14話 狂言 三
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「あら。」
国麿の手は弛みぬ。われは摺抜けて傍に寄りぬ。
「いやです、いやです、あなたはいやです。」
緋鹿子の片隅に手を添えて、小親われを庇うて立ちぬ。国麿は目を怒らしたり。その帯は紫なり、その襯衣は紅なり。緋鹿子の座蒲団は、われと小親片手ずつ掛けて、右左に立護りぬ。小親この時は楽屋着の裾長く緋縮緬の下着踏みしだきて、胸高に水色の扱帯まといたり。髪をばいま引束ねつ。優しき目の裡凜として、
「もし、旦那様、あの、乞食の蒲団は、いやです、私が貴方にゃ敷かせないの。私の蒲団です。渡すことはなりません。」
と声いとすずしくいい放てり。
「よく敷かせないで下さいました。お前さん、どこも何ともないかい。酷いよ、乱暴ッちゃあない。よくねえ、よく庇って下すッたのね。楽屋で皆がせりあって、ようよう私が、あの私のを上げたんですもの。他人に敷かれて堪るものかね、お帰りよ、お帰り遊ばせよ。あなた!」
「何でえ、乞食の癖に、失敬な、失敬じゃあないか。お客に向ッて帰れたあ何だい。」
「おからだの汚になります。ねえ。」
とわが顔に頬をあてて、瞳は流れるるごとく国麿を流眄に掛く。国麿は眉を動かし、
「馬鹿、年増の癖に、ふむ、赤ン坊に惚れやがったい。」
「え、」
と顔を赧らめしが、
「何ですねえ、存じません。何の、贔屓になすって下さるお客様を大事にしたって、何が、何が、おかしゅうござんすえ。」
「おかしいや、そんな小ッぽけなお客様があるもんか。」
「あら、私ばッかりじゃありません。姉さんだッて、そういいました。そりゃ御贔屓になすッて下さるお客も多いけれど、何の気なしにただおもしろがって見て下さるのはこのお児ばかり。あなた御存じないんでしょう。当座ではじめてから毎晩、毎晩来て下すって、あの可愛らしい顔をして傍見もしないで見ていて下さるじゃありませんか。このお年紀で、お一人で、行儀よく終番まで御覧なすって、欠伸一ツ遊ばさない。
手品じゃアありません、独楽廻しじゃ有りません。球乗でも、猿芝居でも、山雀の芸でもないの。狂言なの、お能なの、謡をうたうの、母様に連れられて、お乳をあがっていらっしゃる方よりほか、こんな罪のない小児衆のお客様がもウ一人ござんすか。
目につきました、目立ちました。他のお客様にはどうであろうと、この坊ちゃんだけにゃ飽かしたくない。退屈をさしたくない、三十日なり、四十日なり、打ち通すあいだ来ていただきたい、おもしろう見せてあげたいと、そう思ったがどうしました。……
ほんとうに芸人冥利、こういう御贔屓を大事にするは当前でござんせんか。しのぶも、小稲も、小幾も、重子も、みんな弟子分だから控えさして、姉さんのをと思ったけれど、私の方が少いからお対手に似合うというので、私の座蒲団をあげたんですわ。何も年増だの、何のって、貴方に、そ、そんなことを言われる覚えはない!」
と太く気色ばみ言い開きし。声高なりしを怪みけむ。小稲、小幾、重子など、狂言囃子の女ども、楽屋口より出で来りて、はらりと舞台に立ちならべる、大方あかり消したれば、手に手に白と赤との小提灯、「て」「り」「は」と書けるを提げたり。