48話 生理学教室 四十八
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お孝は黒繻子の襟、雪の膚、冷たそうな寝衣の装で、裾を曳いて、階子段をするすると下りると、そこに店前の三和土にすっくと立った巡査に、ちょっと目礼をして、長火鉢の横手の扉を、すっと縁側へ出て行く。
そこが中庭になる、錦木の影の浅い濡縁で、合歓の花をほんのりと、一輪立膝の口に含んだのは、五月初の遅い日に、じだらくに使う房楊枝である。
その背後に、座敷が見えて、花は庭よりもそこに咲いて、眉の緑の年増も交る。
と、下地子らしい十二三なのが、金盥を置いて引返して来て、長火鉢の傍の腰窓をカタンと閉めたので、お孝の姿は見えなくなった。
とばかりで、三和土に立った警官は、お孝が降りて来た階子段を斜に睨んで、髯を捻る事専なり。で、少時家中が寂然する。
一体、不断は千本格子を境にして、やけな奥女中の花見ぐらい陽気な処へ、巡査と見ると騒動が豪い。謹むのではない笑うので、キャッキャックックッ、各自があっちこっち、中には奥へ駆込んで転がるまで、胡蝶と鸚鵡が笑う怪物屋敷の奇観を呈する。
事の起因を按ずるに、去年秋雨の降くらす、奥の座敷に、女ばかり総勢九人、しかも二組になって御法度の花骨牌。軒の玉水しとしとと鳴る時、格子戸がらり。
「御免。」と掛けた声が可恐く厳い蛮音。薩摩訛に、あれえ、と云うと、飛上るやら、くるくる舞うやら、ぺたんと坐って動けぬやら。
座敷では袂へ忍ばす金縁の度装の硝子を光々さした、千鳥と云う、……女学生あがりで稲葉家第一の口上言が、廂髪の阿古屋と云う覚悟をして度胸を据えて腰を据えて、もう一つ近視眼を据えて、框へ出て、はッと悪く落着いた切口上。
「別にそのでございます。相変りました事はございませんです。」と、戸籍係に立ごかしの三ツ指を極めたと思え。
「羅宇が出来たけえ、……持って来たですッ。」
「何だね、羅宇屋さん、裏へお廻り。」と、婆やが水口の障子で怒鳴ると、白磨竹を突着けられた千鳥の前は、拷問の割竹で、胸を抉られた体にぐなりとした。
鍋焼饂飩は江戸児でない、多くは信州の山男と聞く。……鹿児島の猛者が羅宇の嵌替は無い図でない。しかも着ていたのが巡査の古服、――家鳴震動大笑。
以来、戸籍検べ、とさえ言えば、食いかけた箸を持って刎廻る埒の無さ。当区域受持の警官も、稲葉家では、(笑う。)と極めて、その気で髯を捻るのであったが。
今日のは大に勝手が違った。
「姉さんは内じゃろうで。」
「はあ、あの……」
「是非、直接に逢いたいんじゃ……取次を頼むです。」
小女が一度、右の千鳥女史と囁き合って、やがて巡査の顔を見い見い、二階に寝ていたのを起した始末。笑い掛けたのは半途で圧え、噴出したのは嚥込んで、いやに静かな事よって如件。
幽な咳してお孝が出た。輪曲ねて突込んだ婀娜な伊達巻の端ばかり、袖を辷って着流しの腰も見えないほどしなやかなものである。
「失礼をいたしました。」
「は、あんた覚えておらるるかね。」
唐突に言うのがそれで、お孝はちょっと分り兼ねつつ、黄楊の横櫛を圧えたのである。