人間の卵

6話 六

1,037字 約2分 2025年6月14日 公開

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 此(こ)の騷擾(さうぜう)があつてから間(ま)も無(な)く、政府(せいふ)は遂(つひ)に人間卵生(にんげんらんせい)の注射(ちうしや)を嚴禁(げんきん)して注射藥(ちうしややく)の在庫品(ざいこひん)を悉(こと/″\)く沒收(ぼつしう)すると同時(どうじ)に、海下博士(うみしたはかせ)の論文(ろんぶん)を燒却(せうきやく)して再(ふたゝ)び之(これ)を稿下(かうか)することを止(や)めてしまつた。所(ところ)が、その方法(はうはふ)は早(はや)くから專賣特許(せんばいとくきよ)になつて居(ゐ)て、他(た)の誰(たれ)もが知(し)らなかつた關係(くわんけい)から、此(こ)の禁止令(きんしれい)は極(きは)めて確實(かくじつ)な效果(かうくわ)をあげることが出來(でき)たのであつた。

『そこで母親(はゝおや)が一生懸命(しやうけんめい)になつて、愛兒(あいじ)の卵(たまご)を孵化(ふくわ)さす爲(ため)に温(あたゝ)めて居(ゐ)ると、一寸(ちよつと)用事(ようじ)に立(た)つた隔(すき)を覗(うかゞ)つて、いたづら小僧(こぞう)が鷄(とり)の卵(たまご)と取替(とりか)へて置(お)いた爲(ため)に、幾日(いくにち)かかゝつて漸(やうや)くかへつたのを見(み)ると、愛兒(あいじ)ではない鷄(にはとり)なので、扨(さ)ては畸形兒(きけいじ)を生(う)んだのかと、悲觀(ひくわん)の極(きよく)、精神(せいしん)に異常(いじやう)を呈(てい)した悲喜劇(ひきげき)もなくなつてしまひ、又(また)産科病院(さんくわびやうゐん)の不注意(ふちうい)から同(おな)じ日(ひ)に生(うま)れた貴族(きぞく)と平民(へいみん)との子供(こども)の卵(たまご)が入(い)れかはつた爲(ため)に、引續(ひきつゞ)いて起(おこ)つたお家騷動的(いへさうどうてき)の財産爭(ざいさんあらそ)ひや、容貌(ようばう)が丸(まる)で父親(ちゝおや)に似(に)て居(ゐ)ないと云(い)ふので、惹起(ひきおこ)された離婚(りこん)のローマンス等(とう)も、それ以來(いらい)悉(こと/″\)くその影(かげ)を收(をさ)めてしまふ事(こと)になつた。さうしてそれから未(いま)だ漸(やうや)く○十年(ねん)より經(た)たない所(ところ)の今日(こんにち)に於(おい)て、諸君(しよくん)がこの顯著(けんちよ)で、且(か)つ劃時代的(くわくじだいてき)である大發見(だいはつけん)の事實(じじつ)を、少(すこ)しも知(し)らないといふ、他(ほか)には殆(ほとん)ど有(あ)り得(う)べからざる奇現象(きげんしやう)が、起(おこ)つたのであります。之(これ)が單(たん)に醫學史(いがくし)といふ一般(ぱん)の人々(ひと/″\)の注意(ちうい)をしないばかりでなく、その存在(そんざい)の有無(うむ)をさへ知(し)られて居(ゐ)ない、特殊(とくしゆ)な學科(がくくわ)の專攻者(せんこうしや)たる、私(わたし)の如(ごと)き學究(がくきう)のみに知(し)られて居(ゐ)るといふ珍(めづ)らしい結果(けつくわ)を生(しやう)じたのであります。』

 司會者(しくわいしや)の挨拶(あいさつ)があつて、會(くわい)は終(をは)つた。

『僕(ぼく)ももう○十年(ねん)早(はや)く生(うま)れゝば、うんと人間(にんげん)の卵(たまご)が食(た)べられたのだなあ。』

『鷄卵(けいらん)よりも少(すこ)しうまいつて話(はなし)だつたが、一つ食(く)つて見(み)たいな。』

 と、食(く)ひ意地(いぢ)の張(は)つた談話(だんわ)に耽(ふけ)りながら、歸路(きろ)を急(いそ)ぐ無邪氣(むじやき)さうな中學生(ちうがくせい)もあれば、

『妾(わたし)、もう○十年(ねん)早(はや)く生(うま)れたかつたわ。此(こ)の頃(ごろ)みたいにコセ/\した時代(じだい)つちやありやしない――つて思(おも)はない。』

『いゝわねえ、とても。第(だい)一、卵(たまご)で生(うま)れるなんて詩的(してき)だと思ふわ。』

『詩的(してき)よりか、妾(わたし)、卵(たまご)で今(いま)のお話(はなし)の樣(やう)に婦人(ふじん)が生(う)む苦(くる)しみから解放(かいはう)されるといゝと思(おも)ふわ。姙娠(にんしん)した醜(みにく)いスタイルを考(かんが)へると、折角(せつかく)の結婚(けつこん)も呪(のろ)ひたくなつてよ。』

 と、年(とし)よりもませた事(こと)を云(い)ひ合(あ)つて居(ゐ)る、モダン・ガールの一群(ぐん)もあつた。

 かと思ふと、又(また)唯一人(たゞひとり)で何(なに)か考(かんが)へながら、氣味(きみ)の惡(わる)い微笑(びせう)を浮(うか)べて、心持(こゝろも)ち前(まへ)こゞみになつて歸(かへ)つて行(ゆ)く壯年者(さうねんしや)もある。

 一九九九年(ねん)の初夏(しよか)の日(ひ)は、未(ま)だ高(たか)い所(ところ)に在(あ)つて、『急(いそ)いで歩(ある)けば暑(あつ)いぞ』と威嚇(ゐかく)して、皆(みな)に無駄話(むだばなし)をさせる樣(やう)に仕向(しむ)けるかの如(ごと)く、カン/\と力強(ちからづよ)く輝(かゞや)いて居(ゐ)た。

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