三太郎の日記 第一

14話 三太郎の日記 1

1,789字 約4分 2011年8月12日 公開

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 普通の解釋に從へば抽象とは具象の正反對である。抽象する作用は常に事物の具象性を破壞し、抽象せられたるものは既に具象性を失つてゐるのである。併し自分の考は少しく普通の解釋と違つてゐる。自分の解釋が正しいならば、具象性を破壞するものは抽象作用其ものに非ずして抽象の方法である。從つて具象性を破壞する抽象もあれば、具象性の印象を一層明確深にする抽象もある。

 若し事實と云ひ具象と云ふことが吾人の感官を刺戟する猥雜なる外界の一切を意味するものとすれば、彼の現實乃至具象の世界は既に吾人の知覺をすら逸してゐる。況して吾人の悟性乃至理性に映ずる世界の姿が此種の現實を離れ、具象性を失つてゐることは云ふ迄もない事柄である。知覺は無意識的に外來の刺戟を選擇する。更に悟性と理性とは經驗の價値と意義と強度とによりて知覺の世界に選擇を施す。選擇するとは或種の經驗を強調して或種の經驗を捨象することである。抽象作用を度外視して世界を認識することは徹頭徹尾不可能である。從つて現實の世界具象の世界は抽象作用を俟つて始めて吾人の頭腦中に成立するのである。世に抽象的に非ざる具象界は存在し得ない。具象の世界は抽象作用の子である。現實の世界は吾人の創造する處である。

 吾人が猥雜なる外來の刺戟中より現實の世界を創造するに當りて、渾沌を剖判す可き重要なる原理となるものは、強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗の意義である。而して經驗の意義を決定するにはリツプスも説けるが如く二樣の要素がある。一つは經驗そのものが意識に對して有する壓力である。強度である。一つは其經驗と吾人の要求との適合不適合の呼吸である。狹義に於ける其經驗の價値である。若し此兩面が美しい調和と平衡とを保つならば、其強度と壓力によりて吾人の世界に一定の地位を要請する經驗は、隱れたる自我の要求と何等の鬪爭なくして其要請する地位を占有することが出來、又自我の要求によりて強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗は、知覺の側より何等の顯著なる抗議を受ることなくして其抑揚を完くすることが出來て、吾人は素朴無邪氣に古典主義の世界に優游するを得る譯である。併し吾人の世界に在つて古典主義は遠き世の破れたる夢となつた。破れたる夢を慕ひて新しき世に其復活を圖らむとする新古典主義はあつても、昔ながらに素朴無邪氣なる古典主義の姿は今の世の何處にも發見することを得ないであらう。少なくとも自分一己の世界に在りては、知覺の世界に於いて一定の強度と壓力とを有する經驗に對して、隱れたる自我の要求は我が求むる處は此の如く醜き者に非ずと顏を背ける。自我の要求より出發する經驗の抑揚に對して、知覺の世界は現實を離れたる白日の夢よと嘲弄する。要求の眼より見れば知覺の世界は姿醜く、品卑しく、碎け且つ歪んでゐる。知覺の世界に立脚すれば要求の世界は實相を離れたる空しき紙の花に過ぎない。茲に至りて始めて現實と理想とは主義として鬪爭し、具象と抽象とは兩立し難き極端となつて、抽象作用は意識的に非ざれば行はれ難い事となるのである。捨象とは拒斥である、放逐である。一面に、焦躁する自我は眼を瞋らし肩を聳かして醜き知識を擯出する。一面に、捨象せられたる經驗は怨靈となりて新しき世界の四周を脅迫する。此の故に吾人の世界は第一に知覺と要求との兩端に分裂し、第二に不安にして強制の陰影を殘し、第三に稀薄にして本能の強健を缺くのである。

 併し吾人の意識に内界統一の願望ある限り、吾人は依然として抽象の歩を進めなければならぬ。經驗に抑揚を附して人生の精髓を選擇しなければならぬ。貧弱なる文明の遺産を繼承し、不統一なる知覺の世界に生れたるだけに、愈切に抽象の歩を進めなければならぬ。明治の日本に生れ合せたる吾人は大向うから人生の芝居を覗く連中である。前面にウヨウヨする無數の頭顱と、前後左右に雜談(ゴシツプ)する熊公八公の徒と、場内の空氣を限る鐵の格子とを抽象して、せめて頭腦の世界に於いて棧敷の客とならなければならぬ。吾人の抽象に反抗と感傷との臭あるはやむを得ない。兎に角に予は抽象の生活を愛する。

 抽象は超脱となり、超脱は包容となる。予と雖も之を知らざるものではない。併し此不統一なる世界に生れて、誰か自ら詐ることなくして包容の哲學を説くを得よう。予は抽象の低き階級に彷徨する。故に予は抽象の哲學を説く。

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