縁結び

10話

3,531字 約7分 2001年10月19日 公開

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 その間に、お君は縁側に腰をかけて、裾を(ねじ)るようにして(ふところ)がみで足を(ぬぐ)って、下駄(げた)を、謙造のも一所に()いて、それから穿直(はきなお)して、外へ出て、広々とした山の上の、小さな手水鉢(ちょうずばち)で手を洗って、これは手巾(ハンケチ)(ぬぐ)って、裾をおろして、一つ揺直(ゆすりなお)して、下褄(したづま)掻込(かいこ)んで、本堂へ立向って、ト(つむり)を下げたところ。

「こちらへお入り、」

 と、謙造が休息所で声をかける。

 お君がそっと歩行(ある)いて行くと、六畳の真中に腕組(うでぐみ)をして(すわ)っていたが、

「まあお坐んなさい。」

 と(かたわら)へ坐らせて、お君が、ちゃんと膝をついた拍子(ひょうし)に、何と思ったか、ずいと立ってそこらを見廻したが、横手(よこって)のその窓に(なら)んだ二段に()った(たな)があって、火鉢(ひばち)燭台(しょくだい)の類、新しい卒堵婆(そとば)が二本ばかり。下へ突込んで、鼠の(かじ)った穴から、白い(きれ)のはみ出した、中には白骨でもありそうな、薄気味の悪い古葛籠(ふるつづら)が一折。その中の棚に(はす)っかけに乗せてあった経机(きょうづくえ)ではない小机の、脚を(えぐ)って満月を(すか)したはいいが、雲のかかったように虫蝕(むしくい)のあとのある、()ったか、古びか、真黒な、引出しのないのに目を着けると……

「有った、有った。」

 と嬉しそうにつと寄って、両手でがさがさと引き出して、立直って持って出て、縁側を背後(うしろ)に、端然(きちん)と坐った、お君のふっくりした衣紋(えもん)つきの帯の処へ、中腰になって舁据(かきす)えて置直すと、正面を()けて、お君と互違(たがいちが)いに肩を並べたように、どっかと坐って、

「これだ。これがなかろうもんなら、わざわざ足弱を、暮方(くれがた)にはなるし、雨は降るし、こんな山の中へ連れて来て、申訳のない次第だ。

 薄暗くってさっきからちょっと見つからないもんだから、これも見た目の(まぼろし)だったのか、と大抵(たいてい)気を()んだ事じゃない。

 お君さん、」

 と云って、無言ながら、(なつか)しげなその美い、そして恍惚(うっとり)となっている顔を見て、

「その机だ。お君さん、あなたの母様(おっかさん)記念(かたみ)というのは、……

 こういうわけだ。また(こわ)がっちゃいけないよ。母様(おっかさん)の事なんだから。

 いいかい。

 一昨日(おととい)ね。私の両親(ふたおや)の墓は、ついこの右の方の(おか)松蔭(まつかげ)にあるんだが、そこへ参詣(おまいり)をして、墳墓(はか)の土に、(かおり)()い、(すみれ)の花が咲いていたから、東京へ持って帰ろうと思って、三本(みもと)ばかり()んで、こぼれ松葉と一所に紙入の中へ入れて。それから、父親(おやじ)()る時分、連立って阿母(おふくろ)墓参(はかまいり)をすると、いつでも帰りがけには、この仁右衛門の堂へ寄って、世間話、お祖師様(そしさま)の一代記、時によると、軍談講釈、太平記を拾いよみに諳記(そら)でやるくらい話がおもしろい爺様(じいさま)だから、日が暮れるまで坐り込んで、提灯(ちょうちん)を借りて帰ることなんぞあった馴染(なじみ)だから、ここへ寄った。

 いいお天気で、からりと日が照っていたから、この間中(あいだじゅう)湿気払(しっけばら)いだと見えて、本堂も廊下(ろうか)も明っ放し……で(だれ)も居ない。

 座敷(ざしき)のここにこの机が出ていた。

 机の向うに薄くこう婦人(おんな)が一人、」

 お君はさっと蒼くなる。

「一生懸命にお聞きよ。それが、あなたの母様(おっかさん)だったんだから。

 高髷(たかまげ)俯向(うつむ)けにして、雪のような頸脚(えりあし)が見えた。手をこうやって、何か書ものをしていたろう。紙はあったが、筆は持っていたか、そこまでは気がつかないが、現に、そこに、あなたとちょうど向い合せの処、」

 正面の(ふすま)は暗くなった、破れた引手(ひきて)に、襖紙の()けたのが、ばさりと動いた。お君は(かた)くなって真直に、そなたを見向いて、(またたき)もせぬのである。

「しっかりして、お聞き、恐くはないから、私が居るから、」と謙造は、自分もちょいと本堂の今は(けむり)のように見える、白き戸帳(とばり)を見かえりながら、

「私がそれを見て、ああ、()たようなとぞっとした時、そっと顔を上げて、莞爾(にっこり)したのが、お向うのその《ねえ》さんだ、百人一首の挿画(さしえ)にそッくり。

 はッと気がつくと、もう影も姿もなかった。

 私は、思わず飛込んで、その襖を開けたよ。

 がらん堂にして仁右衛門も居らず。懐しい人だけれども、そこに、と思うと、私もちと居なすった幻のあとへは、第一なまぐさを食う身体(からだ)だし、もったいなくッて(はばか)ったから、今、お君さん、お前が坐っているそこへ坐ってね、机に(もた)れて、」

 と云う時、お君はその机にひたと顔をつけて、うつぶしになった。あらぬ(おもかげ)とどめずや、机の上は(すす)だらけである。

「で、何となく、あの二階と(のき)とで、泣きなすった、その時の姿が、今さしむかいに見えるようで、私は自分の母親の事と一所に、しばらく人知れず泣いて、ようよう外へ出て、日を見て目を()いた次第だった。翌晩(あくるばん)、朝顔を踊った、お前さんを見たんだよ。目前(めさき)を去らない(むすめ)さんにそっくりじゃないか。そんな話だから、酒の席では言わなかったが、私はね、さっきお前さんがお()での時、女中が取次いで、女の方だと云った、それにさえ、ぞっとしたくらい、まざまざとここで見たんだよ。

 しかしその机は、昔からここにある見覚えのある、庚申堂はじまりからの附道具(つきどうぐ)で、何もあなたの母様(おっかさん)の使っておいでなすったのを、堂へ納めたというんじゃない。

 それがまたどうして、ここで幻を見たろうと思うと……こうなんだ。

 私の母親の亡くなったのは、あなたの母親(おっかさん)より、二年ばかり前だったろう。

 新盆(にいぼん)に、切籠(きりこ)()げて、父親(おやじ)と連立って墓参(はかまいり)に来たが、その白張(しらはり)の切籠は、ここへ来て、仁右衛門爺様(じいさま)に、アノ威張(いば)った髯題目(ひげだいもく)、それから、志す仏の戒名(かいみょう)進上(しんじょう)から、供養の(ぬし)、先祖代々の精霊(しょうりょう)と、一個一個(ひとつひとつ)に書いて(もら)うのが例でね。

 (うち)ばかりじゃない、今でも盆にはそうだろうが、よその爺様(じいさま)婆様(ばあさま)、切籠持参は皆そうするんだっけ。

 その年はついにない、どうしたのか急病で、仁右衛門が(うめ)いていました。

 さあ、切籠が迷った、白張でうろうろする。

 ト同じ燈籠(とうろう)を手に()げて、とき色の長襦袢(ながじゅばん)の透いて見える、(うすもの)(すず)しい(なり)で、母娘連(おやこづれ)、あなたの祖母(おばあさん)と二人連で、ここへ来なすったのが、《ねえ》さんだ。

 やあ、()めた、と云うと、父親(おやじ)が遠慮なしに、お(きぬ)さん――あなた、母様(おっかさん)の名は知っているかい。」

 突俯(つッぷ)したまま、すねたように(かぶり)を振った。

「お(ねがい)だ、お願だ。精霊大まごつきのところ、お馴染の(わし)媽々(かかあ)門札(かどふだ)を願います、と燈籠を振廻(ふりま)わしたもんです。

 母様(おっかさん)は、町内評判の手かきだったからね、それに大勢居る処だし、祖母(おばあ)さんがまた、ちっと見せたい気もあったかして、書いてお上げなさいよ、と云ってくれたもんだから、(おうぎ)(たた)んで、お坐んなすったのが――その机です。

 これは、祖父(じい)何々院(なになにいん)、これは婆さまの何々信女(なになにしんにょ)、そこで、これへ、媽々(かかあ)の戒名を、と父親(おやじ)が燈籠を出した時。

母様(おっかさん)のは、)と(そば)(かしこま)った私を見て、

(謙ちゃんが書くんですよ、)

 とそう云っておくんなすってね、その机の前へ坐らせて、」

 と云う時、謙造は声が曇った。

「すらりと立って、背後(うしろ)から私の手を(やわら)かく筆を持添えて……

 おっかさん、と仮名(かな)で書かして下さる時、この(えり)へ、」

 と、しっかりと腕を組んで、

「はらはらと(なみだ)を落しておくんなすった。

 父親(おやじ)(すみ)をすりながら、伸上(のびあが)って、とその仮名を読んで……

 おっかさん、」

 いいかけて謙造は、ハッと位牌堂の方を振向いてぞっとした。自分の胸か、君子の声か、(かすか)に、おっかさんと響いた。

 ヒイと、(こら)えかねてか、泣く声して、薄暗がりを一つあおって、白い手が膝の上へばたりと来た。

 突俯(つッぷ)したお君が、胸の苦しさに(もだ)えたのである。

 その手を取って、

「それだもの、()(わす)れるもんか。その時の、幻が、ここに残って、私の目に見えたんだ。

 ね、だからそれが記念(かたみ)なんだ。お君さん、母様(おっかさん)の顔が見えたでしょう、見えたでしょう。一心におなんなさい、私がきっと請合(うけあ)う、きっと見える。可哀相(かわいそう)に、名、名も知らんのか。」

 と云って、ぶるぶると(ふる)える手を、しっかと取った。が、冷いので、あなやと(おどろ)き、膝を(つッ)かけ、(せな)(いだ)くと、答えがないので、(あわ)てて、引起して、横抱きに膝へ(いだ)いた。

 (あわただ)しい声に力を()めつつ、

「しっかりおし、しっかりおし、」

 と涙ながら、そのまま、じっと(だき)しめて、

母様(おっかさん)の顔は、《ねえ》さんの姿は、私の、謙造の胸にある!」

 とじっと見詰(みつ)めると、恍惚(うっとり)した雪のようなお君の顔の、美しく優しい(まゆ)のあたりを、ちらちらと(ちょう)のように、紫の影が行交(ゆきか)うと思うと、(すみれ)(かおり)がはっとして、やがて(すが)った手に力が入った。

 お君の寂しく莞爾(にっこり)した時、寂寞(じゃくまく)とした位牌堂の中で、カタリと音。

 目を上げて見ると、見渡す限り、山はその戸帳(とばり)のような色になった。が、やや(つや)やかに見えたのは雨が晴れた薄月の影である。

 遠くで梟が()いた。

 謙造は、その声に、額堂の絵を思出した、けれども、自分で(かぶり)をふって、(ひと)しく莞爾(にっこり)した。

 その時何となく机の向が、かわった。

 襖がすらりとあいたようだから、振返えると、あらず、仁右衛門の居室(いま)(しま)ったままで、ただほのかに見える(こぼ)れ松葉のその模様が、(なつか)しい百人一首の表紙に見えた。

(明治四十年一月)

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