妖人ゴング

4話 大空の怪物

2,921字 約6分 2017年12月15日 公開

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 銀座のできごとがあってから、三日目の真夜中に、まるで恐ろしい夢にうなされているような、とほうもないことがおこりました。

 もう夜の十二時をすぎていました。どんよりとくもった、星のない夜でした。渋谷(しぶや)駅の近くの盛り場も、電灯が消えて、すっかり暗くなっていましたが、それでも帰りのおそい人たちが、戸をしめた商店の前を、おおぜい歩いていました。

 十二時十分ごろでした。歩いていた人たちが、おもわず立ちどまるような、みょうな音が、どこからともなく聞こえてきました。それは、ニコライ堂のかねのような音でした。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

 みょうに、心のそこにこたえる、ぶきみなひびきです。それが、なんだか、空の方から聞こえてくるように思われるので、みんなは立ちどまって、まっ暗な空を、じっと見あげました。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

 その音は、だんだん大きくなって、しまいには空いっぱいにひろがり、こまくもやぶれるほどの恐ろしいひびきになりました。

 あれとそっくりです。三日前の銀座の空からふってきた、あのぶきみなわめき声と、そっくりです。しかし、渋谷の大通りを歩いている人たちは、銀座の音を聞いていないので、まだわけがわかりません。ただ、気味わるさにふるえあがって、キョロキョロとあたりを見まわすばかりでした。

 そのうちに、みんなが見あげている空に、びっくりするほど大きな白いものが、ボヤーッとあらわれてきました。白い雲でしょうか? いや、こんなやみ夜に、雲が白く見えるはずはありません。百メートル四方もあるような、えたいのしれない白いものです。それが、もやもやと異様にうごめいているのです。

 暗い大通りを歩いていた人たちは、ひとりのこらず立ちどまって、まるで人形にでもなったように、身うごきもしないで、空を見あげていました。ときたまとおる自動車まで、車をとめて、運転手も乗客も窓をあけて、空を見あげているのです。

 交番の前では、おまわりさんが、()見台(みだい)では、消防署のおじさんが、やっぱり、人形のように動かなくなって、空を見つめていました。

 もやもやと、うごめいているものが、だんだん、はっきりしてきました。

「あっ、悪魔の顔だ! 悪魔が笑っているのだ!」

 大通りに立っていたひとりの男が、とんきょうな声をたてました。

 それをきくと、そばに立っていた人たちは、ゾーッと、身の毛がよだつような気がしました。いかにもそれは人間の、いや、悪魔の顔だったからです。百メートル四方もあるような、とほうもなく巨大な悪魔の顔が、みんなの頭の上から、おさえつけるように、空いっぱいにひろがって、にやにや笑っていたのです。

 まっ暗な空に、その悪魔の巨大な顔だけが、ぼーっと白く浮きでているのです。なんて大きな目でしょう。ちょっとしたビルディングほどもある、でっかい目がギョロギョロと光って、ときどき、パチッ、パチッと、またたきをしています。鼻はそれよりも、もっと大きく、口も、おなじように大きいのです。はばが三十メートルもあるような大きな口が、にやにやと笑っているぶきみさは、それを見なかった人には、とても、想像できるものではありません。

 深夜の大通りに、「ワーッ。」というような、なんともいえない声が、わきおこりました。あまりの恐ろしさに、人びとがみんなそろって、叫び声とも、うめき声ともわからないような、ふしぎな声をたてたからです。

 その声を、うちけすように、またしても、

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

 そして、空いっぱいの悪魔の顔が、グワッと、その巨大な口をひらきました。ひとつひとつが、一メートルもあるような白い歯があらわれ、その両はしに、するどくとがった巨大な(きば)が、ニュッとつきだしています。上下の歯のおくには、どす黒い(した)が、うねうねと動いているのです。

 人びとのあいだから、また「ワーッ。」という、ぶきみなひめいがおこりました。そして、みんな、両手で耳をふさぎ、目をとじて、その場にうずくまってしまいました。あまりに恐ろしくて、見ていられなかったからです。聞いていられなかったからです。

 まるで、おいのりでもするように、地面にうずくまったまま、じっとしていました。だれも、逃げだすものはありません。逃げたって、空の悪魔はどこまでも、ついてくるからです。ちょうどお月さまが、いくら走っても、どこまでもついてくるように。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

 やがて、恐ろしい空の声が、みるみる小さくなり、かすかになって、スーッと、消えていきました。

 それでも、人びとは、まだ空を見あげる勇気がありません。まるで、死んでしまったように身動きもしないのです。

 しばらくしてから、ひとりの男が、おずおずと目をひらいて、そっと空を見あげました。

「あっ、消えてしまった。みなさん、もう悪魔の顔はなくなりましたよ。」

 それを聞くと、みんな目をあいて空を見ました。空はまっ暗で、もう、なんにも見えません。みんなの口から、安心したような「はーっ。」という、ためいきの声がおこりました。そして、人びとは正気をとりもどし、あの空のおばけが、もう一度あらわれないうちにと、それぞれの家庭へいそぐのでした。

 読者諸君、いったい、これはどうしたことなのでしょう。その夜、渋谷の大通りを歩いていた人びとが、みんなそろって、夢を見たのでしょうか。それとも魔法にかかったのでしょうか。百メートルもあるような大きな顔が、空の雲の中にあらわれるなんて、そんなばかなことが、おこるはずがないではありませんか。

 しかし、夢でも、魔法にかかったのでもありません。あの空のおばけは、渋谷のぜんたいの人が、見ていたのです。夜中に目をさまして、窓から空をのぞいた人は、みんな、あれを見ていたのです。

 このふしぎなできごとのわけは、やがてわかるときがきます。「ウワン、ウワン。」という声の出どころも、わかってくるのです。しかし、それは、もうすこしあとのお話です。それまでに、みなさんも、ひとつ、そのわけを考えてみてください。

 このふしぎなできごとは、あくる日の新聞に、でかでかと書きたてられました。写真はとらなかったとみえて、出ておりませんが、画家が写生(しゃせい)した天空の悪魔の顔が、大きくのっておりました。それが、全国の新聞にのったものですから、この怪事件は、日本じゅうのうわさの種になったのです。

 新聞は、三日前の夜の銀座のできごとと、関係があると書いていましたが、だれしも、そう感じました。巨大な黒いかげや、空いっぱいの白い顔の事件には、なにかしら、えたいのしれない悪念(あくねん)がこもっているのを感じました。

 しかし、その悪念がどんなものだかは、まったくわかりません。明智探偵がいったように、なにか恐ろしい事件のぜんちょうだろうと、想像するばかりで、それが、どんな恐ろしい事件なのか、だれにもわからないのでした。

 それからまた五日ほどたったとき、こんどは、まっ昼間、またしても、えたいのしれない気味のわるいできごとがおこりました。

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