照葉狂言

33話 重井筒 一

1,618字 約3分 2013年7月25日 公開

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 井戸一ツ地境(じざかい)に挟まりて、わが仮小屋にてその(なかば)を、広岡にてその半ばを使いたりし、(ふた)は二ツに折るるよう、蝶番(ちょうつがい)もて(こしら)えたり。井戸の蓋と隔ての戸とをこれにて兼ね、一方を当てて夜ごとには彼方(かなた)此方(こなた)を垣したる、透間(すきま)少し有りたる中より、奮発(はず)みたる(まり)のごとく、()(くぐ)り出でて、戸障子に打衝(うちあた)る音(すさま)じく、()の内に躍り込むよと見えし、くるくると舞いて四隅の壁に突当る、出処なければ引返(ひっかえ)さむとする時、(あわただ)しく立ちたるわれに、また道を妨げられて、座中(ざなか)(うずくま)りたるは汚き猫なりき。

 背をすくめて四足を立て、眼を(いか)らして(うな)りたる、口には哀れなる鳩一羽くわえたり。()にとて盗みしな。鳩はなかば(ほふ)られて、羽の色の純白なるが(まだら)に血の(あと)をぞ印したる。二ツ三ツ片羽(かたはね)羽たたきたれど、早や弱り果てたる(さま)なり。

「畜生!」

 と鋭く叫び、小親片膝立てて身構えながら、落ちたる煙管(きせる)羅宇(らお)長きを、力()めて(ふり)かざせし、吸残りけむ煙草(たばこ)の煙、小さく渦巻きて消え()せたり。

「あ(いつ)、あ、あ、(いつ)。」

 うつくしき眉を(ひそ)めつつ、はたと得物を取落しぬ。

 驚きてわが走り寄る時、遁路(にげみち)あきたれば潜り抜けて、猫は飛び出で、遠く走る音して寂然(ひっそ)となりたり。

「どうしたんだね、姉さん、どうしたんだね。」

 小親は玉の(かいな)投げ(いだ)して、右手(めて)もて(さす)りながら(ひじ)を曲げ、手の甲を頬にあてて、口もてその脈の処を強く吸いぬ。

僂麻質(りゅうまち)かい、姉さん。」

 と危ぶみ問いたる、わが声は思わず震いぬ。

「あら、顔の色を変えて、真蒼(まっさお)だね。そんなに吃驚(びっくり)したのかね、気の弱い。」

 かえってわれを激ましぬ。

「いいえ、猫にも驚いたけれど、りゅうまちじゃあないかい、え、僂麻質じゃあないかい。」

「ちょいとだよ。何でもないんだよ、何をそんなに。たかがりゅうまちだもの、生命(いのち)を取られるほどのことは無いから。」

「でも、私はもう、僂麻質と聞いても悚然(ぞっと)するよ。何より(こわ)いんだ。なぜッてまた小六さんのように。」

(はりつけ)!」

 言いたる小親も色をかえぬ。太き溜息(ためいき)()とつきて、

「鶴亀、々々。ああ、そういったばかりでも、私ゃ胸が痛いよ、貢さん、ほんとに小六さんもどうおしだろうね。」

 物語の銀六は、蛇責(へびぜめ)(かま)()りたる身の経験(おぼえ)ありたれば、一たびその事を耳にするより、蒼くなりて、何とて生命(いのち)の続くべきと、(おい)の目に涙(うか)べしなり。されど気丈なる(ひと)なれば、今なお(つつが)なかるべし。

 小親いまだその頃は、牛若の役勤めていつ。銀六も健かに演劇(しばい)真似(まね)して、われは(あわれ)なる鞠唄うたいつつ、しのぶと(おどり)などしたりし折なり。

 あたかもいま小親が猫を追わむとて、煙管(かざ)したるその(さま)なりしよ。越前府中の舞台にて、道成寺の舞の半ばに、小六その撞木(しゅもく)を振上げたるトタンに左手(ゆんで)動かずなり、右手(めて)も筋つるとて、(たち)すくみになりて、楽屋に()かれて()ぬ。

 しからざりし以前より、(かれ)はこの僂麻質の持病に悩みて、仮初(かりそめ)なる(くるま)の上下にも、小幾、重子など、肩貸し、腰を抱きなどせしなり。

 月日に痛み(おも)るを、苦忍して、強いて装束着けたりしが、その時よりまた()たずなりき。

 楽屋にては小親の緋鹿子(ひがのこ)のそれとは違い、黒き天鵞絨(びろうど)座蒲団(ざぶとん)に、蓮葉(はすは)に片膝立てながら、繻子(しゅす)の襟着いたる(あら)竪縞(たてじま)布子(ぬのこ)羽織りて()つ。帯も()めで、懐中(ふところ)より片手出して火鉢に翳し、烈々たる炭火(うずたか)きに酒の(かん)して、片手に鼓の皮乾かしなどしたる、今も目に見ゆる。

 手の利かねば、割膝にわが小さき体引挟(ひっぱさ)みて、渋面つくるが可笑(おかし)とて、しばしば血を吸いて、小親来て、わびて、引放つまでは執念(しゅうね)く放たざりし寛闊(かんかつ)なる笑声の、はじめは恐しかりしが、(はて)は懐しくなりて、そと(うしろ)より小さき手に目隠(めかくし)して戯れたりし、日数(ひかず)もなく、小六は重き枕に就きつ。

 湯を呑むにさえ、人の手かりたりしを、(なさけ)なき一座の親方の、身の(しろ)取りて、その(なかば)不随の身を売りぬ。

 買いたるは手品師にて、観世物(みせもの)(はりつけ)にするなりき。身体(からだ)は利かでも()し、(やり)にて突く時、手と足|《もが》きて、()と苦痛の声絞らするまでなれば。これにぞ銀六の泣きしなる。

「ほんとにねえ、貢さん。」

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