魔術師

31話 消失せた令嬢

3,258字 約7分 2022年7月28日 公開

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 復讐鬼の方には、悪魔は悪魔ながらの理窟もあろうけれど、敵を討たれる玉村氏一家のものは、我身に何の覚えもないことだ。親が若気の至りで、どの様な悪いことにしたにもせよ、それ故に、子や孫が一人残らず、この苦しみを受けなければならぬという道理はない。

 父善太郎氏は、親の報いとあきらめもしようけれど、可愛い子供が三人まで、同じ()()を見せられるとは、余りと云えば残酷だ。そればかりではない。一郎と妙子とは、已に一度、ひどい手傷を負わされている。その外、善太郎氏の弟の得二郎氏は無残の最期をとげ、二郎の恋人花園洋子は、手足をバラバラに斬りさいなまれたではないか。

 アア、何という貪慾(どんよく)な復讐鬼であろう。彼は玉村家の、最後の一人までも、イヤ、一家のものばかりではない。その近親にまで手を延ばして、残酷無比の殺戮(さつりく)を行おうとしているのだ。最早(もは)や復讐ではない、立派な殺人狂である。天はかくの如き大悪魔の跳梁(ちょうりょう)を、いつまで許して置くのであろう。

 イヤイヤそうではない。自然の摂理(せつり)というものは存外公平である。企みに企んだ悪事にも、つい思いもよらぬ抜け目があるものだ。

 魔術師の場合では、文代の内通がそれであった。彼女は穴蔵水責めの悪企みを小耳にはさみ、隅田川の川口に碇泊していた、賊の汽艇を抜け出して、玉村親子の危難を、名探偵明智小五郎に急報し、彼を案内して旗本屋敷へ駈けつけたのである。

 明智はこのことを、電話で警視庁の波越警部に報じて置いたので、深夜ながら、警視庁と小石川警察と、両方から数名の警官が出張し、玉村氏が同行して、別間に待たせてあった書生達と力を合わせ、被害者の救出(すくいだ)しに努力した。

 救助者の一群は、秘密の階段を駈け降りて、穴蔵の入口に殺到したが、厳重な鉄扉の外に、煉瓦の壁が積み上げてあるので、容易に破れるものでない。

 若し一人や二人の救助者であったなら、恐らく玉村親子の息のある内に、救出すことは、到底不可能であっただろうが、多人数の力は恐ろしい、てんでに道具を探し出して来て、煉瓦の継目(つぎめ)をこじるもの、叩くもの、蹴飛ばすもの、汗みどろの奮闘で、やっと壁をくずし、鉄扉の錠前を破ることが出来た。

 扉を開くと、一度にドッと(あふ)れ出す濁水、先に立った警官達は、はずみを食って、階段の根本まで押し流される騒ぎであったが、兎も角も、親子三人のものを、助け出すことに成功した。

 地上の一室へ運んだ時には、三人ともグッタリとなって、(ほとん)ど死骸も同然であったが、焚火(たきび)をするやら、湯を沸かすやら、手を尽した介抱に、善太郎氏も一郎も二郎も、日頃健康な人達のこと(ゆえ)、難なく気力を恢復した。

 意識を取戻した善太郎氏が、第一に尋ねたのは、

「妙子は、妙子はどうしました」

 と、愛嬢の安否であった。

 人々は、暗闇の水中で、妙子さんの姿がなくなった(よし)を聞くと、早速穴蔵へ降りて、(くま)なく捜索したが、不思議なことには、影も形もない。扉は厳重に閉っていたのだし、水の落ち込む穴から地上へ抜け出すなんて、屈強な男子にも出来ない芸当だ。とすると妙子さんは、一体全体どこへ消え失せてしまったのであろう。

 イヤ、消え失せたのは、妙子さんばかりではない。魔術師の奥村源造も、どこへ逃げ去ったのか、何の手掛りも残さず、それに、もっとおかしいのは、肝腎の明智小五郎と賊の娘文代の二人が、いつの間にどこへ立去ったのか、探しても探しても影さえ見えぬのだ。

 では、彼等は一体どこに何をしていたのか、玉村父子は首尾よく危難を逃れたのだから、その方は一先ずお預りとして置いて、作者は明智と文代の其後(そのご)の行動を、読者諸君にお知らせしなければならぬ。

 玉村父子救出(すくいだ)しの見込みが立つと、明智はもう、その場にクズクズはしていなかった。彼は早くも、妙子さんの姿のないことを見て取り、文代に尋ねると、

「アア、あたし思出しました。あの人達は、妙子さん丈け命を助けて、船へ連れて来る様な相談をしていたのです」

 との答えだ。

「それにしても、どうして穴蔵から連れ出したのでしょう。特別の通路でもあるのですか」

「エエ、あたし、それも知って居ります。穴蔵の壁に小さな隠し戸がついていて、そこから、邸の外の原っぱへ抜けられるのです」

 あとで検べて見ると、穴蔵の煉瓦の数枚が、倉庫の扉の様に、外から開く仕掛けになっていた。賊はその外へ廻って、目ざす妙子さんを、闇の穴蔵から、ソッと連れ出して行ったものに相違ない。父も兄達も、あの騒ぎの最中なので、それに気づかなかったのだ。

「では、すぐそこへ案内して下さい。あなたはなぜ早く、それを云わないのです」

 文代は叱られて、答える術を知らなかった。彼女は最初からそこへ気づかぬではない。だが、そこには、まだひょっとしたら父が潜伏していないとも限らぬ。いくら正義の為とは云え、恋の為とは云え、父を売るのに、躊躇を感じない娘があるだろうか。これ程苦しんでいるものを、まるで思いやりもない様な、明智の言葉がうらめしかった。

 と云って、もうここまで来たものだ、今更ら父をかばい立てしている訳には行かぬ。

「エエ、ご案内しますわ」

 彼女は悲しい決意を示して答えた。

 行って見ると、洞穴の入口は、蓬々(ぼうぼう)と生い茂った雑草に覆われて、一寸見たのでは少しも分らぬ様になっていた。

 その雑草をかき分けて、用意の小型懐中電燈を点じて、穴の中へ這い込んで見たが、大方想像していた通り、そこにはもう、人の影もなかった。

「アラ、こんなものが落ちていましたわ」

 文代が目ざとく、土の中から拾い上げたのは、銀製のヘヤピンである。見覚えとてないけれど、妙子さんのものに相違ない。

「やっぱりそうだ。もう今頃は、あいつの船へ連れ込まれている時分かも知れません。サア、船へ行きましょう。まさか、あなたを置去りにして出帆(しゅっぱん)してしまうこともないでしょう。僕をその船へ案内して下さい」

「エエ、それはもう、あたし覚悟していますけれど、あなたお一人では……」

「ナニ、心配することはありません。グズグズしていては、手おくれになります。それに大勢で向うよりも、僕一人の方が却って仕事が仕易いのです。僕はもうちゃんと、その手だてを考えてあります」

 そこで、二人は手を取って、大通りまで駈け出すと、タクシーを(やと)って、隅田河口(かこう)へと飛ばした。

 文代の指図で車の止った所は、月島海岸の見渡す限り人気もない、淋しい広っぱであった。川口の航路をさけて、遙か彼方に、一艘の小型汽船が、泊るともなく漂うともなく浮んでいる。淡い檣燈(しょうとう)の光で、やっとその所在が分るのだ。

「何か合図があるのですか」

 親船から(はしけ)を呼ばねばならぬ。それには賊の定めた合図がある筈だ。

「エエ」

 文代は答えて、ポケットからマッチを出すと、それをシュッとすって、二三度振り動かし、燃えかすを海の中へ投げ捨てた。

 暫く待つと、ギイギイとオールのきしり、小型ボートが白い小波(さざなみ)を立てて、岸に近づいて来た。

 明智はす早く岸の石垣に隠れる。

「文ちゃんかい」

 ボートから低い声が尋ねた。

「エエ、お前、三次(さんじ)さん?」

「そうだよ。もう親父さん帰っているぜ。文ちゃんはどこへ行ったと、えらく探していたぜ」

「お父さん、一人で帰ったの」

「インヤ、例のお嬢さんと二人連れさ」

 低い声だけれど、明智はこの問答を、すっかり聞き取った。

「三次さん、ちょいとここまで上ってくれない。荷物があるのよ」

 文代は兼ねての打合わせに従って、三次を上陸させようとした。

「荷物だって、何を又買い込んで来たんだね」

 それとも知らぬ、お人好しの三次は、ボートをもやって、ノコノコと石段を上って来た。

「文ちゃん、荷物って、どこにあるんだい」

「ここよ」

「どれ、どこに」

 と、三次が覗く石垣の蔭から、ヌッと現われた黒い人影。

「ヤ、貴様、一体誰だッ」

「ハハハハハハ、びっくりしなくてもいい。声さえ立てなければ、無闇(むやみ)に発砲する訳じゃないんだから」

 明智がおとなしい口調で答えた。だが彼の右手には、ピカピカ光るピストルの筒口が、三次の胸板を狙っている。

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