69話 十一 身邊雜事 3
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自己の惡を隱蔽して正しい者のやうな顏をするとき、自己の善を誇張して正善の人らしく歩き※非難に價する惡徳を包藏しながら神の如き無恥を以つて他人と社會との惡徳を憤慨の種とするとき――さうしてその外觀と本質との矛盾が明瞭に我等の眼に暴露されるとき、その時我等は此等の徒を呼んで僞善者と呼ぶ。併し我等の僞善者といふ概念は、その外觀が一應我等を欺くに足るだけの尤もらしさを具へてゐる場合に特に剴切に通用する。その外觀と本質との矛盾が餘りに明々白々なるとき、我等は最初にその滑稽と出鱈目との印象に支配されて、僞善者とさへ思つてゐる餘裕がないのである。同一の隱蔽、同一の誇張、同一の無恥、同一の詐欺が、僞善として憎まれずに滑稽として笑はれるに過ぎないのは、馬鹿の一徳である。併し之は唯彼の詐欺が彼の愚によつて覆はれてゐることを證明するのみで、少しも彼をより善くする所以ではないのである。
(六、二、一六)
先生が亡くなられたとき、自分は、現代と後世との人々に先生の事業の一端を説明するに足るやうな、少し纒まつた論文を書いて、これを先生の靈前に捧げたいと思つてゐた。先生に對する自分の負荷はこの一つの論文で果すことにして、その他の斷片的なことは成る可く書かないやうにしようと思つてゐた。併しその後先生に關する色々の世評を見聞するにつれて、ちよい/\先生のために辯じて置きたいと思ふことが出て來た。自分は固より、今でも樣々の細々したことに就いて彼此云ひたいとは思はない。併し二三の重大な事に就いて、自分が自分なりの解釋を下してゐることを、早く世間の人に聞いて貰ひたい氣がする。それで云つて置きたいことの一つを今此處に公表する氣になつたのである。
自分の此處で考へようとするのは「早く注射をして呉れ、死ぬと困るから」と云はれた先生の言葉である。世間ではこの一語によつて、先生が臨終に當つて大變精神的に苦悶されたやうに解釋してゐるらしいが、それは事實に相違してゐる。最後の日の晝、もう臨終に間がないからといふので一同先生の枕頭に集つたときには、先生は本當に靜かにしてゐれらた。精神的の苦悶は固より、肉體的の苦痛さへ殆んど意識を亂してゐないやうに見えた。臨終の靜かなことは悲しみの中にも猶自分達の心を喜ばせた。自分達は嚴肅な敬虔な心持で先生の大往生を見守つてゐた。併しさうしてゐるうちに先生は少し身動きをされた。醫師はこれに力を得たらしく、もう一つやつて見ることがあるからと云つて、一同を病室から退かせた。あとで聞けばあの時食鹽注射をすると死際に激しい苦痛が來ることはわかつてゐたのださうである。主治醫眞鍋氏は先生の靜かな臨終を亂すに忍びないからと云つて、最初はこの食鹽注射に反對したのださうである。併し萬一を僥倖するために最後の食鹽注射は行はれた。さうして先生は少し持なほされた。素人の悲しさに自分達の心には何だか囘復の見込があるやうな氣が起つて來た。自分などはこのほつとした心持に欺かれて、今の間にと云つて一寸自宅に歸つたため、遂に先生の臨終に逢ふことが出來なかつた位である。こんなにして問題の苦悶は自分の居ない時に起り、問題の言葉は自分のゐない時に吐かれたのであるから、自分は直接の觀察によつてその時の有樣を語ることは出來ない。併しその時居合せた人達の言葉に徴するに先生の最後の苦しみは主として食鹽注射によつて自然の死を妨げられた肉體の苦しみであつたらしい。若し精神的の苦悶があつたにしても、その徴候は唯問題となつた一言によつて認め得るのみであつたらしい。故に自分はあの一言の意味を解釋するに先だつて、先づあの一言が如何にして發せられたかの事情を語つて置きたかつた。讀者にして若し上に述べた私の敍述を信ずるならば、假令この言葉の意味を如何に解釋するにせよ、それが先生の臨終に非常な精神的苦悶があつたことの證明にはならないことを領會されるであらう。(この事に就いては、眞鍋氏がその中病床日誌を公にして醫學上の説明を與へられるやうに聞いた。それが出たら先生の臨終の模樣は自分のやうな素人の敍述によるよりも、一層明かになるであらう。)
然らば先生はあの「死ぬと困るから」といふ言葉を、どんな心持で、どんな意味で云はれたか。先生の亡くなられた今日、何人も斷定的にその意味の解釋を下すことが出來ないのは勿論である。我等は唯前後の事情と、一般の人性とに照してその可能な意味を忖度するばかりである。それが當つてゐるかゐないか、それは唯自分達が死んで行つて先生に逢つたときに、先生から聽くことが出來るばかりである。
自分の考へるところによれば、先生のあの言葉は、三樣の意味に解釋することが出來る。第一は過去の記憶の斷片が、死にかけてゐる先生の意識の中に再生して、あの言葉となつたと解釋することである。この解釋に從へば、あの言葉は老耄病者の獨語と同樣な、その時の人格とは極めて縁の薄い言葉となるであらう。老耄病者に在つては意識の全體を統御する人格の働きが既にその力を失つてゐる。人格の統御と意志の選擇とを脱れた過去の記憶は、その時の人格要求とは大なる聯關なしに、晦迷なる意識の中に閃き又閃く。かくて過去に經驗した極めて些末な慾望、過去の或る瞬間に微かに意識を掠めて過ぎた僅かばかりの思想も、猶彼等の獨語の内容となることが出來るのである。さうして一度假死して漸く蘇つた先生の意識を老病者のそれに比較するは必ずしも失當とは云はれない。かう解釋すればあの言葉は、先生の人格とは殆んど關係のない、生理的心理的部分現象となつてしまふであらう。此間先生の舊居であの言葉の意味の解釋を話し合つたとき、生理學的に、若しくは生理的心理學的に説明しようとする人達は、この解釋に傾いてゐるやうであつた。
併し第一説のやうにあの言葉と先生の人格とを切り離して了ふには、「早く注射をしてくれ、死ぬと困るから」といふ言葉は、あまりに意義の明白な、さうしてあまりにその時の事情に適合し過ぎた言葉である。我等の窮理慾は、これをもつと先生の人格と聯關させて説明しなければ滿足が出來ない。第二の解釋は先生の奧に潛んでゐる盲目的な「生きむとする意志」(Wille zum Leben)がこの言葉を吐かせたと見る見方である。將に不可知の淵に投ぜむとするときに本能的に人の意志に閃く生への囘顧執着――この執着によつてあの言葉が生れたと見るのは、極めて自然な見方と云はなければならない。さうして世間の人達も最もこの解釋を喜んでゐるやうに見えた。唯自分が茲に力説して置きたいのは、この解釋に從つても、あの言葉が先生の思想と人格とを累するには足らぬといふことである。先生の死なれる一年程前、自分が先生にお目にかゝつたときには、先生は死は生に勝ると云つてゐられた。その後になつて先生は、もつと積極的の意味で生死を一にすることを説いてゐられたやうに聽いた。或人は先生の此等の思想と、先生の死前の言葉とが矛盾すると云つて先生を責めようとする。併し彼等は、如何なる人の場合に於いても、思想は――特に理想の形に於ける思想は――その自然的素質と矛盾するものであることを知らないのである。自然的素質との矛盾は思想の眞實を害するものでないことを知らないのである。思想とは自然的素質を規正し精錬し淨化するもの――從つてその本質上自然的素質と矛盾した一面を持つ可き筈のものである。思想は自然的素質の精錬が完成するところから始まるのではなくて、自然的素質を精錬するために生れて來るのである。然るに生きむとする意志は食色の本能と等しき――寧ろ更に根本的な人間の本能である。この本能が存在する故を以て生死を一にする思想――若しくは理想を抱く者を責めるのは、性慾を根絶し悉さぬ故を以つて、貞潔の理想を抱く者を責めると同樣の無理難題である。このやうな無理を要求するよりは、寧ろ人に向つて何故に汝は神でないかと責める方がよからう。先生が神でなかつたことが――臨終に當つて生きむとする意志の動きがあつたことが、何で先生の人格と思想とを累するに足らう。
さうして其處には別に、最もよく前後の事情と照應する第三の解釋があり得る。それは先生が生きてゐて爲たかつた仕事があると見ることである。少くともその仕事をしてしまふまで生きて居たかつたと見ることである。その仕事の慾望が半ば無意識にあの言葉を吐かせたと見ることである。然らばその仕事とは何であるか。最も直接に云へばそれは先生が百八十八囘まで書きかけた「明暗」である。先生が最初に血を吐かれた日の夜、あれほど鮮かな空想を以つてあれほど書き進んだ「明暗」は、屹度寢てゐても先生の眼に憑いて先生を魘すだらうと、自分はWと話し合つた。碁に熱中する者には碁盤が眼に付いて離れないと聞くが、同樣に先生には「明暗」が眼に憑いて離れなかつたであらう。さうしてこの眼に憑いて離れないものを完成してしまひたい願ひが、昏々として睡る間にも(而も先生は昏睡されたのではなかつたから)猶繼續してゐることは、極めて自然に想像し得ることである。而も「明暗」を外にしても、先生には猶生きてゐて爲たい仕事があり得た。それは最近になつて先生の悟入し得たと聽く眞理を傳へ殘して置くことである。先生は則天去私の眞理によつて多くの者の迷ひを覺してやりたいと云つてゐられたさうだ。小説家は五十以上にならなければ駄目だと云つてゐられたさうだ。則天去私の立脚地に立つ新しい文學論を大學で講じてもいゝと云つてゐられたさうだ。さうして見れば最後に近い先生の腦中には色々の仕事と、色々の仕事の計畫とがあつた筈である。かう云ふやうな「仕事」を持つてゐる人が、「死ぬと困る」と思ふのは何の不思議があらう。自分は寧ろ世の基督教徒と稱せらるゝ人が、先生のこの一言を捕へて、最後の煩悶憫む可しといふやうなことを口にするのを不思議に思ふ。彼等の師イエスは、「吾父よ若しかなはゞ此杯を我より離ちたまへ」とゲツセマネに祈つた人である。さうして馬可傳によれば、彼は十字架の上に在つて「わが神わが神何ぞ我を棄てたまふや」とさへ叫んだと傳へられてゐる。基督のこの最後の「煩悶」は何のためであつたか。それは彼がまだ爲可き仕事を持つてゐたためではなかつたか。自分は眞正の基督教徒は、先生の最後の言葉を尊崇はしても憫むことは出來ない筈であると思ふ。(かう云つたら先生は苦笑しながら、そんなに大袈裟なことにして呉れちや困るよと云はれるかも知れない。併し此の比較は唯仕事のために死を惜む心持の一點にあるのだから、先生からも宥して頂きたいと思ふ)。併し先生は固よりイエスではないから、我等は唯先生の唇から、「死ぬと困るから」と云ふ家常茶飯の言葉を聽いただけであつた。我等は先生から「此杯を我より離ちたまへ」といふ言葉と「聖旨に任せ給へ」と云ふ言葉との間に行はれる情熱の摩擦を聽くことが出來なかつた。若しかしたら先生は、死んでから、面倒な事をせずに濟んだのは有難いねと云つて微笑されたかも知れないと思ふ。兎に角先生は我等の間に一つの問題になる言葉を殘して、最も先生らしく死んで行かれた。さうして自分はこの言葉をどんな意味に解釋しても、それは先生の徳を累す可き性質のものでなかつたことを信じてゐる。(六、二、一六)