1話 天守物語(1)
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時 不詳。ただし封建時代――晩秋。日没前より深更にいたる。
所 播州姫路。白鷺城の天守、第五重。
登場人物
天守夫人、富姫。(打見は二十七八)岩代国猪苗代、亀の城、亀姫。(二十ばかり)姫川図書之助。(わかき鷹匠)小田原修理。山隅九平。(ともに姫路城主武田播磨守家臣)十文字ヶ原、朱の盤坊。茅野ヶ原の舌長姥。(ともに亀姫の眷属)近江之丞桃六。(工人)桔梗。萩。葛。女郎花。撫子。(いずれも富姫の侍女)薄。(おなじく奥女中)女の童、禿、五人。武士、討手、大勢。
舞台。天守の五重。左右に柱、向って三方を廻廊下のごとく余して、一面に高く高麗べりの畳を敷く。紅の鼓の緒、処々に蝶結びして一条、これを欄干のごとく取りまわして柱に渡す。おなじ鼓の緒のひかえづなにて、向って右、廻廊の奥に階子を設く。階子は天井に高く通ず。左の方廻廊の奥に、また階子の上下の口あり。奥の正面、及び右なる廻廊の半ばより厚き壁にて、広き矢狭間、狭間を設く。外面は山岳の遠見、秋の雲。壁に出入りの扉あり。鼓の緒の欄干外、左の一方、棟甍、並びに樹立の梢を見す。正面おなじく森々たる樹木の梢。
女童三人――合唱――
ここはどこの細道じゃ、細道じゃ、
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
――うたいつつ幕開く――
侍女五人。桔梗、女郎花、萩、葛、撫子。各名にそぐえる姿、鼓の緒の欄干に、あるいは立ち、あるいは坐て、手に手に五色の絹糸を巻きたる糸枠に、金色銀色の細き棹を通し、糸を松杉の高き梢を潜らして、釣の姿す。
女童三人は、緋のきつけ、唄いつづく。――冴えて且つ寂しき声。
少し通して下さんせ、下さんせ。
ごようのないもな通しません、通しません。
天神様へ願掛けに、願掛けに。
通らんせ、通らんせ。
唄いつつその遊戯をす。
薄、天守の壁の裡より出づ。壁の一劃はあたかも扉のごとく、自由に開く、この婦やや年かさ。鼈甲の突通し、御殿奥女中のこしらえ。
薄 鬼灯さん、蜻蛉さん。
女童一 ああい。
薄 静になさいよ、お掃除が済んだばかりだから。
女童二 あの、釣を見ましょうね。
女童三 そうね。
いたいけに頷きあいつつ、侍女等の中に、はらはらと袖を交う。
薄 (四辺を《みまわ》す)これは、まあ、まことに、いい見晴しでございますね。
葛 あの、猪苗代のお姫様がお遊びにおいででございますから。
桔梗 お鬱陶しかろうと思いまして。それには、申分のございませんお日和でございますし、遠山はもう、もみじいたしましたから。
女郎花 矢狭間も、物見も、お目触りな、泥や、鉄の、重くるしい、外囲は、ちょっと取払っておきました。
薄 成程、成程、よくおなまけ遊ばす方たちにしては、感心にお気のつきましたことでございます。
桔梗 あれ、人ぎきの悪いことを。――いつ私たちがなまけましたえ。
薄 まあ、そうお言いの口の下で、何をしておいでだろう。二階から目薬とやらではあるまいし、お天守の五重から釣をするものがありますかえ。天の川は芝を流れはいたしません。富姫様が、よそへお出掛け遊ばして、いくら間があると申したって、串戯ではありません。
撫子 いえ、魚を釣るのではございません。
桔梗 旦那様の御前に、ちょうど活けるのがございませんから、皆で取って差上げようと存じまして、花を……あの、秋草を釣りますのでございますよ。
薄 花を、秋草をえ。はて、これは珍しいことを承ります。そして何かい、釣れますかえ。
女童の一人の肩に、袖でつかまって差覗く。
桔梗 ええ、釣れますとも、もっとも、新発明でございます。
薄 高慢なことをお言いでない。――が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。……餌の儀でござんすがね。
撫子 はい、それは白露でございますわ。
葛 千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。(隣を視る)御覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。
薄 ああ、ほんにねえ。まったく草花が釣れるとなれば、さて、これは静にして拝見をいたしましょう。釣をするのに饒舌っては悪いと云うから。……一番だまっておとなしい女郎花さんがよく釣った、争われないものじゃないかね。
女郎花 いいえ、お魚とは違いますから、声を出しても、唄いましても構いません。――ただ、風が騒ぐと下可ませんわ。……餌の露が、ぱらぱらこぼれてしまいますから。ああ、釣れました。
薄 お見事。
と云う時、女郎花、棹ながらくるくると枠を巻戻す、糸につれて秋草、欄干に上り来る。さきに傍に置きたる花とともに、女童の手に渡す。
桔梗 釣れました。(おなじく糸を巻戻す。)
萩 あれ、私も……
花につれて、黄と、白、紫の胡蝶の群、ひらひらと舞上る。
葛 それそれ私も――まあ、しおらしい。
薄 桔梗さん、棹をお貸しな、私も釣ろう、まことに感心、おつだことねえ。
女郎花 お待ち遊ばせ、大層風が出て参りました、餌が糸にとまりますまい。
薄 意地の悪い、急に激しい風になったよ。
萩 ああ、内廓の秋草が、美しい波を打ちます。
桔梗 そう云ううちに、色もかくれて、薄ばかりが真白に、水のように流れて来ました。
葛 空は黒雲が走りますよ。
薄 先刻から、野も山も、不思議に暗いと思っていた、これは酷い降りになりますね。
舞台暗くなる、電光閃く。
撫子 夫人は、どこへおいで遊ばしたのでございますえ。早くお帰り遊ばせば可うございますね。
薄 平時のように、どこへとも何ともおっしゃらないで、ふいとお出ましになったもの。
萩 お迎いにも参られませんねえ。
薄 お客様、亀姫様のおいでの時刻を、それでも御含みでいらっしゃるから、ほどなくお帰りでござんしょう。――皆さんが、御心入れの御馳走、何、秋草を、早くお供えなさるが可いね。
女郎花 それこそ露の散らぬ間に。――
正面奥の中央、丸柱の傍に鎧櫃を据えて、上に、金色の眼、白銀の牙、色は藍のごとき獅子頭、萌黄錦の母衣、朱の渦まきたる尾を装いたるまま、荘重にこれを据えたり。
――侍女等、女童とともにその前に行き、跪きて、手に手に秋草を花籠に挿す。色のその美しき蝶の群、斉く飛連れてあたりに舞う。雷やや聞ゆ。雨来る。
薄 (薄暗き中に)御覧、両眼赫燿と、牙も動くように見えること。
桔梗 花も胡蝶もお気に入って、お嬉しいんでございましょう。
時に閃電す。光の裡を、衝と流れて、胡蝶の彼処に流るる処、ほとんど天井を貫きたる高き天守の棟に通ずる階子。――侍女等、飛ぶ蝶の行方につれて、ともに其方に目を注ぐ。
女郎花 あれ、夫人がお帰りでございますよ。
はらはらとその壇の許に、振袖、詰袖、揃って手をつく。階子の上より、まず水色の衣の褄、裳を引く。すぐに蓑を被ぎたる姿見ゆ。長なす黒髪、片手に竹笠、半ば面を蔽いたる、美しく気高き貴女、天守夫人、富姫。
夫人 (その姿に舞い縋る蝶々の三つ二つを、蓑を開いて片袖に受く)出迎えかい、御苦労だね。(蝶に云う。)
――お帰り遊ばせ、――お帰り遊ばせ――侍女等、口々に言迎う。――
夫人 時々、ふいと気まかせに、野分のような出歩行きを、……
ハタと竹笠を落す。女郎花、これを受け取る。貴女の面、凄きばかり白く長けたり。
露も散らさぬお前たち、花の姿に気の毒だね。(下りかかりて壇に弱腰、廊下に裳。)
薄 勿体ないことを御意遊ばす。――まあ、お前様、あんなものを召しまして。
夫人 似合ったかい。
薄 なおその上に、御前様、お痩せ遊ばしておがまれます。柳よりもお優しい、すらすらと雨の刈萱を、お被け遊ばしたようにござります。
夫人 嘘ばっかり。小山田の、案山子に借りて来たのだものを。
薄 いいえ、それでも貴女がめしますと、玉、白銀、揺の糸の、鎧のようにもおがまれます。
夫人 賞められてちっと重くなった。(蓑を脱ぐ)取っておくれ。
撫子、立ち、うけて欄干にひらりと掛く。
蝶の数、その蓑に翼を憩う。……夫人、獅子頭に会釈しつつ、座に、褥に着く。脇息。
侍女たちかしずく。
少し草臥れましたよ。……お亀様はまだお見えではなかったろうね。
薄 はい、お姫様は、やがてお入りでござりましょう。それにつけましても、お前様おかえりを、お待ち申上げました。――そしてまあ、いずれへお越し遊ばしました。
夫人 夜叉ヶ池まで参ったよ。
薄 おお、越前国大野郡、人跡絶えました山奥の。
萩 あの、夜叉ヶ池まで。
桔梗 お遊びに。
夫人 まあ、遊びと言えば遊びだけれども、大池のぬしのお雪様に、ちっと……頼みたい事があって。
薄 私はじめ、ここに居ります、誰ぞお使いをいたしますもの、御自分おいで遊ばして、何と、雨にお逢いなさいましてさ。
夫人 その雨を頼みに行きました。――今日はね、この姫路の城……ここから視れば長屋だが、……長屋の主人、それ、播磨守が、秋の野山へ鷹狩に、大勢で出掛けました。皆知っておいでだろう。空は高し、渡鳥、色鳥の鳴く音は嬉しいが、田畑と言わず駈廻って、きゃっきゃっと飛騒ぐ、知行とりども人間の大声は騒がしい。まだ、それも鷹ばかりなら我慢もする。近頃は不作法な、弓矢、鉄砲で荒立つから、うるささもうるさしさ。何よりお前、私のお客、この大空の霧を渡って輿でおいでのお亀様にも、途中失礼だと思ったから、雨風と、はたた神で、鷹狩の行列を追崩す。――あの、それを、夜叉ヶ池のお雪様にお頼み申しに参ったのだよ。
薄 道理こそ時ならぬ、急な雨と存じました。
夫人 この辺は雨だけかい。それは、ほんの吹降りの余波であろう。鷹狩が遠出をした、姫路野の一里塚のあたりをお見な。暗夜のような黒い雲、眩いばかりの電光、可恐い雹も降りました。鷹狩の連中は、曠野の、塚の印の松の根に、澪に寄った鮒のように、うようよ集って、あぶあぶして、あやい笠が泳ぐやら、陣羽織が流れるやら。大小をさしたものが、ちっとは雨にも濡れたが可い。慌てる紋は泡沫のよう。野袴の裾を端折って、灸のあとを出すのがある。おお、おかしい。(微笑む)粟粒を一つ二つと算えて拾う雀でも、俄雨には容子が可い。五百石、三百石、千石一人で食むものが、その笑止さと言ってはない。おかしいやら、気の毒やら、ねえ、お前。
薄 はい。
夫人 私はね、群鷺ヶ峰の山の端に、掛稲を楯にして、戻道で、そっと立って視めていた。そこには昼の月があって、雁金のように(その水色の袖を圧う)その袖に影が映った。影が、結んだ玉ずさのようにも見えた。――夜叉ヶ池のお雪様は、激いなかにお床しい、野はその黒雲、尾上は瑠璃、皆、あの方のお計らい。それでも鷹狩の足も腰も留めさせずに、大風と大雨で、城まで追返しておくれの約束。鷹狩たちが遠くから、松を離れて、その曠野を、黒雲の走る下に、泥川のように流れてくるに従って、追手の風の横吹。私が見ていたあたりへも、一村雨颯とかかったから、歌も読まずに蓑をかりて、案山子の笠をさして来ました。ああ、そこの蜻蛉と鬼灯たち、小児に持たして後ほどに返しましょう。
薄 何の、それには及びますまいと存じます。
夫人 いえいえ、農家のものは大切だから、等閑にはなりません。
薄 その儀は畏りました。お前様、まあ、それよりも、おめしかえを遊ばしまし、おめしものが濡れまして、お気味が悪うござりましょう。
夫人 おかげで濡れはしなかった。気味の悪い事もないけれど、隔てぬ中の女同士も、お亀様に、このままでは失礼だろう。(立つ)着換えましょうか。
女郎花 ついでに、お髪も、夫人様
夫人 ああ、あげてもらおうよ。
夫人に続いて、一同、壁の扉に隠る。女童のこりて、合唱す――
ここはどこの細道じゃ、細道じゃ。
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
時に棟に通ずる件の階子を棟よりして入来る、岩代国麻耶郡猪苗代の城、千畳敷の主、亀姫の供頭、朱の盤坊、大山伏の扮装、頭に犀のごとき角一つあり、眼円かに面の色朱よりも赤く、手と脚、瓜に似て青し。白布にて蔽うたる一個の小桶を小脇に、柱をめぐりて、内を覗き、女童の戯るるを視つつ破顔して笑う
朱の盤 かちかちかちかち。
歯を噛鳴らす音をさす。女童等、走り近く時、面を差寄せ、大口開く。
もおう!(獣の吠ゆる真似して威す。)
女董一 可厭な、小父さん。
女童二 可恐くはありませんよ。
朱の盤 だだだだだ。(濁れる笑)いや、さすがは姫路お天守の、富姫御前の禿たち、変化心備わって、奥州第一の赭面に、びくともせぬは我折れ申す。――さて、更めて内方へ、ものも、案内を頼みましょう。
女童三 屋根から入った小父さんはえ?
朱の盤 これはまた御挨拶だ。ただ、猪苗代から参ったと、ささ、取次、取次。
女童一 知らん。
女童三 べいい。(赤べろする。)
朱の盤 これは、いかな事――(立直る。大音に)ものも案内。
薄 どうれ。(壁より出迎う)いずれから。
朱の盤 これは岩代国会津郡十文字ヶ原青五輪のあたりに罷在る、奥州変化の先達、允殿館のあるじ朱の盤坊でござる。すなわち猪苗代の城、亀姫君の御供をいたし罷出ました。当お天守富姫様へ御取次を願いたい。
薄 お供御苦労に存じ上げます。あなた、お姫様は。
朱の盤 (真仰向けに承塵を仰ぐ)屋の棟に、すでに輿をばお控えなさるる。
薄 夫人も、お待兼ねでございます。
手を敲く。音につれて、侍女三人出づ。斉しく手をつく。
早や、御入らせ下さりませ。
朱の盤 (空へ云う)輿傍へ申す。此方にもお待うけじゃ。――姫君、これへお入りのよう、舌長姥、取次がっせえ。
階子の上より、真先に、切禿の女童、うつくしき手鞠を両袖に捧げて出づ。
亀姫、振袖、裲襠、文金の高髷、扇子を手にす。また女童、うしろに守刀を捧ぐ。あと圧えに舌長姥、古びて黄ばめる練衣、褪せたる紅の袴にて従い来る。
天守夫人、侍女を従え出で、設けの座に着く。
薄 (そと亀姫を仰ぐ)お姫様。
出むかえたる侍女等、皆ひれ伏す。
亀姫 お許し。
しとやかに通り座につく。と、夫人と面を合すとともに、双方よりひたと褥の膝を寄す。
夫人 (親しげに微笑む)お亀様。
亀姫 お姉様、おなつかしい。
夫人 私もお可懐い。――
――(間。)
女郎花 夫人。(と長煙管にて煙草を捧ぐ。)
夫人 (取って吸う。そのまま吸口を姫に渡す)この頃は、めしあがるそうだね。
亀姫 ええ、どちらも。(うけて、その煙草を吸いつつ、左の手にて杯の真似をす。)
夫人 困りましたねえ。(また打笑む。)
亀姫 ほほほ、貴女を旦那様にはいたすまいし。
夫人 憎らしい口だ。よく、それで、猪苗代から、この姫路まで――道中五百里はあろうねえ、……お年寄。
舌長姥 御意にござります。……海も山もさしわたしに、風でお運び遊ばすゆえに、半日路には足りませぬが、宿々を歩いましたら、五百里……されば五百三十里、もそっともござりましょうぞ。
夫人 ああね。(亀姫に)よく、それで、手鞠をつきに、わざわざここまでおいでだね。
亀姫 でございますから、お姉様は、私がお可愛うございましょう。
夫人 いいえ、お憎らしい。
亀姫 御勝手。(扇子を落す。)
夫人 やっぱりお可愛い。(その背を抱き、見返して、姫に附添える女童に)どれ、お見せ。(手鞠を取る)まあ、綺麗な、私にも持って来て下されば可いものを。
朱の盤 ははッ。(その白布の包を出し)姫君より、貴女様へ、お心入れの土産がこれに。申すは、差出がましゅうござるなれど、これは格別、奥方様の思召しにかないましょう。…何と、姫君。(色を伺う。)
亀姫 ああ、お開き。お姉様の許だから、遠慮はない。
夫人 それはそれは、お嬉しい。が、お亀様は人が悪い、中は磐梯山の峰の煙か、虚空蔵の人魂ではないかい。
亀姫 似たもの。ほほほほほ。
夫人 要りません、そんなもの。
亀姫 上げません。
朱の盤 いやまず、(手を挙げて制す)おなかがよくてお争い、お言葉の花が蝶のように飛びまして、お美しい事でござる。……さて、此方より申す儀ではなけれども、奥方様、この品ばかりはお可厭ではござるまい。
包を開く、首桶。中より、色白き男の生首を出し、もとどりを掴んで、ずうんと据う。
や、不重宝、途中揺溢いて、これは汁が出ました。(その首、血だらけ)これ、姥殿、姥殿。
舌長姥 あいあい、あいあい。
朱の盤 御進物が汚れたわ。鱗の落ちた鱸の鰭を真水で洗う、手の悪い魚売人には似たれども、その儀では決してない。姥殿、此方、一拭い、清めた上で進ぜまいかの。
夫人 (煙管を手に支き、面正しく屹と視て)気遣いには及びません、血だらけなは、なおおいしかろう。
舌長姥 こぼれた羹は、埃溜の汁でござるわの、お塩梅には寄りませぬ。汚穢や、見た目に、汚穢や。どれどれ掃除して参らしょうぞ。(紅の袴にて膝行り出で、桶を皺手にひしと圧え、白髪を、ざっと捌き、染めたる歯を角に開け、三尺ばかりの長き舌にて生首の顔の血をなめる)汚穢や、(ぺろぺろ)汚穢やの。(ぺろぺろ)汚穢やの、汚穢やの、ああ、甘味やの、汚穢やの、ああ、汚穢いぞの、やれ、甘味いぞのう。
朱の盤 (慌しく遮る)やあ、姥さん、歯を当てまい、御馳走が減りはせぬか。
舌長姥 何のいの。(ぐったりと衣紋を抜く)取る年の可恐しさ、近頃は歯が悪うて、人間の首や、沢庵の尻尾はの、かくやにせねば咽喉へは通らぬ。そのままの形では、金花糖の鯛でさえ、横噛りにはならぬ事よ。
朱の盤 後生らしい事を言うまい、彼岸は過ぎたぞ。――いや、奥方様、この姥が件の舌にて舐めますると、鳥獣も人間も、とろとろと消えて骨ばかりになりますわ。……そりゃこそ、申さぬことではなかった。お土産の顔つきが、時の間に、細長うなりました。なれども、過失の功名、死んで変りました人相が、かえって、もとの面体に戻りました。……姫君も御覧ぜい。
亀姫 (扇子を顔に、透かし見る)ああ、ほんになあ。
侍女等一同、瞬きもせず熟と視る。誰も一口食べたそう。
薄 お前様――あの、皆さんも御覧なさいまし、亀姫様お持たせのこの首は、もし、この姫路の城の殿様の顔に、よく似ているではござんせぬか。
桔梗 真に、瓜二つでございますねえ。
夫人 (打頷く)お亀様、このお土産は、これは、たしか……
亀姫 はい、私が廂を貸す、猪苗代亀ヶ城の主、武田衛門之介の首でございますよ。
夫人 まあ、貴女。(間)私のために、そんな事を。
亀姫 構いません、それに、私がいたしたとは、誰も知りはしませんもの。私が城を出ます時はね、まだこの衛門之介はお妾の膝に凭掛って、酒を飲んでおりました。お大名の癖に意地が汚くってね、鯉汁を一口に食べますとね、魚の腸に針があって、それが、咽喉へささって、それで亡くなるのでございますから、今頃ちょうどそのお膳が出たぐらいでございますよ。(ふと驚く。扇子を落す)まあ、うっかりして、この咽喉に針がある。(もとどりを取って上ぐ)大変なことをした、お姉様に刺さったらどうしよう。
夫人 しばらく! 折角、あなたのお土産を、いま、それをお抜きだと、衛門之介も針が抜けて、蘇返ってしまいましょう。
朱の盤 いかさまな。
夫人 私が気をつけます。可うござんす。(扇子を添えて首を受取る)お前たち、瓜を二つは知れたこと、この人はね、この姫路の城の主、播磨守とは、血を分けた兄弟よ。
侍女等目と目を見合わす。
ちょっと、獅子にお供え申そう。
みずから、獅子頭の前に供う。獅子、その牙を開き、首を呑む。首、その口に隠る。
亀姫 (熟と視る)お姉様、お羨しい。
夫人 え。
亀姫 旦那様が、おいで遊ばす。
間。――夫人、姫と顔を合す、互に莞爾とす。