層雲峡より大雪山へ

2話 層雲峡より大雪山へ(2)

3,457字 約7分 2009年7月29日 公開

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 昨日は他所事と思いしに、今日は我らも一足分の草鞋が欠乏しそう也。綱は以て草鞋の経とすべきが、緯になるものは、温泉の連中に与え尽したり。思案するまでもなく、余は六尺(ふんどし)を解く。我もとて、嘉助氏も六尺褌を解く。碧洋と義三郎氏とは解こうとせず。西洋人の真似して、猿股を着けおれるなるべし、猿股にては、緊褌(きんこん)一番ということも出来ず。変に処して、何の役にも立たずと、気焔を吐けど、二氏は何ともいわず、ただ二褌を比べ見て、にやにや笑う。余の褌は新しくして白く、嘉助氏の褌は古くして黒き也。

 砂の急斜面を登りて、火口丘に達し、幾度も上下して火口丘をつたい、兜岳とて、巌のみの重なり合える峰に突き当り、右折して火口丘を下る。お花畑の連続にて、傾斜も緩也。蝦夷はこよもぎあり。大雪山中ここのみに生ず。白竜胆(りんどう)あり。これもここのみに生ずと、嘉助氏いえり。駒草もこのあたりに多し。白雲岳に取り付けば、これも巌ばかりの山也、刀の(やいば)に似たる頂上をつたいつたいて、最高処に至る。この岳は大雪山の東南端に位して、外側に火口を有す。その火口は十数町四方、底平らかになりて、一面の御花畑也。大雪山ここに一頓して忠別岳に(つらな)り、その先に化雲岳の()し、またその先に戸村牛岳()つ。戸村牛岳の左に石狩岳樹を帯び、その右に硫黄岳煙を噴く。眼を西に転ずれば、旭岳と北鎮岳とが近く相対峙す。在来の書物には旭岳よりも北鎮岳を高しとせるが、距離は旭岳が遠しと思わるるに、我が目には北鎮岳よりも高く見ゆ。陸地測量部のこのあたりの五万分図は未だ世に発行するに至らざるが、測量は既に終れり。その測量を聞き合せて、余の見る所の誤っておらざるを知れり。旭岳は七千五百五十八尺、北鎮岳は七千四百十尺、旭岳の方が十五丈も高き也。ついでに附近の諸岳の高さを記さむに、我立てる白雲岳が第三位にて、七千三百五十七尺、戸村牛岳が七千六十五尺、凌雲岳が七千三十二尺、赤岳が六千八百五十七尺、石狩岳が六千五百七十三尺、黒岳が六千五百四十九尺、忠別岳が六千四百七十七尺、化雲岳が六千三百四十九尺也。

 下って御花畑に逍遥せしに、微雨至る。去らむとすれば(はれ)る。もとの路を取りて、昨夜野宿せし跡を左に見下し、前に見し北鎮岳を左にし、終に後にして、雲の平を南に下れば、熊ヶ岳崛起して、十町四方の火口を控えたり。風を巌陰に避けて午食し更に南に下れば、大雪山一頓しかけて、旭岳を起す。二峰となりて、東なるは低く、西なるは高し。雪田を踏み、砂礫を()じて、二峰の中間に達し、東峰を後にして、西峰を攀ず。砂の斜面急也。五、六歩ごとに立ち留まりて、五つ六つ息をつく。山に登るに急げば、苦しくして、疲れ易く、持久力を失い、風景も目に入らず。さればとて、度々腰を(おろ)しては、路あまりに捗らず、疲れ切っては、休息しても、元気を恢復すること難し。疲れぬ前に、ちょっと立ち留まるだけにして、息を大きく吐き、腰を卸さずに、徐々として登れば、苦しきことなく、疲れもせず、持久力を失わずして、風景を味うことを得べし。口に氷砂糖を含まば、なお一層元気を失わざるべし、立ち留まること百回にも及びたりけむ。頂上に達して、始めて腰を卸す。頂上は尖れり。西面裂けて、底より数条の煙を噴く。世にも痛快なる山かな。大雪山の西南端に孤立して、円錐形を成し、峰容大雪山の中に異彩を放つ。眺望も北鎮岳と相伯仲す。ここにては大雪山の頂の大なることを見る能わざるが、南より西へかけての一帯の台地に、姿見の池を始めとし、多くの小湖の散在せるを見るを得べき也。

 南に下り、姿見の池を右にして、渓谷の中に入る。天地は椴松(とどまつ)と白樺とに封ぜられたり。渓即ち路也。水、足を没す。膝までには及ばず。岩石あれば、岩石より岩石へと足を移す。沢蟹がおりそうなりとて、嘉助氏石を取りのけしに、果しておりたり。一同傚いて、行く行くこれを捕う。大さ一寸乃至(ないし)二寸、身は(えび)にて、(はさみ)だけが蟹也。この夜、渓畔に天幕を張り、これを煮て食う。旨しとは思わざるが、ともかくも余には初物也。天麩羅(てんぷら)にすれば(うま)しと、嘉助氏いえり。午前二時目覚む。雨の音を聞く。ことことと鍋の動く音をも聞く。雨が動かすに非ず。風が動かすにも非ず。熊にや、狐にや、狸にや。嘉助氏咳して、目覚めておる様子なれば、問いて見たるに、木鼠(りす)なりといえり。うとうとして、三時半目を開きしに、樹影天幕に映れり。うれしや、雨止みて、月出でたる也。

 次の日も渓の中を行くに、渓の幅次第に広く、水次第に多し。幣の滝を下り、二、三十人を立たしむべき磐石の上に立ちて、滝を見上ぐ。十丈もあらむ。飛沫日光に映じて、虹を現わす。瀑の左に直立せる絶壁の面に穴多く、岩燕出入して、虹の中に舞えり。渓ますます広し。虎杖(いたどり)人より高く、(ふき)も人より高し。おりおり川鳥ききと鳴きて、水面を(かす)む。雀を二倍したる位の(おおい)さにて、羽の色黒し。この鳥陸上に食を得る能わず。さればとて、水掻(みずかき)なければ、水にも浮べず。木にとまらずして、巌にとまり、横に渓上を飛び、魚を見ては、水中にもぐり込む也。二見の瀑を下りて(かえりみ)れば、二段になりて、上段は一丈、下段は三丈もあらむ。幣の滝より低けれども、水量多くして、勢壮也。

 およそ四時間にして、渓中を出でたり。蝦夷松の林開けて、瓢沼、瓢の形を成す。毛氈苔(もうせんごけ)一面に生いて、石を踏み尽したる足の快さ言わん方なし。岸に近く、浮草にすがりて、一羽の(とんぼ)の尾を水面に上下するを見る。卵を生むにや。(こころみ)に杖にて追いて見たるに、逃げむともせず。子孫のために、己れの命を顧みざる也。

 天神峠に至りて見下せば、絶壁直立すること、千尺にも余れり。これを下るかと思えば、心自ら(とどろ)きしが、熊笹や灌木を(つか)みて、後向きになれば、下られざるにもあらず。半頃より左に近く羽衣の滝を見る。下りて見上ぐれば、高い(かな)。八十丈と称す。直下せずして、曲折するが、日光の華厳(けごん)滝よりは(はるか)に高き也。この滝の水、落ちて間もなく、忠別川に入る。川に沿い、数町下りて、松山温泉に投ず。忠別峡中の一軒屋也。ここより旭川までは、一日の行程也。幾度も忠別川を徒渉せざるべからざるが、ともかくも道路あり。旭川まで歩かずとも、美瑛(びえい)駅に至れば、汽車の便ある也。松山温泉より旭岳に登るには、人の踏み付けたる跡あるのみにて、道路なく、大部分は渓水の中を歩かざるべからず。天神峠の嶮さえあり。されど、塩谷温泉より登るに比ぶれば、遥に平易也。毎年大雪山に登るもの百人内外、忠別川を(さかのぼ)りて松山温泉に一宿し、次の日姿見の池の畔に野宿し、その次の日旭岳に登るだけにて、引返して松山温泉に再宿するなりと、嘉助氏いえり。それだけにては、大雪山の頂上の偉大なることも判らず、御花畑の豊富なることも判らざる也。羽衣滝も壮観なるが、他にその比なしとせず。層雲峡の絶景に比すべくもあらず。塩谷温泉の連中は、旭岳と羽衣滝とを閑却したるが、その代り層雲峡と北鎮岳とを窮めたり。この方が旭岳と羽衣滝とを窮むる者よりは、要領を得たりというべし。されど旭、北鎮、白雲の三岳に登らずんば、大雪山の頂を窮めたりとはいうべからず。羽衣滝も閑却すべからず。もしも層雲峡を閑却するならば、これ大雪の一半を見ざる也。

 在来大雪山に登るものは往復四日を費したるに、余はその二倍の日数を費したりしかば、思いがけずも、『北海タイムス』に、行方不明となれりと伝えられたり。旭川の有志、明日は捜索隊を出さむと騒げり。出張の途次、余を訪いたる(おい)の政利も、その隊に加わらむとせり。余無事に旭川に戻りて、甥は愁眉を開き、有志も安心せり。(しか)るに余の郷里の新聞に転載し、なお筆を舞わして、多年登山に慣れたる人なれども、猿も木より落つということあれば、気遣わるるなりと付け加えたり。余に同腹の兄妹四人あり。二兄一姉死して、一姉なお郷里に存す。これを見て(おおい)に驚き、打電して東京の家族に問い合わす。家族も驚きて、北海道の知人に打電せしが、家族は余の平生の登山ぶりを知りかつ余に関する新聞の虚報に慣れておれば、姉ほどには驚かずこの頃相知りたる北竜村の西島清太氏も驚き、わざわざ札幌に出でて、卜者に見てもらいしに、安全なりとの報を得たるも、なお未だ全く心を安んぜざりき。一片の虚報は、四方八方に心配を()き起せり。されど、真の事実世に卦ぜられて、余が月並の遊覧者に(あら)ずして、登山に熱心にして徹底することが、世に明かになり、到る処、余を歓迎するの度を加え、登山に便宜を得ること多く、禍転じて福となりける也。

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