85話 三太郎の日記 1
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私は此一兩年になつて始めて自分より若い人の存在を感じ出した。此感じは一種不思議な經驗として、私に刺戟と鞭韃と悲哀とを與へてゐる。私は未だ此新しい經驗に馴染むことが出來ない。私の心は一種物珍らしい落付かない驚きを以つて、此新しい感じを――私の意識内に於ける新來の珍客を、右から左から眺めてゐる。
此迄私は唯思想文藝の世界に於ける最も若いゼネレーシヨンとのみ意識して、何の不思議をも感じなかつた。私の前には先輩がゐた、私の周圍には私と同じ樣に自分の世界を開拓して行かうとする友人がゐた。さうして私のあとから來るものは、未だ思想上文藝上何の問題とするに足らぬ子供ばかりだと思つてゐた。私は自分を日本に於ける最も若いゼネレーシヨンだと信じて、唯現在を開拓すること、未來を翹望することにのみ生きて來た。
現今と雖も、私は自分を如何なる意味に於いても完成品だなどとは思はない。自分の本當の仕事も――否、寧ろ本當の準備も、本當の創造に備へる眞劍な吸收も、凡て之からだと思つてゐる。併し自分でも知らずにゐる間に、日本の社會にはいつしか更に若いゼネレーシヨンが生れた。自分より年の若い幾多の人々はそれ/″\活氣の多い、注目に値する仕事を始め出した。さうして彼等の或者は自分よりも更に新しい時代に育つて來た特徴を、鮮かにその思想と文藝との上にあらはすやうになつた。私は次第に自分より若い人の存在を信じない譯に往かない樣になつて來た。
さうしてゐるうちに、彼等と私との間に色々の私交が生れて來た。彼等の或者は私の宅へ尋ねて來たり、手紙を寄せたりして、樣々の相談を持込むやうになつた。さうして彼等は私を遇するに先輩を以つてした。何等かの意味に於いて「與へる者」に對するが如き態度を以つて私に對した。從來單に「受ける」者としてのみ生きて來た私は――現今と雖も「受ける者」以上の資格を持つてゐると自信することの出來ない私は、此新しい待遇に對して不安と壓迫と不思議とを感ぜざるを得なくなつた。併し私の如何なる遁避も、私を「與へる者」として待遇する少數の人の存在を防遏する譯に往かない。自ら知らぬ間に、私は小なる先輩の一人になつてゐることを感ずる。私の内省のあらゆる抗辯に拘らず、社會的に云へば私は小さい先輩の中の一人になつて了つたに違ひない。悲しむべき自覺は私にこの事實の承認を強ひる。
さうして此悲しむ可き自覺は、若い人達――私自身がこんな言葉を使はなければならないやうになつた。何と云ふ驚きだらう――との交りによつて、内容的にも亦確められざるを得なかつた。彼等との親しい交りによつて、私は彼等の或者が嘗て自分の經過した道を新しく經過する爲に苦しんでゐることを發見した。又私が落付いて正視するを得る事物の前に、彼等が困惑し動亂してゐることを發見した。併し之と同時に、私は彼等が新鮮なる感情と驚異とを以つて對する若干の事物に、最早同樣の感情と驚異とを以つて對する事が出來なくなつてゐることをも感ぜざるを得なかつた。さうして私の年少時代に與へられなかつた若干の經驗が彼等に與へられて、その精神の一養分となつてゐることをも亦感ぜざるを得なかつた。要するに私は彼等によつて、嘗て私の中に經過したものと、既に私の中に死滅したものと、運命が私に與へ惜んだところのものを發見せざるを得なかつた。此等の發見は私に「經過」を思はせた。漸く三十になつたばかりの私にも既に「過去」と云ふものがあることを思はせた。悲しいことには私が「先輩」になつてゐることは最早何の疑もなかつた。私は年と共に益痛切を加へ行く可き此新しい經驗の萌芽に面して困惑を感ずる。
併し此自覺は單に悲觀的の色彩をのみ帶びた經驗ではない。私は此自覺と共に、從來の樣々な疑惑と混亂とに拘らず不知不識の中に私の人格に凝成した些細な或者を感ずる。從來の模索と瞑搜との底に、些細ながらも或「確かなもの」のいつしか出來かゝつてゐることを感ずる。「更に若いゼネレーシヨン」との相違如何に拘らず、私には私の爲に與へられた一つの道が開けてゐることを感ずる。さうして之と共に「更に若いゼネレーシヨン」の功過を批評すべき人生の視點を與へられてゐることを感ずる。大體から云へば先輩と云ふ名は私にとつて甚だ厭ふ可き名である。併し自然の齎す善惡一切の經過は到底人力の能く囘避する處ではない。私は唯年少諸友の狂奔に對するにたじろがざる沈着と獨立とを以つてして、先輩と云ふ名の淋しさと果敢さとを堪へて往きたいと思ふ。