12話 第六〇課 信仰 二(3)
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仏像には大概、両脇に菩薩の像が附いております。これを脇士と言います。脇士に対して中央にある仏像は本尊です。
釈迦如来を本尊とする仏像の脇士は、左に文殊菩薩、右に普賢菩薩であります。これにはいろいろの意味がありますが、もし文殊が平等を現す場合には、普賢は差別を現すことになっております。真理というものは、一方に平等、一方に差別を控えて、ちょうど、車の両輪のように自分を運ばせて行きます。本尊の釈迦如来は、その平衡の取れた円満な真理を現しております。
だが、差別と平等の基本の存在は、その二つが別々になって存在しているのではありません。融け合い、通じ合って行われているものです。たとえば隅田川、淀川、信濃川、めいめい違った相、形の特色を持っております。ここに差別があります。しかし、どの川といえども水の流れてない川はない。この共通性から言えば平等です。そして隅田川すなわち水の流れたものであり、水の流れも隅田堤へ、流れて来ねば隅田川とは呼ばれません。この関係から、ほぼ差別性と平等性とは、即かず離れぬ関係にあることが判るのであります。
それならば物事すべて、そのままが真理かというと、そうはゆかないのであります。自然の勢いの赴くところ、必ずどちらかへ傾き過ぎるものであります。よって、時と場合と、事情を考えて、どちらかへ補修しなければならないことがあります。
例えば、水はなるべく流す方がいいといって洪水の勢いを、そのままにして、滔々満々浸すに任せて置いたら、両岸の人家まで迷惑して害となります。この場合には、水を排かせるなり、両岸を高く築き固めるなりして害を除きます。
またこれと反対に隅田川をいよいよ隅田川らしい好風景にしようと思って、沢山桜の出崎を拵えてみたり、川を浅くして菖蒲を植えて見たり、都鳥の飼場を設けたりして、水の流れは、ただ風致を助けるためとばかり気取って曲りくねらせるとする。それでは、折角の帝都の舟筏の便が妨げられるのであります。こういうときには、その弊害を矯めて舟筏の便の通ずるだけ河筋を通さねばなりません。これこそ平等と差別の使い分けであります。この場合、特に差別を愛し、平等を憎み、あるいは平等を愛し、差別を憎んでそうするのではありません。差別にも平等にも、自ずからそれ相当の価値と限度があって、病に対する対症療法のようなものです。物事、道に中って行われるようになれば、差別も平等も自ずと退いて淡々如々たる位置を守らしめるだけであります。もし一方に偏して、これを万病薬のように固執するならば、腫物が癒ってなお膏薬を貼っているようなものであります。そうかといって初めから薬を無視し、病を見送っているように自然の成行きのままに任せ最後はどちらかへ極端に走らせるのも愚かしいことです。
差別の相から言えば、人々、素質が違い、教養が違い、趣味が違い、体格能力が違い、因縁果の違いがあります。
平等の体から言えば、人々、同じ人間であり、同じく本能を持ち、同じく生命を養い生活を享受し子孫を遺そうとしております。
その他、あらゆる物事に、差別と平等が時に結び時に離れて、紛然雑然として起滅を繰返しております。
私たちは、この間に処し、自分自身に対してさえ、当然なるものはこれを許し、不当なるものはこれを斥け、円満調和の中道を守って行くには、深く現実の知識経験を養い、その上に篤く仏智の照明を仰いで慎重に事を行わねばなりません。しかし、理としては、必ずや通ずる道は備わっておるのでありますから、気持ちとしては決して萎靡消沈せず、一歩一歩希望を以て踏み出して行くべきであります。
差別と平等の理については、洞山大師(洞山悟本大師は支那禅宗、曹洞宗の開祖です。唐の大中年の頃の人)の正偏五位というのがありますから左に御紹介しましょう。
正偏五位
正というのは平等方面のことであります。偏というのは差別方面のことであります。事々物々の上に、平等と差別が、こういうふうに入り混り融合している。その理を以下五項に分って説明してあります。
(一)正中偏
平等方面を中心にして、差別方面を眺めた形であります。例えば一軒の家庭に在っては、主人が正月、家族一同に屠蘇の盃を与える場合であります。妻子、召使いめいめい差別はあるが、この場合には同じようにみな家族員として年賀を交し、盃を与えます。吾が子は身内だからとて、五杯、十杯も与え、書生さんは他人だからとて半杯ということはありません。
(二)偏中正
今度は差別方面から平等方面を眺めた形であります。例えば、主人夫妻が銀婚式をすることになりました。家族一同が心々の祝いものを贈る場合とします。もう学校を卒業して月給も取れている長男夫婦は銀の置時計ぐらい奮発しましょうし、女学校へ行っている娘は手芸を丹精して贈りましょうし、幼稚園へ通っている末の子は富士山の貼紙細工でもして贈りましょう。また書生さんは郷里から産物でも取り寄せて贈るかも知れません。これはおのおの身分資力に応じて差別があるところに、祝いの真心が表れるので、差別あるこそ主人夫妻には平等な祝意が家族一同より感じられるのであります。もしこれを平等にして家族いずれも銀時計としたならば主人夫妻はよほど妙な感じが致しましょう。
(三)正中来
次は平等方面のみを眺むる場合であります。例えば一家にあっては、目上も目下も大人も小人も、みな一人ずつの人間として扱われて、頭数で数えられるような場合です。人口調査係りに家族の数を申出るのに、主人は肥って大きいから三人分にし、赤ん坊は小さいから人数のうちから省いてくれというようなもので、それは調査係りの承知しないところです。やはり平等にすべきです。
(四)偏中至
これは前のものとは反対に差別方面のみを眺めた場合です。家族一同業務に就くときは、主人は背広服を着て事務所へ、主婦は茶の間で家事の采配、子供は学校、書生さんは取次ぎかたがた勉強、めいめい平等方面を引込まして差別方面だけ働かす場合です。もしこの場合平等性もいいといって一同茶の間へ集って家事の采配を揮ったら一家は立ち行かなくなるでしょう。
(五)兼中到
これは、以上のような差別を行っても差別に捉われず、平等を行っても平等に捉われず、しかもいつでも適切にどちらでも使える用意のある当体。いわゆる中道の真理であります。一家に在っては家族一同が無意識のうちに協力一致している親和力に当りましょう。
もちろん、右は大体の原理で、実際の現実というものは、もっとデリケートな使い分けをしなくてはならないものでありましょう。ですから、それだけ余計に心の鏡は物事の真相の微影だも洩さぬよう、常に拭き清めて置く必要があります。
平等の文殊と、差別の普賢を脇士に控えた中道真理の釈迦如来の仏像。それは現実そのものの相であると同時に、またなかなか味わい切れぬ意味の深いものがあるのであります。
都会と田舎を、言葉を換えて言えば、文化生活と自然生活と言えます。
文化生活は、人智の発達複雑化に伴って、自然生活から変化して来たものであります。それは人間の福祉幸福を望んで造りなされたために、もちろん便利、迅速、知識的でありますが、しかしその内部には、人間の欲望、煩悩、愚痴等が働きかけて、禍福相半ばするものであります。そこに都会の持つ俗人への魅力もあるわけです。多くの犯罪、悪徳、不健康も含有されがちです。誘惑、堕落、精神的過労が附きものです。
これに反して田舎の生活は、健康的であり、平和、悠暢であるべきはずです。それと同時に反面、時代後れや、不活溌、平凡、退屈があり、筋肉労働があるのです。
両者を人体に譬うれば、田舎は胴体であり、都会は頭部であります。胴体のしっかりした上に載っかってこそ頭部は充分に働けるのです。また胴体だけでは反射的に、習慣的にいろいろのことをなし得るのでありますが、頭部によりいろいろ判断、支配されるものですから、頭部が駄目なら胴体も乱雑になりがちです。
どんな大都会でも、はじめは片田舎であったのが、いろいろの因縁によって、人家が密集し来って、出来上ったものです。自然生活をなしつつあった人々がその飽くことなき人間の欲望を遂げんとして、知識に、経験に、感情に、感覚に、その威力を振って都会を築き上げて来たのであります。故に、そこには素晴しい文化があるかわりに、その内面には人間の醜い半面が集合していることになります。余りに世間欲や、知識にばかり夢中になって、自然の持つ恩恵や真理から遠ざかっている点もあります。そして欲望は募り募って、今では、その惰性に成行きを委すのみとなっている傾向が覗えます。東京で三代続いた家には肺病があるとさえ言われるように、不健康になっています。もちろん肺病ばかりでなく、精神病や、神経病も随分多いことと思います。
世界に無類の高層建築を誇るニューヨーク市では、エンパイヤビルディング、クライスラービルディング、ウォーズウォースなど五十階以上のビルディングをはじめとして無数の高層建築は比較的狭き道路の両側に建ち並び、道路は宛然、谷底のごとく、太陽の直射は一日ほんの僅かな瞬間だけ恵まれるのみであります。退社時刻には、一建築の中に通勤する数万の人達が、先を争って帰途を切り開かんと、物凄い労力と苦心が行われます。もちろん、彼らの多くは自家用の自動車や、地下十六階に及ぶほどの多数の地下鉄を利用するのですが、一度に押し寄せてはなかなか整理がつかないのです。四時に退けて郊外の自宅にたどりつくのが大抵八時になるとさえ言われます。その間三、四時間の人の波に押されもまれる不健康さを思うとき、人生の便利、幸福を望んで発達し来ったはずの都会生活も、今では却って人間を滅ぼしつつあるとさえ思われます。ここにも、人間の心の三毒(貪・瞋・痴)が露れているのを見ます。もちろん、周囲の事情、国内的、国際的関係によって(それも全部、三毒から起った事情関係です)、勢いそんな不健康な設備をしなければならなかったであろうが、これも何とかして三毒の善用によって活路が開かれることと思います。
同じアメリカでも、キネマ、トーキーの都、ホーリーウッドを擁するロスアンゼルス市では、早くも都会の密集せる人口と、それにともなう多数の自家用自動車、および高層建築に朝夕呑吐する、無数の従業員などによる交通不便と不健康とを慮かって、新しく建てる商店、銀行、会社などの高層建築は、人里離れた山の中腹や、物淋しき郊外の草原に孤立させ、広大な自動車預り所を設けて、市中より乗りつけるお客を待つのであります。都会生活がそのままそっくり、自然生活へ転換されたのであります。この考案設備は、自利、利他の効果を挙げる点より言えば、菩薩行に相当するものです。
日本の都市は、地震の危険のため、外国の大都市と違って、高層建築と言われるほどのものはありませんから、その方面の弊害は少いのですが、それ以外に気候に乾湿の差が烈しく、吹きまくる烈風は砂塵を上げ、職業戦線は狂わんばかりの競争が行われ、鬱屈する気分は刹那的、末梢的の快楽を追い、外国より直輸入された一過性の思想は昨今殊に目まぐるしく崩れ行きて、しかも東洋思想の優れたるものあるを覚らずして、いずれに頼るべき中心思想なく、迷いわずらい、頽廃の兆さえ歴然と見えるようであります。反省すべき都会生活です。
田舎の生活について述べますと、田舎は天然自然を相手に暮すのですから、本当は気楽で、健康的であるはずです。しかし、近頃の田舎の生活ぶりを見聞すると、却って都会より不安、不況、餓死せんばかりの地方がかなり沢山あるようです。これは何によってそうなったのでしょう。天災地変に因るのは別として、大抵は都会生活の行きづまりが倍加して田舎生活に響いたのではないでしょうか。頭部に相当する都会の状態が胴体たる田舎に悪影響を与えたからだと言えないでしょうか。世界のいずれの国でも、地方はその産物を都会に売って経済を保持して行くのですから、都会におけるその産物の需要如何によって、田舎は富みもし、また不況にもなるわけです。この点、国家、政府として余程物産の売り捌きを活溌ならしめ、物価の調節を計らぬと田舎の経済状態は危険に瀕するのであります。欧州のある国家では、自国内の農村を救わんために、その植民地や属国の農民を犠牲にすることさえあります。すなわち、国内で農作が豊年の時は、農作物の値段が下落することを恐れて、植民地や属国から輸入される農作物をその年だけ全部現地で焼き捨てたり、没収したり、安価で買い占めて隠してしまったり、高い輸入税を課してなるだけ国外から入り込まないように努めます。そして国内で収穫れたものだけを売り捌かせますので、その国内だけでは、豊作、凶作に拘らず、農作物の値段は適当に保たれます。しかし犠牲に供せられる植民地や属国の農民達こそいい面の皮です。私はこんな政策を不当と思います。それよりも、もっと良心的な、本格的な、確実な田舎生活の安定法があると思います。農村問題、漁村問題などを専門に研究していらっしゃる方々も随分沢山ありますし、また、実際地方の人々がその問題について実地に苦心、復興を計っておられますから、私などが何も申し上げることはありませんが、唯、私がフランスの田舎にいた時、見聞した農夫の生活ぶりを参考までにお伝えして置きたいと思います。
フランスの農夫は言いました――もちろん政府の保護政策を期待してはおりますが、しかし、その保護なくとも自分達は、立派に暮しだけ立てて行かれる準備をしている――と。彼らは、きまって自分の家の周りに、一番手近かに飲食料の貯蔵所、家畜、野菜畑、果樹園を置き、次に穀物畑、葡萄畑、次に牧場、最後に小さな灌木の密林(野鳥獣を棲息させて、時折りこれを捕ったり、家具を作る木材を得る)という順に置いて、一幅の風景画のように、各家庭が散在しております。そして十数個から数十個の家庭が団結して一部落をなし、お互いに才能に応じていろいろの仕事を分担して専門的に行わせます。耕作の上手な人々は一団となって順番に全部落の家庭の耕作事業を片付けて行く。裁縫の上手な娘は、前の担任者の後を享け継いでその部落全部の裁縫を引き受けて、家事の閑にあかして仕上げて行く、たとい嫁入りしてもその女は一生専門に村有のミシン機械を使用して裁縫をし続けます。バターを造るのも村の専門家、決してその素人専門家の悪口や失敗をなじることや、横取りすることはありません。依頼するのに物々交換ですから、少しも金は要りません。自給自足ですから殆んど都会から格別な品物を金で買い入れぬことにしております。そして過剰の収穫物は村の組合でまとめて都会へ売り、組合で最新式の耕作具や穀物の刈り取り機械を購入して、その機械を得意な人々数人に保管させたり、各家庭の収入金の三分の一を貯金し、三分の一を金貨にして床下の甕に蓄え、残りの約三分の一で税金や組合費に当てます。一見原始的であります。世界の流行の中心と言われる巴里を持つフランスが、その田舎においてかかる祖先伝来の原始的な生活方法を奨励しかつ誇っているのに私は一驚しましたが、しかし使用する機械だけは部落全体の醵金によって、最も能率のあげられる精鋭なものに次から次へと買い換えて、部落の専門家に充分の働きをさせるところなどは、なかなか利口なやり方だと感心しました。
最近、日本の田舎の村々が自力更生、自給自足を叫んで盛んに組合制度を利用されるのは、やはり不自然な文化の弊害に負けまいとして、自然生活の根本の中へ最新文化を消化し入れた英断であって、その智慧は、仏智にも達するものであります。
フランス十九世紀の文豪、バルザック(西暦一七九九年に生れ、一八五〇年に歿す)の有名な作品の中の一つに、「知られざる傑作」というのがあります。
「一人の独身の絵画の老大家が巴里に住んでいました。十年近くもかかって大作を描き上げているという評判が巴里の画に関係する人々の間に弘がっていました。しかし老大家は、彼の新工夫の描き方を、仲間に盗まれるのを惧れて、絶対に人に見せませんでした。老大家の描こうと企てているのは、この世の中で最も美しい女性、それを生きたもの同様な溌剌さで画布の上に現そうとするのでした。
絵に熱心な若い画家がありました。どうかして老大家の作を見たくて堪りません。しかしその望みは全く絶望でした。老大家は相変らず頑固に画室の扉を押えて、中へ入れないのでした。若い画家に、世にも美しい一人の恋人がありました。彼女は若い画家の天分を認めもし、またその人物をも愛していました。ふと、その画家の恋人に老大家が眼をつけます。モデルに欲しいというのです。それもただのモデルではなく、自分の描きつつある女の像と、その娘と、どっちが美しいか見較べようという下心があるのでした。
娘は、若い画家のため老大家のモデルになることを承知しました。有頂天になった老画家は、思わず娘と一緒に若い画家を画室の中へ連れ込みます。若い画家の悦びはどれほどであったでしょう。しかし、彼には自分の恋人の犠牲を察して暗い顔つきのところもありました。
それほど苦心して近寄った老大家の傑作は、どうでありましたろうか。若い画家の眼の前に立てられてある一大画布には、ただ絵の具の厚い重なりがあるばかりで、これが女の像とはもちろん受け取れないばかりでなく、却って、空漠たる画面が寒さを襲うばかりでありました。しかし老大家は得意の絶頂です。その画面を指しながら、恍惚として言います。
『君たちは、まさかこれほどの完成とは思わなかったろう。見給え、若い娘の形そのものじゃないか。この胸、ぴくぴく肉が動いている……』
若い画家は自分の眼を疑って、自分の見方が悪いのではないかと思いました。そこで、斜から眺めたり、距離を工夫してみたりしましたが、やはり何物も掴めませんでした」
以上、この小説に含まれている思想は、いろいろに取れます。これについて種々な芸術論もあります。しかし、帰するところは仏教も同じであります。
私たちが、一つの物事を突き詰め、分析して考えて行くと、一度は必ず「空」(執着せぬ、こだわらぬ、あるいは自由さということです。常に因、縁、果によって変化し行く自由性を言います)の世界に行き当ります。それは因、縁、果、で出来たものに過ぎませんから、本体は「空」であります。若い、みずみずしい女の肉体とて同じことであります。そして、その行き当った「空」の世界は、その自由さ、その豊饒さ、創造力ある人間にとっては無限に肥えふとった宝田であります。いかなる種子も蒔けば生え、いかなる根も卸せば育つのであります。働く人の働き如何によって、真、善、美の理想は、思いのままに取出せる無尽蔵の庫であります。しかし、創造せず、働かぬ人にとっては、ただ一色の「空」の世界であります。
老大家の画家は、十年、女の肉体を凝視、分析し続けて行って、いま、その「空」の世界に突き当ったのであります。厚く積み重なった絵の具の層は、その凝視分析の研究の跡であります。女の肉体の現象を、因、縁、果と描き分け、観分けた筆の痕であります。ここまででも粒々辛苦のあとは兎に角、察せられるのであります。
老大家は、ひとたび「空」の世界に行き当って、その自由さ、豊饒さに酔ってしまったのでありました。そして此地を以て美の理想の究極だと思い取ったのであります。なんぞ図らん、それは美の畑だけであり、田だけであります。如何に田畑は肥えているにしろ、種子も蒔かぬ、根も卸さぬ田畑は、実際の収穫には縁遠いものであります。それはちょうど、農夫がただ肥えふとった田畑を見て、独りで楽しんでいる気持ちであります。
老大家は、農夫の肥田を見付けたときと同程度の心の段階で楽しんでいるのでした。そして、それを以て、もう黄金浪打つ秋の実りにさえも思い取るのでした。「空」の世界は自由であります。女の美しさを思い浮ばせようとすれば、まざまざそれが、そこに浮び上り、肉体のみずみずしさを見ようとすれば、直ちにそうも見えるのであります。しかし「空」の世界を体験しない、また創造の播種の種子を持たない他人には、全く何もないとよりしか受取れないのであります。独り合点に終るのであります。よく「無弦の琴」とか、「無声の韻」とかいう言葉がありますが、これはその心境を解したもの同志の間で言うことであって、これを生のまま人に理解を押し付けるといわゆる「野狐禅」とか「生悟り」とかいうものになりまして、却って仏教が世間から誹を招く基になるのであります。
この肥えた土地を発見した老大家は、それへ創造工夫の種子を蒔いて、折角掴んだ理想美を誰にも解りやすく摘み取れるよう、成長開花せしむべきでありました。それをしないで肥えた土地、すなわち実りと、早合点してしまいました。模糊の絵を見て不審がっている若い画家の顔を見て、老大家は自信を裏切られたように感じました。一度は自信を取り戻そうと努めましたが、うまく行かなかったか、翌日自殺してしまいました。
ひとたび、この「空」の世界の宝田を見付け、それから、これによき種子を蒔き、よき実りを得さしめて、それを人々に与えようとする修業を、悟後の修業とも、百尺竿頭一歩を進むとも言いまして、人生これからが大いに他人のために働くべきときであります。釈尊が菩提樹下で正覚後四十五年の説法、それに次いで代々の宗祖、高僧がたの利生方便はみなこれであります。
話があまり専門的に亘ったようですが、私たち普通人にも独り合点、早合点はよくあることです。すべての物事は誰にも判るよう、誰とも話し合えるようにすることで初めて物の役に立つのであります。それまでは、いくらいいものでも、種子蒔かぬ、根ざさぬ肥えた田であります。これによっても解るように、私たちは、世の中には上にも上の修業があって、行き止まりがないということを知るのであります。
ちなみに、ここに引用したバルザックの作品は小説であります。芸術品は芸術品として別に味わう方面があり、これだけの解釈のために使っては気の毒でありますが、悟後の修業の例として大変便利なので持って来ました。読者はこれを承知して頂きたい。