵衛は勘次にわかれて帰った。帰ると丁度かの岩蔵が来ていたので、七兵衛はこれを長火鉢の前によんで、馬道の勘次をたずねて来たことを話した。

「四の五の云うと面倒だから少し嚇かして来たから、相棒と一緒にきっと今夜来るに相違ねえ。ふたりに空駕籠をかつがせて、おれが付いて行ってみようと思う。化け猫釣りがうまく行きゃあお慰みだが……」

「そんな仕事ならほかの駕籠屋を狩り出した方がようがすぜ」と、岩蔵は云った。「あいつらは揃って臆病な奴らですから、なんの役にも立ちますめえ」

「でも、このあいだの晩の娘を乗っけたのは彼奴(あいつ)らだから、ほかの者じゃあ見識り人にならねえ。まあ、いいや。なんとかなるだろう」と、七兵衛は笑っていた。「それにしても民の野郎はどうしたろう。あいつに少し頼んで置いたことがあるんだが……」

「民の野郎はさっき来ましたよ。親分は留守だと云ったら、それじゃあ髪結床(かみいどこ)へ行ってこようと出て行きましたから、又引っ返して来るでしょうよ」

 噂をしているところへ、民次郎という二十四五の子分が剃り立ての(ひたい)をひからせて帰って来た。

「親分。お早うございます。早速だが、わっしの方はどうも大役ですぜ。寅の奴と手わけをして、毎晩方々を見まわって歩いているが、なにしろ江戸は広いんでね。とても埒が明きそうもありませんよ」

「気の長げえ仕事だが、まあ我慢してやってくれ。そのうちにゃあ巧くぶつかるかも知れねえから」と、七兵衛はやはり笑っていた。「どうでみんなが手古摺っている仕事なんだから、そう手っ取り早くは行かねえ。まあ、気長にやるよりほかはねえ」

 民次郎は寅七という子分と手わけをして、江戸中で竹藪のあるところを毎晩見廻っているのであった。今とは違って、その頃の江戸には竹藪のあるような場所はたくさんあった。それを(こん)よく見まわって歩くのは並大抵のことではないので、年のわかい彼が愚痴をこぼすのも無理はなかった。

     三

目次に戻る

目次