幽霊船の秘密

1話 幽霊船の秘密(1)

7,766字 約16分 2004年4月7日 公開

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   南方航路

 そのころ太平洋には、眼に見えない(あや)しい力がうごいているのが感じられた。

 妖しい力?

 それは一体なんであろうか。

 ひろびろとしたまっ青な海が、大きなうねりを見せてなんとなく怒ったような表情をしているのだ。

 ときどき、水平線には、一条の煙がかすかにあらわれ、やがてその煙が大きく空にひろがっていくと、その煙の下から一つの船体があらわれる。

 それは見る見るどんどんと形が大きくなり、やがてりっぱな一艘(いっそう)の汽船となつて眼の前をとおりすぎる。

 黄色の煙突、白い船室、まっ黒な船腹(せんぷく)、波の間からちらりとみえる赤い吃水線(きっすいせん)、すんなりと天にのびた(ほばしら)――どれもこれも絵のようにうつくしい。見たところ、平和そのものである。

 だが、波浪(はろう)は、なんとなしに、怒った表情に見える。船の(へさき)()む白いしぶきが、いまにも檣のうえまでとびあがりそうに見える。どんと船腹にぶつかった大きなうねりが、その勢いで汽船をどしんと空中へ(ほう)りあげそうに見える。なにか、海は感情を害しているらしいのだ。

 こんな噂もある。

 太平洋に、やがて空前の大海戦がはじまるだろう。それは遅くとも、あと半年を待たないだろう。太平洋をはさんだたくさんの国々が、二つに分れ、そしてこの猛烈な戦闘が始まるのだ。そのとき悪くすると、遠く大西洋方面からも大艦隊が()せさんじて、太平洋上で全世界の艦隊が砲門をひらき、相手を沈めるかこっちが沈められるかの決戦をやることになるかもしれない。そうなると、太平洋というそのおだやかな名は、およそ縁どおいものとなり、硝煙(しょうえん)と、破壊した艦隊の漂流物(ひょうりゅうぶつ)と、そしておびただしい血と油とが、太平洋一杯を埋めつくすだろう。そういう噂が、かなりひろく伝わっているのだ。

 太平洋が、ついにそのおだやかな名を失う日が来るのを嫌って、それで怒っているのかもしれない。

 実をいえば、世界各国の汽船は、いまやいつ戦争が勃発(ぼっぱつ)するかわからないので、びくびくもので太平洋を渡っている有様だった。

 ここに和島丸(わじままる)という千五百トンばかりの貨物船が、いま太平洋を涼しい顔をして、航海してゆく。目的地は南米であり、たくさんの雑貨類をいっぱいに積みこんでいる。そのかえりには鉱物と綿花(めんか)とをもってかえることになっているのだった。この物語は、その和島丸の無電室からはじまる。――

 ちょうど時刻は、午前零時三十分。

 無電機械が、ところもせまくぎっちりと並んだこの部屋には、明るい電灯の光のもとに、二人の技士が起きていた。

 一人は四十を越した赤銅色(しゃくどういろ)に顔のやけたりっぱな老練(ろうれん)な船のりだった。もう一人は、色の白い青年で、学校を出てからまだ幾月にもならないといった感じの若い技士だった。

「おい丸尾(まるお)、なにか入るか」

 年をとった方は、籐椅子(とういす)に腰をおろして、小説を読んでいたが、ふと眼をあげて、若い技士によびかけた。和島丸の無電局長の古谷(ふるや)だ。

「空電ばかりになりました。ほかにもうなにも入りません」

 と、丸尾とよばれた若い技士は、頭にかけた受話器をちょっと手でおさえて返事をした。

 古谷局長は大きく(うなず)くと、チョッキのポケットから時計をひっぱりだして見て、

「ふむ、もう零時半だ。新聞電報も報時信号もうけとったし、今夜はもう電信をうつ用も起らないだろうから、器械の方にスイッチを切りかえて、君も寝ることにしたまえ」

 器械というのは、警急自動受信機(けいきゅうじどうじゅしんき)のことである。これをかけておくと、無電技士が受話器を耳に番をしていなくても、遭難の船から救いをもとめるとすぐ器械がはたらいて、電鈴(でんりん)が鳴りだす仕掛(しかけ)になっているものだ。この器械の発明されない昔は、必ず無電技士が一人は夜ぴて起きていて、救難信号がきこえはしないかと番をしていなければならなかったのである。今は器械ができたおかげで、ずいぶん楽になったわけである。

「じゃあ局長、警急受信機の方へ切りかえることにいたします」

「ああ、そうしたまえ。僕も、すこし(ねむ)くなったよ」

 丸尾は、配電盤にむかって、一つ一つスイッチを切ったり入れたりしていった。間違(まちが)えてはたいへんなことになる。

 彼は、念には念を入れたつもりであった。さらに念を入れるため、古谷局長の検閲(けんえつ)()おうとして、局長の方をふりかえった。そのとき局長は、本の(ページ)をひらいたまま籐椅子のうえで気持よさそうに早や(ねむ)っていた。睡っているのを起すまでもないと思い、丸尾はそのままスイッチの切りかえを完了したものだった。

 ところが丸尾が机のうえを片づけにかかっていると、急にけたたましく電鈴が鳴りだした。

 スイッチを切りかえてから、ものの五分とたたない。

 遭難船からのSOSだ!

 局長は、電気にかかったように籐椅子からはね起きた。

   救難信号(きゅうなんしんごう)

「あっ、SOS《エスオーエス》だ」

 局長は、そう叫んだかとおもうと、すぐにもう器械のところへ来ていた。

「おい、丸尾。録音はうまく出ているか、ちょっと調べてみたまえ」

 局長の命令は、きびきびと急所をおさえる。丸尾は、はっと気がついて、さっそく録音盤の廻っているところをのぞいた。

「局長、だめです。盤はまわっていますが、録音の(みぞ)は、ほんの(かす)かについているだけで、これじゃ音が出そうもありません」

「そうか」局長は眼をちらりとうごかすと、すぐ手をのばして受話機をとった。そしてそれを耳にあてた。

「うむ、聞えることは聞えているが、これはまたばかに弱いね」

 そういって局長は、受話機をとると、()れた手つきで、そのうえに鉛筆を走らせた。これが居睡(いねむり)から覚めたばかりの人であろうかと疑問がおこるほど、局長は、極めて敏捷(びんしょう)に、事をはこんだ。

「おい、丸尾、すぐ方向を測りたまえ」

「はあ、方向を測ります」

 ぼんやり立っていた丸尾は、ここでやっと正気(しょうき)にかえって、命ぜられた方向探知器にとりついた。

 甲板(かんぱん)のうえに出ている枠型空中線(わくがたくうちゅうせん)の支柱を、把手(ハンドル)によってすこしずつ廻していると、電波がどっちの方向から来ているか分る仕掛(しかけ)になっていた。これは学校時代から丸尾の得意な測定だったので、自信をもってやった。生憎(あいにく)入っている信号は、息もたえだえといいたいほど微弱であったが、彼は懸命にそれを(とら)えた。その微弱な信号に、死に直面した(おびただ)しい生命が(たく)されているのだ。

「どうだい、方向はとれたか」

「はい、とれました。ほぼ南南東微東(なんなんとうびとう)です」

「なに、南南東微東か」

 局長は受話機を下において、急な口調(くちょう)でいった。

「さあ、すぐ船長に報告だ。電話をしたまえ」

 丸尾は、交換台の接続を終ると、呼出信号を鳴らしつづけた。しかし船長室の受話機が取りあげられるまでには、かなりの時間がかかった。

「船長が出ました」

「おうそうか」

 局長は紙片を手にとって、マイクに近づき、

「船長、ただ今SOSを受信いたしました。遺憾(いかん)ながら電文の前の方は聞きもらしましたので途中からでありますが、こんなことを打ってきました。“――船底(ふなぞこ)ガ大破シ、浸水(しんすい)ハナハダシ。沈没マデ後数十分ノ余裕シカナシ。至急救助ヲ乞ウ”というのです」

「どこの汽船かね。そして船名はなんというのかね」

 船長が、聞きかえした。

「それがどうもよくわかりません。“船名ハ――”とまでは、打ってきましたが、そのあとは空文(くうぶん)なんです。符号がないのです。どうも変ですね。なぜ船名をいわないのでしょうか」

「ふーむ」と船長は(うな)っていたが、

「ひょっとすると、どこかの軍艦かもしれない。さもなければ海賊船か。――で、その遭難の位置は、一体どこなのか」

「その位置は不明です。もっともSOSの電文のはじめに打ったのかもしれませんが、聞きのがしました。なにしろ電源がよわっているらしく、電信はたいへん微弱で、とうとう途中で聞えなくなってしまったのです」

「位置が分らんでは、救いにいけないじゃないか」

「はあ、そうです。そこでさっき、丸尾にSOSを発信している船の方向を(はか)らせました」

「ほう、それはいい。で方向は出たかね」

「南南東微東と出ました」と答えると、

 船長は、ちょっと言葉をとめて考えこんでいたが、

「よろしい。では、これから針路をその南南東微東に向け、全速力で走ってみることにしよう。なお今後の信号に注意したまえ」

 そこで船長の電話は切れた。

 間もなく船が、ぐっと(へさき)をまげたのが感じられた。エンジンは、急に呻りをまして、今や全速力で、謎の遭難地点さして進んでゆくのであった。

   現場(げんじょう)附近

 いい気持で、睡っていた船員や火夫(かふ)達は、一人のこらず(たた)き起され、救助隊が編成せられ、衛生材料があるだけ全部船長室に並べられた。

 和島丸は位置を知らせるためどの窓も明るく点灯せられ、(ほばしら)には小型ではあるが、探照灯(たんしょうとう)が点じられ、船前方の海面を明るく()らしつけた。

 遭難船の姿は、なかなか入らなかった。もうかれこれ一時間になるが、どこまで進んでも暗い海ばかりだ。

 船長佐伯公平(さえきこうへい)は、それでもなお、全速力で船を走らせるように命じた。

 それから(しばら)くたって、無電室から船長に電話がかかってきた。

「どうした。なにか入ったかね」

「はい、今また、きれぎれの信号がはいりました。しかし今度は遭難地点をついに聞きとることができました。“本船ノ位置ハ、(ほぼ)北緯(ほくい)百六十五度、東経(とうけい)三十二度ノ附近卜思ワレル”とありました」

「なに、北緯百六十五度、東経三十二度の附近だというのか? それじゃこの辺じゃないか」

 と船長は、おもわず(おどろ)きのこえをあげた。

 和島丸は、その電文が真実なら、もう既に遭難地点に達しているのである。すると遭難船の姿を発見しなければならぬことになるが、さて探照灯を動かしてから見渡したところ、ボート一隻(いっせき)浮んでいないではないか。

(どうも変だ!)佐伯船長は、小首をかしげた。

「おい局長、こんどは、信号の方向を測ってみなかったかね」

「はあ、測りました。方向は大体同じに出ましたが、前に測ったときほど明瞭(めいりょう)ではありません。その点からいっても、たしかに本船は遭難地点に近づいているにちがいないのですが――」

「そうか。じゃきっとそのへんに何かあるにちがいない。もっと念入りに探してみよう」

 そういって船長は、甲板で働いている船員たちに、命令を出した。

「おい、見張員をあと五名ふやして、海面をよくしらべてみろ」

 和島丸は、速力をおとした。そのかわり(へさき)をぐるぐるまわしながら、その辺一帶の海面を念入りに探照灯で掃射(そうしゃ)した。

 だが、肝腎の遭難船の姿は、どこにも見えない。

 遭難船の破片か、あるいは油とか、積んでいた荷物などが漂流(ひょうりゅう)していないかと気をつけたが、ふしぎにも、それすら眼に入らないのであった。

 佐伯船長をはじめ、船員たちが、すっかりいらだちの絶頂(ぜっちょう)に達したときのことであった。舳から、暗い海面をじっと(にら)んでいた船員の一人が、とつぜん大ごえをあげた。

「おーい、あれを見ろ。へんなものが浮いているぞ」

 探照灯は、さっそくその方へむけられた。

 なるほどへんなものが、波にゆられながら、ぷかぷか浮いている。

 木片(もくへん)井桁(いげた)にくみあわせた(いかだ)のよなものであった。そのうえになにが入っているのか(はこ)がのっている。

 そのとき船員は、舳にかけつけていた。

「おい、ボートをおろして、あれを拾ってこい」

 待ちかまえていた連中は、早速(さっそく)ボートを、どんと海上に下ろした。

 ボートは矢のように、怪しい漂流物の方へ近づいた。そして苦もなくその浮かぶ筏を、ロップの先に結びつけた。

 そしてボートは、再び本船へかえってきた。

 船員は、また力をあわせ、ボートをひきあげるやら、その怪しい筏をひっぱりあげるやら、ひとしきり(いさま)しい()けごえにつれ、船上は戦争のような有様だった。函を背負った筏は、船長の前に置かれた。

「これは一体なんだろう。いいからこの函を開けてみろ!」

 船長は、決然と命令をだした。函は蜜柑函(みかんばこ)ぐらいの大きさで、その上に小さい柱が出ていた。(ふた)をとってみると、意外にも中から小型の無電器械がでてきた。

「おや、無電器械じゃないか」

 と船員は(つぶや)いたが、函の中には、さらにおどろくべきものが入っていた。船長はじめ船員たちが()っと叫んで真蒼(まっさお)になるようなものが入っていたのだ。一体それはなんであろうか!

   黒リボンの花輪

 そのおどろくべき品物は、油紙(あぶらがみ)につつまれて函の(すみ)にあったので、はじめは気がつかなかったのだ。

 佐伯船長が、つと手をのばして、油紙につつまれたものをもちあげたとき、待っていたように油紙はばらりととけ、その中からぽとんと下におちたものは一個の小さな花輪であった。

 その花輪は、ちかごろ流行の、乾燥した花をあつめてつくってあるもので、色は多少あせていたが、それでも結構うつくしいので眼を楽しませたし、そのうえいつまでおいても、けっして(しぼ)まないから、便利なこともあった。

「ああ、花輪だ!」

 と、船員たちは、その方に一せいに眼をむけたが、とたんに誰の顔も、さっと青くなった。

「なんだ、その花輪には、黒いリボンがむすんであるじゃないか。縁起(えんぎ)でもない!」

 黒いリボンは、お葬式のときにだけつかう不吉(ふきつ)なものだった。その不吉な黒リボンが花輪にむすびつけてあるのだから、佐伯船長以下一同がいやな顔をしたのも無理ではない。

「ほう、まだなにか書いたものがつけてある」

 佐伯船長は、函の底に、一枚のカードがおちているのをつまみあげた。

 見ると、そとには妙な字体の英語でもって、

「コノ花輪ヲ、ヤガテ海底(かいてい)永遠(えいえん)ノ眠リニツカントスル貴船乗組(きせんのりくみ)ノ一同ニ呈ス」

 と書いてある。なんというひどい文句だろう。これを読むと、お前の船にのっている者は、みんな海底に沈んでしまうぞという意味にとれる。

「け、けしからん」

 見ていた船員たちは、(こぶし)をかためて、怒りだした。

 だが、さすがに佐伯船長は、怒るよりも前に、和島丸の危険を感づいた。

「おい、みんな。これは遭難の前触(まえぶ)れに決った。お前たちは、すぐ部署(ぶしょ)につけ。おい事務長銅羅(どら)をならして、総員配置につけと伝達しろ」

 船長のこえは、(かん)ばしっていた。

 さあたいへんである。船長の言葉が本当だとすると、もうすぐなにごとか災難がこの和島丸のうえにくるらしい。(おり)も折、このまっくらな夜中(よなか)だというのに、なんということだろう。

「さあ、甲板(かんぱん)へかけあがれ」

「おい、こっちは機関室へいそぐんだ」

 船員たちは、()と樹の間をとびまわる猿の群のように、すばしこく船内をかけまわる。

「探照灯や室の外にもれる明かりを消せ。目標となるといけない」

 船長は、つづいて第二の号令をかけた。

 探照灯は消された。窓は、黒い(きれ)でふさがれた。たちどころに灯火管制ができあがった。やれやれと思った折しも、船の底にあたって、ごとんと、ぶきみな物音がして、船体ははげしく揺れた。

「あっ、今のは何だ」

 船員が顔を見合わせたその瞬間、船底から轟然(ごうぜん)たる音響がきこえた。そして和島丸は、大地震にあったようにぐらぐらと揺れた。

「ああっ、やられた。爆薬らしい」

 船長はその震動でよろよろとよろめいたが、机にとびついて、やっと立ちなおった。そこへ一人の船員が、胸のあたりをまっ赤にそめて、とびこんできた。

「あっ船長。たいへんです。船底に魚雷らしいものが命中しました。大穴があきました。防水中ですが、うまくゆくかどうか。あと二三分で、本船は沈没いたします」

 たいへんな報告であった。

 灯火管制が、もう五分も早かったら、こんなことにならなかったかもしれないのだ。

 佐伯船長は、首をあげて、ぐっとうなずいた。

「ボート、おろせ!」

 悲壮な命令が下った。

   青白い怪船

 そういううちにも、和島丸の破られた船底からは、おびただしい海水が滝のようにながれこんで、船体は見る見る海面下にひきこまれてゆく。

「やあ、ひどく(かたむ)いたぞ。そっちのボートを早くおろせ」

 (やみ)の中から、どなるこえがきこえる。

 船上には、ふたたび探照灯がついた。誰か分らないが、もう船が沈もうというのに、その探照灯をくるくるまわして、海面をさがしている者があった。

 このような(さわ)ぎを()て、あわれ和島丸は、わずか四分のちには波にのまれて沈んでしまった。

 海上は、まっ暗で、なにがなんだかわからない。救命ボートが四隻(よんせき)、しずかにうかんでいる。

 ごぼごぼどーんと、うしろではげしい音がしたが、これが和島丸の最後のこえのようなものだった。機関の中に海水がながれこんでその爆発となったものであろう。水柱が夜目にも、ぼーっとうすあかるく立って、ボート上の船員たちの胸をかきみだした。

 なにゆえの無警告の撃沈であろう。

 暗さは暗し、なに者の仕業だか、一向(いっこう)にわからない。佐伯船長は、第一号のボートにのってじっと唇をかんでいた。

「船長、ボートは全部無事です。第一、第二、第三、第四の順序にずっとならびました」

 事務長が、暗がりのなかから報告した。さっきから、ボートのうえで手提信号灯(てさげしんごうとう)がうちふられていたが、全部のボートが無事勢ぞろいをしたことを伝えたものであろう。

「そうか。では前進。針路は真東(まひがし)だ」

 えいえいのかけごえもいさましく、四艘(よんそう)のボートは、暗い海上をこぎだした。

「おい古谷局長」

 船長が、無線局長をよんだ。

「はあ、ここに居ります」

 古谷局長も、いまは一本のオールを握って、一生けんめいに()いでいる。

「本船の救難信号は、無電で出したろうね」

「はあ、最後まで正味(しょうみ)三分間はありましたろう。その間、頑張って打電しました」

「どこからか応答はなかったかね」

「それが残念にも、一つもないので――」

「こっちの無電は、たしかに電波を出しているのだろうね」

「それは心配ありません。なにしろ打電している時間が短いものですからそれで返事が得られなかったものと思われます」

「ふーむ」

 このうえは、救難信号をききつけたどこかの汽船が、一刻もはやくこの地点に助けに来てくれるのをまつより外はない。さっきまでは、こっちが遭難船を助けに急いだのに、今はその逆になって、こっちが助けを呼ぶ身となった。なんという逆転だろう。

「おい古谷局長」しばらくして、船長はふたたび局長をよんだ。

「はあ、ここに居ります」

「さっき本船から無電したとき、本船が魚雷(ぎょらい)に見舞われたことを打電したかね」

「はあ、それは本社宛の電報に、とりあえず報告しておきました。銚子局(ちょうしきょく)を経て、本社へ届くことでしょう」

「そうか。それはよかった」

 船長の声が、暗闇の中に消えた。洋上は、すこし風が出てきた。(ふなばた)から、波がしきりにぱしゃんぱしゃんと、しぶきをあげてとびこむ。

「さあ、元気を出して漕ぐんだ。あと二時間もすれば、夜が白むだろう」

 事務長は、大きなこえで、一同に元気をつけた。そのときであった。

「あっ、船が! 大きな船が通る」

「えっ、大きな船が通るって、それはどこだ?」

「あそこだ。あそこといっても見えないかもしれないが、左舷前方(さげんぜんぽう)だ」

「えっ、左舷前方か」

 一同は、その方をふりかえった。なるほど暗い海上を、船体を青白く光らせた船の形のようなものが、すーうと通りすぎようとしている。

「あっ、あれか。かなり大きな船じゃないか。呼ぼうや」

「待て。うっかりしたことはするな。第一あの船を見ろ。無灯で通っているじゃないか。あれじゃないかなあ。和島丸へ魚雷をぶっぱなしたのは」

「ふん、そうかもしれない。すると、うっかり呼べないや」

   火花(ひばな)する船腹(せんぷく)

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