半七捕物帳 24 小女郎狐

1話 半七捕物帳 24 小女郎狐(1)

7,239字 約14分 1999年9月25日 公開

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     一

 なにかのことから大岡政談の話が出たときに、半七老人は云った。

「江戸時代には定まった刑法がなかったように考えている人もあるようですが、それは間違いですよ。いくら其の時代だからといって、芝居や講釈でする大岡(さば)きのように、なんでも裁判官の手心(てごころ)ひとつで決められてしまっちゃあ堪まりません。勿論、多少は係りの奉行の手心もありますけれども、奉行所には一定の目安書(めやすがき)というものがあって、すべてそれに拠って裁判を(くだ)したもので、奉行の一料簡で殺すべきものを生かすなんて自分勝手のことは、なかなか出来ないような仕組みになっていたんです。それは昔も今も同じことです。しかしその目安書というのが今日の刑法などに比べると余ほど大づかみに出来ていますから、なにか毛色の変った不思議な事件が出来(しゅったい)すると、目安書だけでは見当が付かなくなって、どんな捌きを下していいのか、係りの役人どもはみんな頭を痛めてしまうんです。そこらが名奉行とぼんくら(わか)れるところで、大岡越前守や根岸肥前守はそういう難問題をうまく切り捌いたのでしょう。江戸の町奉行所さえその通りですから、まして諸国の代官所……それは諸国にある徳川の領地、俗に天領というところを支配しているので、その土地の出来事は皆この代官所で裁判することになっていたんです。……そこでは、とてもむずかしい捌きなどは出来ないし、又うっかりした捌き方をして、後日(ごにち)譴責(けんせき)をうけるようなことがあっても困るので、少し手にあまるような事件には自分の意見書を添えて『何々の仕置可申付哉、御伺』といって、江戸の方までわざわざ問い合わせて来る。それに対して、江戸の奉行所から返事をやるのを『御指図書(おさしずがき)』といいます。つまり先方の意見に対して、その通りとか、再吟味とか、あるいは奉行所の意見を書き加えてやるとかするので、それに因って初めて代官所の裁判が落着(らくちゃく)するんです。死罪のような重い仕置は勿論のこと、多寡が追放か棒敲(ぼうたた)きぐらいの軽い仕置でも、その事件の性質に因っては江戸まで一々伺いを立てたもので、くどくも云う通り、いくらその時代だからといって、人間ひとりに裁判を下すということは決して容易に決められるものではなかったのです。

 いや、飛んだ前置が長くなりましたが、その代官所からわざわざ伺いを立てて来るほどのものは、いずれも何か毛色の少し変った事件ですから、江戸の奉行所でも後日の参考のために『御仕置例書(おしおきれいがき)』という帳面に書き留めて置くことになっていました。勿論、これは係りのほかに他見を許されないことになっているんですが、わたくしを贔屓(ひいき)にしてくれる吟味与力から貸して貰って、ちょっと珍しいと思うのだけを少し書きぬいて置きました。そうそう、そのなかに小女郎狐という変った事件がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」

「御仕置例書」にはいずれも国名と村名とを(しる)してあるだけで、今日のように郡名を記してないので、ちょっと調べるのに面倒であるばかりでなく、その当時とは村の名の変っているのもあるので、その方角を見定めるのはいよいよ困難であるが、ともかくも「御仕置例書」には下総国(しもうさのくに)新石下村(しんいししたむら)とある。寛延元年九月十三日夜の()の刻(午後十時)から夜明けまでのあいだに、五人の若い男が即死、二人が半死半生という事件が出来(しゅったい)したので、村中は大騒ぎになった。

 場所は庄屋茂右衛門が持ちの猪番(ししばん)小屋で、そこには下男の七助というのが住んでいた。猪番小屋といえば何処でも小さい狭いものであるが、これはともかくも人の住めるだけには出来ていたらしく、番人の七助は夜も昼もそこを自分の家にして、昼は野良(のら)かせぎの手伝いに日を暮らし、夜はそこで猪の番をしていた。七助はまだ十九の若い者であるので、村の若い者たちはそこをいい遊び場所にして、毎晩のように寄りあつまって馬鹿話に夜をふかすばかりか、悪い手慰みなどもするという噂であったが、主人の茂右衛門は別に咎めもしないで捨てて置いた。

 事件の起った晩にあつまったのは、佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門、甚太郎、権十の六人で、今夜は(のち)の月見というので、何処からか酒や下物(さかな)を持ち込んで来て、宵から飲んで騒いでいた。

「猪番なんぞはどうでもいい。猪の奴め、この騒ぎにおっ魂消(たまげ)て滅多に出て来るもんじゃあねえ」

 こんなことを云って、番人の七助をはじめ、六人の者もさんざんにしゃべって、騒いで、いい心持に酔い倒れてしまった。畑中の一軒家ではあるが、かれらの笑い騒ぐ声が亥の刻頃まで遠くきこえたのを村の者は知っていた。しかしその夜が明けても猪番小屋の戸は明かなかった。いつも早起きの七助が今朝は起きて来ないのを怪しんで、庄屋の家の者が見まわりに来ると、表の戸は閉め切ってあって、戸の隙き間から眼にしみるような煙りが流れ出していた。いよいよおかしく思って戸をあけると、狭い小屋の中から薄黒い煙りが一度にどっと噴き出して来て、一時は眼口(めくち)もあけられない程であった。もともと狭い小屋のなかに、大の男が七人も重なり合って倒れているのであるから、殆ど足の踏みどころもない。それを一々呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。ほかの二人も半死半生であった。

 小屋(ぬし)の茂右衛門は勿論、村じゅうの者が駈けつけていろいろ介抱したが、どうにかこうにか正気づいたのは、やはり甚太郎と権十の二人だけで、ほかの五人はどうしても生きなかった。生き返った二人の話によると、かれらは正体もなく酔い倒れてしまったので、何事も知らない。夢うつつのように何だかむやみに息苦しくなったと思いながらも、身動きすることも出来なかったというのである。始めは何か食い物の毒あたりではないかという説もあったが、だんだん調べてみると、炉のなかには松葉を焚いたらしい灰がうず高く積っている。焼け残った青い松葉もそこらに散っている。かれらは夜寒(よさむ)を凌ぐために焚き火をして、その煙りに窒息したのではないかともおもわれたが、ふたりは松葉などを燃やした覚えはないと云い張っていた。夜がふけて雨戸をしめたのは知っているが、炉のなかに木の葉など()べたことはない、第一この小屋のなかには青い松葉などを積み込んであるのを見たことがないと云った。

 しかしここの炉に松葉をくべた証拠はありありと残っている。しかもおびただしい松葉を積みくべたのは、そのうず高い灰を見ても知られた。更に調べてみると、松葉ばかりでなく、青唐辛(あおとうがらし)をいぶした形跡もある。七人の男が正体もなく寝入っている隙をうかがって、何者かがこの小屋に忍び込んで、青松葉や青唐辛のたぐいを炉に積みくべて彼等をいぶし責めに責め殺したのであろう。狐つきの病人から狐を追い出そうとして、病人をむごたらしい松葉いぶしにして、とうとうそれを責め殺してしまったというような話は、江戸にも田舎にもときどきに伝えられるが、これは単に酔い倒れている男七人を松葉いぶしにしたのである。あまりの怖ろしさに人々も顔を見あわせた。

 場所が猪番の小屋であるから、それが盗みの目的でないことは判り切っていた。さりとて七人が七人、揃って人の恨みを受けそうもない。勿論、そのなかには何の罪もなく傍杖(そばづえ)の災難をうけた者もあるかも知れないと、庄屋の茂右衛門が先に立っていろいろに詮議をしたが、差しあたり是れという心あたりも見いだされなかった。そのうちに誰が云い出すともなく、それは狐の仕業(しわざ)であるという噂が伝えられた。

 昔からこの土地には、小女郎狐というのが棲んでいて、いろいろの不思議をみせると云い伝えられている。ある時には美しい女に化けて往来の人をたぶらかすこともある。美少年にも化ける、大入道にも化ける。あるときには立派な大名行列を見せる。源平屋島(やしま)の合戦をみせる。こういう神通力(じんつうりき)をもっている狐であるから、土地の者も「小女郎さん」と(おそ)れうやまって、決して彼女に対して危害を加えようとする者もなかった。ところが、今から五、六日ほど前に、この畑で猪を捕るために掘ってある陥穽(おとしあな)のなかに小さい狐が一匹落ちて迷っているのを発見して、番人の七助とあたかもそこに来あわせた佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門との五人がすぐにその狐の児を生け捕って、いたずら半分に松葉いぶしにして責め殺したことがある。おそらく()の小女郎狐の眷族(けんぞく)であって、その復讐のために彼等もまた松葉いぶしのむごたらしい死を遂げたのであろう。その証拠には直接に手をくだした五人は命をとられて、無関係の二人は幸いに助かった。それらの事情から考えると、どうしてもこれは人間の仕業でなく、たしかに狐の(たた)りに相違ないという説がだんだん有力になって来た。

 役人の検視も一応済んで、五人の死骸は村の高巌寺に葬られた。ここらの葬式は夜であったが、その宵に無数の狐火が寺のうしろの丘の上に乱れて飛んでいるのを見た者があった。

     二

「どうも朝夕はめっきり冷たくなりました」

 八州廻りの目あかしの中でも古狸の名を取っている常陸(ひたち)屋の長次郎が代官屋敷の門をくぐって、代官の手附(てつき)の宮坂市五郎に逢った。長次郎はその頃もう六十に近い男で、絵にかいた高僧のように白い眉を長く伸ばしていた。

「やあ、常陸屋か。だんだんと日が詰まって来るな」と、市五郎は玄関に近い小座敷で彼と向い合った。

「なにかとお忙がしいでございましょうね」と、長次郎は会釈(えしゃく)して筒提げの煙草入れを取り出した。「早速でございますが、何か新石下の方に御検視があったそうで……。わたくしは親類に不幸がございまして、きのうまで土地を留守にして居りましたもんですから、一向に様子が判りませんのでございますが……」

「検視は八州の方で取り扱ったので、わたしもよくは知らないが、その顛末(てんまつ)だけは(くわ)しく知っている。新石下の百姓どもが五人死んで、ふたりは生き返った」

 松葉いぶしの一件を市五郎からくわしく説明されて、長次郎は顔をしかめた。かれは煙草を一服吸ってしまって、しずかに云い出した。

「なんだか妙なお話ですね。小女郎狐ということはわたくしも前から聞いては居りますが、その狐がかたき討に五人の男を殺すなんて、今の世の中にゃあちっと受け取れませんね。それこそ眉毛に(つば)ですよ。あなたのお考えはいかがです」

「わたしにも別に考えはない」と、市五郎は困ったような顔をしていた。「ほかに詮議のしようもないらしいので、まずそれに決めてしまったのだが、(けむ)にむせて死んだには相違ない。狐の祟りはどうだか知らないが、松葉いぶしはほんとうだ。生き残った二人はそんな覚えがないというけれども、自分たちが火を焚いたのを忘れているのだろう。なにしろ正体もないほどに酔っていたというからしようがあるまい」

下手人(げしゅにん)はあるじゃありませんか」と、長次郎は笑った。「小女郎狐という立派な下手人があるんでしょう」

 市五郎は苦笑(にがわら)いをしていた。

「ねえ、宮坂さん」と、長次郎はひと膝すすめた。「及ばずながらわたくしがその小女郎狐を探索しようじゃございませんか。狐はきっとどっかにいますよ」

「むむ。こっちが古狸で、相手が狐、一つ穴だからな」

洒落(しゃれ)ちゃあいけません。真剣ですよ。ともかくも古狸の狐狩というところで、常陸屋の働きをお目にかけようじゃありませんか。いずれ又伺いますが、御代官様にもよろしくお願い申します」

 市五郎に別れて出て、長次郎はその足で高巌寺へゆくと、そこらに群がって飛ぶ赤とんぼうの羽がうららかな秋の日に光って、門の中にはゆうべの風に吹きよせられたいろいろの落葉が、玄関に通う石甃(いしだたみ)を一面にうずめていた。庫裏(くり)をのぞくと、寺男の銀蔵おやじが薄暗い土間で枯れ枝をたばねていた。

「おい、忙がしいかね」と、長次郎は声をかけた。「焚き物はたくさん仕込んで置くがいい。もう直き筑波(つくば)が吹きおろして来るからね」

「やあ、お早うございます」と、銀蔵は手拭の鉢巻を取って会釈した。「まったく朝晩は急に冬らしくなりましたよ。なにしろ十三夜を過ぎちゃあ遣り切れねえ。今朝なんぞはもう薄霜がおりたらしいからね」

「十三夜といやあ、あの晩にゃあ飛んだことがあったそうだね。私もたった今、御代官所の宮坂さんから詳しいことを聞いて来たんだが、働き盛りの若けえのが五人も一度にいぶされちゃあ堪まらねえ。刈り入れを眼のまえにひかえて、どこでも困るだろう。五人の墓はみんなこの寺内にあるんだね」

「そうですよ。先祖代々の墓がみんなこの寺内にあるんだからね。ところが、どうも困ったことが出来てね」

「なんだ。何が困るんだ」と、長次郎はそこに(たば)ねてある枯れ枝の上に腰をおろした。

「小女郎がやっぱり悪戯(いたずら)をするらしい。毎晩のようにやって来て、五人の墓の前に立っている新らしい塔婆を片っぱしから引っこ抜いてしまうんですよ。花筒の(しきみ)の葉は掻きむしってしまう。どうにもこうにも手に負えねえ。初七日(しょなのか)を過ぎてまだ間もねえことだし、親類の人達だって誰が参詣に来ねえとも限らねえから、あまりこう散らかして置いてもよくねえと思って、毎朝わしが綺麗に直して置くと、毎晩(こん)よく掻っ散らして行く。こっちも根負けがしてしまって、きのうも佐兵衛どんの兄貴が来た時にその訳をよく話して、もうそのままに打っちゃって置くつもりですよ。けさはまだ行って見ねえが、きっとやっているに相違ねえ。小女郎もあんまり執念ぶけえ。五人の命まで奪ったら、もういい加減に堪忍してやればいいのに……。生霊(いきりょう)や死霊とは違って、あの小女郎ばかりは和尚様の回向(えこう)でも供養でも追っ付かねえ。ほんとうに困ったもんですよ」

「村の者はみんな小女郎の仕業と決めているんだね」

「まあ、そうですよ」と、銀蔵は手拭で(はな)をこすりながらうなずいた。「なにしろ子狐を責め殺したのが悪かったんですよ。死んだ者の親戚の人達もまあ仕方がねえと諦めていたんだが、その中でたった一人、今も云った佐兵衛どんの兄貴の善吉、あの男だけはまだそれを疑って、どうも狐の仕業じゃあるめえと云い張っているんだが、ほかにはなんにも証拠も手がかりもねえことだから、どうにもしようがねえ。どう考えても狐の仕業と決めてしまうよりほかはありますめえよ」

「そうさ。それにしても執念ぶかく墓をあらすのは良くねえな。なにしろ、その新ぼとけの墓というのを拝ましてくれねえか」

 銀蔵に案内させて、長次郎は墓場の方へ行ってみると、かなりに広い墓場の入口に先ず六右衛門の墓場を見いだした。墓の前には新しい卒堵婆(そとば)が立っていた。樒の花筒がすこし傾いているのは昨夜の風の為であるらしく、何者にか掻き散らされた形跡も見えなかった。銀蔵は怪訝(けげん)な顔をして眼を見はった。

「はてね。けさは何ともなっていねえぞ」

 彼はあわてて石塔のあいだを駈けまわって、更に次郎兵衛の墓の前に出ると、ここにも卒堵婆や花筒が行儀よく立っていた。それから順々に見てまわると、ほかの三人の墓の前にも今朝はなんの異状もなかった。

「こりゃあ、不思議だ。もう十日にもなるから、小女郎も堪忍してくれたかな」と、銀蔵はほっとしたように云った。

「きのうの朝はみんな倒してあったんだね」

「塔婆も花筒もみんな()っ倒してあったのを、わしが一々立て直したんですよ」

「むむ」と、長次郎は新らしい卒堵婆の一本に手をかけて、明るい日のひかりに透かして視た。かれは更に自分の足もとを見まわしながら云った。「お前、以前はずいぶん綺麗好きだったが、だんだんに年を取ったせいか、この頃はあんまり掃除が届かねえようだね。きのうここらを掃かねえのかね」

「きのうは葬式(とむらい)で、茶を沸かすやら、火を起すやら、わし一人でなかなかここらの掃除までは手が廻らなかったからねえ」と、銀蔵は笑っていた。

 長次郎は落葉を踏みわけて、五人の墓の卒堵婆を一々見てあるいた。中にはそれを引きぬいて、打ち返してじっと眺めているのもあった。かれは草履の爪さきでうず高い落葉を蹴散らしながら、墓のまわりの湿(しめ)った土の上をいつまでも見廻した。それが済んで引っ返そうとする時に、かれは隅の方に立っている小さい墓にふと眼をつけた。その前に立っている卒堵婆もあまり古いものではないらしく、花筒には野菊の新らしい花がたくさん生けてあった。長次郎は銀蔵を見かえって訊いた。

「あれはどこの墓だね」

「あれかね」と、銀蔵は伸び上がりながら指さした。「あれはおこよ坊の墓ですよ」

「花がたくさん供えてあるじゃねえか。おこよというのは、このあいだ身を投げた娘だろう。違うかね」

「そうですよ。可哀そうなことをしましたよ」

 ふたりの足はおのずとその墓の前に立った。

「おこよの死んだのはいつだっけね」

「先月……ちょうど十五夜の晩でしたよ」

「十五夜か」と、長次郎はすこし考えていた。「一体あの()はどうして死んだんだ。いい娘だったという噂だが……」

「川のふちへ(すすき)を取りに行って滑り込んだというんだがね。世間じゃあいろいろのことを云いふらす者もあって、何がなんだか判らねえ」

「どんなことを云い触らすんだね」

 云いながら長次郎は身をかがめて、又もやその墓のまわりを身廻していた。

「仏に疵をつけるのはいけねえことだ」と、銀蔵は溜息をついた。「まして若けえ娘っ子に……。あんまり可哀そうで滅多なことは云われねえ」

 かれは固く口をつぐんで、その以上のことは何にも云わなかった。長次郎は無理に訊き出そうともしなかった。銀蔵おやじの強情なことをよく知っている彼は、ここで無益の詮議をするよりも、おこよの死についてはほかに幾らも探索の道があると思ったので、そのままに聞き流してこの寺を出た。

     三

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