3話 文芸的な、余りに文芸的な(3)
読み方を変える
もう一度佐藤春夫氏の言葉を引けば、「文章はしやべるやうに書け」と云ふことである。僕は実際この文章をしやべるやうに書いて行つた。が、いくら書いて行つても、しやべりたいことは尽きさうもない。僕は実にかう云ふ点ではジヤアナリストであると思つてゐる。従つて職業的ジヤアナリストを兄弟であると思つてゐる。(尤も向うから御免だと言はれれば、黙つて引き下る外はない。)ジヤアナリズムと云ふものは畢竟歴史に外ならない。(新聞記事に誤伝があるのも歴史に誤伝があるのと同じことである。)歴史も又畢竟伝記である。その又伝記は、小説とどの位異つてゐるであらう。現に自叙伝は「私」小説と云ふものとはつきりした差別を持つてゐない。暫くクロオチエの議論に耳を貸さずに抒情詩等の詩歌を例外とすれば、あらゆる文芸はジヤアナリズムである。のみならず新聞文芸は明治大正の両時代に所謂文壇的作品に遜色のない作品を残した。徳富蘇峰、陸羯南、黒岩涙香、遅塚麗水等の諸氏の作品は暫く問はず、山中未成氏の書いた通信さへ文芸的には現世に多い諸雑誌の雑文などに劣るものではない。のみならず、――
のみならず新聞文芸の作家たちはその作品に署名しなかつた為に名前さへ伝はらなかつたのも多いであらう。現に僕はかう云ふ人々の中に二三の詩人たちを数へてゐる。僕は一生のどの瞬間を除いても、今日の僕自身になることは出来ない。かう云ふ人々の作品も(僕はその作家の名前を知らなかつたにしろ)僕に詩的感激を与へた限り、やはりジヤアナリスト兼詩人たる今日の僕には恩人である。僕を作家にした偶然はやはり彼等をジヤアナリストにした。若し袋に入れた月給以外に原稿料のとれることを幸福であるとするならば、僕は彼等よりも幸福である。(虚名などは幸福にはならない。)かう云ふ点を除外すれば、僕等は彼等と職業的に何の相違も持つてゐない。少くとも僕はジヤアナリストだつた。今日もなほジヤアナリストである。将来も勿論ジヤアナリストであらう。
しかし諸大家たちは暫く問はず、僕はこのジヤアナリストたる天職にも時々うんざりすることは事実である。
(昭和二年二月二十六日)
二十一 正宗白鳥氏の「ダンテ」
正宗白鳥氏のダンテ論は前人のダンテ論を圧倒してゐる。少くとも独特な点ではクロオチエのダンテ論にも劣らないかも知れない。僕はあの議論を愛読した。正宗氏はダンテの「美しさ」には殆ど目をつぶつてゐる。それは或は故意にしたのであらう。或は又自然にしたのかも知れない。故上田敏博士もダンテの研究家の一人だつた。しかも「神曲」を飜訳しようとしてゐた。が、博士の遺稿を見れば、イタリア語の原文によつたものではない。あの書き入れの示すやうにケエリイの英吉利訳によつたのである。ケエリイの英吉利訳によりながら、ダンテの「美しさ」を云々するのは或は滑稽に堕ちるのであらう。(僕も亦ケエリイの外は読んだことはない。)しかしダンテの「美しさ」はたとひケエリイの英吉利訳だけ読んでも、幾分か感ぜられるのは確かである。……
それから又「神曲」は一面には晩年のダンテの自己弁護である。公金費消か何かの嫌疑を受けたダンテはやはり僕等自身のやうに自己弁護を必要としたのに違ひない。しかしダンテの達した天国は僕には多少退屈である。それは僕等は事実上地獄を歩いてゐる為であらうか? 或は又ダンテも浄罪界の外に登ることの出来なかつた為であらうか?……
僕等は皆超人ではない。あの逞しいロダンさへ名高いバルザツクの像を作り、世間の悪評を受けた時には神経的に苦しんだのである。故郷を追はれたダンテも亦神経的に苦しんだのに違ひない。殊に死後には幽霊になり、彼の息子に現れたと云ふことは幾分かダンテの体質を――彼の息子に遺伝したダンテの体質を示してゐるであらう。ダンテは実際ストリントベリイのやうに地獄の底から脱け出して来た。現に「神曲」の浄罪界は病後の歓びに近いものを持つてゐる。……
しかしそれ等はダンテの皮下一寸に及ばないことばかりであらう。正宗氏はあの論文の中にダンテの骨肉を味はつてゐる。あの論文の中にあるのは十三世紀でもなければ伊太利でもない。唯僕等のゐる娑婆界である。平和を、唯平和を、――これはダンテの願ひだつたばかりではない。同時に又ストリントベリイの願ひだつた。僕は正宗氏のダンテを仰がずにダンテを見たことを愛してゐる。ベアトリチエは正宗氏の言ふやうに女人よりもはるかに天人に近い。若しダンテを読んだ後、目のあたりにベアトリチエに会つたとしたならば、僕等は必ず失望するであらう。
僕はこの文章を書いてゐるうちにふとゲエテのことを思ひ出した。ゲエテの描いたフリイデリケは殆ど可憐そのものである。が、ボンの大学教授ネエケはフリイデリケの必しもさう云ふ女人でないことを発表した。〔Du:ntzer〕 等の理想主義者たちは勿論この事実を信じてゐない。しかしゲエテ自身もネエケの言葉の偽りでないことを認めてゐる。のみならずフリイデリケの住んでゐた Sesenheim の村も亦ゲエテの描いたのとは違つてゐたらしい。Tieck はわざわざこの村を尋ね、「後悔した」とさへ語つてゐる。ベアトリチエも亦同じことであらう。けれどもかう云ふベアトリチエはベアトリチエ自身を示さないにもせよ、ダンテ自身を示してゐる。ダンテは晩年に至つても、所謂「永遠の女性」を夢みてゐた。しかし所謂「永遠の女性」は天国の外には住んでゐない。のみならずその天国は「しないことの後悔」に充ち満ちてゐる。丁度地獄は炎の中に「したことの後悔」を広げてゐるやうに。
僕はダンテ論を読んでゐるうちに鉄仮面の下にある正宗氏の双眼の色を感じた。古人は「君看双眼色 不語似無愁」と言つた。やはり正宗氏の双眼の色も、――しかし僕は恐れてゐる。正宗氏は或はこの双眼も義眼であると言ふかも知れない。
二十二 近松門左衛門
僕は谷崎潤一郎、佐藤春夫の両氏と一しよに久しぶりに人形芝居を見物した。人形は役者よりも美しい。殊に動かずにゐる時は綺麗である。が、人形を使つてゐる黒ん坊と云ふものは薄気味悪い。現にゴヤは人物の後に度たびああ云ふものをつけ加へた。僕等も或はああ云ふものに、――無気味な運命に駆られてゐるのであらう。……
けれども僕の言ひたいのは人形よりも近松門左衛門である。僕は小春治兵衛を見てゐるうちに今更のやうに近松を考へ出した。近松は写実主義者西鶴に対し、理想主義者の名を博してゐる。僕は近松の人生観を知らない。近松は或は天を仰いで僕等の小を歎いてゐたであらう。或は又天気模様を考へては明日の入りを気遣つてゐたであらう。しかしそれは今日では誰も知らないことは確かである。唯近松の浄瑠璃を見れば、近松は決して理想主義者ではない。理想主義者では――理想主義者とは一体何であらう? 西鶴は文芸上の写実主義者である。同時に又人生観上の現実主義者である。(少くとも作品によれば)しかし文芸上の写実主義者は必ずしも人生観上の現実主義者ではない。いや、「マダム・ボヴアリイ」を書いた作家は文芸上にも又ロマン主義者だつた。若し夢を求めることをロマン主義と呼ぶとすれば、近松も亦ロマン主義者であらう。しかし又一面にはやはり逞しい写実主義者である。「小春治兵衛」の河内屋から鴈治郎の姿を抹殺せよ。(この為には文楽を見ることである。)そのあとに残るものは何でもない、人生の隅々へ目の届いた写実主義的戯曲である。成程そこには元禄時代の抒情詩もまじつてゐるのに違ひない。が、この抒情詩を持つてゐるものをロマン主義者と呼ぶとすれば、――ド・リイル・ラダンの言葉に偽りはない。僕等は阿呆でないとすれば、いづれもロマン主義者になる訣である。
元禄時代の戯曲的手法は今日よりも多少自然ではない。しかし元禄時代以後の戯曲的手法よりもはるかに小細工を用ひないものである。かう云ふ手法に煩はされないとすれば、「小春治兵衛」は心理描写の上には決して写実主義を離れてゐない。近松は彼等の官能主義やイゴイズムにも目を注いでゐる。いや、彼等の中にある何か不思議なものにも目につけてゐる。彼等を死に導いたものは必ずしも太兵衛の悪意ではない。おさん親子の善意も亦やはり彼等を苦しませてゐる。
近松は度々日本のシエクスピイアに比せられてゐる。それは在来の諸家の説よりも或は一層シエクスピイア的かも知れない。第一に近松はシエクスピイアのやうに殆ど理智を超越してゐる。(ラテン人種の戯曲家モリエエルの理智を想起せよ。)それから又戯曲の中に美しい一行を撒き散らしてゐる。最後に悲劇の唯中にも喜劇的場景を点出してゐる。僕は炬燵の場の乞食坊主を見ながら、何度も名高い「マクベス」の中の酔つ払ひの姿を思ひ出した。
近松の世話ものは高山樗牛以来、時代ものの上に置かれてゐる。が、近松は時代ものの中にもロマン主義者に終始したのではない。これも亦多少シエクスピイア的である。シエクスピイアは羅馬の都に時計を置いて顧みなかつた。近松も時代を無視してゐることはシエクスピイア以上である。のみならず神代の世界さへ悉く元禄時代の世界にした。それ等の人物も心理描写の上には存外屡写実主義的である。たとへば「日本振袖始」さへ、巨旦蘇旦兄弟の争ひは全然世話もの中の一場景と変りはない。しかも巨旦の妻の気もちや父を殺した後の巨旦の気もちは恐らくは現世にも通用するであらう。まして素戔嗚の尊の恋愛などは恐れながら有史以来少しも変らない××である。
近松の時代ものは世話ものよりも勿論荒唐無稽である。しかしその為に世話ものにない「美しさ」のあつたことは争はれない。たとへば日本の南部の海岸に偶然漂つて来た船の中に支那美人のゐる場景を想像せよ。(国姓爺合戦)それは僕等自身の異国趣味にも未だに或満足を与へるであらう。
高山樗牛は不幸にもこれ等の特色を無視してゐる。近松の時代ものは世話ものよりも必しも下にあるものではない。唯僕等は封建時代の市井を比較的身近に感じてゐる。元禄時代の河庄は明治時代の小待合に近い。小春は、――殊に役者の扮する小春は明治時代の芸者に似たものである。かう云ふ事実は近松の世話ものに如実と云ふ感じを与へ易い。しかし何百年か過ぎ去つた後、――即ち封建時代の市井さへ夢の中の夢に変つた後、近松の浄瑠璃をふり返つて見れば、僕等は時代ものの必ずしも下にゐないことを見出すであらう。のみならず時代ものは一面にはやはり世話ものと同時代の大名の生活を描いてゐる。しかもその世話ものほど如実と云ふ感じを与へないのは封建時代の社会制度の僕等を大名の生活とは縁の遠いものにしてゐる為である。九重の雲の中にいらせられる御一人さへ不思議にも近松の浄瑠璃を愛読し給うた。それは近松の出身によるか、或は又市井の出来事に好奇心を持たれた為かも知れない。しかし近松の時代ものに元禄時代の上流階級を感じられなかつたとも限らないのである。
僕は人形芝居を見物しながら、こんなことを考へてゐた。人形芝居は衰へてゐるらしい。のみならず浄瑠璃も原作通りに語つてゐないと云ふことである。しかし僕には芝居よりもはるかに興味の深いものだつた。
二十三 模倣
紅毛人は日本人の模倣に長じてゐることを軽蔑してゐる。のみならず日本人の風俗や習慣(或は道徳)の滑稽であることを軽蔑してゐる。僕は堀口九万一氏の紹介した「雪さん」と云ふフランス小説の梗概を読み、(「女性」三月号所載)今更のやうにこの事実を考へ出した。
日本人は模倣に長じてゐる。僕等の作品も紅毛人の作品の模倣であることは争はれない。しかし彼等も僕等のやうにやはり模倣に長じてゐる。ホイツスラアは油画の上に浮世画を模倣をしなかつたか? いや、彼等は彼等同志もやはり模倣し合つてゐる。更に又過去に溯れば、大いなる支那は彼等の為にどの位先例を示したであらう? 彼等は或は彼等の模倣は「消化」であると云ふかも知れない。若し「消化」であると云ふならば、僕等の模倣も亦「消化」である。同じ水墨を以てしても、日本の南画は支那の南画ではない。のみならず僕等は往来の露店に言葉通り豚カツを消化してゐる。
しかも模倣を便宜とすれば、模倣するのに勝ることはない。僕等は先祖伝来の名刀を揮ひながら、彼等のタンクや毒瓦斯と戦ふ必要を認めないものである。しかも物質的文明はたとひ必要のない時にさへ、おのづから模倣を強ひずには措かない。現に古代には軽羅をまとつた希臘、羅馬等の暖国の民さへ、今では北狄の考案した、寒気に堪へるのに都合の善い洋服と云ふものを用ひてゐる。
僕等の風俗や習慣の彼等に滑稽に見えるのもやはり少しも不思議ではない。彼等は僕等の美術には――殊に工芸美術にはとうに多少の賞讃をしてゐる。それは唯目のあたりに見ることの出来る為と言はなければならぬ。僕等の感情や思想などは、必ずしも容易に見えるものではない。江戸末期の英吉利公使だつた Sir Rutherford Alcock は灸を据ゑてゐる子供を見、如何に僕等は迷信の為にみづから苦めてゐるかと嘲笑した。僕等の風俗や習慣の中に潜んだ感情や思想は今日でも、――小泉八雲を出した今日でもやはり彼等には不可解である。彼等は僕等の風俗や習慣を勿論笑はずにはゐられないであらう。同時に又彼等の風俗や習慣もやはり僕等には可笑しいのである。たとへばエドガア・ポオは酒飲みだつた為に(或は酒飲みだつたかどうかと云ふ為に)永年死後の名声を落してゐた。「李白一斗詩百篇」を誇る日本ではかう云ふことは可笑しいと云ふ外はない。この互に軽蔑し合ふことは避け難い事実とは云ふものの、やはり悲しむべき事実である。のみならず僕等は僕等自身の中にもかう云ふ悲劇を感じないことはない。いや、僕等の精神的生活は大抵は古い僕等に対する新しい僕等の戦ひである。
しかし僕等は彼等よりも幾分か彼等を了解してゐる。(これは或は僕等には寧ろ不名誉なことかも知れない。)彼等は僕等に一顧も与へてゐない。僕等は彼等には未開人である。しかも日本に住んでゐる彼等は必ずしも彼等を代表するものではない。恐らくは世界を支配する彼等のサムプルとするにも足りないものであらう。が、僕等は丸善のある為に多少彼等の魂を知つてゐることは確かである。
なほ又次手につけ加へれば、彼等も亦本質的にはやはり僕等と異つてゐない。僕等は(彼等も一しよにした)皆世界と云ふ箱船に乗つた人間獣の一群である。しかもこの箱船の中は決して明るいものではない。殊に僕等日本人の船室は度たび大地震に見舞はれるのである。
堀口九万一氏の紹介は生憎まだ完結してゐない。のみならず氏の加へる筈の批評も載つてゐないのである。が、僕はそれだけにも、ふとこんなことを考へた為にとりあへずペンを走らせることにした。
二十四 代作の弁護
「古代の画家は少からず傑出した弟子を持つてゐる。が、近代の画家は持つてゐない。それは彼等の金の為に、或は高遠な理想の為に弟子を教へる為である。古代の画家の弟子を教へたのは代作をさせるつもりだつた。従つて彼等の技巧上の秘密も悉く弟子に伝へたのである。弟子の傑出したのも不思議ではない。」――かう云ふサミユエル・バツトラアの言葉は一面には真実を語つてゐる。天賦の才はその為にばかり勿論生まれて来るものではない。しかし又その為に促されることも多いであらう。僕はこの頃フロオベエルのモオパスサンを教へるのにどの位深切を尽したかを知つた。(彼はモオパスサンの原稿を読んでやる時、連続した二つの文章の同じ構造であるのさへやかましく言つた。)しかしそれは何びとにも望むことの出来るものではない。(弟子に才能のある場合にしても)
今日の日本は芸術さへ大量生産を要求してゐる。のみならず作家自身にしても、大量生産をしない限り、衣食することも容易ではない。しかし量的向上は大抵質的低下である。すると古人の行つたやうに弟子に代作させることも或は幾多の才人を生ずることになるかも知れない。封建時代の戯作者は勿論、明治時代の新聞小説家も全然この便法を用ひなかつたのではなかつた。美術家は、――たとへばロダンはやはり部分的には彼の作品を弟子に作らせてゐたのである。
かう云ふ伝統を持つた代作は或は今後は行はれるかも知れない。のみならずそれは必ずしも一時代の芸術を俗悪にするとも限らないのである。弟子はテクニイクを修めた後、勿論独立しても差支ない。が、或は二代目、三代目と襲名することも出来るであらう。
僕はまだ不幸にも代作して貰ふ機会を持つてゐない。が、他人の作品を代作出来る自信は持つてゐる。唯一つむづかしいことには他人の作品を代作するのは自作するよりも手間どるに違ひない。
二十五 川柳
「川柳」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。古い川柳の発句に近いことは或は誰も知つてゐるかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる。その最も著しい例は「鶉衣」(?)の初板にある横井也有の連句であらう。あの連句はポルノグラフイツクな川柳集――「末摘花」と選ぶ所はない。
安どもらひの蓮のあけぼの
かう云ふ川柳の発句に近いことは誰でも認めずにゐられないであらう。(蓮は勿論造花の蓮である。)のみならず後代の川柳も全部俗悪と云ふことは出来ない。それ等も亦封建時代の町人の心を――彼等の歓びや悲しみを諧謔の中に現してゐる。若しそれ等を俗悪と云ふならば、現世の小説や戯曲も亦同様に俗悪と云はなければならぬ。
小島政二郎氏は前に川柳の中の官能的描写を指摘した。後代は或は川柳の中の社会的苦悶を指摘するかも知れない。僕は川柳には門外漢である。が、川柳も抒情詩や叙事詩のやうにいつかフアウストの前を通るであらう、尤も江戸伝来の夏羽織か何かひつかけながら。
心より詩人わが
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ。
二十六 詩形
お伽噺の王女は城の中に何年も静かに眠つてゐる。短歌や俳句を除いた日本の詩形もやはりお伽噺の王女と変りはない。万葉集の長歌は暫らく問はず、催馬楽も、平家物語も、謡曲も、浄瑠璃も韻文である。そこには必ず幾多の詩形が眠つてゐるのに違ひない。唯別行に書いただけでも、謡曲はおのづから今日の詩に近い形を現はすのである。そこには必ず僕等の言葉に必然な韻律のあることであらう。(今日の民謡と称するものは少くとも大部分は詩形上都々逸と変りはない。)この眠つてゐる王女を見出すだけでも既に興味の多い仕事である。まして王女を目醒ませることをや。
尤も今日の詩は――更に古風な言葉を使へば、新体詩はおのづからかう云ふ道に歩みを運んでゐるかも知れない。又今日の感情を盛るのに昨日の詩形は役立たないであらう。しかし僕は過去の詩形を必ずしも踏襲しろと言ふのではない。唯それ等の詩形の中に何か命のあるものを感ずるのである。同時に又その何かを今よりも意識的に掴めと言ひたいのである。
僕等は皆どう云ふ点でも烈しい過渡時代に生を享けてゐる。従つて矛盾に矛盾を重ねてゐる。光は――少くとも日本では東よりも西から来るかも知れない。が、過去からも来る訣である。アポリネエルたちの連作体の詩は元禄時代の連句に近いものである。のみならず数等完成しないものである。この王女を目醒まさせることは勿論誰にも出来ることではない。が、一人のスウインバアンさへ出れば――と云ふよりも更に大力量の一人の「片歌の道守り」さへ出れば……
日本の過去の詩の中には緑いろのものが何か動いてゐる。何か互に響き合ふものが――僕はその何かを捉へることは勿論、その何かを生かすことも出来ないものの一人であらう。しかしその何かを感じてゐることは必ずしも人後に落ちないつもりである。こんなことは文芸上或は末の末のことかも知れない。唯僕はその何かに――ぼんやりした緑いろの何かに不思議にも心を惹かれるのである。
二十七 プロレタリア文芸