泡鳴五部作 05 憑き物

9話

5,399字 約11分 2016年12月31日 公開

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 翌二日に加藤を停車場二階の官房に訪ふと、きのふは要領を得なかつたから失敬したが、今しがたきまつて、現金が手に這入つたからとのことで、それを義雄は受け取つた。然し夜に入つても、鶴次郎は時計を持つて來なかつた。

 そのまた翌日は天長節だ。同日の北海メールには、義雄の「天長節に關する一記憶」といふ小品的な原稿も一段半ばかり出た。

 北海道の天長節には毎年必らず雪が降ると氷峰等から聽いてゐたが、果してその通りだ。然し午後からそれが止んだ。そして、お鳥は珍らしくにこ/\した顏つきでやつて來た。かの(ぢよ)は、この頃沈み返つた顏をしてゐなければ、きツと泣くか、怒るかするのだが、けふに限つて違つてゐる。

「さう天長節が嬉しいのか?」

「そんなことではない。別に嬉しいことがあるの、さ。」かの女は自分の廂髮(ひさしがみ)の前髮に注意せよと云ふ樣子をする。

「‥‥‥‥」見ると、そこに蒔繪(まきゑ)のゴム櫛がさされてゐる。それを義雄はどこかの男から送つて來たのではないかと疑つたので、「どうしたのだ、隨分立派なのではないか?」

「さう、さ。」かの女はにこつきながら、「林檎を送つてやるからと云うて、東京の友達から送つてもろたのぢや――ゆうべ屆いた。」

「男の友達だらう?」

「女、さ、國からこなひだ出て來たばかりの。」

「本當か」と、念を押して見たが、兎に角、かの女の機嫌がいいのは、うるさくないだけ、義雄も喜ぶところだ。「からだにさしつかへないなら、市中をぶらついて見ようか?」

()こ、()こ」と、お鳥も勇み出した。

「あたいが通ると、誰れでも、うるさいほど見向くよ」とは、かの女の常からの自慢で、こちらへ來てからも、矢ツ張りさうだと云つてゐる。

「あれだけのハイカラで、もツと美人であつたらと、人が氣の毒がつて見るのだらう」と、義雄がひやかすと、かの女は非常に怒つて、終日、物を云はなかつたことがある。

 義雄はそんなことをかの女のさした櫛に附けても思ひ出した。

 二人は停車場通りを大通りへ出て、南一條、二條の賑やかな街を歩いた。人通りの多いところは、五六寸も積んだ雪を道の兩がはから中央にかき寄せてあるが、人の餘り通らないところの道でも、雪がさく/\して水氣(みづけ)がないから、さう歩きにくくはない。

 曇天ではあるが、積雪の天地に家並みの國旗がひる返つてゐるのは、如何にも新鮮で、氣持ちがいい。往來の人々も、平日とは違つて、よそ行き姿の景氣がいい樣に見える。

 義雄はお鳥に從つて、丸井に立ち寄つた。セルの被布(ひふ)を催促する爲めである。その洋服店と呉服店とは、いづれも高い西洋建てで、賑やかな街の兩角(りやうかど)を占領して、(いかめ)しく分立してゐる。そして、諸國の國旗を結びつけた綱を四角の方々に引きまわしてあつた。そして、また、日が日だけに、店さきはなか/\賑はつてゐた。お鳥はその景氣におそれて大膽に這入り切れなかつたので、義雄がさきに立つて、お鳥の云ふことを取りついでやつた。

 お鳥は途中から車に乘せて呉れろと云ひ出した。局部が痛み出したので、歩いて歸り兼ると云ふ。僅かの道を車もつまらないと思つたから、義雄はかの女をつれて氷峰の下宿へ飛び込んだ。すると、お鈴さんが盛裝して來てゐた。

 義雄はお鳥を、氷峰はお鈴を、互ひに引き合せたが、いづれもまだ正式の夫婦ではない。初對面の挨拶をしたばかりで、お鈴は恥かしい爲めにか口をつぐんでゐるし、お鳥はまた痛みの爲めにだらう顏をしがめて無言だ。

「天長節ぢやと云ふのに」と、氷峰は爐火(ろび)をかき起しながら義雄に向ひ、「困つた、なア――足がないので、そとへも(ろく)に出られん。たとへ出られたとして、面白いことも、何もない、さ。」

御同前(ごどうぜん)だが、ね」と、義雄は受けた。「さうすると、雜誌は今月出ないのか?」

「とても出せん――金の出どこがない。」

「川崎は、もう、駄目なのか?」

「駄目ぢや、なア――社長はこの頃禿()(やす)に周旋さした方の口から矢の如く催促を受けてをる。そんな筈ぢやなかつたと云うて、周旋者の禿げ安を探しまわつてをる。あのおやぢはまた自分が社長に返すべき金があるので、捕へられない樣に逃げてをる。――面白い芝居、さ。社長も苦しからうが、僕も苦しいよ。氷峰が大奮發の――實際、今囘のが僕のありたけの智慧をしぼり出したのぢやと見られても止むを得ない――事業をやつて、一二號でつぶれたと世間から云はれちや、たとへ金は殘つたとしても、僕の將來に大不利益ぢや。(いは)んやこのぴい/\ではないか? この十五日にはとても間に合はんから、いツそ來年元旦の發行に變へて、十二月中に大準備をして、新年號から大發展としようかとも思うてをる。」

「早く別な金主(きんしゆ)を見つけたらどうだ?」

「さうも思はんぢやないが、その先決問題として、今の社長と關係を絶つ時機を見てをるのぢや。僕を信じて資本を出すものがあるとしても、それが社長の左右するところとなつてしまふ樣ではつまらんから、なア。」

「無論だ。」

「時に、どうぢや――北海道の雪には面喰らつただらう?」

「聽かせられてはゐながら」と、少し恥辱を感じながら、「その時になるまでは、まさか、まさかと思つてゐた、ね。――然し、こツちの雪はぱさ/\してゐて、その降り積む樣子が内地のとは違ふ樣だ。その上、雪のつんだあとの晴天は如何にも氣持ちがいい。うららかな太陽が白い上に反射して、空氣が如何にも新鮮で、健全らしい。」

「伊藤公の演説をして氣違ひになりかけた人の言とも思はれん、なア。この不健全文學、神經衰弱の主張者!」かう云つて、氷峰は義雄の顏にほほゑむ。「あの時は僕らは突然の話でびツくりしたんだ。」

「健全とか、不健全とか云ふには」と、義雄も微笑を以つて受け流しながら、「俗人、俗見者流が考へる樣な區別がつくものぢやアない。常識ばかりで事に當るものは、表面上、健全だらう。然し、餘り高いところへも、深いところへも接觸することが出來ない。ところが、その高いところ、深いところに接觸しなければ、人生の眞相を握ることは出來ない。それを握るには努力が入る。常識家にはその努力が不足してゐる。そして、極度の努力には、たとへ身心の過勞、神經の衰弱が伴ふものとしても、その過勞衰弱までに至る努力者が不健全で、殆ど無努力の常識家が健全だと云ふ區別はつくまい。よしんば、區別がつくとしても、そんな區別に由つて無意義の健全を(むさぼ)るものには、進んで不健全と云はれるだけの名譽も見識もあるべき筈がないぢやアないか?」

「何か分らんが、然し僕は矢ツ張り常識家を以つて任ずる、なア――第一、僕は君のやうな堅苦しい、無餘裕の努力家にはなれん。《かみしも》を着けて、眈溺するんぢやから、なア。」

「いや、常識家が勝手にそれをと見るのであつて、――がその人の常用であつたらどうする?」

「あたまはちよん(まげ)と來るか、な?」

 女どもは笑つた。

「馬鹿を云ひ給ふな。常識家こそ、ちよん髷をつけてゐるべき筈が、僅かにそれを切り去つた外形をよそほつてゐるに過ぎない。」

「然し、兎に角、君は何と云つても、根本は保守家であることが分つたよ。」

「無論、僕は日本を中心とする立ち場に於いては保守主義、さ――然し、そのまた奧に、斬新(ざんしん)な態度を發揮してゐるから、その點に於いて新時代の戰士として努力したのだ――またこれからもするつもりだ。」義雄はそれから少し間を置いて、「が、斯う弱つちやア、僕も萬事が過去のやうで――僕自身は既にしやりかうべか何かのやうな氣もする。」

「さう失望し給ふな。」氷峰はこちらを慰める樣に云ふ。

「あのセルがでけてたら、よかつたのに、なア。」斯う、突然お鳥はこちらを見て云つた。

「‥‥‥‥」渠はそれに答へもしなかつたが、お鳥がさツきからお鈴の樣子並びに衣服を意地惡さうに見てゐたのには氣が附かないでもなかつた。お鈴は小豆(あづき)縮緬の羽織に黄八丈の小袖を着てゐる上に、からだも元のお鳥の樣に肉づいて、無病息災らしいのを見ると、葡萄色の(たう)縮緬羽織りのお鳥は、見すぼらしくもあり、また病人らしくもある。そして蒔繪の櫛が出來たぐらゐでは滿足しない慾心を起して、せめて、あのセルが仕立てあがつてゐればよかつたのにと、あせつてるのだらうと、思へた。

 氷峰はそんなことに無頓着で言葉をつぎ、

「北海道では、これからまた活動期に入るのぢや。降雪期の活動はおもに山林の木材切り出しぢやが、雪で凍つたうへを運搬するのぢやから、却つて簡單で便利に行く。」

「若々しい北海道!」この印象が再び義雄の胸に刻みを深くした。これと同時にまた、氷峰が土地拂ひ下げ運動をしかけたのを思ひ出し、「あれはどうした」と聽いて見る。

「あれか?」氷峰は(つま)らなささうに笑つて、「どうせ、駄目ぢやから、あれツ切りにして置いた。」

「天聲君の百萬坪はどうしたらう?」

「さア、あれは名義だけ貸したのぢやから、その運動はほかの人がやつて呉れるし、天聲の地位が兎に角札幌ではいい方ぢやから、成り立つかも知れん。――あれがうまく行けば、君も、約束があるのぢやから」と、初めて義雄を天聲の内へ案内した時の天聲の保證――戲言(ぎげん)ではあらうが――を引き出して、「その一部分を貰ひ給へ。」

「僕もさう思つてゐる、さ――なアに、貰はないでも、安く買つてやる、さ。」

「買うては引き合はん、どうせ、直ぐ賣り飛ばすんぢやから。」

「その時の氣分が許すなら、直接に百姓になつてもいい、さ。」

「君に肥桶(こえたご)が持てるか?」

「そりやア、持つ、さ。」かう義雄が云つたので、お鈴さんは聲を出して笑つた。お鳥もそのおつき合ひの如く苦笑した。

「それよりやア、君」と、氷峰は話題を轉じて、「雪が降り出すと、面白いことがある。」

「どう云ふことだ?」

「山の活動は別として、さ、普通の家では、寒いので、そとへ出まい? 北海道人に割合に物の分つたものが多いのは、内地で一廉(ひとかど)の仕事が出來るものが移住して來たからであらうが、一つには、讀書によつて知識を吸收するからぢや。生活の程度も、それだけ、また進歩してをる。野中(のなか)の一軒家でも、家の造りが粗末ぢやからとて、水飮み土百姓が住んでをると思うては違ふ――ビールのあき瓶が五六本は必らず裏口のそとに棄ててある。――

越年中(をつねんちゆう)は、讀書するか、喰ふか、飮むか、寢るかぢや。子供の出來るのは名物ぢやぞ」と、また女どもの笑ひを引いてから、「面白いのは雪中(せつちゆう)の戀――戀と云へば、奇麗過ぎて當らないか知らんが、積んだ雪と降る雪との間で密談でも、何でもするのぢや。無論、人の少い田舍に多いのぢやが、人が通つても分らないし、自分等もぬくい――北海道の雪はしめり氣がないから。――僕等のもツと若い時にはよくあつたことぢやが、或熱心な女などはそれどころぢやなかつた。十町もあるところから、一丈ばかりの雪を泳いで――北海道では、雪を泳ぐといふが――やつて來た時はその手足は殆ど全く死人の樣に冷えかかつてをつた。」

「あなたのところへ來たのですか?」お鈴さんが聽き咎める。

「さうとも。」

「いやな女です、わ、ねえ」と、かの女はお鳥の方へ向いて笑ふ。

「‥‥‥‥」お鳥はただ(にが)い顏をちよツとやわらげたばかりだ。

 義雄も亦これによつてお鳥が(かつ)て語つたことを思ひ出してゐた。かの女が旭川に父と共にゐた時のことだ――今、由仁(ゆに)にゐる兄の勸めか、命令かにより、柔術を習ひに行つたこと――祭禮のあつた時、藝者の子と一緒に揃ひの衣物で踊つたこと――小學校の往きや歸りにいたづらをする男の兒を、自分の覺えた手で投げ飛ばすと、あたまからさきへ雪の中につきささつたこと――家へ出入の獨身老人に、――それが學校の歸りを待ち伏せしてゐて、――自分のまだ弱い手を引ツ張られて、雪の中で、女房になつて呉れろと云はれたこと――

「あなたは」と、お鈴はなほお鳥に向ひ、「けふ、街を歩いていらツしやつて?」

「はア――。」

「賑やかでしよう?」

「大して賑やかでもありません――東京から見ると、札幌は丸で田舍です、ねえ。」

「あなたは東京を見ていらツしやるから、いいの、ね。」

「然し」と、苦い顏でだが氣取つた調子で、「東京も、もう、いやになりました。」

 すると、氷峰がまた義雄に向つて、

「君は歸ると云うてをつたが、日はきまつたか?」

「ああ――いや」と、義雄はちよツとまごついた。と云ふのは、お鳥にもほのめかしてあるのはあるが、實際に用意してゐるそのことはまだ語つてないのである。それをかの(ぢよ)に感づかれない樣にと、氷峰に、「まだ、どうともきまつてゐない。」

「早く歸る方がよからう、ぜ。」

「それはさうだが――。」お鳥を見ると、もう、感づいたのかして、こちらをちよツと(にら)みつけた。そして胸のそとまで乳のあたりが浪打(なみう)つてゐるのが見える。

 お鈴さんもこの樣子に氣がついたのか、默つてしまつた。

「早くきめ給へ。」氷峰は親切に、「それがきまつたら、僕も天聲君などと相談して、一圓なり、二圓なりづつ、君の友人間から醵金して見よう。」

「そんなことが實際出來るか知らん」と、義雄は云つて、天聲は氷峰に、氷峰は天聲に、相談をゆづり合ふ樣だと思つたので餘り乘り氣にはなれない。

「第一、有馬君がある。」

「いや、あれは可哀さうだ。」

「それから、天聲君。」

「あれも、今、子供が出來たりして困つてるだらう。」

「僕も、無論、今の場合、君も知つてる通りぢやから、なア――大したことは出來ん。」

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