2話 二
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主税介は背丈が五尺九寸、筋肉質の、ひき緊ったみごとな躯である。手足にも胸にも逞しく毛が生えているし、髭もずいぶん濃い。一日でも剃刀を当てないと、両頬の上のほうまで黒くなるのであった。
千世は良人から眼をはなすことができなかった。洗面をし、剃刀を使うあいだ、側に付ききりで良人を見ていた。
――これがあたしの良人だ。
千世は心の中でそう繰り返した。あたしはこの人の妻だ、この人はあたしの良人だ、あたし一人の良人だ、あたしだけの、……彼女はむきになってそう繰り返した。もちろんそれが全部ではない、籠崎大洲のことが絶えず頭にあった。また迎えが来はしないかと恐れ、物音のするたびにぎくりとした。決闘がどうなっているかはもっと気懸りで、また、良人をそこへやらなかったことに安堵しながら、同時にそれが悪いことでもしたような心の咎めを感じた。これらの不安定な苛立たしい思いのなかで、彼女は激しく主税介にひきつけられ、いきなりふるいつきたいという、官能的な衝動を抑えるのに苦しんでいた。
主税介は黙って剃刀を使った。それからまた顔を洗い、着替えをして食膳に向った。
彼は口数の少ない男であった。千世と結婚してから幾らか変ったが、それでも口数は少ないほうであった。千世はそういう彼が好きであった。彼は自分に対して厳しく、精神的にも肉躰的にも、常に洗いあげたように清直で凛としていた。千世は彼の凛としているのが好きであった。彼が背骨をまっすぐにして、折目正しく動作をし、必要なこと以外には口を出さず、感情にむらもなく、いつも彼らしい彼でいるのが好きであった。
千世は彼に恋をして結婚した。
五大家は馬廻りの二百二十石。実家の江木は百九十石で、兄の重三郎は納戸役を勤めていた。重三郎は彼より四歳年長であるが、学問所で知りあってから親しくなり、ひところは互いに招いたり招かれたりしたものであった。
――五大は人物だ、あの若さで立派に風格をそなえている、ああいうのを古武士の風格というのだ。
重三郎がそう云うのを、千世は幾たびとなく聞いた。そしてそのたびに自分が褒められているような嬉しさと、彼への思慕が深く強くなるのを感じた。その想いが恋であることに気づいたのは十五の年で、千世はそれを勇敢に兄へ告白した。――そのとき主税介は城下にいなかった。彼は刀法を修業するために、日向の国の高鍋という処へいっていた。そこに隈江流という珍しい流儀があり、古法だというのを聞いてでかけたのであった。
千世の告白を聞いた重三郎は、笑いながら「そんなことはお母さまか志津に話すものだ」と云った。兄には志津という妻がい、もう二歳になる幾三郎という子もあった。だが千世は母にも嫂にも話す気にはなれなかった。兄ならわかってくれるし、味方になってくれると思った。
――だがそれは考えものだな。
千世が本気だとわかると、重三郎もまじめになって云った。
――おまえの性分は五大とは合わない、結婚しても幸福にはなれないと思う。
――わたくしの望みは幸福ではなく、あの方の妻になることですわ。
千世はこう答えた。
よくも云えたものだ、と、いま彼女は思う。若さと負け嫌いと、そうして相手が兄だったから云えたのだろう、あのとき自分は勝ったのだ。いま彼女は心の中でそう呟きながら、良人の横顔をうっとりと見まもるのであった。
主税介は茶を喫して立つと、居間へいって茣蓙をひろげた。それを慥かめてから、千世も朝食の膳に坐った。しかし、召使のお琴の給仕で箸をとると、胸が重苦しくなり、吐きけがこみあげてくるようで、どうにも喰べ物が喉をとおらなかった。
――もう時刻は過ぎている、二度めの迎えが来るならとっくに来ている筈だ、もう大丈夫だ。
こう自分に云い聞かせたりしたが、ついに諦めて膳を片づけさせた。
主税介は横笛を作っていた。それが彼の唯一つの道楽であった。自分で竹を捜すことから始め、仕上げまですべて自分でやる。竹を捜して歩くのも楽しいらしい、枝付きのものや、桜皮で巻いたものや、生地のままのや、塗ったものなど、すでに十二管ほど作ったという。そのうち五管は人に懇望されて遣り、家にはいま七管だけ残っていた。
彼はいま歌口を刳りながら、頭の中ではべつのことを考えていた。十日のちに猪狩りが行われるが、これは七年ぶりのことで、全藩を挙げての大掛りな計画であった。というのが、藩の財政逼迫で、長いあいだ藩士の禄米が借上げになっていた。そのため狩りの行事なども延期されて来たのであるが、去年(寛保三年)十一月、藩主の監物忠辰が帰国したとき、この借上げを解除し、全藩士の禄米を旧に復したうえ、倹約と尚武の訓令を出した。――こんどの猪狩りはその「倹約」と「尚武」の主旨で行われるもので、実戦そのままの規模と内容をもっていた。
主税介にはその当日が気懸りであった。
彼は馬廻りで抜刀隊の指揮を命ぜられ、すでに下演習を終っていたが、下演習の期間ちゅう、馬廻りの内部に険悪な空気があり、それが猪狩りの日に暴発する恐れのあるのを感じた。――問題は徒士組との長い確執で、これまでにもしばしば小さい衝突があった。事の起こりは古く、その原因も(いろいろ説はあるが)いまでは正確にはわかっていない。いってみれば漠然とした、だが根深く強い反感である。原因がはっきりしていれば解決の法もあるが、まるで性格の違いからどうしても融和しない個人関係というに似たこの確執は始末に困るものであった。
――こんなに長いあいだ一般の評判になっているのだから、却って大きな衝突は起こらないだろう。
そう云う人たちもあったが、現に七年ぶりで「猪狩り」が行われると発表され、その下演習が始まるとともに、狩場で、狩場で、――という囁きがしきりと耳に入った。それには一つの動機があった。去年の十月はじめ、馬廻りの羽形与茂八と、徒士組の荒木織馬とが喧嘩をして、与茂八がしたたかにやられた。当時、岡崎には藩の道場のほかに、通次多仲という者が一刀流を教えていて、徒士組の者は多くその門に学んでいたが、荒木は同門でも指折りの達者であった。馬廻りには「精明館」の門人が多いので、しぜん両者が対立するようなかたちになり、そのときもひと騒動起こりそうになった。
――狩場で、狩場で。
こういう囁きは、与茂八の件を動機として、長いあいだくすぶっていたものが、堰を切るところまで来たといえるのである。主税介は下演習の終った日に、最も尖鋭な者たちを集めて戒告した。
――御狩場は戦場と同様である、殿の御馬前で私怨の争いなど起こせば軍律干犯になる、どんなに堪忍ならぬことがあっても、御狩場では断じて事を起こしてはならない。
かれらは了承した。主税介は誓いを求め、かれらはそれを誓った。