妖虫

18話 燃える迷路

1,724字 約3分 2021年10月21日 公開

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 アッと思う間に、短劒が一閃して、老探偵の腰のあたりを、したたかに撃った。三笠龍介氏は痛手に耐え兼ね、賊に擬していたピストルを取落し、うめき声を立てて、その場に倒れる。

 二人の賊は、得たりとばかり、警官の手を振りもぎって、いきなり、たった一つの電燈を叩き割ってしまった。広い竹藪の迷路は、文目(あやめ)も分かぬ闇となった。

 守青年と四人の警官とは、懐中電燈の光をたよりに、竹藪の中を走り廻って賊を追ったが、昼間さえ人を迷わす八幡の藪知らずだ。それを、この闇の中、慌てる程方角を失って、捕えて見れば味方同志の鉢合(はちあわ)せであったりして、どこへもぐり込んでしまったのか、賊は容易に逮捕出来なかった。

 それに、一番いけなかったのは、三笠探偵がなぜ倒れたのか、その原因を誰も知らないことであった。突然うめき声を聞いた。探偵の倒れる姿を見た。かと思うと、もう電燈が叩き割られて、忽ち真の闇であった。何を考える(ひま)もなかった。この不意の下手人(げしゅにん)が張子の岩だなどとどうして気が附くものか。

 誰しも賊に援兵が現われたものと思った。相手はどうせ飛道具を揃えているに違いない。味方は守青年のピストルがただ一挺だ。何よりも生命の危険が警官達を(おびや)かした。その中で、老探偵の介抱(かいほう)はしなければならず、闇の迷路に逃げ込んだ賊を追わなければならなかったのだ。彼等が戸惑ったのも決して無理ではない。

 併し、それだけならば、まだよかった。やがてもう一つ、非常な妨害が起ったのだ。

 重なり合った闇の竹藪を通して、まるで怪談の人魂(ひとだま)のように、チロチロと揺ぐ光り物が見えた。賊の照らす懐中電燈かしら。それにしてはいやに赤茶けた陰気な色だがと思っていると、あちらにも、こちらにも、チロチロチロチロと、異様な光り物は、見る見るその数を増して行った。

 火の玉程の赤いものが、ユラユラと限りもなく、闇の中を拡がって行く。そして、パチパチと竹のはぜる音。火だ。迷路の藪が燃えているのだ。

 逃げ出した殺人鬼共が、手早くも竹藪に火をつけて、この見世物小屋を焼き払おうと企てたのだ。罪跡をくらます為か、逃亡を容易にする為か、迷路の中の探偵や警官達を苦しめる為か。無論そういう事も含まれていたであろうが、彼等の真の目的はもっと別の所にあった。あくまで執念深い妖虫は、餌食の珠子を、彼女の無残な殺害を、このまま思い切ることが出来なかったのだ。火事の騒ぎに(じょう)じて、彼女を奪い返そうと企てたのだ。

 枯れ切った竹藪は、パチパチと威勢のいい爆竹の音を立てて、忽ち燃え拡がって行った。闇は見る見る追いのけられて、不気味な(くれない)一色(ひといろ)に染め替えられて行った。渦巻く(ほのお)は、数知れぬ巨獣の赤い舌であった。それが今や、幾重(いくえ)の竹藪を()め尽して、恐ろしい速度で、こなたへこなたへと迫って来る。

 もう賊の逮捕などに未練を残している場合でない。先ず我身の安全を計らねばならぬ。追い縋る焔と駈けっこで迷路を抜け出さねばならぬ。

「三笠さんを、頼みましたよ」

 守青年は警官達に大声にわめいて置いて、自分は、失神からさめたばかりで、まだグッタリしている妹の珠子を抱き起すと、いきなり肩に担いで走り出した。

 火のない方へ、火のない方へと、竹藪の幾曲りを、もどかしく、走り続けた。行手に敵が待伏せしていようなどとは、思い(めぐ)らす余裕もなく。

 ハッとすると、何かしら柔かい物が彼の足を(すく)った。不意をうたれて、みじめにぶっ倒れた。冷い土が鼻面に、口の中に。

 痛さに暫くは身動きも出来ないでいると、背中に負ぶさっていた珠子の身体が、スーッと宙に浮いて、その代りに、チクチクと肌を刺す竹藪の一(かたま)りが、彼の上にドッと倒れかかって来た。

 咄嗟に珠子を奪われたことを気附いたが、もがけばもがく程、覆いかぶさった竹藪がこんがらがって、加勢を求めようにも、その辺に味方の影もなく、兎角(とかく)する間に、珠子を奪い取った賊は、遙かの闇に逃げ去ってしまった。

 やっとの思いで、彼が竹藪の下から這い出した時には、珠子は勿論、賊の姿も見えず、味方もどこへ行ったのか、三笠探偵の安否さえ分らぬままに、目を圧して迫って来るのは、ただ紅蓮(ぐれん)の焔であった。殺人鬼の執念を象徴するかの如き、数知れぬ大蛇の真赤な舌であった。

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