偽悪病患者

3話 偽悪病患者(3)

4,022字 約8分 2022年11月15日 公開

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(兄より妹へ)

 愛する妹よ――。

 殆んど二週間、私はお前に御不沙汰をしてしまった。淋しいという手紙、それから、最賀君のことを知らせてくれという手紙、二通共、確かに読んではいるのだが、ついでにここでいって置こう、その二通の手紙は、常のお前にも似ず、何とたどたどしい文章だったろう。漆戸を喪った悲しみが、そんなにもお前の胸を鋭く(えぐ)ったのか。それとも、何かも一つの邪魔物が、絶えずお前の胸を掻き乱していて、それが、隠そうとすれば隠そうとするだけ、お前のいう言葉、文字、文章の上に現れて来たのか。

 妹よ――。

 お前は、哀れな女だ。お前は、(たと)えどんなことがあろうとも、兄としての私が、どこまでもお前を愛し憐れんでいるのだということを、よく知っていて欲しい。そして、これから私の書く手紙を、出来るだけ冷静に読んで欲しい。実をいえば、私はこの手紙は、随分書き(にく)い手紙だった。幾度か筆をとりかけては躊躇し、しかし結局書こうと決心した手紙だ。先ず、何から言おう。お前の手紙にもあったのだし、乞いに任せて最賀君のことからでも話して行こうか。

 最賀君が犯人だったらどんなに嬉しかろうとお前はいったね。なんとそれは、巧妙なお前の言廻し方だったろう。私の調査によると、最賀君は、事件発生当時、事実名古屋に滞在していたのだ。そして毫末(ごうまつ)といえども犯人たるの証跡はないのだ。彼の犯人ならざることを、誰よりも明瞭に知っていたのはお前ではなかったか。お前は、私がどんなに最賀君を疑ったところで、おしまいには彼の無罪を立証するに過ぎぬことを知ってい、それなればこそ、殊更に彼を疑わしくいい、それに応じての私の返事で、私が今度の事件について、どれだけの真相を掴みつつあるか、ひそかに嗅ぎつけようとしたのではないか。私からの便りを欲しがったのも、実は私の調査がどの方向へ進行したか、そっと打診するためだったと私は見る。憐れにもお前の胸の中は、不安の念で一杯だ。いじらしくもお前は、この兄をこそ最も恐るべき敵だと知り、全力を尽して兄への闘いを挑んだ。前々から準備して、佐治佐助と恋愛の交渉が有るが如く無きが如く見せかけたのも、畢竟するに、兄を欺こうとするのが大部分の目的だった。兄は、実際、暫らくのうち欺かれた。兄だけではなく、佐治佐助もまた欺かれただろう。彼が、上野公園でお前と密会する約束をしたのは、必らずしも嘘ではない。約束だけは確かにあったのだ。ただお前が、その約束を履行せず、後に佐治が、午後八時半東京のどこにいたか、アリバイを立証し得ざるよう、彼をして、人通りの最も少い上野公園へ、一人だけ行かしめたのだ。二人がひそかに取交した約束で、その約束に対する証人のないのを幸いに、お前は、あとで大胆にも、この約束をしなかったと公言している。言懸りにされてしまった佐治の怒りは推察するに余りあるものだ。なぜお前はこんなことをしたか。それは、根気よく丹念にずっと前から計画し、佐治を巧みに操縦して置いて、万一の場合、彼一人に嫌疑をかけさせる目的があったからだ。彼の、特異な性格、偽悪病患者であることが、実に都合がよい。彼こそは、冤罪を(こうむ)らせるに、最も適切な男だったのだ。

 私は、遠隔の地にいるが、最初にお前から事件の内容を知らせて来た時、何ともいえず不思議なことを発見した。それはお前が、暗がりで、電話をかけたということだ。折返し、それに間違いはないかと訊いてやると、間違いはないという返事だった。だが、賢い妹よ。考えて御覧。ここでお前は所謂犯人の愚挙、常識では、どうしてそんなバカなことをしたかと驚くほどの失策をしている。漆戸家は、赤坂にある。そして赤坂管内にあるお前の家の電話は、暗がりでは通話が出来ぬようになっている。いわんやして、話中だったり混線したりして、幾度もかけ直すことなど絶対に出来ない。その電話は自動交換式だ。文字盤がついていて、文字盤を読んで廻さねばならない。交換手に電話番号を告げるわけに行かない。だのに、暗がりで、それも塗り籠められたほど真暗だったと断ってある。そこで、お前は、どんな風にして電話をかけたのだ。

 私は、嘘を発見すると、この嘘が何のためであるか推理にかかった。

 思うにお前は、ピストルが発射された時、良人の部屋にいなかったことを証明するため、電話をかけるふりをしていたのだろう。いい案配(あんばい)に、竹やが、電話を聞いていた。そして証人になってくれた。極めて近距離から発射されたピストルだが、その時お前は、電話口にいたというのだから、当然、嫌疑からは免れてしまう。事実、当局では、そのことだけで、全くもうお前を嫌疑の埓外に置いた。ところが犯人は、是非共、電話をかけていたということを知らせたいと思った余りに、不思議なほどの忘れ物をした。いつも使っている文字盤に気附かなかった。あとで、どこへかけたか訊かれたり、かけた先きを調べられた時、実際は電話がかからなかったと知れては困るので、いい加減に、話中と混線とを持ち出し、キャンキャン声で呶鳴り散らしたといっている。けれども一方では、電話をかけているふりも必要だったし、また、暗いことも必要だったので、つい、文字盤を無視してしまったのだ。

 次に、では、暗さがなぜ必要だったか。

 それは、二つの理由からだ。

 一つは、暗いことによって、犯人の逃げる姿が誰にも見えなかったという、弁明をするためだったに違いない。庭には常夜燈が一つあり、良人の部屋からも明るみが流れ出している。この明るみの中を、事実犯人が逃げ出したとすれば、恰度台所にいた竹やが、その姿を見た筈であるかも知れない。ところが、暗ければ、そのために見えなかったともいえるのだ。要するに暗さは、人の姿を隠しもするし、同時に、もともと存在しなかった姿が、暗さのため見えなかったということにもしてしまうのだ。

 暗さについて第二の理由。

 犯人は、その暗さの中で、ピストルを発射しているが、それは、どこで発射されたものだったろう。ここで順序正しくいうと、犯人が漆戸を射殺したのは電燈の消える前のことだ。犯人は、その夜田舎者の女中だけを残して、他の者に暇を与えて遊びに出した。そして八時半竹やを医者のところへやり、竹やの留守のうちに、最も恐るべき良人殺しの罪は行われたのだ。犯人は、かねて綿密に考慮した計画に従い、良人の部屋へ行き、恐らくは前以て盗み出して置いたピストルを、毛布か蒲団類似のもので包んで音のなるべく四隣(あたり)へ響かぬよう注意し、何か冗談をいいながら、良人の前額部に銃口を押し当て、良人が、何をするか理解せぬうちに素早く引金を引いた。それから、部屋の窓を半ば開けて、犯人がそこから逃げ去った体裁を作り、ついで竹やの医者から帰ったのを見計らい、廊下へ走り出して、身軽に窓框(まどがまち)へ乗り、電燈引込線のスイッチを切った。次いで、お納戸横手の電話口に於けるお芝居にとりかかったが、この時までに、なお一つ、なすべきことがあった。

 それは、良人の部屋で発射した一発の弾丸(たま)を、ピストルと同時に盗み出して置いた別の弾丸で、補充して置くことだったのだ。

 弾丸の補充されたピストルは、まだ、手に持っている。彼女は、電話口で高声に喋りつつ、その途中で、電話口から僅かに身を離し、そこの小窓から、庭へ向けて、轟然とピストルを発射したのだ。その音は、台所にいた竹やに聞え、しかし、そんなところで発射されたとは誰にも知られなかった。発射された弾丸は、そこの柔かい地面へ、深く潜ってしまったに違いない。犯人は、そのあとで、ピストルを中庭へ向って投げ捨てたが、これは山茶花の根元に落ち、その山茶花が、お納戸の近くの小窓からも、確かに見える位置に植えてあることを、私は、犯人へ問い合せて、ちゃんと確かめてあるのだ。犯人は、暗さを利用して、ピストルを、そこから庭へ投げたことを、矢張り誰にも見せぬよう心懸けた。これで、暗さの必要だった、二つの理由が判ったであろう。

 兄に似て聡明過ぎるほどの妹よ。

 憫然(びんぜん)なお前は、それが(ひび)の入った聡明さだということに気付かなかったのだね。

 兄は、ようやくにして、語るべきことを不十分ながら語り得た感じだ。兄は、匕首に刺し貫ぬかるる思いをして、我妹が、殺人者たることを指摘せねばならぬ破目に堕ちたのだ。

 詛われてあれ。

 私は、お前の手紙の嘘を発見すると、直ちに在京の某友人を煩わして、旬日に渡り、お前の行動を監視せしめた。そして知り得たのは、お前が、最賀と二人、ひそかに大森の待合へ、既に事件前から事件後へかけて、十数回出入しているという事実だった。お前の言葉を借りるならば、地下に眠る漆戸が、額の傷口から垂れる血を満面に浴びて、犯人の名前を指摘する時、真先きにひれ伏すべき者がなんとお前自身だったではないか。

 お前の愛人は、佐治でなくて、最賀だったのだ。恐らくは、最賀を同居せしめたのも、彼との悦楽に(ふけ)るためだったろう。そしてそれは、間もなく良人漆戸の看破するところとなり、もはや猶予出来ずに、この戦慄すべき犯罪に着手したものだったろう。良人から、離婚せられざるうちならば、妻は、良人の遺産を継ぐことが出来る。時期を待って、お前は、最賀と結婚するつもりだったかも知れないね。

 兄は、逝ける友、漆戸のために、妹の罪を(あば)き、既にこの手紙がお前の手へ届いた時、お前のもとへは、同行を求むる刑事達が赴く手筈になっている。お納戸の近くの庭から、ピストルの弾丸も掘り出されるだろう。無慈悲な兄ではあるがこの兄をどうか許してくれ。佐治は、矢張り、偽悪病患者でしかなかった。彼を見殺しには出来ぬ立場だ。

 兄は、美しく聡明な妹のため、今日が日までを、どんなに慰められて来たことがあったか知れない。

 兄は、お前を愛している。

 では、左様なら、哀れな喬子よ――。

(「新青年」昭和十一年一月号)

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