露肆

2話 露肆(2)

5,944字 約12分 2006年3月19日 公開

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 その鯉口(こいぐち)両肱(りょうひじ)突張(つっぱ)り、手尖(てさき)を八ツ口へ突込(つっこ)んで、(うなじ)を襟へ、もぞもぞと擦附けながら、

小母(おば)さん、買ってくんねえ、小父的(おじき)買いねえな。千六本に、おなますに、皮剥(かわはぎ)と一所に出来らあ。内が製造元だから安いんだぜ。大小(でいしょう)あらあ。(でい)が五銭で小が三銭だ。皮剥一ツ買ったってお(めえ)、三銭はするぜ、買っとくんねえ、あ、あ、あ、」

 と引捻(ひんねじ)れた四角な口を、額まで(かつ)と開けて、猪首(いくび)附元(つけもと)まで(すく)める、と見ると、仰状(のけざま)大欠伸(おおあくび)。余り度外(どはず)れなのに、自分から吃驚(びっくり)して、

「はっ、」と、突掛(つっかか)る八ツ口の手を引張出して、握拳(にぎりこぶし)で口の(はた)をポン、と(ふた)をする、トほっと真白(まっしろ)な息を大きく吹出す……

 いや、順に並んだ、立ったり居たり、凸凹としたどの店も、同じように息が白い。むらむらと沈んだ、(くすぶ)った、その癖、師走空に澄透(すみとお)って、蒼白(あおじろ)い陰気な(あかり)の前を、ちらりちらりと冷たい魂が《さまよ》う姿で、耄碌頭布(もうろくずきん)(しわ)から、押立(おった)てた古服の襟許(えりもと)から、汚れた襟巻の(ひだ)の中から、朦朧(もうろう)(あらわ)れて、揺れる火影(ほかげ)に入乱れる処を、ブンブンと(うな)って来て、大路(おおじ)の電車が風を立てつつ、(さっ)引攫(ひっさら)って、チリチリと紫に光って消える。

 とどの顔も白茶(しらちゃ)けた、影の薄い、衣服前垂(きものまえだれ)汚目(よごれめ)ばかり火影に目立って、(すす)びた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端(みぞばた)にばらばらと残る。

 こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合(むかいあ)った居附(いつき)の店の電燈瓦斯(がす)晃々(こうこう)とした中に、小僧の(かげ)や、帳場の主人、火鉢の前の女房(かみさん)などが、絵草子の裏、硝子(がらす)の中、中でも鮮麗(あざやか)なのは、軒に飾った紅入友染(べにいりゆうぜん)の影に、くっきりと(あらわ)れる。

 露店は(ぼう)として霧に沈む。

 たちまち、ふらふらと黒い影が往来へ()いて出る。その姿が、毛氈(もうせん)の赤い色、毛布(けっと)の青い色、風呂敷の黄色いの、(さみ)しい(ばあ)さんの鼠色まで、フト判然(はっきり)(すご)い星の下に、漆のような夜の中に、淡い(いろどり)して顕れると、商人連(あきゅうどれん)はワヤワヤと動き出して、牛鍋(ぎゅうなべ)唐紅(とうべに)も、飜然(ひらり)(ゆら)ぎ、おでん屋の屋台もかッと気競(きおい)が出て、白気(はくき)(こま)やかに狼煙(のろし)を揚げる。翼の(のろ)い、大きな蝙蝠(こうもり)のように地摺(じずり)に飛んで所を定めぬ、煎豆屋(いりまめや)の荷に、糸のような火花が走って、

「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」

 と高らかに()えて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。

 また一時(ひとしきり)、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。

 が、次第に引潮が早くなって、――やっと(しがらみ)にかかった海草のように、土方の手に引摺(ひきず)られた古股引(ふるももひき)を、はずすまじとて、(ばあ)さんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出(ずりだ)す、その(かい)なく……博多の帯を引掴(ひッつか)みながら、素見(ひやかし)追懸(おっか)けた亭主が、値が出来ないで舌打をして引返す……煙草入(たばこいれ)引懸(ひっかか)っただぼ(はぜ)を、鳥の毛の采配(さいはい)で釣ろうと構えて、ストンと外した玉屋の爺様(じいさま)が、餌箱(えさばこ)(しら)べる(てい)に、財布を(のぞ)いて(ふさ)ぎ込む、歯磨屋(はみがきや)卓子(テエブル)の上に、お試用(ためし)掬出(すくいだ)した粉が白く散って、売るものの鰌髯(どじょうひげ)にも(うっす)り霜を置く――初夜過ぎになると、その一時(ひととき)々々、大道店の灯筋(あかりすじ)を、霧で押伏(おっぷ)せらるる間が次第に間近になって、盛返す景気がその(たび)に、遅く重っくるしくなって来る。

 ずらりと見渡した皆がしょんぼりする。

 勿論、電燈の前、瓦斯の背後(うしろ)のも、寝る前の起居(たちい)(せわ)しい。

 分けても、真白(まっしろ)油紙(あぶらっかみ)の上へ、見た目も寒い、千六本を心太(ところてん)のように引散(ひっち)らして、ずぶ(ぬれ)の露が、途切れ途切れにぽたぽたと足を打って、溝縁(みぞぶち)に凍りついた大根剥(だいこんむき)(せがれ)が、今度は(たま)らなそうに、(かじか)んだ両手をぶるぶると唇へ押当てて、貧乏揺(びんぼうゆる)ぎを(せわ)しくしながら、

「あ、あ、」

 とまた大欠伸(おおあくび)をして、むらむらと白い息を吹出すと、筒抜けた大声で、

「大福が食いてえなッ。」

       六

「大福餅が食べたいとさ、は、は、は、」

 と直きその(そば)に店を出した、二分心(にぶしん)の下で手許(てもと)暗く、小楊枝(こようじ)を削っていた、人柄なだけ、可憐(いとし)らしい女隠居が、黒い頭巾(ずきん)の中から、隣を振向いて、(かす)れ掠れ笑って言う。

 その隣の露店は、京染正紺請合(しょうこんうけあい)とある足袋の裏を白く(かえ)して、ほしほしと並べた三十ぐらいの女房(にょうぼ)で、中がちょいと隔っただけ、三徳用の言った事が大道でぼやけて分らず……但し吃驚(びっくり)するほどの大音であったので、耳を立てて聞合わせたものであった。

 会得(えとく)()くとさも無い事だけ、おかしくなったものらしい。

「大福を……ほほほ、」と笑う。

 とその隣が古本屋で、行火(あんか)の上へ、(ひげ)の伸びた()せた(おとがい)を乗せて、平たく(うずくま)った病人らしい陰気な男が、釣込まれたやら、

「ふふふ、」

 と(さみ)しく笑う。

 続いたのが、例の高張(たかはり)を揚げた威勢の()い、水菓子屋、向顱巻(むこうはちまち)の結び目を、山から飛んで来た、と押立(おった)てたのが、仰向けに(そり)を打って、呵々(からから)と笑出す。次へ、それから、引続いて――一品料理の天幕張(テントばり)の中などは、居合わせた、客交じりに、わはわはと(わらい)(ゆす)る。年内の御重宝(ごちょうほう)九星売が、恵方(えほう)の方へ突伏(つっぷ)して、けたけたと(たま)らなそうに噴飯(ふきだ)したれば、苦虫と呼ばれた歯磨屋(はみがきや)が、うンふンと鼻で笑う。声が一所で、同音に、もぐらもちが昇天しようと、水道の鉄管を躍り抜けそうな響きで、片側一条(ひとすじ)、夜が鳴って、(どっ)と云う。時ならぬに、()の葉が散って、霧の海に不知火(しらぬい)と見える(ともしび)の間を白く飛ぶ。

 なごりに煎豆屋(いりまめや)が、かッと笑う、と遠くで(すさ)まじく犬が()えた。

 軒の(あたり)通魔(とおりま)がしたのであろう。

 北へも響いて、町尽(まちはずれ)の方へワッと抜けた。

 時に片頬笑(かたほえ)みさえ、口許(くちもと)莞爾(にっこり)ともしない(えん)なのが、露店を守って一人居た。

 縦通(たてどおり)から横通りへ、電車の交叉点(こうさてん)を、その町尽れの方へ(さが)ると、人も店も、()の影も薄く歯の抜けたような、間々を冷い風が渡る癖に、店を一ツ一ツ一重(ひとえ)ながら、(ぼう)と渦を巻いたような霧で包む。同じ(くす)ぶった洋燈(ランプ)も、人の目鼻立ち、眉も、青、赤、鼠色の()の敷物ながら、さながら鶏卵(たまご)(うち)のように、渾沌(こんとん)として、ふうわり街燈の薄い影に映る。が、枯れた柳の細い枝は、幹に行燈(あんどう)()けられたより、かえってこの中に、処々すっきりと、星に(あお)く、風に白い。

 その根に、茣蓙(ござ)を一枚の店に坐ったのが、(くだん)(おんな)で。

 年紀(とし)は六七……三十にまず近い。姿も顔も(やつ)れたから、ちと老けて見えるのであろうも知れぬ。綿らしいが、銘仙縞(めいせんじま)の羽織を、なよなよとある肩に細く着て、同じ縞物の膝を薄く、無地ほどに細い縞の、これだけはお召らしいが、透切(すきぎ)れのした前垂(まえだれ)()めて、昼夜帯の胸ばかり、浅葱(あさぎ)鹿子(かのこ)下〆(したじめ)なりに、乳の下あたり(ふっく)りとしたのは、鼻紙も財布も一所に突込(つっこ)んだものらしい。

 ざっと一昔は風情だった、肩掛というのを四つばかりに畳んで敷いた。それを、(つま)は深いほど玉は冷たそうな、膝の上へ掛けたら、と思うが、察するに上へは出せぬ寸断(ずたずた)継填(つぎはぎ)らしい。火鉢も無ければ、行火(あんか)もなしに、霜の素膚(すはだ)は堪えられまい。

 黒繻子(くろじゅす)の襟も白く透く。

 油気(あぶらけ)も無く擦切るばかりの夜嵐にばさついたが、(つや)のある薄手な丸髷(まるまげ)がッくりと、焦茶色の絹のふらしてんの襟巻。房の切れた、男物らしいのを細く巻いたが、左の袖口を、ト乳の上へしょんぼりと()き込んだ(たもと)の下に、利休形(りきゅうがた)煙草入(たばこいれ)の、裏の緋塩瀬(ひしおぜ)ばかりが色めく、がそれも()せた。

 生際(はえぎわ)の曇った影が、(まぶた)()して、面長(おもなが)なが、さして()せても見えぬ。鼻筋のすっと通ったを、横に(かす)めて後毛(おくれげ)をさらりと掛けつつ、ものうげに払いもせず……(きれ)の長い、(まつげ)の濃いのを伏目(ふしめ)になって、上気して乾くらしい唇に、吹矢の筒を、ちょいと含んで、片手で持添えた雪のような(ひじ)(から)む、唐縮緬(とうちりめん)の筒袖のへりを取った、継合わせもののその、緋鹿子(ひがのこ)(なまめ)かしさ。

       七

 三枚ばかり附木(つけぎ)の表へ、((ひと)くみ)も仮名で書き、(二せん)も仮名で記して、前に並べて、きざ柿の熟したのが、こつこつと揃ったような、昔は(たにし)が尼になる、これは紅茸(べにたけ)(さとり)を開いて、ころりと参った張子(はりこ)達磨(だるま)

 目ばかり黒い、けばけばしく真赤(まっか)禅入(ぜんにゅう)を、木兎引(ずくひき)の木兎、で三寸ばかりの天目台(てんもくだい)、すくすくとある上へ、大は小児(こども)握拳(にぎりこぶし)、小さいのは団栗(どんぐり)ぐらいな処まで、ずらりと乗せたのを、その俯目(ふしめ)に、ト(ねら)いながら、(くだん)の吹矢筒で、フッ。

 カタリといって、発奮(はずみ)もなく(ひっ)くりかえって、軽く転がる。その次のをフッ、カタリと(かえ)る。続いてフッ、カタリと下へ。フッフッ、カタカタカタと毛を吹くばかりの呼吸(いき)づかいに連れて、五つ七つたちどころに、パッパッと石鹸玉(シャボンだま)が消えるように、上手にでんぐり、くるりと落ちる。

 落ちると、片端から一ツ一ツ、順々にまた並べて、初手(しょて)からフッと吹いて、カタリといわせる。……同じ事を、絶えず休まずに繰返して、この玩弄物(おもちゃ)を売るのであるが、玉章(ふみ)もなし口上もなしで、ツンとしたように黙っているので。

 霧の中に(わらい)(にじ)が、(ぱっ)と渡った時も、独り莞爾(にっこり)ともせず、傍目(わきめ)()らず、同じようにフッと吹く。

 カタリと転がる。

「大福、大福、大福かい。」

 とちと粘って(なまり)のある、ギリギリと勘走った高い声で、亀裂(ひび)()らせるように霧の中をちょこちょこ走りで、玩弄物屋の(おんな)背後(うしろ)へ、ぬっと、鼠の中折(なかおれ)目深(まぶか)に、領首(えりくび)(のぞ)いて、橙色(だいだいいろ)の背広を着、小造りなのが立ったと思うと、

「大福餅、(あったか)い!」

 また疳走(かんばし)った声の下、ちょいと(しゃが)む、と(はや)い事、筒服(ずぼん)の膝をとんと揃えて、横から当って、(おんな)前垂(まえだれ)附着(くッつ)くや否や、両方の衣兜(かくし)へ両手を突込(つっこ)んで、四角い肩して、一ふり、ぐいと首を振ると、ぴんと反らした鼻の下の(ひげ)とともに、砂除(すなよ)けの素通し、ちょんぼりした可愛い目をくるりと()ったが、ひょんな顔。

 ……というものは、その、

「……(あったか)い!……」を機会(きっかけ)に、行火(あんか)の箱火鉢の蒲団(ふとん)の下へ、潜込(もぐりこ)ましたと早合点(はやがってん)の膝小僧が、すぽりと気が抜けて、二ツ、ちょこなんと揃って、(ともしび)に照れたからである。

 橙背広のこの紳士は、通り(がか)りの一杯機嫌の素見客(ぞめき)でも何でもない。冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草(きせる)に縁のある、煙草(たばこ)脂留(やにどめ)、新発明螺旋仕懸(らせんじかけ)ニッケル製の、巻莨(まきたばこ)の吸口を売る、気軽な人物。

 自から称して技師と云う。

 で、衆を立たせて、使用法を弁ずる時は、こんな軽々しい態度のものではない。

 下目づかいに、晃々(きらきら)と眼鏡を光らせ、額で(にら)んで、帽子を目深(まぶか)に、さも歴々が忍びの(てい)。冷々然として落着き澄まして、(しわぶき)さえ高うはせず、そのニコチンの害を説いて、一吸(ひとすい)の巻莨から生ずる多量の沈澱物をもって混濁した、恐るべき液体をアセチリンの蒼光(あおびかり)(かざ)して、()と試験管を示す時のごときは、何某(なにがし)の教授が理化学の講座へ立揚(たちあが)ったごとく、風采(ふうさい)四辺(あたり)を払う。

 そこで、公衆は、ただ(わずか)硝子(がらす)の管へ煙草を吹込んで、びくびくと()ると水が濁るばかりだけれども、技師の態度と、その口上のぱきぱきとするのに、ニコチンの毒の恐るべきを知って、戦慄(せんりつ)に及んで、五割引が(さかん)に売れる。

 なかなかどうして、歯科散(しかさん)が試験薬を用いて、立合(たちあい)の口中黄色い歯から拭取(ふきと)った口塩(くちしお)から、たちどころに、黴菌(ばいきん)を躍らして見せるどころの比ではない。

 よく売れるから、益々(ますます)得意で、澄まし返って説明する。

 が、夜がやや深く、人影の薄くなったこうした時が、技師大得意の節で。今まで(くしゃみ)(こら)えたように、むずむずと身震いを一つすると、固くなっていた卓子(テエブル)の前から、早くもがらりと(たい)を砕いて、飛上るように()と腰を軽く、突然(いきなり)ひょいと隣のおでん屋へ入って、煮込を一串(ひとくし)引攫(ひっさら)う。

 こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓(あたま)()でるかと思うと、次へ飛んで、あの涅槃(ねはん)に入ったような、風除葛籠(かざよけつづら)をぐらぐら(ゆす)ぶる。

       八

 その時きゃっきゃっと高笑(たかわらい)、靴をぱかぱかと(わき)()れて、どの店と見当を着けるでも無く、脊を(かが)めて(うずくま)った婆さんの背後(うしろ)へちょいと(しゃが)んで、

「寒いですね。」

 と声を掛けて、トントンと肩を叩いてやったもので。

「きゃっきゃっ、」とまた笑うて、横歩行(よこある)きにすらすらすら、で、居合わす、古女房の(せな)をドンと(くら)わす。突然(いきなり)年増(としま)行火(あんか)の中へ、諸膝(もろひざ)突込(つっこ)んで、けろりとして、娑婆(しゃば)を見物、という澄ました顔付で、当っている。

 露店中の愛嬌(あいきょう)もので、総籬(そうまがき)柳縹(りゅうひょう)さん。

 すなわちまた、その伝で、大福(あったか)いと、向う見ずに遣った処、手遊屋(おもちゃや)(おんな)は、腰のまわりに火の気が無いので、膝が露出(むきだ)しに大道へ、茣蓙(ござ)の薄霜に間拍子(まびょうし)も無く並んだのである。

 橙色(だいだいいろ)の柳縹子、気の抜けた肩を(すぼ)めて、ト一つ、大きな達磨(だるま)を眼鏡でぎらり。

 (おんな)は澄ましてフッと吹く……カタリ……

 はッと(おとがい)を引く間も無く、カタカタカタと残らず落ちると、直ぐに、そのへりの赤い筒袖の細い雪で、(ひと)(びと)ツ拾って並べる。

(たま)らんですね、寒いですな、」

 と(ひげ)(ひね)った。が、大きに照れた風が見える。

 斜違(はすッかい)にこれを(なが)めて、前歯の金をニヤニヤと笑ったのは、総髪(そうがみ)の大きな頭に、黒の中山高(ちゅうやまたか)を堅く()めた、色の赤い、額に畝々(うねうね)と筋のある、頬骨の高い、大顔の役人風。迫った太い眉に、(でっか)い眼鏡で、胡麻塩髯(ごましおひげ)を貯えた、(おとがい)(とが)った、背のずんぐりと高いのが、(かすり)の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈(がんじょう)な腕を、客商売とて袖口へ引込(ひっこ)めた、その手に一条の竹の(むち)を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後(びんご)は尾ノ道、肥後(ひご)は熊本の刻煙草(きざみたばこ)指示(さししめ)す……

「内務省は煙草専売局、印紙御貼用済(ごちょうようずみ)。味は至極()えで、()んで見た上で買いなさい。大阪は安井銀行、第三蔵庫の担保品。今度(このたび)、同銀行蔵掃除について払下げに相成ったを、当商会において一手販売をする、抵当流れの安価な煙草じゃ、喫んで(かんばし)ゅう、香味(こうみ)、口中に(あまね)うしてしかしてそのいささかも(やに)が無い。(わし)痰持(たんもち)じゃが、」

 と空咳(からせき)を三ツばかり、小さくして、竹の鞭を袖へ引込め、

「この煙草を用いてから、とんと悩みを忘れた。がじゃ、荒くとも脂がありとも、ただ強いのを望むという人には決してこの煙草は向かぬぞ。香味あって脂が無い、抵当流れの(きざみ)はどうじゃ。」

 と太い声して、ちと充血した大きな(ひとみ)をぎょろりと遣る。その風采(ふうさい)、高利を借りた覚えがあると、天窓(あまた)から水を浴びそうなが、思いの外、温厚な柔和な君子で。

 店の透いた時は、そこらの小児(こども)をつかまえて、

「あ、()じゃでの、」などと役人口調で、眼鏡の下に、一杯の(しわ)を寄せて、髯の上を()で下げ撫で下げ、滑稽(おど)けた話をして喜ばせる。その小父(おじ)さんが、

「いや、若いもの。」

 という顔色(がんしょく)で、竹の鞭を、ト(しゃく)に取って、(さき)を握って捻向(ねじむ)きながら、帽子の下に暗い額で、髯の白いに、金が(あらわ)北叟笑(ほくそえみ)

 附穂(つぎほ)なさに振返った技師は、これを知ってなお照れた。

「今に御覧(ごろう)じろ。」

 と遠灯(とおび)()ばたきをしながら、揃えた膝をむくむくと(ゆす)って、

「何て、寒いでしょう。おお寒い。」

 と金切声を出して、ぐたりと左の肩へ寄凭(よりかか)る、……体の重量(おもみ)が、他愛ない、暖簾(のれん)の相撲で、ふわりと外れて、ぐたりと膝の崩れる時、ぶるぶると震えて、堅くなったも道理こそ、半纏(はんてん)の上から触っても知れた。

 げっそり懐手(ふところで)をしてちょいとも出さない、すらりと下った左の、その袖は、何も支えぬ、(おんな)は片手が無いのであった。

       九

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