22話 六 愛と憎と 1
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俺は誠に久しい間、俺よりも偉大な者に對して心竊かなる壓迫を感じ、俺よりも小さな者に對して腹の底に輕蔑を感ずる心持から脱却する事が出來なかつた。これは偉大な者と親しむ所以でもなく、小さい者を慈む所以でもない爲に、俺は常に此心持に就いて不安を感ぜずにはゐられなかつた。此不安は俺の心に、凡ての存在と愛に於いて一つになりたいと云ふ要求を刺傷した。俺は久しい間此落付かない態度から脱却する途を求めて來た。
俺は此苦しみによつて、凡ての人を「被造物」の點から、又「人間」の點から見る事を學んだ。「被造物」の點から見れば、偉大な者も小さい者も、苦しみ、惱み、限られた者として同一の運命を擔つてゐた。「人間」の點から見れば、偉大な者も、小さい者も、それぞれに内面に植ゑられた要求を以つて、器に應じて之を實現して行く長途の旅に於いては共通であつた。俺は此處に、偉大な者を尊敬し、小さい者を扶助して行く包容の視點を與へられてゐる事を感じた。俺は峠を一つ越したやうな氣がして嬉しかつた。さうして内心に行はれた此變化は、偉大を衒ふ者に對する特別な憎惡と、小さい者に對する特別な同情となつて現はれた。
併し此處にも亦新しい誘惑は潛んでゐた。俺は小さい者の無智と、無邪氣と、誠實とに同情するの餘り、小さい者をその小さいまゝに、弱い者をその弱いまゝに、卑しい者をその卑しいまゝに許容する傾向に陷らむとしてゐた。さうしてその奧には、自分の小さゝと弱さと卑しさとをその儘に看過する惰弱の心を挾んでゐないと云へなかつた。誘惑は狡猾に勝利の後を覘つてゐる。今俺は此誘惑を征服する新しい戰を戰はなければならない。
人生の意義は人間が人間を超越するところに在る。人間が眞正に人間になるにはその人間性を征服してしまはなければならない。此點に於いて俺は基督の弟子であり、カントの弟子であり、又ニイチエの弟子である。凡ての人を此長い大きい悲壯な戰ひに驅り出す事を外にして、眞正な愛はある譯がない。自己を愛する最眞の途も亦自己の惰弱を鞭つて此戰に赴かせる點に窮極しなければならない。甘やかさせたり、増長させたりするのは哲學的な愛の正反對である。俺は漸く此點を忘れかけて居た。
固より弱い者は劬らなければならない、自分の弱さに惱む者は他人の弱さにも思ひ遣りがなければならない。併し此憐憫と同情とに溺れて眞正の愛を忘れる者は、要するに自他を損ふ者である。劬りながら、同情しながら、涙を分ちながら而も結局は小さい自己の一毫をも磨き落させずには措かない處に凡ての人類に對する哲學的な愛があるのである。憐憫と同情との名によつて、兎の毛ほどの卑しさでも假借するのは俺の恥辱である。俺の「愛」の恥辱である。
人を愛する心は人を嘲るに堪へる心でなければならない。自己を愛する心は自己を嘲るに堪へる心でなければならない。單に自己だけに就いて云つて見ても、自嘲は強者の事である。自己憐憫は弱者の事である。固より弱く生れついた者には自己憐憫の心がない譯に行かない。併し自己憐憫から自己嘲笑に、自己嘲笑から自己超越に磨き上げるのが――カントの言葉を用ゐれば――彼の「義務」である。其處に彼の眞正な生活がある。