此の騷擾があつてから間も無く、政府は遂に人間卵生の注射を嚴禁して注射藥の在庫品を悉く沒收すると同時に、海下博士の論文を燒却して再び之を稿下することを止めてしまつた。所が、その方法は早くから專賣特許になつて居て、他の誰もが知らなかつた關係から、此の禁止令は極めて確實な效果をあげることが出來たのであつた。
『そこで母親が一生懸命になつて、愛兒の卵を孵化さす爲に温めて居ると、一寸用事に立つた隔を覗つて、いたづら小僧が鷄の卵と取替へて置いた爲に、幾日かかゝつて漸くかへつたのを見ると、愛兒ではない鷄なので、扨ては畸形兒を生んだのかと、悲觀の極、精神に異常を呈した悲喜劇もなくなつてしまひ、又産科病院の不注意から同じ日に生れた貴族と平民との子供の卵が入れかはつた爲に、引續いて起つたお家騷動的の財産爭ひや、容貌が丸で父親に似て居ないと云ふので、惹起された離婚のローマンス等も、それ以來悉くその影を收めてしまふ事になつた。さうしてそれから未だ漸く○十年より經たない所の今日に於て、諸君がこの顯著で、且つ劃時代的である大發見の事實を、少しも知らないといふ、他には殆ど有り得べからざる奇現象が、起つたのであります。之が單に醫學史といふ一般の人々の注意をしないばかりでなく、その存在の有無をさへ知られて居ない、特殊な學科の專攻者たる、私の如き學究のみに知られて居るといふ珍らしい結果を生じたのであります。』
司會者の挨拶があつて、會は終つた。
『僕ももう○十年早く生れゝば、うんと人間の卵が食べられたのだなあ。』
『鷄卵よりも少しうまいつて話だつたが、一つ食つて見たいな。』
と、食ひ意地の張つた談話に耽りながら、歸路を急ぐ無邪氣さうな中學生もあれば、
『妾、もう○十年早く生れたかつたわ。此の頃みたいにコセ/\した時代つちやありやしない――つて思はない。』
『いゝわねえ、とても。第一、卵で生れるなんて詩的だと思ふわ。』
『詩的よりか、妾、卵で今のお話の樣に婦人が生む苦しみから解放されるといゝと思ふわ。姙娠した醜いスタイルを考へると、折角の結婚も呪ひたくなつてよ。』
と、年よりもませた事を云ひ合つて居る、モダン・ガールの一群もあつた。
かと思ふと、又唯一人で何か考へながら、氣味の惡い微笑を浮べて、心持ち前こゞみになつて歸つて行く壯年者もある。
一九九九年の初夏の日は、未だ高い所に在つて、『急いで歩けば暑いぞ』と威嚇して、皆に無駄話をさせる樣に仕向けるかの如く、カン/\と力強く輝いて居た。