42話 三太郎の日記 1
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死を怖れざることの論理――一厭世者の手記より。
余の生に何の執着に價する内容があるか。凡ての經驗は之と矛盾する何等かの記憶、何等かの豫想、何等かの論理に脅かされて、酒は水と交り、形は影と混じ、現在は過去と未來とに汚されてゐる。全心を擧げて追求す可き目標も、全身を抛つて愛着す可き對象も、全存在を震撼す可き歡喜と悲痛とも最早余にとつては存在してゐない。絶滅の恐怖は唯絶滅せしむるに忍びざる何物かを確實に占有する者にのみ許さるゝ情緒である。眞正に生きる者にのみ許さるゝ經驗である。然るに今死が余より奪はむと脅す處は眞正の生に非ずして唯生の影である。余の前に置かれたる選擇は生か死かに非ずして、生の影か死か、死に劣る生か死かに過ぎない。固より余は淺薄なる愛情によつて親朋に繋がれてゐる。余は彼等の世界から消失することを悲しみ、余の死を慟哭す可き彼等の悲哀を憐む。併し余に眞正の生を教へるの力なき一切の關係は要するに余にとつて眞正に存在の價値があるものではない。彼等は畢竟未練に過ぎない。幻想に過ぎない。此未練を擺脱すれば、余は常に死に對して準備されてゐる。死よ。汝の欲する時に來りて余を奪ひ去れ。
加ふるに死は生の自然の繼續である。最もよき生の後に最も惡き死が來る理由がない。死と死後とは人智の測り知る可からざる處であるが、唯死に對する最良の準備が最もよく生きることに在るは疑がない。名匠の手に成れる戲曲は最後の幕も亦美しいに違ひがない。余の問題は此苦痛と戰ひ、此悲哀と鈍麻との波をわけて、如何に斯生の價値を創造す可きかに在る。創造の成果は甚だ疑はしい。併し余が生存する間は此事を外にして第一義の問題がない、第一義の事業がない。死の恐怖は痴人の閑問題である。