二つの絵 芥川竜之介の回想

2話 二つの繪 自殺の決意

1,785字 約4分 2017年7月24日 公開

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 大正十五年四月十五日、日曜日、八日は晴れ、九日は強風、十日が雨、十一日は暗かつた。その四月十五日から數へると一年と三ヶ月ほどたつて、大勢の人達が棺の前で燒香をしてゐたところが、「力も根も盡きはてた、」とうなだれた芥川の坐つてゐた場所である。

「かういふことを言つていいものだらうか、」

「人にかういふことを言ふべきものではない。が、言つていいだらうか。」

 かう切りだす前に、芥川は寢床の上に起きなほつてその細い腕をだしてみせてから、裾までまくつて痩せこけてしまつてる内股をしめすと、「これだから僕ももうながいことはないよ、」と撫でさすりながら皮ばかりのやうな肉を摘まむでさう言つてゐた。芥川がだしぬけに立上り、僕が、あああ、といふ息を殺してゐると、茶間にでる廊下の境目の唐紙を閉めて、また寢床の上に坐つたが、一と跨ぎに動いてしまつたそのいきほひといふものは全く僕をそこに釘づけにしてしまつてた。

「君に言つていいだらうか、」

「かういふことは友達にも言ふべきことではない、が、友達として君は聞いてくれるか、」

 居合腰にきざみこむでくる芥川の言葉にはしのぎもつかず默つてゐた僕も、「どんなこと?」と口を開いた。すると、

「それならば僕は言ふが、君と僕とは今日まで藝術の事の上では夫婦として暮してきた。――僕は十九の時に自分の體では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることをしつくしてしまひ度いと思つて急いだ、――しかし、澄江堂を名乘つてからの僕は、それこそ立派な澄江堂先生ぢや、――僕はかうやつて、ここにねてゐても絶えず夏目先生の額に叱られてゐるやうな氣がする、――」

と、無氣味な目で芥川は彼の背を指さした。僕はそこの鴨居に依然たる、風月相知 漱石 の額の字をみた。

 芥川の話は七年前(數へ年二十八歳)の□夫人とのただ一度の情交に關し、「事露顯はれて後、事を決するよりも、未然に自決してしまひたい、」と言ふのであつた。

 僕は芥川の話を聞いてゐる間にすこし妙な氣がしてゐた。妙な氣がしてゐたといふのは、そのとき數日前、六日の晩に僕ら二人のときに□夫人がきてゐたからだ。六日であることは錯覺とは思へない。□夫人は自笑軒の歸りであると言つて妹を連れてゐた。僕よりはあとにきて、さきに歸つて行つたが、彼女は自笑軒の茶室の間どりを語り、普請にとりかかる彼女の茶室の圖面を芥川にみせてゐた、ただそれだけのことで歸つて行つた。(彼女はその場の僕に茶掛けを畫いてくれと言つてゐたし、彼女が歸つていつたあとで芥川は、君、頼むから畫いてやつてくれるなと言つてゐた。)

 自決することを僕に言つてからの芥川は、□夫人の代名詞に、河童といふ言葉を使つてゐたが、後には□夫人以外の女人の話にも、雌河童といふ言葉を使つてゐるやうになつてゐた。□夫人は昔、芥川が彼女に一座の人達(日曜日で彼の家に集つてゐた人達)を紹介してゐたときに、ほかの人には順々にお時儀をしてゐながら、どういふ次第か、「わたし小穴さんには態とお時儀をしないの、」と、人に氣づかれないほどの小聲で、微笑をみせながら僕の顏いろをみてゐたので、大正十二年以前のことであるが、その一言で僕に「芥川となにかあるな、」と思はせてしまつてゐた人だ。

 勿論昭和二年のことであるが、芥川が朝下宿にやつてきて、「今日は河童がくるから、君六時に僕のところにきて、河童が歸るまでそばにゐてくれないか、」といつて歸り、かれこれ六時に、義ちやん(葛卷義敏)がきましたよといつて迎へにきたので、芥川の家にいつて、□夫人の邪魔をしてゐたが、□夫人が芥川と會つたのはその日が最後となつてゐるのであらう。僕はつまらない役をさせられたものだと思つてゐるが、出向いてみると芥川はそのとき、なんとしたことか重病人のやうに布團のなかにはいつてゐたものだ。芥川の枕もとに坐つてゐた□夫人はその日出來上つた茶室のことと茶掛けの畫のことを言つてゐた。僕は□夫人がどういふ人であらうともなにかあはれにもなつてゐた。芥川の「秋」はこの□夫人の話からできたものと芥川から聞いてゐる。

 立派な澄江堂先生ぢや、のぢやは室生犀星の「けなるい」とか「ぢや」とかいふ金澤ことばに染つたもの。

 芥川に自殺の決意をいはれたのは、僕が小石川丸山町のアパートにゐたときである。

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