11話 怪塔王(11)
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さあたいへん! 怪塔ロケットと青江機とをつないでいた綱が、とうとう焼けきれたのです。
「あっ、綱が切れた!」
「ああっ、しまった!」
と、さけぶ小浜兵曹長と青江三空曹。
と、綱の端は怪塔から離れ、二人の軍人をぶらさげたまま、空中を大きくゆれて下へ。――
なんという恐しいことでしょう。
二人の軍人をぶらさげた長い綱は、まるで掛時計のふりこのように、ぶうんと反対の方へふりつけられます。
あっ、あぶない。
――と思う間もなく、飛行機は上に、綱は一たび垂直にさがりましたが、いきおいあまって、ひゅうっと綱がもちあがった。
「あっ、いたいいたい。腕が折れる!」
青江三空曹の悲痛なさけびです。
これはいけないと思った小浜兵曹長は、いそぎこれをたすけようと空中で自由にならない両脚をば、歯をくいしばって青江三空曹の方にむけて開き、彼の胴中をその両脚ではさんでやろうとしました。
「ああっ、いけない!」
と、青江が叫んだときには、もうすでにおそく、彼の両手は綱の上をすべっていきます。小浜兵曹長の両脚は、かいもなく、なんにもない虚空をはさみました。
その声が、青江の耳にはいったころには、青江の両手は、綱のはしからするりとぬけていました。
(あっ、青江が綱をはなした!)
小浜兵曹長の目の前は、急にくらくなった思です。
「青江、青江、青江!」
兵曹長は、のどもはりさけるような声で、こんかぎりに青江の名をよびつづけました。しかし青江は。――
もうこの先を書く勇気がありません。
がんばりやだった青江三空曹の最期!
墜落
1
あれほどがんばりやだった青江三空曹も、鬼神ではなかったので、力も根もつきはて、ついに尊い犠牲となりました。
「ざんねん、ざんねん」
と、部下の気の毒な運命を思って、小浜兵曹長の胸はつぶれる思です。
しかし彼は、ゆっくり涙を出しているひまもありません。なぜならば、綱にぶらさがっている彼も、やがて青江のような運命を迎えねばならぬことがよくわかっているからです。腕はぬけそう、体は風にもぎとられそうです。怪塔王のにくい顔が、こっちをのぞいて笑っているのが見えるようです。
「おのれ怪塔王、おれまで、ふりおとそうというのか。冗談いうな、おれは小浜兵曹長だ。だれが貴様をよろこばせるためにふりおとされてやるものか。なにくそ!」
帝国軍人がこんなことで二人ともふりおとされてどうするものか、わが海軍の名誉のためにも、死んでもこの綱ばかりは放さないぞと、兵曹長はいきばっています。
兵曹長がつりさがっている綱は、さかんにぴゅうんぴゅうんとふれています。飛行機は綱よりも上空にありますが、今は誰も操縦していませんから、ぐるぐるまわりながら、綱もろともしだいにおちていきます。
「うむ、誰がふりおとされるものか」
そのうちに綱のふれ方がゆるやかになりました。綱と飛行機がもろともに下におちだしたので、ふれ方がゆるくなったのです。兵曹長の腕は、すこし楽になりました。
しかしこうしていれば、飛行機も兵曹長も、だんだんスピードを増して下におち、やがては地上にはげしくぶつかるでしょう。
兵曹長も、前からそれに気がついていました。綱のゆるくなったのを幸いと、兵曹長は今だとばかり満身の力を腕にあつめて、綱をよじのぼりはじめました。
2
部下をうしなったかなしみと、はげしい風力とにたえながら、わが勇士小浜兵曹長は満身の力をこめ、えいえいと綱をのぼってゆきます。
幸いと、こういう綱のぼりは、艦上でうんときたえてある兵曹長です。彼はみるみる上にのぼっていきました。飛行機の腹が、もうすぐそこに見えます。
そのころまで水平をたもっていた飛行機は、急に翼をかたむけました。やがてまっさかさまになっておちるものと思われます。そうなると、墜落のスピードはたいへんはげしくなるでしょう。
(はやくのぼりきらないといかん!)
兵曹長は、いまはこれまでと、ありったけの力を出して、うんうんと綱をのぼっていきました。
うれしや、兵曹長の頭が、飛行機の腹にごつんとあたりました。
(しめた。もう一いきだ!)
小浜兵曹長の勇気は百倍しました。
飛行機の座席に、手がとどきました。
(さあ、ついに戻って来たぞ!)
こうなれば、兵曹長万歳です。彼はお得意の器械体操のやりかたで、
「えーい」
と、操縦席におどりこみました。そこは青江三空曹の乗っていた席です。
もちろん青江の姿は見えません。小浜兵曹長の胸に、また熱いものがぐっとこみあげて来ましたが、いまは生死のさかいです。それをふりはらうようにして、すばやく青江ののこしていったバンドで自分の腰をしばりつけました。
(さあ、これでいい。こんどは操縦だ)
兵曹長は、そのとき、機体が機首を下にして、きりもみになっておちているのに気がつきました。このままでは、地上にはげしくぶつかるばかりです。いそいで水平舵を力一ぱいひくと、うれしや、機首がぐっとあがりました。
もう大丈夫! 兵曹長は命をひろいました。
3
ひとり機上にかえった小浜航空兵曹長の胸の中は今は亡き青江三空曹のことで、はりさけるようです。
さっきまで、この機上に一しょにのっていたのでした。そして、たがいにはげましあいながら、怪塔ロケットを追いかけ、怪塔王とたたかって来たのでした。その勇しい戦友のすがたは、もはや機上に見られないのでありました。
「八つざきにしてもあきたりないあの怪塔王だ」
小浜航空兵曹長は、墜落していく愛機を、やっと水平にもどすことができると、目をあげて怪塔ロケットの姿を空中にさがしました。ところが、頭の上は雲ばかりで、もとめる怪塔ロケットの機影はどこにも見あたらないではありませんか。
「ちぇっ、うまく逃げられてしまったか。いや、青江のかたきをとらないうちは、どんなことがあっても逃しはせんぞ」
兵曹長は、飛行の邪魔になっている麻綱を、くるくると機内にひっぱりこみました。そして、勇敢にもぐっと上舵をとり、エンジンを全開にして、猛然と急上昇をはじめました。エンジンは幸いにも、たいへん調子がよろしいので、兵曹長は安心しました。
雲の中をぬいつつ、兵曹長の目は、あちらこちらにうごきました。雲が視界を邪魔していましたが、雲の切れ目に、もしや怪塔ロケットの姿が見えはしないだろうかと思ったのです。
しかし、敵の姿は、どこにも見あたりません。そのうえに、雲はいよいよ濃く渦をまいて来て、どこを飛んでいるのかわけがわからなくなりました。暴風雨のしらせさえ感じられます。
「ざんねんだなあ。こうしていては、雲にまかれてガソリンを損するばかりだ、しかたがない、雲の外に出よう」
雲の外に出ようといっても、いつの間にか、古綿のような密雲はすっかり小浜機をつつんでしまい、どこが雲の切れ目か見当がつきません。兵曹長の心は、はやるばかりです。
死力
1
せっかく急上昇したのに、密雲に邪魔をされ、ふたたび下降しなければならなくなった小浜機は、いまぐんぐんと雲を切って下っていきます。
「あっ、五千メートルだ。四千八百メートルだ。もっといそいで下りよう」
小浜兵曹長は、さらに水平舵をひいて機首を下げましたから、機は弾丸のように下におちていきます。
「三千九百、三千七百。――まだ雲が切れない。執念ぶかい雲だなあ、まるで怪塔王の親類みたいだ」
それでも雲は、なかなか切れません。
三千メートル、二千八百――
「これは変だなあ。そんな厚ぼったい雲があるだろうか」
兵曹長は、あまりに厚い雲に対して不平をいいながら、愛機を操縦して、なおもぐんぐん下りていきました。
あたりはますます暗くなる一方で、まるで壁の中にぬりこめられたような感じです。いつの間にか飛行服の上を、雨が滝のようにながれています。空中生活になれた兵曹長も、こんな目にあうのははじめてです。普通の人だったら、泣きだしたかもしれません。
兵曹長は操縦桿をにぎりしめたまま、なおもぐんぐん落ちていきました。
九百メートル、七百メートル――
雲はまだ、そこら中に漂っています。
そのうちに、彼は雲をとおして、はるかの下に、くろずんだものを見つけました。
「あっ、見えた。陸地か、海面か」
ごうっと落ちていく機体の前に、下からむくむくともりあがるように上って来たのは、白い波頭をふりたてて怒っている大海原でありました。まるでガラスの棒のような雨は、海面をめちゃくちゃに叩きつけています。
「これはたいへん。ものすごい荒天だ」
飛行機は、水の中を飛んでいるように見えます。視界ははなはだせまい。怪塔ロケットを追うどころではありません。
2
「ずいぶん海上生活もしたが、こんな荒天にあったのははじめてだ」
小浜兵曹長は、篠つく雨の中に愛機を操縦して、海上すれすれに飛びつづけます。
「はて、ここは一たいどこの海面かしら」
太平洋であることはわかっていますが、太平洋といってもたいへんひろいですからねえ、コンパスを見ても、方角はわかりますが、自分が今いる場所まではわかりかねます。こういうときには、無線ビーコンというものを受信すると、ちゃんと今いる場所がわかるのです。無線ビーコンは、無電灯台というところから、その灯台の名を無電で送っているものなのです。
小浜兵曹長は、うしろの座席にある受信機のスイッチをいれました。そして受話器を、耳にあててみました。
ところが、いつまでたっても、受話器からはなんの音もはいって来ません。
「これは変だなあ。スイッチはちゃんとはいっているのに、なぜ聞えないのだろう」
いろいろとやってみましたが、どうしても聞えません。ざんねんながら、受信機は故障になっていることがわかりました。
「さあ弱った。今どこを飛んでいるんだか、さっぱりわからなくなったぜ」
送信機の方はどうかと思いこの方にスイッチをいれてみましたが、やはり働きません。無電機械は、送受とも利かなくなってしまったのです。
そのうちにも、あたりは夜のようにくらくなり、視界は五十メートル先がもう見えないようになりました。あぶないあぶない。遭難する一歩手前のあぶなさです。
怪塔ロケットを追うどころか、こうして飛んでいることがあぶなくなりました。小浜兵曹長は、荒れくるう暴風雨を相手に、腕も折れよと操縦桿をにぎり、両足をふんばって、この危機をぬけようと必死の努力をしています。が、雨と風とにたたかれ、いまは海面に車輪がすれすれの低空飛行です。ああ!
3
たのみにおもう無電はきかず、愛機は雨と風とにたたきつけられ、ともすれば車輪がざざーっと怒濤に洗われます。一たびは空中にいのちをひろいながらも、ついに今ここに小浜兵曹長の運命もおわるかとおもわれました。
「敵陣に自爆するのなら帝国軍人の本懐であるが、あれ狂う海中につっこんで、死んで何になるのだ。よし、俺はどうしてもこの暴風雨と海とを征服してやるぞ」
兵曹長は、機上でこう叫びました。
飛行眼鏡もすっかり曇って、もう駄目です。翼はいくたびか波浪にばっさりと呑まれそうです。人力ではどうすることもできない自然力の猛威です。
それでもわが小浜兵曹長は、飛びつづけました。それは二時間半というながい時間の後でありました。どこをどう飛んだか、ちっとも油断のならない二時間半の飛行に、さすがの勇士も、気力も体力もくたくたになってしまいました。いよいよ翼を波にぱくりと呑まれる時がやってきた、と思いました。
「ざんねんだ。青江のかたきをとらないうちに死ぬなんて、じつにざんねんだ」
兵曹長は、歯をくいしばり、眼をしばたたいて、眼下の真白な波浪をにらみつけました。そのときです。彼は、ふと前方に、まっくろな鯨のようなものがよこたわっているのに気がつきました。
「あっ、あれは何だ。鯨か?」
眼をしきりにぱちぱちやって、この黒影を見ていた兵曹長の頬に、さっと血の色がわきました。
「あっ、あれゃ島だ! 島だ!」
島が見つかったのです。死の一歩前に、島影が見えるなんて、何という天佑でしょう。
小浜兵曹長の元気は百倍しました。
「何としても、あの島まで辿りつかなければ――」
それから先は、夢中でありました。どこをどう飛んだのか、気のついたときは、飛行機のエンジンはぴたりととまっていました。
4
小浜兵曹長は、夢のようにあたりを見まわしました。
嵐は、あいかわらずごうごうと吹きまくっていますが、飛行機の下にあるのは、例の波のたかい荒海ではなく、真白な砂浜でありました。飛行機は、片車輪を砂のなかにふかくつきこみ、斜にかしいでとまっているのでありました。
一体ここは、どこなのでしょう。
とにかく、すんでのことに飛行機もろとも怒濤にのまれ去るところでしたが、それだけは助ったようです。
たぶん小浜兵曹長は、嵐のなかに全身は綿のようにつかれ、目はかすみ、耳はがーんと鳴りつつも、あくまで軍人精神で、
(なに、これしきのことで、へたばってたまるものか!)
とみずから気をひきたて、無我夢中に着陸をしたものと思われます。
そこは砂浜とはいえ、やはり大地のことですから機体が砂丘のかげにどんとうちあたるなり、兵曹長はそのはげしい反動でもって、はっとわれにかえったらしいのです。
だが、危かった勇士の一命が助って、たいへん幸なことでありました。
小浜兵曹長は、雨にたたかれながら、座席のバンドをはずして立ちあがりました。
(一体、ここはどこだろう)
頭の中には、鳥がさえずっているように、ぴーんと高い音がしています。思うようにまわらぬ首を無理やりにうごかして、あたりをながめていた兵曹長の眼底に、変なかたちをした木がうつりました。
「ああ、あれは椰子の木に見えるが、こんなところにどうして椰子の木が生えているのかなあ」
兵曹長には、何が何だかわからなくなりました。
「うーむ――」
と一こえ叫んだまま、彼はそのまま崩れるように座席にへたばってしまいました。
椰子の木のある海辺は、どこだったでしょうか。
大利根博士邸
1
ここで話はすこし前にさかのぼります。
場所は、大利根博士の邸内です。
みなさんおなじみの塩田大尉と、それから元気のいい一彦少年とがしきりと、怪しい博士の室内をさがしまわっています。
二人とも、帆村探偵がわざわざ注意して来た言葉にしたがい、博士邸の謎を早く解かねばならぬとおもっています。
一体大利根博士と怪塔王との間には、どんな関係があるのでしょうか。そしてあの天馬空を行くような怪塔ロケットは、なぜあのようなおそろしい新科学兵器を持っているのでしょうか。そしてこれから何をしようと言うのでしょうか。この重大な秘密はいつになれば解けるのでしょうか。
われわれはいましばらくこのままに、塩田大尉や一彦少年や、それから今怪塔中におしこめられている帆村探偵や、それからまた例のふしぎな海辺に気をうしなっている勇士小浜兵曹長の活動を見まもることにいたしましょう。
「どうも私には、人の持っているものをさがすのは不得手だ。これはやはり帆村探偵の専門だよ」
と、艦隊の智慧ぶくろといわれる塩田大尉も、なれない室内さがしにややまいったようです。
「ねえ、塩田大尉、大利根博士は悪人なんでしょうか」
一彦少年は、戸棚の中に首をつっこんでいる大尉のうしろから、声をかけました。
この質問に、大尉はおどろいて、戸棚から顔をだしました。
「悪人? さあ、それが拙者にはどうもわからなくなったんだ。もともと博士は、じつに尊敬すべき学者だとおもっていたんだけれど、こうして家さがしをしているうちに、だんだん変な気持になって来る。そう言えば、いつか博士が軍艦に来られたときも、言葉づかいやたち居ふるまいが、どうも変だったね。変り者の博士とは言え、むかしはあれほどそわそわしていなかった」
2
塩田大尉と一彦少年との話は、この家の主人大利根博士の上にくらい影をなげかけたことになりました。
ずいぶん家さがしをしてやりましたが、どこをひっくりかえしても博士の熱心な研究材料が山とつまれているばかりで、別に怪しい手紙もありません。
また、なんだかわけのわからぬ機械などが、たくさん並んでいましたが、これもまた別に怪塔ロケットに備っているほどの大仕掛のものではありませんでした。
これで見ると、大利根博士は、やっぱり尊敬すべき熱心な科学者としかうけとれませんでした。
塩田大尉は、ついに室のまん中にある丸い腰掛に腰をおろし、戦帽をぬいで丸刈頭に風を入れました。
「ざんねんながら、なんにも怪しいものが見つからん。一彦君、君もそこへ掛けたまえ。そうだ、いいものがある。これは軍艦の中で売っている別製のキャラメルだ。これを食べると、疲れもなおるし、それからまた、すばらしい考がうかぶはずなんだ。さあたくさんお取り」
そう言って大尉は、青い函にはいった、キャラメルを、一彦にすすめました。
「はあ、ありがとう。ずいぶん重宝なキャラメルがあるんですね」
一彦も、大尉と並んで、同じ形の腰掛に腰をおろし、そのみどりいろのキャラメルを頬ばってみましたが、なるほどたいへんおいしく、そして口の中がすうっとしました。
「どうだ一彦君、海軍のキャラメルも、なかなかおいしいだろう」
「ええ、僕、大すきだな」
二人がうまそうにキャラメルをしゃぶっているうちに、この室には、すでに変なことが起っていました。二人が円い腰掛に腰をおろしたときに、それが始ったのですが、まずそれに気がついたのは、一彦です。
「あっ、塩田大尉、変ですね。この部屋はうごいていますよ」
3
「この部屋が、うごいているって。――なるほどこいつはたしかにうごているぞ」
塩田大尉はおどろいて、椅子から立ちあがり、一彦少年の顔を見ました。
一彦は、目をくるくるまわしていました。
「ああ、この部屋はずんずん下っていく――」
「うん、なるほど下っていく」
一彦少年は、このまえ怪塔の中に帆村と忍びこんでいたとき、やはり自分のいた部屋が、床ごと下へ下っていったときのあのおどろきを、またあたらしく思いだしました。それを大尉にはなしますと、大尉は剣をひきよせたまま、うんうんとうなずいてみせました。
部屋は一体どこまで下っていくのであろうと、二人はそればかり考えています。
ごとん。
かすかに床がゆれて、うごいていた部屋はぴたりととまりました。
「ああ、とまった」
「うむ、とまったね」
二人は、目を見あわせ、ほっと溜息をつきました。なんという思いがけないからくりが仕掛けてあったことでしょう。
「こんなエレベーターみたいな仕掛が、はやっているのでしょうかねえ」
少年は、ふしぎでたまりません。
「さあ、どうだか、それは――」
とまごついた大尉は、そのときになに思ったものか息をのみ、
「おう、あんなものがうごきだした。一彦君、君のうしろの、機械戸棚がうごいているよ」
「えっ」
一彦がふりかえってみると、おどろきました。顕微鏡や気圧計などいろいろの理化学機械のはいった戸棚が、しずかに横にすべりつつ、壁の中にはいっていくのでした。
二人は息をころして、ひとりでにうごいていく戸棚を見つめていました。
戸棚のうごいていった後には、意外にも、一つの扉があらわれました。地下室の怪!
4
大利根博士邸の実験室が、塩田大尉と一彦少年とをのせて、まるでエレベーターがさがるように、すうっと下におちていったのさえふしぎでありますのに、そのおちきったところで、実験機械をいれてある戸棚が、するすると横にすべって壁の中にかくれたのは、またふしぎです。そして、戸棚のうしろには、どこへ通じているのか、おもいもよらない扉があらわれました、いよいよもってふしぎであります。
「おお扉だ。これは大利根博士の秘密室の入口なんだろう。一彦君、この中になにがあるかしらないが、かまうことはない。行けるところまで、どんどんはいって行こうじゃないか」
塩田大尉は、一彦をふりかえって、はげましました。
「ええ、僕も突撃しますよ。もうなにが出てきたっておどろくものですか」
「よろしい、その元気、その元気」
塩田大尉は、体に似あわず元気な少年をたのもしくおもいました。
「ところで、この扉だが、どうすればあくのだろう」
と、塩田大尉が、扉のところへ近づきました。
「おやおや、鍵穴もなんにもありませんね」
と、一彦も、ともに顔を扉に近づけながらいいました。
ふしぎにも、その扉には、鍵穴もなんにもありません。
「はて、押しボタンでもあるのじゃないかなあ」
「さあ、ちょっと手で押してみましょうか」
一彦が、扉を押すために、手をちょっと扉にふれますと、扉はまるで弾かれたように、するすると上にあがってしまいました。
「おやっ、手をふれただけで、あいたよ。ははあ、すぐこの奥にとびこめるようになっているんだね」
さて、あいた扉の向こうには?
5
ぱっくりと開いた怪しの扉のうちは、なにがあるのか真暗でありました。
「一体、この中には、なにがあるのだろう」
塩田大尉と一彦とは、しばらく中をじっとみつめていましたが、なにしろ真暗で、なにも見えません。人のいるけはいでもと思って、耳をすましてじっと聞いていましたが、なんの音もしません。
「塩田大尉、とびこんでみましょうか」
一彦は元気にいいました。
「うん、ちょっと待ちたまえ。ためしてみるから。――」
塩田大尉は、ピストルを取出すと、室内の天井めがけて、ずどんと一発放ちました。
かあんという、固いものにぶつかる高い音が、銃声のあいだにきこえました。しかし、その銃声におどろいて、鼠一匹飛出してくる様子がありません。
「もう大丈夫だ。進め!」
塩田大尉は、まっさきに室内にとびこみました。つづいて一彦が。――
すると、ふしぎなことが起りました。二人が室内にとびこむと同時に、どういう仕掛があるのか、室内にはぱっと明かるく電灯がつきました。
「うむ、なにからなにまで、最新式に作ってある」
塩田大尉は、感心しました。
「なぜ、こんな秘密室がこしらえてあるのでしょうかねえ」
「さあ、どういうわけだろうね。帆村探偵がいればすぐわかるだろうに」
といって、塩田大尉は、室内をみまわしました。ここはがらんとした室で、なんにもおいてありません。
「なんにも物がおいてないというのは、へんだね」
「へんですね。秘密室の中を、わざわざ空部屋にしておくなんて、へんですね」
一彦は、少年探偵きどりでいいました。
血痕の行方
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