吉田松陰

6話 第三 徳川制度(2)

968字 約2分 2017年8月4日 公開

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 これ儒教的政論の粋(すい)を抽(ぬき)んでたるもの、尋常一様の封建政治の理想、必らずしもかくの如く精明なる大主義徹底したるにあらずといえども、その民情を尋酌(しんしゃく)し、民を養うを以て、政治の大本としたるは、蓋(けだ)し争うべからざるものあり。封土(ほうど)の分割は、自然に地方自治の傾向を生じ、世襲の制は、果木を伐(き)りて薪(まき)となし、牝鵞(ひんが)を殺して肉を食(は)むの現金政治を去りて、憮恤(ぶじゅつ)恵養、民(たみ)富みて君主富むの政治となる。かつ封土の小にして政治機関の行き届くと、その世襲的制度よりして百年の大計に着眼するとは、勢い一方においては節倹、勤勉の風を奨励し、他方においては拓山、墾海、物産を蕃殖(はんしょく)せしめ、有無(うむ)を相通ぜしめ、水道、溝渠(こうきょ)、貯蓄等の民政を振作し、延(ひ)いて鰥寡(かんか)孤独(こどく)を愛恤(あいじゅつ)する等の自(おのず)から現時の国家社会制を実践したるもの一にして足らず。固(もと)より暴君汚吏(おり)民を悩まし人を漁(ぎょ)したるものも尠(すくな)からざりしといえども、概して論ずれば徳川時代の封建政治は、我が国民に取りては、開闢(かいびゃく)以来無上(むじょう)の善政たることは、吾人(ごじん)が敢て断言する処。武士の末流、浮浪(ふろう)、その他少数の智勇弁力の徒が、日に徳川の天下を顛覆(てんぷく)せんとその釁(すき)を覗(うかが)う時に際して、国民の多数は、酔生夢死(すいせいむし)、封建政治に謳歌(おうか)したるもまた宜(う)べならずや。

 人あるいは徳川幕府の顛倒(てんとう)を以て煩取苛求(はんしゅかきゅう)、万民疾苦(ばんみんしっく)に堪えざるが故に、始めて尊王論を籍(か)りて、その反抗の端を発(ひら)きたるものとなし、あたかも維新革命を以て仏国革命と同一視し、強(し)いて影像的暴政を描くものありといえども、これその眼孔未(いま)だ社会の表裏に徹せざるものというべし。

 然(しか)りといえども天明年間における田沼意次(おきつぐ)の執政に際しては、幕綱(ばっこう)紐(ちゅう)を解き、官紀(かんき)紊(みだ)れ、濁政(だくせい)民を悩ます。加うるに浅間岳の大噴火、諸国大風雨、大飢饉(ききん)を以てし、庶民生を聊(やす)んぜず。将(まさ)にこれ大飢饉さえも、尊王倒幕の別働隊たらんとす。「イザ叡山(えいざん)に紙旗押し立てん、千人の義兵あらば、竪子(じゅし)を倒すは眼前に在(あ)り」と高山彦九を踴躍(ようやく)せしめたりしは、実にこの時にありとす。徳川幕府は既にピサ倒塔の如くに傾欹(けいい)せり。危機実に一髪。

 もし松平定信この時に出(い)でて、皇室を尊び、政弊(せいへい)を革新し、天下の重望を繋(つな)げる学者を、幕府の中心に集め、節倹励行(れいこう)、士風の堕落を済(すく)い、遠慮善謀、農商の生産を厚うし、万民(ばんみん)をしてその処を得、天下をして寛政大改革に謳歌(おうか)せしめざりしならば、徳川幕府の命数は、既に眉端(びたん)に迫り来(きた)りしなり。

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