31話 四 日常些事 3
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夜、仕事が手につかないので古い手紙を整理する。昔親しかつた人で、心持の離れてしまつた人の多いことを今更に想ひかへした。昔の親しみを思ふと今離れてゐる人でも懷かしい。色々の人に世話になつた。世話になつた人に離れてゐる。すまないと思ふ。俺は薄情だと思ふ。知らず識らずの間に俺は多少の人を踏臺にして此處まで來てゐるのだと思ふ。
昔の方が今よりももつと本當に人に親しんでゐた。自分の中に立籠る寂しさ冷たさ固さが少かつた。今俺は愛を思ふ。さうして愛し得ざる寂しさに導かれて神に行かうとしてゐる。昔の俺は自分の享樂を思つた。さうしてその實もつと人を愛してゐた。
俺の友情にはセンターに這入つた人と這入らぬ人とがある。長く知合つてゐていつまでも這入らぬ人もゐる。後から來て直に這入つてしまふ人もゐる。概して云へば俺の心は肌合の濃かな、温かな、柔かな心に向つて開いて來た。俺の生涯にとつて忘れ難き人々の數よ――M、H、F、I、A、N、S、Y、U、K、W、E――父母兄弟の名は云ふまでもない。Tの名も亦云ふまでもない。或人とは喧嘩をして別れた。或人をば俺の方から避けた。或人とは知らぬ間に冷くなつてゐた。或人とは互に思ひながらも遠かつた。或人とは最も近づいて而も最も越え難い心の溝渠を感じてゐる。
僅か三十年餘の生涯も、魂と魂との遭逢離合を思へば、遠い、ほのかな心持がする。