6話 第三 徳川制度(2)
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これ儒教的政論の粋を抽んでたるもの、尋常一様の封建政治の理想、必らずしもかくの如く精明なる大主義徹底したるにあらずといえども、その民情を尋酌し、民を養うを以て、政治の大本としたるは、蓋し争うべからざるものあり。封土の分割は、自然に地方自治の傾向を生じ、世襲の制は、果木を伐りて薪となし、牝鵞を殺して肉を食むの現金政治を去りて、憮恤恵養、民富みて君主富むの政治となる。かつ封土の小にして政治機関の行き届くと、その世襲的制度よりして百年の大計に着眼するとは、勢い一方においては節倹、勤勉の風を奨励し、他方においては拓山、墾海、物産を蕃殖せしめ、有無を相通ぜしめ、水道、溝渠、貯蓄等の民政を振作し、延いて鰥寡孤独を愛恤する等の自から現時の国家社会制を実践したるもの一にして足らず。固より暴君汚吏民を悩まし人を漁したるものも尠からざりしといえども、概して論ずれば徳川時代の封建政治は、我が国民に取りては、開闢以来無上の善政たることは、吾人が敢て断言する処。武士の末流、浮浪、その他少数の智勇弁力の徒が、日に徳川の天下を顛覆せんとその釁を覗う時に際して、国民の多数は、酔生夢死、封建政治に謳歌したるもまた宜べならずや。
人あるいは徳川幕府の顛倒を以て煩取苛求、万民疾苦に堪えざるが故に、始めて尊王論を籍りて、その反抗の端を発きたるものとなし、あたかも維新革命を以て仏国革命と同一視し、強いて影像的暴政を描くものありといえども、これその眼孔未だ社会の表裏に徹せざるものというべし。
然りといえども天明年間における田沼意次の執政に際しては、幕綱紐を解き、官紀紊れ、濁政民を悩ます。加うるに浅間岳の大噴火、諸国大風雨、大飢饉を以てし、庶民生を聊んぜず。将にこれ大飢饉さえも、尊王倒幕の別働隊たらんとす。「イザ叡山に紙旗押し立てん、千人の義兵あらば、竪子を倒すは眼前に在り」と高山彦九を踴躍せしめたりしは、実にこの時にありとす。徳川幕府は既にピサ倒塔の如くに傾欹せり。危機実に一髪。
もし松平定信この時に出でて、皇室を尊び、政弊を革新し、天下の重望を繋げる学者を、幕府の中心に集め、節倹励行、士風の堕落を済い、遠慮善謀、農商の生産を厚うし、万民をしてその処を得、天下をして寛政大改革に謳歌せしめざりしならば、徳川幕府の命数は、既に眉端に迫り来りしなり。