照葉狂言

14話 狂言 三

1,292字 約3分 2013年7月25日 公開

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「あら。」

 国麿の手は(ゆる)みぬ。われは摺抜(すりぬ)けて(かたえ)に寄りぬ。

「いやです、いやです、あなたはいやです。」

 緋鹿子の片隅に手を添えて、小親われを(かぼ)うて立ちぬ。国麿は目を怒らしたり。その帯は紫なり、その襯衣(しゃつ)(くれない)なり。緋鹿子の座蒲団は、われと小親片手ずつ掛けて、右左に立護(たちまも)りぬ。小親この時は楽屋着の(すそ)長く緋縮緬(ひぢりめん)の下着踏みしだきて、胸高に水色の扱帯(しごき)まといたり。髪をばいま引束ねつ。優しき目の(うち)(りん)として、

「もし、旦那様、あの、乞食の蒲団は、いやです、私が貴方(あなた)にゃ敷かせないの。私の蒲団です。渡すことはなりません。」

 と声いとすずしくいい放てり。

「よく敷かせないで下さいました。お前さん、どこも何ともないかい。(ひど)いよ、乱暴ッちゃあない。よくねえ、よく(かば)って下すッたのね。楽屋で(みんな)がせりあって、ようよう私が、あの私のを上げたんですもの。他人(ひと)に敷かれて(たま)るものかね、お帰りよ、お帰り遊ばせよ。あなた!」

「何でえ、乞食の癖に、失敬な、失敬じゃあないか。お客に(むか)ッて帰れたあ何だい。」

「おからだの(けがれ)になります。ねえ。」

 とわが顔に頬をあてて、瞳は流れるるごとく国麿を流眄(しりめ)に掛く。国麿は眉を動かし、

「馬鹿、年増(としま)の癖に、ふむ、赤ン坊に()れやがったい。」

「え、」

 と顔を(あか)らめしが、

「何ですねえ、存じません。何の、贔屓(ひいき)になすって下さるお客様を大事にしたって、何が、何が、おかしゅうござんすえ。」

「おかしいや、そんな()ッぽけなお客様があるもんか。」

「あら、私ばッかりじゃありません。姉さんだッて、そういいました。そりゃ御贔屓になすッて下さるお客も多いけれど、何の気なしにただおもしろがって見て下さるのはこのお()ばかり。あなた御存じないんでしょう。当座(こちら)ではじめてから毎晩、毎晩来て下すって、あの可愛らしい顔をして傍見(わきみ)もしないで見ていて下さるじゃありませんか。このお年紀(とし)で、お一人で、行儀よく終番(しまい)まで御覧なすって、欠伸(あくび)一ツ遊ばさない。

 手品じゃアありません、独楽(こま)廻しじゃ有りません。球乗(たまのり)でも、猿芝居でも、山雀(やまがら)の芸でもないの。狂言なの、お能なの、謡をうたうの、母様(おっかさん)に連れられて、お乳をあがっていらっしゃる方よりほか、こんな罪のない小児衆(こどもしゅう)のお客様がもウ一人ござんすか。

 目につきました、目立ちました。(ほか)のお客様にはどうであろうと、この坊ちゃんだけにゃ飽かしたくない。退屈をさしたくない、三十日なり、四十日なり、打ち通すあいだ来ていただきたい、おもしろう見せてあげたいと、そう思ったがどうしました。……

 ほんとうに芸人冥利(みょうり)、こういう御贔屓を大事にするは当前(あたりまえ)でござんせんか。しのぶも、小稲も、小幾も、重子も、みんな弟子分だから控えさして、姉さんのをと思ったけれど、私の方が(わか)いからお対手(あいて)に似合うというので、私の座蒲団をあげたんですわ。何も年増だの、何のって、貴方に、そ、そんなことを言われる覚えはない!」

 と(いた)気色(けしき)ばみ言い開きし。声高なりしを(あやし)みけむ。小稲、小幾、重子など、狂言囃子(ばやし)の女ども、楽屋口より出で(きた)りて、はらりと舞台に立ちならべる、大方あかり消したれば、手に手に白と赤との小提灯(こぢょうちん)、「て」「り」「は」と書けるを(ひっさ)げたり。

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