二葉亭余談

8話 八 対島沖の大海戦の二日後

921字 約2分 2011年7月20日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 最も元気だったのは日露戦争中であった。大阪朝日の待遇には余り平らかでなかったが、東京の編輯局には毎日あるいは隔日に出掛けて、海外電報や戦地の通信を瞬時も早く読むのを(たのし)みとしていた。

「砲声聞ゆ」という電報が朝の新聞に見え、いよいよ海戦が初まったとか、あるいはこれから初まるとかいう風説が世間を騒がした日の正午少し過ぎ、飄然(ひょっこり)やって来て、玄関から大きな声で、

「とうとうやったよ!」と(どな)った。

「やったか?」と私も奥から飛んで出で、「結果は?」

「マダ十分解らんが、勝利は確実だ。五隻か六隻は沈めたろう。電報は来ているが、海軍省が伏せてるから号外を出せないんだ、」とさも大本営か海軍省の幕僚(ばくりょう)でもあるような得意な顔をして、「昨夜(ゆうべ)はマンジリともしなかった。今朝(けさ)も早くから飛出して今まで社に詰めていた。結局はマダ解らんが、電報が来る度毎(たんび)に勝利の獲物が次第に()えるから愉快で(たま)らん。社では小使給仕までが有頂天(うちょうてん)だ。号外が最う刷れてるんだが、海軍省が沈黙しているから出す事が出来んで()り焦りしている。尤も今日は多分夕方までには発表するだろうと思うが、近所まで用達しに来たから内々(ないない)(そっ)()らしに来た。」

と、いつも沈着(おちつ)いてる男が、跡から跡からと籠上(こみあげ)る嬉しさを包み切れないように満面を莞爾々々(にこにこ)さして、「何十年来の溜飲(りゅういん)が一時に(さが)った。赤錆(あかさび)だらけの牡蠣殻(かきがら)だらけのボロ船が少しも恐ろしい事アないが、それでも逃がして浦塩(ウラジオ)へ追い込めると士気に関係する。これで先ず一段落が着いた。詳報は解らんが、何でもよっぽど旨く行ったらしい……」とちょっと考えて「事に由るとロスの奴、滅茶々々(めちゃめちゃ)かも解らん。今日の電報が(たのし)みだ。」

といいつつソソクサして、「こうしちゃおられん。これから()た社へ行く、」と茶も飲まないで直ぐ飛出し、「大勝利だ、今度こそロスの息の根を留めた、下戸(げこ)もシャンパンを祝うべしだネ!」と周章(あたふ)た格子を()けて、待たせて置いた車に飛乗りざま、「急げ、急げ!」

 こんな周章(あわ)ただしい忙がしい面会は前後に二度となかった。「ロスの奴滅茶々々かも解らん」とあたかも軍令部長か参謀総長でもあるかのようなプライドが満面に(みなぎ)っていた。恐らくこの歓喜を一人で(あじわ)ってられないで、周章てて飛んで来たのであろう。

目次に戻る

目次