93話 三太郎の日記 4
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大なるものを孕む心は眞正に謙遜を知る心である。
謙遜とは無力なる者の自己縮小感ではない。無意識の奧に底力を持たぬ者が自己の懶惰を正當とする申譯ではない。謙遜とは此の如きものであるならば、人生の道に沈潛せむとする者は決して謙遜であつてはいけない。
謙遜とは奸譎なる者がその處世を平滑にする爲の術策ではない。他人の前に猫を被つて、私はつまらない者でございますと御辭儀をしてる者は、盲千人の世の中に在つては定めて得をすることであらう。併し此類の謙遜は内省に基かずして打算に基いてゐる。誠實に基かずして詐欺に基いてゐる。謙遜とは自己の長所に對する公正なる自認を塗りかくして周圍の有象無象に媚びることによつて釣錢をとることならば、奸詐を憎み高貴を愛する者は決して謙遜であつてはいけない。
謙遜とは人格の彈性を抑壓する桎梏ではない。謙遜とは月並の基督教が罪の意識を強ひる樣に、吾等の良心に對する税金として課せられるものならば、精神の高揚と自發とを重んずる者は決して謙遜であつてはいけない。吾等人格の獨立は此の如き謙遜を反撥することによつて漸く初まるのである。
眞正に輕蔑し反撥することを知る魂のみが、無邪氣に公正に自己を主張するの彈力ある魂のみが、眞正の謙遜を知る。謙遜とは獨立せる人格が自己の缺點を自認することである。覆ひかくす處なく、粉飾する處なく、男らしき公正を以つて自己の足らざるを足らずとすることである。此意味の謙遜を除いて眞正に人間に價する謙遜はある筈がない。
吾等の自ら認めて長所とする處が、總て矮小にして無意味なるを悟るときに、吾等の自ら恃みとする處が相踵いで崩落することを覺える時に、吾等は初めて絶對者の前に頭を擡げることが出來ない程の謙遜を感ずるであらう。偉なる者の認識が始まる時に、凡ての人は悉く從來の生活の空虚を感じなければならぬ。小なる世界の崩落を經驗し、大なる世界の創始を感じ始める者は、必ず謙虚な心を以つて絶對の前に跪く筈である。眞正なる謙遜を知らざる者は、大なる世界の曙を知らざる者である。私は此事を特に私自身に向つて云ふ。私は究竟の意味に於いて未だ謙遜のこゝろを知らない。さうして私は眞正に碎かれざる心の苦楚の故に黯然としてゐる。私の極小なる世界は一二の稍大なる世界を孕んだ。さうして私は一二の小なる謙遜のこゝろを味つた。併し大なる謙遜のこゝろの前に、私の小我は猶愚かなる跳梁を恣にしてゐることを感ずる。さうして私は先づ「大なる謙遜のこゝろ」の前に、知らざる神に跪くが如くに跪いてゐる。
謙遜のこゝろは孕むより産むに至るまでの母體の懊惱のこゝろである。