15話 十四
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遠藤の指定した畑中新藏の家も、遠藤のと同じくなか/\門戸を張り、部屋々々もその體裁を飾つてあるが、遠藤の樣な實力がないかして、どことなく、義雄に空虚を感じさせた。床の間にかけた抱一も本物らしく受け取れない。
おほきな瀬戸の圓火鉢を挿んで、主人の新藏は義雄と相對したが、肥大なからだに肥大な聲、挨拶振りが如何にも横柄なので、この田舍者め、おれをまだ知らない、な、と義雄は第一に輕蔑の念が生じた。そして、
「實は、遠藤さんからのお話があつたので來たのですが、どうです、あの件は見込みをつけて、やつて呉れられますか?」
「見込みがあるから、お目にもかかりたいと云うて置いた。」
「なアに、僕もお宅へあがるのはわけのないことですが、これまでにいろんな計畫がすべてぐれたので、今囘のも、どうせ、當てにならなければ、初めから御相談するまでもないのです。君に方針がついてゐれば、一つ、やつて見たいと思ふだけです。先づそれから伺ひたい」と、義雄の熊度が普通に相談を持ちかけて行く人々の樣でなかつた。
「そりやア、君」と、畑中は少し狼狽して禿げたあたまを一つさげて見せて、「いよ/\やり出せば、大事業と云はねばなるまい? さう性急に云はないで、ゆツくり話して見ようぢやないか?」
「無論、御方針のつくことなら、御相談したいのです。」
「實は、わたしもいろんなことをやつて見て、失敗つづきなのぢやから、さういふ突飛なことで一儲け恢復をしたいと思うてをるので――」
「では、申しますが、それも遠藤さんに話して置きましたから、大體御承知でせう。注意してやりさへすれば決して損のない事業です。」義雄は先づその大泊から明き屋を買ひ初め、それをそのままにつぶして船につみ込み、小樽なり、函館なり、青森、酒田、新潟なりへ運ぶ順序と手段とを説明する。そして、マオカなどは自分が實際に行つてよく知つてゐるから、種々の便利があることを語つた。
「何囘にも切つてやれることぢやから、先づ、買ひ占めに一萬圓と見て、あとは船ぢや――汽船は金がかかるし、まア、うまく相談がつけば、帆前ぢやが――」
「無論、帆前船ならいいでせう――然しそれも費用がかかり過ぎると云ふなら、少し大きな和船で間に合ひます。」
「そりや、それでもえい、なア――船の方には、關係がないことはないから、一つ、當つて見ませう――兎に角、よく考へて見ねば事業と云ふ奴は兎角越中ふんどし的だから、なア。」聲高く「は、は、は、は!」と笑ふ。
「何がをかしいんだ!」義雄は心で矢ツ張り輕蔑をつづけ、わざと、圓い目をして主人を見守つたが、また、ほんの、おつき合ひに口だけゆるめて、微笑をする。そして、「では、どうか、御熟考を」と、そこに力を入れて、「願ひたいものです。」
「承知しました――よく考へて見ませう。」新藏はこれで用談は濟んだと思つたのか話頭を轉じて、その態度をうちくつろがせ、「わたくしも日露戰爭の時には儲けそこねました。」或筋から内命が下だつて、露領の沿海州まで、日本ではまだ本當にやつてゐない遠洋漁業の組織で密漁船を出す計畫を、自分が仲間に這入つてやりかけたこと。密漁と云つても、軍艦が保護して呉れると同時に、その獲物は直ぐ軍艦の食糧に買ひあげられる筈になつてゐたこと。安全に利益を占め得られるのだから、汽船持ちを説きつけて、いよ/\出發するまぎはになつて、平和談判に終つてしまつたこと。などを語つた。
然し義雄は新藏が現在何をしてゐる男であるか分らずに引き取つた。
義雄はそこを出て北海メール社へ行き、自分の歸札を報告がてら天聲に會つた。そして、
「僅かの旅費を送つて呉れたら、釧路まで行つて來られたのに。」義雄が責める樣に云ふと、天聲は、
「なアに、僕は心配したのだ。遠藤君にも會つて聽いて見ると、帶廣までに君の爲めばかりに小百圓もかかつたから、またさう使はれたら困ると云うて、社が早く呼び返せと云ふので、あの電報を打つたの、さ」
「社としては、初めの二十圓しかまだ出してゐないぢやないか? それに、僕はただ一囘幌泉で遊んだ切り、何も無駄な使ひ方はしなかつたぞ。」
「それはさうだらうけれど――」
「無論、君のせゐぢやアないが、餘りメール社がけちだ、人のふところを目あてばかりにして、さ。――然しさう分れば、それでいいが、實を云ふと、君が帶廣へ二日間も返電をよこさないので、癪にさはつたから、原稿を中止しようとも思つたのだ。」
「まア、さう云はずに、僕の心配も思つて呉れ給へ。それに、社長が歸れば、また何とか考へもあらうから――」
「然し、そりやア當てにならないよ。ここの社長が歸つて來れば、僕も會つて置くことは置くが、餘り勢力もなく、またけちだから、社が却つて持てないのだと云ふではないか?」
「そりや、事務の方がけちなのだ。考へても見給へ、二三年間に二度も燒けて、兎に角、これだけの新築が出來たのではないか? 月々の發行部數で云へば、優に毎月儲けてをるのだが、負債を返してをるのだ。」
「そんなことアどうでもいい、さ――然し、僕は僕自身の旅行中にやつて來たことだけを、君にしろ、社にしろ、正當に認めて呉れたら、それだけで先づ滿足だ――東京の一文士――僕は文士と云ふ名詞を嫌ひだが――それが、社や道廳や人の金で、諸方を喰ひつぶしてまはつたと思はれるのは御免だから、ねえ――」
「そんなことはない――君の行つた跡、行つた跡へ新聞を無代配布もしたし、世間でも評判がえい樣だ。留守中の社長代理も面白いと讃めてをつたぞ。」
「讃められるのが僕の目的ぢやアない――僕は、貧乏な社が僕に盡しただけの金錢と勞力に相當した働らきをしたと、認められればいいのだ。」
かう云ふ話をして義雄の心が多少落ちついてから、暫らく旅行中の話に移り、帶廣で天聲の名がちよツと役に立つた切り、ほかでは、決してそれを出さないで濟んだこと。旭川でも、メール支局の主任は既に陸軍演習の地に向つた留守で、却つて、反對の新聞社に紹介して貰つて、アルコール釀造場を見たこと。十勝原野や神居古潭の紅葉がよかつたこと。北海道の智識は天聲よりも廣くなつただらうといふこと、などがあつた。
「それから、思ひ出したが、浦河に歡迎會があつた時、頻りに君のことを聽いてゐた藝者があつたよ」と、義雄は天聲の顏を見る。
「誰れだらう?」天聲は得意げに首をひねる。
「月寒にゐたらしい――」
「分らない、なア――」
「おい。」義雄は應接室の椅子を立つと同時に、天聲の肩を不意に輕く叩き、「唐變木の木強漢も、なか/\油斷がならないぞ。」喜ばせ半分にかう云ふと、
「さう、さ」と、天聲もわざと反り身になつて、武骨な澄ましかたをする。
それから、渠は北海實業雜誌社へ行つた。氷峰は空知支廳へ出頭して留守だ。用向きを聽くと、昨日、公布された同支廳管内の山林拂ひ下げの一部を受けようとする運動だ。渠も亦いよいよ窮して來て一かばちかの勝負を仕出した、な、と義雄は微笑した。
雜誌の第二號も、社長の川崎がまた禿安の手を經て苦しい工面の末、漸く昨日印刷屋の手を離れると同時に、發送濟みとなつたさうだ。會計の話によると、地方の廣告料並びに雜誌代を收集すれば、樂に第二號も行く筈であつたが、氷峰が初號からさうけちな催促をしてゐては、社の體面と信用とに關するからと云つてほうつて置くさうだ。
それを會計が、頻りに川崎から小言を喰ふと云つて、こぼした。義雄も初めから氷峰のやり方を緩漫とは見てゐたが、會計をなだめるつもりで、
「まア、氷峰君の考へもあるだらうから、やらして置き給へ」と云つた。そして、自分の短篇小説『金』といふものが載つてゐる雜誌を二三部取つて、有馬の家へ歸つた。
勇は學校から歸つてゐたので、渠を捕らへて義雄はお鳥に語るべきことを間接に渠に語り、遠藤が相當な金を出して呉れたことが分ると、お鳥は直ぐこれから兄のところへ行き荷物を取つて來るから、あすからでも病院に入れて呉れと云ふ。
「それがいい、ね。」勇はお鳥に云ふともなく云つて、どことなく、もぢ/\して義雄の顏いろを伺つてゐたが、「それで、こないだ中から話したかつたのだが」と、急に固くるしい口調になり、然し下を向きながら、「僕も君が暫らくだと思つてとめてゐたが、ね――」
「‥‥」いよ/\出たと、義雄は目をきよろつかせたが、わざと平氣で聽く風をしてゐると、お鳥の方が渠に代つて顏を眞ツ赤にして、額にしわを寄せる。
「長くもなるし、またお鳥さんが入院したら、その近處にゐる必要もあるだらうし、だ」と、勇は脊を延ばして義雄の顏を見た。然し、云ひにくさうにまた横を向き、煙草にまぎらせながら、
「僕の方も君が知つてる通り餘裕のある暮しではないから――さう/\世話もしてゐられないし――云つて見れば、まア、斷わりたいのだ。」
「よし、分つた。」義雄もはツきり答へて、「これから直ぐ僕は下宿屋を決めて來る! 然し君に斷わりを云つて置かなければならないが、君の家にも隨分世話になつたから旅行前に渡したかはせだけで間に合はないかも知れないが――」
「いや、あれは出來次第返すよ。」
「返せと云ふのではない、僕の札幌滯在が長くなつたのは長くなつたが、氷峰君のところにゐた方が多いので、それでなければ、遊廓で――その多い方にもまだ禮はしてないくらゐだから、君の方も待つて貰ひたいのだ。」暗にあれだけやれば十分ではないかと云ふ意をほのめかした。
「さう惡く思はれると、困るが、ねえ――」
「惡く思ふのではない、さ、はツきりした區別は立てて置く必要がある。無論、友人としての間がらは金で勘定は出來ないが、僕に對する有形的な關係は、僕も都合がよくなり次第埋め合せをつけるつもりであつたから。」
この話がある間、お綱さんは用にかこつけてか、裏の方ばかりにゐて、出ては來なかつた。
お鳥も、一つには、義雄の出て行つた留守を獨りでここにはゐづらくなつたのだらう、直ぐ出る汽車のあるのを幸ひ、――あす、でなくば、あさつて歸る約束で、――兄の方へ立つた。札幌區立病院に這入ることは、かの女がけさ行つて既に獨斷で決めて來た。そして、そこの三等室なら、森本春雄も這入つてゐて、義雄はよく知つてゐるので、賛成した。
義雄はその病院の前にある下宿屋の、四疊半に爐を切つてある部屋を約束した。そこへ荷物――と云つても、づツくの革鞄だけだ――を運んでから、前の病院へ春雄を見舞つて見た。
「意外に經過の長いには困つたよ。」春雄はまだ寢臺の上に寢てゐて、話をする。然し鼻を中心にした顏中の繃帶は取れてゐた。「かう長くなるなら、今年の精算をしてから這入るのであつた。鰊の方が十五萬圓、鮭鱒の方が五萬圓、それがどうしても四五萬の利益はあがつてをる筈だが、どうも、まだ精密な勘定が出來ない。」
「然し、もう、よささうではないか?」
「もう直き退院が出來るが、大將は遊んでばかりをつて、僕にまかせ切りで困る。今、釧路へ行つてるが、あすぐらゐここへ來る筈だ、――會ひ給へ。」
「會はう」と、義雄が答へたが、丁度その松田が來るのを幸ひ、森本から云はせて少し金を借りるつもりである。實は、お鳥が來て、かう/\いふ次第だとうち明け、遠藤から借りただけでは心細いし、そのうちには、何とか道がつくからと云ふ。
「兎に角、話して見よう。――然し、君のにも會へる、ね」と、春雄は笑つて云つた。
然し義雄はそれには餘り立ち入らず、旅行中に見た槲の皮剥ぎ並びに澁取りの新事業や、アルコール製造場のことや、牧場や未墾地の遊んでゐるのが多いことや、火山灰の利用方法などを話すと、年若い春雄の心は踊つて、
「早く獨立して、僕も何かやりたい」と云ふ。渠はおほきな漁場の帳場をあづかつてゐるだけに、僅かの給料で束縛されてゐるのが面白くないといふ心持がそのたださへ血の氣の少い病顏にも見えた。
そして、その無聊の感に湧き立つ若い血が、春雄の繃帶の取れた跡の青い顏にほとばしつたのを見て、義雄も亦、自分の深い胸の奧に於いては、溜らないほどの競爭心をふり起した。