6話 五
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十月廿八日は夜ぢゆう降りつづいて廿九日はいい天氣であつた。家々の家根から、庭から、道路までが眞ツ白になつてゐる上を、立派な太陽がきら/\照らす。空氣は乾燥して、實に清新だ。非常に氣持ちがいい。北海道の冬は却つて健康にいいよと、曾て札幌から東京へ歸つて來た友人が語つたのは、乃ち、これだ、なと義雄は思つた。梁はお鳥に引ツ張られて、セルの仕立て直しを頼みに丸井呉服店へ行つた。
三十日はまた雪、三十一日は天氣であつた。そして、十一月一日から、通常道會が開らかれた。
一日の朝、おほ雪を冒して、義雄は、陸軍演習參觀から歸つて來た北海メールの社長、昇敏郎を大通り一丁目の角なる本宅に訪問した。
煉瓦の高塀で角の二方を圍まれた、ちよツと見榮えのする家で――間口一間の玄關の、摺りがらす入りの兩びらき戸を入ると、直ぐ左りが西洋風の應接室である。壁には名も知らない人の油繪やら、大きな世界地圖やら、アイノの刺繍やらが掛つてゐる。一隅の三角棚には、土人の古器物も二三据ゑてある。義雄が初めて面會した時、奧から出して來て見せた物徂徠の掛け物で、この支那崇拜家が例の變挺な宇畫をひねつてあるのも、一方の壁に釣してある。奧の狹い庭に向いた窓のレースの間から、まだ葉の殘つてゐる萩などが見える。
この室の中央の圓テーブルを挿んで、主客は相對してゐたのである。
義雄は自分の最後に殘つた希望、乃ち、アイノ研究並びにその滯北費の周旋に關し、遠藤道會議員は既に昇代議士に相談してあることだと思つてゐた。ところが、遠藤は天鹽から歸つて直ぐ道會に於ける黨派問題の爲めに多忙であると見え、まだ昇に會つてゐなかつた。で、義雄が直接にその相談を持ちかけた時、昇は怪幻な顏をすると同時に、後ろにもたれて一方の膝に乘せた一方の足を、スリッパを穿いたまま横手に突き出し、持ち前らしい横柄な口調で、
「社は君の一身を引き受けるほど深い關係を結んだつもりではない――ただ君が旅行したいと云ふから、原稿さへ貰へばいいとして、こちらから遠藤に相談してやつたのではないか?」
「無論、さうに違ひないです。また、それ以上に僕はあまえ込まうとするのではないです。」かう義雄は聲をとがらせて答へた。渠は、遠藤が昇と相談して見ようと云つた問題があるので、それを遠藤のまだ渠に相談しないうちに、ただ直接に云ひ出したと云ふに過ぎない。それも決して必らず相談に乘れと云ふのではない。見込みがなければ早く歸京するだけのことだから、多忙な遠藤を待つ暇もないと思つてゐたのである。
それだけなら、まだしもよかつた。然し昇は同じ口調で、義雄が遠藤から相當な金を受け取つて十勝へまはつた上に、また旅費の追送を社へ請求して來たのを責めた。そして、
「そんなことも怪しからんぢやないか」と云ふ。
「そして、送つて呉れましたか?」義雄は怒りの胸をとどろかせ、飛びかかりたいほどの勢ひを制して、かう皮肉に出る。
「無論、送る筈はない。」
「送らないで、そのお小言が何の役に立ちます?」
「然し遠藤から君は隨分金を出させたさうだ。」
「それはあの人に別れてからの費用にでしよう? それなら帶廣に至るまでに殆ど必然的に入るだけで――その報告は天聲君にもしてあります。」
「おれはまだ聽かん。」
「聽かないで、勝手氣儘な想像はおよしなさい! 而もそれを以つて人を責める樣な口調はどうしたのです?」
「まア、さうおこらんでもえいぢやないか?」
「おこりますとも、あなたの出かたがどうも面白くない!――それに、全體、あなたの社が人のふんどしで相撲を取らうと云ふ樣なやり方です。」
「社が仲に這入らんければ、旅行も出來なかつただらう?」
「それは結構です、然し僕のあれだけの――またここ三四日つづきます――原稿に對して、あなたの社で何ほど出したと云ふのです?」
「そりやア、社が直接に出したのは少い、さ――然し――」
「御覽なさい! 社以外で出たのはすべて遠藤氏と僕との關係です。あなたは紹介者だけであつて、それに對する僕の謝禮はメールに原稿を書いたので十二分に濟んでゐます。」
「だから、その點は君に禮を云つたぢやないか?」
「禮を云ふだけならかまひません。然しさう横柄に出るなら、さし引き、それが消滅したと同樣です。」
「然しさう横柄に出たわけでは――」
「いや、お待ちなさい! あなたの態度は地方のへツぽこ記者に對する態度でしよう? 地方の記者ならそれで濟みましようが、僕は決して許しません――侮辱も亦甚しいです!」
義雄の態度は寸毫も假借しないと云ふ勢ひだ。そして、忿怒の爲めに、相手を見つめる目が燃えて來た。昇は然し左ほど熱しない。兎に角、おほやうに折れて出て――毬栗坊主の一文學者の云ふことなど、どうでもいいと思つたやうだ。
「ぢやア、君の氣に喰はない言は僕が取り消さう。然し、社で君の一身上の世話は出來ないぞ。」
「無論、社に頼んだのではありませんが、もう、あなたにも頼みません。然しなほ一言云つて置きますが」と、義雄は決して新らたに原稿料を貪るつもりでこんな罵言を云つたのではない。餘り人を馬鹿にする樣な昇の態度を反省させたので――帶廣から釧路行きの旅費を電報で請求したのも、天聲がそれ位の請求はあとから出來る餘地を殘した證言をしてあつたからだと云ふことを、いつまでも誤解を殘さない爲めに、はツきりと辯解した。
「そりや天聲が勝手を云うたのだらう。」かう云つて、昇は目を轉じ、自分の庭の松や萩に雪のおほびらがどん/\降りかかるのを見てゐる。
「それにしても」と、義雄もその方に向き、おもさうに地上に直角に下る北海道のおほ雪――それが、もう所謂消えない寢雪だ――を見て、「僕がそんな意志の不疎通があなたと天聲君との間にあつたとは、初めから知らう筈がないです。」
「兎に角、もう、分つたから、その話はよさう。」
「僕も歸ります。」
かう云つて、義雄は立ちあがり、昇が後について來るのを見もしないで玄關に出で、靴の紐を結ぶ時、自分はまたのぼせたのであると思ふ。下を向いてゐる顏に血が行きどころもない樣に充ちたのか、兩の頬ぺたが何となく熱して膨れぽツたい。
同時に、ふと、昇と云ふ奴は、性格があの畑中新藏に似てゐるところがある。顏の大きいところも亦さうだ。然し、昇のは碾き臼の上石の樣だと思ふ。そして、また、あの大きな口が一文字に延びてゐると。
「また、ひまにやつて來給へ。」
「いや、もう」と、義雄は渠の方を見て土間につツ立ち、「東京へ歸ります。」
「では、達者にし給へ」と云つて、主人は引ツ込んで行つた。
どん/\降る雪は、風がないのに、ただ義雄の無謀に進む勢ひに亂れてか、渠の前後左右から、お前の樣なものは早く北海道を去れと迫るかの樣に、渠の洋服にまとひつくのだ。
昇の家の角を曲つて、大通りの散策地が、近頃出來あがつた永山將軍の銅像だけをむき出しにして、地べた一面白くなつて、枯芝一つも見せない路傍を、東に進んだ。
無謀の歩みは渠が燒けになつた時の習慣である。渠は曾て燒けツ腹の餘り、雨中をどろ下駄の重みが癪にさはり、身をその場で泥濘中に投げ出したことがある。今も亦殆どさうしかねない勢ひだ。
昇の横柄な言葉を思ふと、癪にさはつて溜らない。あんな奴の爲めに原稿を書いてやつたり、身の上のことを頼みに行つたりしたことが、また癪にさはつて溜らない。雪がうるさくまとひつくのがまた癪にさはつて溜らない。
「これが東京なら、もう、これツ切り、行き倒れになつてもかまはない!」然し北海道で死に恥も生き恥もさらしたくないと思ふと、如何に季節上の事情を實際に知らなかつたとは云へ、勇や氷峰に注意はされながら、かう雪の降るまでまご/\してゐた自分を、無見識だと身づから嘲けらざるを得ない。
思ひ出すと、樺太の鑵詰業者でも、見切りのいいもの等は、秋の蟹は割合に利益にならないとして、疾くに、今年の仕事を切りあげ、東京などへ、來年の發展もしくは契約の爲めに出かけてゐる筈だ。まして、その見込みもなくなつた自分が、弟や從兄弟をそのままにして置くのは、北海道よりも早いおほ雪の中で、渠等を進退に窮させるばかりだ。
然しそれどころではない――今は自分自身が全く窮してゐるのだ。二三年の經驗があつたから、あの旭川新聞にゐた俗謠詩人はあの時に逃げ出したのだらう。また自分と一緒に歸らうと約束してゐた森本春雄の上京も、たとへ、父が亡くなつた爲めに早くなつたのにせよ、何となく自分は渠の先見に鼻をあかされた樣な氣がする。それが如何にも殘念で溜らない。
「この無先見の馬鹿野郎!」かう、自分で自分を罵倒しても見る。然し、昇に對してまだ云ひ足りなかつたところもある樣な氣がするので、それを言傳てさせる爲め、昇があとで行かなければならないと云つた北海メール社に行き、天聲を訪うて見た。まだ來てゐなかつた。
また雪を冒して、渠の宅へ行くと、細君が兒を生んだといふ騷ぎだ。
「それはお目出たう」と、入り口に立ちながら云つたが、義雄はこの寒いのに御苦勞なお産だと思ふ。渠は自分の妻子を聯想させるものはすべていやだ。妻が兒を産む、そして所天に對する愛が薄らぐといふことが鼻について以來、義雄の持論として、また曾てそれを勇のゐるまへで勇の細君と云ひ合つたことがある通り、兒を産む女、兒を可愛がる男などを見ると、馬鹿だとも下等だとも思はれる。そして、兒といふ物を見ると、最もうるさくツて溜らないのである。
まして、こんなに氣のいら/\してゐる時だ――「おぎやア、おぎやア」といふ聲がぞツとするほどいやだ。早く立ち去らうとした。
「まア、ちよツとあがり給へ」といふ天聲に向ひ、敷居のそとから、昇の言葉とそれに對する反駁とを語り、
「君が社と僕との間に立つて、意志の疎通を缺いたのを今更ら責めるのではないから、ただ昇に向つて、君からも一つ僕の公明正大な不滿と渠の間違つた態度とを證明して呉れ給へ――僕はもう歸京するから。」
「證明はいつでも出來るが」と、天聲は心配さうに、「歸京するツて、金があるか?」
「なアに、持ち物を賣りツ放す、さ。」
「僕も氷峰君と何とか相談して見よう。」
「氷峰だツて、今窮してゐるから、ね。」義雄は、心安立てに、暗にメール社でもツと奮發すべきだといふことを諷じかけた。が、どうせ天聲の力では及ぶまいし、昇には立派に云ひ切つて來たのだから、それツ切りにした。
そして、そとを歩きながら、まだ火照つてゐる自分の顏に大きな雪の花がぶつかるのを、ひイやりと心よく感じた。