三太郎の日記 第三

6話 二 散歩の途上 6

517字 約1分 2012年3月20日 公開

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 幸福な、輝いた世界のみを取扱つてゐる藝術家のことは暫く云はない。人生の悲慘と暗黒と、此等のものゝ間に響くシンフオニーとを取扱つてゐる藝術家は、その取扱ふ世界の眞生命に徹底するために、先づその正念(ルーエ)を失ふに瀕するまでに闇黒の世界に同化しなければならない。寧ろ一旦その正念を失つてしまふまでに、自ら慟哭し絶叫しなければならない。併しこの素朴(ストツフ)の世界に彷徨し勞苦してゐる間、慟哭し絶叫するものと共に渾沌の間に昏迷してゐる間、彼の衷には彼の藝術が生れて來ない。彼はこの世界にさし込んで來る光か、この世界の底を流れてゐる流れかを探り當てるに從つて漸くその正念(ルーエ)を囘復して來る。さうして彼の藝術の世界の形成(ゲシタルツング)と結晶とが始つて來る。彼の世界に一つの節奏が響き始めて來る。彼が素材の世界に貫徹するの深さはこの節奏の中に融かされて始めて特別の「美しさ」を生じて來るのである。彼の慟哭と絶叫とは始めて洪鐘のやうに響き渡るのである。

 地獄を見ないものは地獄が描けない。地獄を忘れたものも地獄が描けない。地獄にゐるものも亦地獄が描けない。地獄を通つて來て而も現在鮮かに地獄を「觀」てゐるものにして始めて地獄は描けるのである。

 正念(ルーエ)とは冷かな超越(ユーバーレーゲンハイト)ではない。(四年秋)

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