魔術師

21話 屋根裏の捕物

4,591字 約9分 2022年7月28日 公開

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 楽屋に踏み込んで、座員の部屋を片っぱしから覗き廻ったが、何というす早さ、どこへ逃げたのか人影もない。

 背景を廻って舞台へ出ると已に緞帳は(おろ)され、その向うから見物のどよめき、女の悲鳴さえ聞えて来る。

「オイ、俺は警察のものだ。見物席の方へ逃げた奴はないか」

 明智はまだ緞帳の綱を結んでいた道具(かた)を捕えて()いた。

「ヘイ、一人も。みんな楽屋の方へ逃げました」

 その男が奇術師一行と関係のないことは、一見して分った。道具方の一同はその小屋に附属しているのだ。

 舞台には奇術に使用する、黒天鵞絨張りの大きな箱が据えられ、その下の床板には夥しい血液の跡。これ程の血のりを、仕掛けの赤インキと信じていたにもせよ、見物も道具方も、何の疑う所もなかったのは、賊の所業が人間の想像力の(けた)をはずれて、余りにもずば抜けていたからに相違ない。

 明智は念の為に、そこにある天鵞絨張りの奇術道具の箱を開いて見たが、中は空っぽだ。まさかそんな所へ隠れる筈はない。

 彼は道具方を案内役にして舞台裏に引返した。大道具の立並んだ間を通り過ぎて、奈落(ならく)の入口へ来ると、別の道具方が待受けていて、囁き声で報告した。

「あっちへ逃げましたぜ。ホラ、あの手品の道具の積んである所です」

 広い舞台裏の一隅に、旧劇用の駕籠(かご)だとか、張りぼての手水鉢(ちょうずばち)だとか、はげちょろの大木の幹などと一緒に、奇術用の大道具小道具が、天鵞絨や金糸(きんし)銀糸(ぎんし)房飾(ふさかざ)り毒々しく、雑然と置き並べてある。舞台裏全体にたった一つ、高い天井から電燈がぶら下っているばかりだから、そのゴタゴタした隅っこは、殆ど暗闇も同然、屈強(くっきょう)の隠れ場所だ。

「奈落へ逃げた奴はないか」

「ありません。あっしはずっとここにいたんだから、見落す気遣(きづか)いはありません」

 明智は道具方に教えられた薄暗い隅へ突き進んだ。道具方二人も、あとに続く。威勢のいい彼等には、泥棒を追駈けるなんて、こんな面白い遊戯はないのだ。

 明智は道具類の作る迷路に踏み込んで行った。美人鋸挽(のこぎりび)きの車のついた大きな箱、剣の刃渡りのドキドキと光ったダンビラの梯子(はしご)、ガラス張りの水槽、脚に鏡をはりつめたテーブルなどが、種々様々のグロテスクな、不気味な陰影を作って、数知れぬ隠れ場所が出来上っている。

「刑事さん、いますよ、いますよ」

 道具方の一人が、側へ寄って来て、ソッと囁く。明智は刑事にされてしまった。

「どこに?」

「ホラ、あの箱の中でさあ」道具方は横に長い棺桶(かんおけ)みたいな黒い箱を指さしながら、聞えるか聞えないかの小声だ。「(ふた)の隙間から覗いたんですが、驚きましたぜ、あの中に、長々と寝そべっていやあがる。変てこな衣裳(いしょう)をつけた奴ですよ」

 三人はその箱を囲んで立った。蓋に手をかけたのは明智だ。中の奴はコトリとも音を立てず、息を殺して静まり返っている。開けたら飛びかかってやろうと、身構えをしているのかも知れない。そいつの手には恐ろしい兇器が握られているかも知れない。

 息づまる瞬間。

 パッと蓋がはねのけられた。三人は思わず身構えをした。だが、中から飛びかかって来るものはなかった。覗いて見ると、暗い箱の中に、横たわる人影、白い肌。きらびやかな飾り衣裳。女だ。

「ハハハハハハ、笑わせやがら」

 道具方の別の一人が、いきなり手を突込んで、その女を掴み上げた。見ると、手は手、足は足とバラバラの女人形に衣裳が(かぶ)せてあったのだ。

「人形ですぜ。ホラ、あの『美人解体術』の種になる奴でさあ」

 なおも奥へ進んで行くと、背景の大道具が重なり合っている、建具屋の倉庫みたいな場所へ出た。一層薄暗く、一層陰影に富み、(かく)れ場所の多い部分だ。

 三人は背景と背景との作る洞穴(ほらあな)の様な隙間を選んで這入って行った。闇の中に、蜘蛛(くも)の巣とほこりと泥絵具の匂いばかりだ。

 明智の鋭い直覚が人の気配を感じた。彼は手を伸ばして頭の上にぶら下っている二本の棒を掴んだ。足だ。背景の上部に平蜘蛛の様にへばりついていた逃亡者の一人だ。

 力をこめて引っぱると、バリバリと背景の布の破れる音。併し、曲者は声も立てずに、床上に降り立った。

 明るい場所へ引出して姿を見れば、道化服の首領ではない。古めかしいタキシードを着込んだ奇術助手だ。

「座長はどこにいる」

 明智が男の腕をねじ曲げて尋ねる。非常手段だ。男は存外あっけなく閉口してしまって、どもりながら答えた。

「あすこ、あすこ」

 指さす方を見ると、背景で出来たトンネルの向側に、ボンヤリと見える、道化姿。

 三人は男を捨てて、その方へ忍び寄る。先に立つのは若い道具方だ。

 向うの道化服はいつまでも同じ場所に立っている。妙なことには、何の為か両手を(はね)の様に伸ばして、ゆらゆらと動かしている。

「オイ、待った」

 明智がやっと気附いて叫んだ時には、もう先頭の道具方が相手に飛びかかっていた。そして、ひどく額を打って跳ね返されていた。

 それは奇術に使う大鏡だった。どこかにいる道化服の怪物が、斜めになった鏡に写っていたのが、あたりが薄暗い為本物と間違ったのだ。

 本物はどこにいるのだ。

 二人の道具方が明智の視線を追って見上げると、意外にも、曲者は舞台上の天井に張り渡した針金の上を、両手で調子を取りながら、渡っている。道化者の滑稽な綱渡りだ。

 何という奇抜な隠れ場所。若し鏡の助けがなかったら、一寸急には発見出来なかったかも知れない。

 舞台下手の出入口に近く、天井に達する直立の梯子(はしご)がある。三人はそこへ飛んで行って天井へと駈け昇った。道具方は慣れたもの、明智も引けは取らぬ、三匹の猿だ。

 追手に驚いた道化者は、針金を渡り尽し、屋根裏の横木を伝って、見物席の天井の上へ逃込んだ。三人も遅れず同じ穴から這い込む。

 屋根裏の大捕物(おおとりもの)だ。

 格天井(ごうてんじょう)の隙間から、逆様の夕立ちみたいに射し込む光線の糸。その外には何の光もない、べら棒に広いがらんどうの暗闇だ。

 曲者の白いダブダブの道化服が白い光の糸を、チラチラと通り過ぎる。

 古い天井には所々、足を踏み抜く程の大きな穴があいている。天井裏を這う間に、そんな穴に出くわすと、遙か下方の見物席の全景が、手に取る様に眺められる。そこにはもう、一人も見物人はいない。不意の椿事(ちんじ)に驚いて、先を争って帰ったのであろう。僅かに物好きな弥次馬(やじうま)が五六人、劇場事務所の人々などが、曲者が屋根裏に逃げ込んだと聞いたのか、舞台の方へ走っている。その中に玉村二郎の姿も見える。アア、警官も到着した。木戸口からなだれ込む数名の制服姿。アア、流石の魔術師ももう(ふくろ)(ねずみ)だ。

 やがて曲者は、表側の屋根裏の隅っこへ追いつめられた。相手は三人、身をかわして逃げ出す見込みはない。絶体絶命だ。

 彼は三角に狭まった隅っこに身をかがめて、じっと動かなかった。猫に追いつめられた鼠が、反対に猫に飛びかかろうとする時の、あの物凄い姿勢だ。下から洩れて来る光の糸が、その部分部分を(しま)にして、一層不気味に浮上がらせている。

 追手が三方からジリジリと獲物目がけて這い寄って行く。

 突然曲者の右手にキラッと光ったものがある。ア、短刀だ。愈々鼠は猫に刃向って来る(つも)りだ。

 道具方二人は逃げ腰になった。明智も足場を定めて、防戦の身構えをした。そして、なおもジリジリと敵に近づいて行く。

 と、途方もない不思議なことが始まった。賊は短刀の刃先を追手に向ける代りに、我と我が喉に当てて、今にも自殺し相な様子を示す。驚いて一歩退くと、短刀の手を卸すが、又近づくと、その切先が(のど)へと飛上る。

 アア、何ということだ。賊は近づくと自殺するぞとおどかしているのだ。しかも本当に喉笛を掻切る勇気もないのだ。これがあの世間を騒がせている大胆不敵の怪賊の仕草(しぐさ)であろうか。一生涯を復讐事業に捧げた人物の行いであろうか。彼の従来の傍若無人なやり口に比べて、この無気力な態度は、余りにも烈しい相違ではないか。

 そこまで考えた時、明智の胸にある恐ろしい疑いが閃いた。彼はゾッとした。「しまった」と思うと、流石の名探偵も、胸から背中から、冷たい油汗がにじみ出すのを感じた。

 いや、そんな筈はない。一座の内で道化服を着ていたのは、座長の怪人丈けだ。小人数の一座に同じ風体の道化師が二人も居る筈はない。その証拠には道具方も「あれが座長だ」と云って疑う様子もなく追撃を始めたではないか。

「オイ、君は座長ではないのか」

 尋ねて見ても、相手は恐怖の為に即座に返事も出来ない様子だ。

「君は一体誰だ。座長でない者が、どうしてそんな服装をしているのだ」

「座長ではありません」やっと相手が震え声で答えた。「軽業師の木野(きの)ってもんです」

 それを聞くと明智は相手の兇器を無視して、飛びかかって行ったかと思うと、(えり)がみを掴んで、男の顔を下からの細い光線の中へ、グイとねじ向けた。見ると全く人違いだ。取るにも足らぬ若造だ。容貌は奇怪な化粧で分らぬけれど、顔の輪廓がまるで違う。遠方と暗さの為に、こうして近々と眺めるまでは、年齢や顔の輪郭までは見極めることが出来なかったのだ。

 明智は若者を虫けらの様に突き離して置いて、元来た梯子の方へ引返し、おそまきながらもう一度舞台裏を検べて見ようとした。

 だが、入口の穴まで来て、下を見卸すと、梯子の昇り口に群がりよる一団の人々。警官、座方の者、弥次馬、それに玉村二郎まで、全員こぞって、屋根裏目ざして(あつま)って来た所だ。

「二郎君、木戸口の見張りはどうしたんだ」

 明智は烈しい口調で尋ねた。

「木戸口の見張ですって、そんなことどうだっていいじゃありませんか。手下の奴等が逃げてしまっても、首領さえ捕えれば」

 二郎は呑気(のんき)な返事をした。無理はないのだ。道化服の怪人は明智を初め三人のものに、屋根裏へ追いつめられた。もう何も表口裏口を見張っている必要はない。それよりも明智に協力して屋根裏の怪賊を捕えなければならぬ。一刻も早く恋人の敵の顔が見てやり度い。と二郎が考えたのは、誠に自然である。二郎がその考えだから様子を知らぬ警官にしても、座方の者にしても、もう犯人は捕まったことと思って、ただ屋根裏へと殺到したのだ。

 直ちに場内から表の往来まで隈なく捜索したが、已に手遅れ、首領の怪物も、部下の連中も、娘の文代まで、行衛知れずになっていた。

 道化服の若者を取調べて見ると、彼は近頃元の親方の所から、多分の金を持逃げして、怪賊の一座にかくまわれていた者で、さっき「美人解体術」が終って間もなく、座長が「木戸口にデカらしい奴が来ているから、万一の用意に、お前は俺の道化服を着て白粉を塗って、姿を変えているがよかろう」と注意してくれたので、その通りにしていると、今の捕物騒ぎだ。(すね)に傷持つ彼は、テッキリ自分が捕縛されるものと思い込み、持前の軽業で、綱渡りから天井裏への逃走となったのである。彼は泥棒などする男に似合わず極度の小心者で、短刀を用意していたのも、繩目の恥を受けるよりは、いっそ自殺したがましだと、本当に考えたからであった。併しいざとなると、やっぱり駄目で、結局捕縛されてしまったが、聞けば、泥棒をしたのも、慾心からではなく、色女に貢ぐ為だったという事だ。

 無論これは、例の怪物の、悠々(ゆうゆう)(せま)らぬ、からかい顔の逃走トリックであった。流石(さすが)の明智もそこまで手早い用意が出来ていようとは知らず、思いもかけぬ失策を演じてしまったのだ。

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