ユタの歴史的研究

3話 ユタの歴史的研究(3)

2,768字 約6分 2014年5月6日 公開

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政府の命令ありて、我が国をして支那への進貢を絶たしむ。之を御断りする使者三司官池城親方、東京に在て三四嘆願すれども政府聴されず。国王謂へらく人力既に尽したり、此上は神力に憑らねばならぬとの御意気込みにて鬼神を崇神し玉ふこと時に厚し。時に系図座保存の旧記数十巻を御取寄せ謄写を命ぜらる。此書は国中御社の由来事実を記したるものなり。予命を奉じ別室に於て謄写す。左右人なく王予に謂て是好き書なるかな喜舎場よ、との玉ふ。予対へて唯と言ふ。既にして予貌を正し謹て奏しけるは、国家の興廃存亡は君臣御心を協せ能く御政事を御勤むるにあり、鬼神の関する所にあらずと。王の玉ふ、汝何の所見ありて爾か云、其説を聞かんと。予対へて言ふ、古へに其証拠があります、昔春秋の時国君臣鬼神を崇信すること最も厚し、国家の政事決を鬼神にとらずと云ふことなし、鬼神も亦是に因て威光を増し霊応を顕はし能く人の如く言語を為して応対す、周の天子之を聞き、奇異なりとて臣某を遣はして視せしむ、王の使臣に到る、君臣喜び迎へて鬼神の所に延て之を視せしむ、其君臣国家の政務を悉く鬼神に告ぐ、鬼神果して言語応対すること人の如し、王の使臣帰りて復命すること実の如し、且つ言ふ、国は夫れ亡びん乎、国家の政務は君臣協心戮力するにあり、国は君臣上下怠慢して専ら鬼神に任す、豈亡びざるを得ん乎と、其後果して亡びたりとぞ申上ける。王黙然として何んともの玉はざりき。併し鬼神の御崇信は旧の如く替はり玉はず。

 喜舎場(きしゃば)翁の話によると、当時、王は非常に神事に熱中しておられてしばしば城中の首里森という所で国中の鬼神を祭られたとのことであります。尚泰(しょうたい)王は琉球国王の中でも名君の部類に這入るべきほどの人でありましたが、この智者にしてなおかつこうであります。世に宗教のあるのは事実であります。宗教のない国民といってはないはずであります。宗教は人類の生活を統一するに必要なるものであります。しかしながら、世には宗教の必要を認めない人もたくさんあります。経済の必要、政治の必要、学術の必要を認めないものはないが宗教となるとその必要を認める者はいたって少ないようであります。これらの人々は宗教は愚民を導くに有用である、婦女子と子供とを教えるに便利である、しかし智者には必要はないと申します。ところが人類はすべてその心の深きところにおいて神仏を慕いつつある者である。ある人はただ我慢してこの切なる要求を外に発せざるまでであります。今度那覇の火災によって暴露されたところの沖縄婦人の迷信は、やがて人間に宗教心の存在することを証明するものであります。私どもは「存在の理由」を軽々しく()てはなりません。子供を()っていない婦人が人形を(もてあそ)ぶことがありますが、たとえて言えば、子供を愛する心は信仰で人形を愛する心は迷信であります。ただ人形を()てろ迷信を棄てろと叫ぶのは残酷であります。私どもは人形や迷信に代るべき子供と信仰とを与えなければなりません。

 私は迷信の打破には科学思想を鼓吹(こすい)するのが何よりも急務だと思っていますが、これと同時に宗教思想を伝播させるのも急務だろうと思います。この辺のところは特に女子教育の任に当ておられる教育家諸君に十二分に研究して貰いたいのであります。馬に跨って活動したところの琉球婦人の子孫を教育して近代的の活動をさせることは、最も愉快なる事業であると思います。昔時、向象賢や蔡温を悩ましたところの沖縄婦人は、他日、女子問題をひっさげて有髯(ゆうぜん)男子をして顔色なからしむるような活動をやるかもしれませぬ。沖縄の女子教育は沖縄の発展と大関係のあるものであるから、この方面には常に多大な注意を払って貰いたいのであります。つい横道に這入りましたが、私はユタの歴史上における位地を御話したのみで彼等の心理学上の研究については一言も御話いたしませんでしたが、これは他日その道の人に研究して貰うことにいたしまして、私は欧米諸国にもこれに似た現象があることを紹介しようと思います。

 欧米諸国においては近来、読心術であるとか透視すなわち千里眼とか降神術とか幽霊研究とかいうような唯物観的な従来の思想では迷想なりとせられ、または打ち棄て顧みられなかった精神現象の新しい研究がようやく盛んになって来て、ひとり一般の民衆のみならず科学者や哲学者などもこの方面の研究に力を尽すようになったのであります。たとえば民族心理学者のルボンのごとき、イタリアの有名な法医学者故ロンブロゾーのごとき、仏国の天文学者フランマリオンのごとき、英国の物理学者ロッジや化学者クルークスのごとき自然科学の大家さえ心霊に心を傾けるようになりました。いわんやかかる問題の研究を目的とする心理学者や哲学者に至ってはなおさらであります。この心霊研究という現象は一般にはまだ承認されておらないが、とにかくその盛んとなった事実は民心の傾向が那辺(なへん)に向っているかを示すものであります。それからこの現象と似通っている今一つの事実は、科学の宗教および哲学に接近したことであります。一方では宗教的思想や哲学がその研究態度においても組み方においてもはたまた出発点に関しても科学的となったことで、他方では自然科学者が哲学の研究に進み入るものの多いことであります。仏国の数学者ポアンカレーのごときも自然科学の立脚地に立って形而上学に接近して来たとのことであります。また近頃人気者なる仏のベルグソンのごときも初め数学を学び次に病理学を修めた者であるが、その哲学的傾向と新思想の潮流とは彼をして思いを人生観や世界観の問題に潜めしめ、とうとう唯心論に到達せしめたのであります。その他、科学から出でて哲学や宗教に入った大家は少くないのであります。科学といえども最終の仮定を要すること、すなわち物質とかエネルギーとかの憶説の上に成立することを知るに及んで、精神と物質との現象の最終的説明のためには物心二元の根柢を形而上の何物かに求むるか認識の根柢に求むるかの必要を認めしめ、また物と心との原造者として超絶的のもの、すなわち神またはこれに似たある者を最終仮定としなければならぬという思想に到らしめたのは当然の経路であります。これ皆、物質万能主義の反動として起った新たなる霊の自覚であります。この霊の自覚が欧米思想界における最近の要求であります。以上は樋口竜峡氏がその近著近代思想の解剖』の「新思想の曙光」の条において説くところの大略であります。私は近来本県においてもこの霊の自覚が始まっているように思います。那覇の大火後は特にそういう感じがします。これじつに教育家や宗教家の見逃がしてはならない現象であります。終りに私は、この支離滅裂なる変な演説を長い間辛棒して御聴き下さったことを感謝いたします。

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