35話 五 懊惱 2
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『お前の生活には何と云つてもまだ内容が足りない。文明史的の意味に於いても、現實的の意味に於いても。
現實的の生活は空しいだらう。併しお前はまだ碌にその生活を味つてゐないから、一方にはそれに對する未練があるし、一方にはそれを厭ふ心持が濃厚でない。それだから善にしろ惡にしろそれから來る刺戟を生々と受取ることが出來ないのだ。Experiment の態度でもいゝから、もつと戀愛と歡樂と迷ひとを獵つて見ろ。必然的に其處に墜ちて行くのなら一番いゝが、聰明で冷靜に過ぎるお前には中々そんな時期が來さうにもない。構ふものか、Experiment の心持でやつゝけろ。さうして誘惑を探しに出かけて行け。
お前は Kultur を消化してゐない。のみならずそれに接觸してさへゐない。そんなに無學ぢやてんで御話にならないぢやないか。生意氣を云はずに、もつと落付いて知識を獵つて見ろ。
お前には凡ての經驗に直接にぶつゝかつてゐる餘裕がないから、頭だけで見通し過ぎてゐる。素質と境遇とが共同してお前を「先が見え過ぎる者」にしてゐる。眞正に征服せずに先ばかり急がしてゐる。お前は貧弱な經驗を統一しようとしすぎる。お前は十分の幅なしにひよろ/\と背だけが延びてゐる。何と云つてもお前の「宗教的」は怪しい。こち/\に固まつてしまはない前に火にかけて見ろ。「懷疑」と「利己」と「享樂」との力を呼び醒して「神」に反抗して見ろ。征服して統一する前に、征服されるものを澤山喚び起して見ろ。構ふものか、Experiment の積りで、自分の意志で、自分のたくらみを承知しながら、自分の生涯に一つの時期を劃して見る積りで、墮落してみろ。
本を讀むこと、身慄ひの出るやうな恍惚をさがしに行くこと、さうしながら自分の考へをおしつめて行くこと、考への本當に熟した時に熟果の墜ちるやうに文章をポトリ/\とおとして行くこと――何と云ふ樂しい生活の夢だらう。
勿論、お前がさうしてゐる間にも多くの人は苦しんでゐるだらう。飢ゑてゐるだらう。併しお前は當分それに眼をつぶつてお前の樂しみを――お前の成熟を――求めて行かなくちやならない。さうしてお前がいくらお前の「實驗」に夢中になつたつて、實際今日以上に彼等の運命に冷淡になり得やうがない。お前は他人の未來の不幸を豫想して自分の享樂を控へる意味では今より「方正」でなくなるかも知れないが、現在貧しき者惱める者に對しては、もつと親切で慈悲深くなるだらう。
お前は罪と過失とによつて、もつと本當に他人を愛することを學んで來なければいけない。』