魔術師

33話 八対一

5,785字 約12分 2022年7月28日 公開

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「ワハハハハハハハハハハ」

 突如として、笑いが爆発した。奥村源造が腹を抱えて笑い出した。

「オイ、探偵さん。こいつは愉快だね。一足おそかったよ。おそかりし探偵さんだ。ワハハハハハハハ、俺はもうお先きに仕事を済ませてしまったのだよ。君が妨げようとして、あんなにもがき廻っていた仕事をだぜ。オイ、分るかね。玉村一家のものは、今頃どこにどうしているか、君は知っているかね」

 勝ちほこった源造が、気違いのようにわめいた。だが、明智がそれに驚く筈はない。

「旗本屋敷の穴蔵で、水責めにあっているとでも云うのですか」

 彼は皮肉な調子で聞返した。

「ゲッ、それでは、キ、貴様、あれを、……」

 源造は極度の狼狽(ろうばい)に、口も利けぬ。見る見る、額には玉の汗が浮んで来た。

「ご安心なさい。玉村親子は、無事に救われました。今頃は邸に帰って、暖いストーブの前で、おくれた晩餐(ばんさん)をやっている時分ですよ」

 それを聞いた源造の顔は、絶望にひん曲った。一刹那、サッと血の気が失せたかと思うと、次の瞬間には、顔中が紫色にふくれ上り、額の静脉が虫の様に(うごめ)いた。明智は生れてから、こんな恐ろしい人間の表情を嘗つて見たことがなかった。

 絶望の悪魔は、両手で頭を抱えて、ヨロヨロと椅子に倒れ込んだ。そして、血走った目を不気味にキョロキョロさせて、取るべき手段を思いめぐらすと見えたが、やがて、徐々に奇妙な安心の色が浮んで来た。彼は激情の余り、ついそれを胴忘(どうわす)れしていたのだ。

「だがね、探偵さん」

 源造は考え考え切り出した。

「君は、いつかの森ヶ崎の西洋館を忘れたかね。あすこで一体どんなことがあったのだろう。エ、思い出して見給え。ホラ、君と俺と妙な取引きをやったことがあるじゃないか」

 だが、それにも明智は驚かなかった。

「ウン、覚えていますよ。あの時は君の方に妙子さんという人質があって、結局僕の負けになったのですね」

 オヤ、こいついやに落ちついているな。と思うと、源造は少し不安になって来たが、屈せず喋り続ける。

「ホラ見給(みたま)え。あの時と今と、一体どう違うのだ。君は、妙子が今どこにいるか、知っているのかね」

「知っていますとも」明智はニヤニヤ笑った、「向うの小部屋に閉め込んであるというのでしょう。ところが、僕はあの部屋の鍵を手に入れたのですよ。そして、妙子さんにピストルを二挺渡して、その鍵で内側から締りをして置く様に云って来たのですよ。で、誰かが、例えば君の部下が、あすこへ這入ろうとすれば、第一ドアが開かぬし、仮令それを叩き破っても、妙子さんのピストルで、お陀仏(だぶつ)。と云う訳なのです」

 源造は心を落ちつける為に、長い間黙り込んでいた。この様な強敵に対しては、(あわ)ててはいけない。ゆっくり考えて、最善の手段をとらねばならぬ。

「で、つまり俺をどうしようというのだね。君は一人だ。俺の方には七人の部下がいる。おまけに、この船はどこへでも走り出すのだ。俺の云った人質というのは、なにも妙子ばかりではないのだぜ」悪魔は不気味な嘲笑を浮べ、いきなり人差指を明智につきつけた、「君だよ、人質というのは。飛んで火に入る夏の虫という、古いせりふがあったっけね。フフフフフフフフ」

 彼は含み笑いをしながら、部屋の隅の机に近づいて、その抽斗(ひきだし)を開き、何かを取出そうと、手をさし入れたが、探しても探しても、その品物がないのを知ると、ハッとして明智の顔を見つめた。

「君の探しているのは、これじゃありませんか。君の留守中に、抜かりなく拝借して置きましたよ。僕だって、命は惜しいですからね」

 明智はそう云いながら、ポケットからピストルを出して、相手に狙いを定めた。

「畜生ッ」

 源造は、又しても先手をうたれて、地だんだを踏んだ。(しか)し、ピストルを持つ相手に飛びかかる訳にも行かぬ。

「サア、文代さん。外へ出ましょう。僕達はまだ仕残した仕事があるのです。お父さんですか。ナニ、お父さんは暫くこの部屋で御休息願うことにしましょうよ」

 明智の言葉に、文代はオズオズと立上って入口へ近づいた。

「コラ、文代、貴様(きさま)親を裏切る気か」

 源造の恐ろしい目が、刺す様に睨みつけた。

「お父さん。私も一緒に牢屋(ろうや)へ行きます。死刑になる運命なら、私も一緒に死にます。どうか堪忍(かんにん)して下さい」

 文代は泣きながら、父をあとに残して部屋を出た。明智はそのドアへ、外から鍵をかけた。(鍵はさい前、ピストルと一緒に手に入れて置いたのだ)流石の源造も、相手が飛道具を持っているので、どうすることも出来なかった。

「サア、君はこれを持っていて下さい。そして、奴等が手向いし相だったら、構わずぶっ放して下さい」

 明智はピストルを文代に渡して、部下の者を捕縛(ほばく)する為に、甲板へ出て行った。

 と、出会い(がしら)に、一人の部下にぶつかった。

「オイ、三次じゃねえか。どこにいたんだ。みんなで大探しをしているんだぜ」

 淡い檣燈(しょうとう)の光で、おぼろな姿を認めて、相手が叫んだ。

「ウン、俺はここにいるんだ。お前みんなを呼び集めて来な。三次が見つかったって」

 声も違う、云うことも変だ。併し相手は何も気づかず、いきなり大声で怒鳴った。

「オーイ、みんなア、三次がいたぞオ。ここにいたぞオ」

 やがて、ゾロゾロ集って来た七人の前科者。みんな酔っぱらっている(うち)に、比較的正気な奴が、ふと明智の姿に疑いを起してツカツカと近づいて来た。

「三次だって、オイ、こんな三次があるもんか。こいつ一体どこのどいつだ」

「成程、三次じゃねえ。ヤイ、貴様は誰だッ」

 人違いと分ると口々にどなり(はじ)めた。

「僕は明智小五郎っていうのだ」

 明智がおだやかな声で答えた。

「ワア」というどよめき。七人のものは、油断なく身構えた。

「みんな、手向いすると、うちますよ」

 明智のうしろから、文代がピストルを構えて、姿を現わした。

「や、文ちゃんじゃねえか。これは一体どうしたというのだ」

 酔のさめ切らぬ一人が、頓狂な声を立てた。

「どうもしない。君達を一人残らず縛り上げて、牢屋へぶち込もうという訳さ」

 明智がほがらかに云い放った。

 七人の者は、酒宴の最中だったので、武器を身につけていない。それはみんな船尾の彼等の部屋に置いてあるのだ。

 武器の方へ、武器の方へ、一同云い合わさねど、心は一つだ。ジリジリとその方へあとじさりを初めた。

 明智と文代は、それを追って一歩一歩進んで行く。

 七人の一番うしろの奴が、とうとう船尾の部屋のドアを探り当てた。彼はそれを開いて中に飛込む、続いて一人、又一人、残らず部屋へ這入ってしまった。

 明智はそこまでは、相手の()すに任せていたが、最後の一人が中からドアを締めようとした時、飛鳥(ひちょう)の素早さで、片足を部屋の中に入れ、全身の力でドアを押しのけて、文代と共に、中へ入り込んでしまった。

 だが、明智ともあろうものが、何という向う見ずな振舞(ふるまい)をするのだ。それでは敵の思う(つぼ)ではないか。見よ、彼等は已に七人が七人とも、てんでにピストルを握って、今這入って来た明智達に狙いを定めているではないか。

「僕はうまうま君達の計略にかかった様だね。ピストルが七挺と。さて、どこを狙ったもんだろうね。額か胸か、それともこうして笑っている口の中へぶち込むかね」

 明智は云いながら、額を、胸を、口を、指さして見せた。

 七人の者は、相手の余りの大胆さに気を呑まれて、やや暫く立ちすくんでいたが、

「ぶっ放せッ」

 一人が叫んで、引金を引くと、一同気を取り直して、カチン、カチンと発砲した。

「オヤ、妙だね。カチンカチンと云ったばかりで、(たま)が飛出さぬ様だね。ハハハハハ、もう一度やってごらん」

「うぬ」

「畜生ッ」

 てんでに叫んで、又カチンカチンとやって見たが、やっぱり駄目だ。

「君達は、僕がこの船に来てから、今まで何もしないでいる程ボンクラだと思うのかね。そいつはちっと不服だぜ。僕はすっかり戦闘準備をととのえて置いたのだ。それでなくて、一人ぽっちで、船一(そう)乗取ろうなんて、出来ない相談だからね」

 アア何という恐ろしい探偵だ。彼は単身賊の汽船をとりこにしようとしているのだ。

「見給え。ここに細引が積んである。これが今に君達の身体へまきつこうという訳なのだ。この部屋へ逃込むことを見通して、ここに捕繩(ほじょう)まで用意して置いたのだぜ」

 賊共は、余りのことに開いた口がふさがらぬ。悪人であればある程、段違いの相手に出会うと、却って意気地なくへこたれてしまうものだ。七人の(やつ)は、蛇に見こまれた(かわず)の様に、ひっそりと静まり返ってしまった。

 管々(くだくだ)しく書くまでもない。文代のピストルにおどかされながら、彼等は瞬く内に、一人一人、身動きもならぬ様に縛り上げられてしまった。

 明智は捕虜どもをその部屋に締め込んで置いて、再び元の首領の部屋へ取って返した。

 来て見ると、源造をとじこめて置いた部屋では、恐ろしい騒ぎが始まっていた。ドアが風をはらんだ帆の様にふくらんで、メリメリメリメリと物凄い音を立てている。激怒した猛獣が、怒号しながら檻を破ろうとしているのだ。

「アラ、どうしましょう」

 父ながら、余りの恐ろしさに、文代は明智の腕にすがりついて、悲鳴を上げた。

「構いません、疲れるまで、やらせて置きましょう。決して心配することはありません」

 だが、果して心配しなくてもよいのだろうか。見よ、ドアの鏡板は已に破れたではないか。メリメリ、メリメリ、それに勢を得た猛獣は荒れに荒れて、とうとう扉に出入り出来る程の大穴をあけてしまった。

 アッと思う間に、その穴から、源造の身体が、鉄砲玉の様に飛び出して来た。明智が文代の手からピストルを取って身構える間もあらばこそ、悪魔は巨大な蝙蝠(こうもり)の様に、風を切って甲板へと飛び出した。

 叶わぬと見て、海へ飛込むつもりだ。アア、ここで逃がしたら折角の苦心が水の泡だ。魔術師とまで呼ばれた怪賊、どの様な恐ろしい再挙を目論(もくろ)まぬとも限らぬ。それを明智は、どうして平気でいるのだろう。賊を追駈けようともせず、あとからノソノソ歩いて行く。

 その頃は已に東の空が白んで、甲板はもう薄明るくなっていた。

 源造はそこへ走り出すや、いきなり一方の(ふなばた)へ駈け寄って、飛込む身構えをしたが、ひょいと海面を見おろすと、思わず、

「ギャッ」と悲鳴を上げた。

「ハハハハハハハ、どうですね。今度こそは、完全に僕が勝利を得た様ですね」

 (あかつき)の空に高らかに響く明智の笑い声。

 海面には、かすむ朝もやを隔てて、水上署(すいじょうしょ)の大型ランチが、手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。艇上にはピストルを握った警官の群、見れば、その中に警視庁の波越警部も混っている。(いま)(がた)このランチが到着したことを、明智はちゃんと知っていて、賊が逃げ出しても一向慌てなかったのだ。

 進退(きわ)まった怪賊は、キョロキョロあたりを見廻していたが、やがて、「オーッ」と猛獣の様なうなり声を立てたかと思うと、いきなり手近かに開いていた昇降口から、船倉へと駈けおりて行った。一体全体何をする積りであろう。

 明智はやっぱり慌てもせず、ノソノソと賊のあとからおりて行く。

 見ると、源造は、真暗な船底で、しきりとマッチをすっていたが、やがて、パッと燃え上ったのは、油のしみた布屑(ぬのくず)だ。彼はそれを片手に掴んだかと思うと、一隅(いちぐう)に置いてあった箱の中へ、ヒョイと投げ込んだ。

「アッ、危いッ。爆発薬です」

 文代の絹を裂く様な叫声(さけびごえ)

 そこには賊の最後の武器が残っていたのだ。悪魔は絶望の極、恨み重なる明智を道づれに、船もろとも、我身を粉微塵(こなみじん)にしようと決心したのだ。まことに一代の兇賊にふさわしい最期と云わねばならぬ。

 だが、アア何というみじめなことだ。滑稽千万にも、肝腎(かんじん)の爆薬が、いつまでたっても、線香花火ほどの音さえ立てぬではないか。

「それを僕が見逃がして置いたとでも思うのですか。触ってごらんなさい。火薬は水びたしですよ。ホラ、ここにあるこのバケツで、海の水を一杯、さい前ぶっかけたばかりです。いつまで待っても、爆発なんかするものですか」

 恐ろしい名探偵が、とどめをさした。

「アア、俺は、俺は……」

 源造は気違いの様に、我が髪の毛をかきむしった。そして、いきなり明智に武者振(むしゃぶ)りつき、

「お願いだ。殺してくれ。殺してくれ。この上生恥(いきはじ)をさらすのは耐らない」

 と世迷言(よまいごと)をわめき立てた。

「お父さん、お父さん」

 文代も、父のあまりのみじめさに、声を上げて泣き出した。

 可哀相だ。併しそれだからと云って、この罪人を許す訳には行かぬ。まして、(ゆえ)もなく殺すことが出来るものではない。

「何という醜態です。悪人なら悪人らしく、正しい裁きをお受けなさい」

 明智がつき放したので、源造はたわいもなく船底にぶっ倒れたが、暫くすると、ふと何か思い出した様子で、ピョコンと起上り、半狂乱の体で階段を駈け昇って、自分の部屋へ飛込んで行った。

 戸棚を探すと、あった、あった、黄色い小さな薬瓶。これさえあれば、何も生恥をさらすことはない。

 彼は目をつむって、その薬をゴクリと飲みほした。そして、グッタリと椅子に腰をおろし、空ろな目で、遠くの方をじっと見つめていた。

「アア、とうとうそれを飲みましたね」

 明智が這入って来て、やっぱりニコニコしながら声をかけた。

「どうです。苦しいですか。あの薬どんな味がしましたね。変じゃなかったですか。シャンパンみたいな味がしなかったですか」

 源造はそれを聞くと、不気味な表情で、ニヤニヤ笑った。余りのことに、もう驚く力もないのだ。笑ったかと思うと、両手を顔に当てて、さめざめと泣き出した。

「アア、ひどい。あんまりひどい。俺はこれ程の(むく)いを受けなければならないのだろうか。最後の毒薬まで、シャンパン酒と入れ替えて置くなんて。君は悪魔だ。……悪魔だ」

 流石の明智も、この体を見ると、少々後悔し(はじ)めた。あまり手落ちなくやり過ぎたのではなかろうか。職務とは云え、少し無慈悲すぎたのではなかろうか。と、自から疑う程の気持になった。

 だが、悪魔はどこまでも悪魔であった。彼はもう泣いてはいなかった。泣くどころか、顔中を筋だらけにし、小鼻をいからし、口をひん曲げ、世にも恐ろしい呪いの言葉をはき始めた。

 それを聞くと、明智はやっと安堵した。やっぱり俺のやり方は正しかったと思った。それ程も、悪魔の呪咀(じゅそ)は恐るべく憎むべきものであった。

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