三太郎の日記 第三

82話 十六 奉仕と服從 3

2,067字 約4分 2012年3月20日 公開

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 奉仕に於いて否定す可きものと肯定す可きものとの對立を此の如くに解釋するとき、奉仕の對象が何ものである可きかに就いて、我等は一層明瞭なる觀念を持つことが出來るであらう。

 常識の解釋するが如く、我等の奉仕すべきは、國家や君主や父母や上官や、凡て社會的地位に於いて我等の上に立つものに限られてゐるか。固より此等の長上も亦我等が心を盡して奉仕しなければならぬところである。彼等の擔當する特殊なる負荷の重さを思へば、我等は特に柔かなる心を以つて彼等の勞を慰藉しなければならない。さうして我等の彼等に負ふところ多き一面より見れば、我等は又特殊なる奉仕を彼等に致さなければならぬとも云ひ得るであらう。併し奉仕の對象を唯彼等のみに限りて、彼等以外の者に對する奉仕を閑却するとき、我等は不知不識上に立つ者に對する阿諛、權力を有する者に對する屈從、恩惠と報償との打算的交換の動機を交へるものと云はなければならない。その中に「普遍的自我」の萠芽を有する點に於いては、あらゆる人格的存在の間に差別がない。故に我等は單に長上に奉仕するのみならず、弟にも子にも婢僕にも、乞食にも盜賊にも同じく奉仕して、彼等の普遍的自我の實現を援けなければならない。而もこの實現の途に多くの障礙を有する點から見れば、弱者は強者より、卑しき者は貴き者より、惡人は善人より、我等の奉仕を要すること益切なるものがあるのである。

 然らば我等の奉仕の對象は、凡そ我等自身ならぬもの、換言すれば一般に他人若しくは社會であるか。我等は固より上は君主より下は盜賊に至るまで一般に他人と社會とに奉仕しなければならない。さうして凡そ我等自身ならぬものに奉仕するは、常に「己れ」の脱却を條件とするが故に、普通の常識が一般に他人のためにする行爲を高しとするは一應無理ならぬことと云はなければならない。縱令我等の奉仕が他人の利害に向けらるゝ場合と雖も、他人の利害に奉仕することは他人の利害に生きることを條件とするが故に、我等自身の「己れ」は既に征服されてゐるのである。併し我等が「己れ」を捨てることによつて奉仕するを得るところは、決して我等自身ならぬものに限られてゐるのではない。我等は又「己れ」を捨てて我等自身の中にある普遍的自我に――我等の人格に奉仕することも亦出來る。さうして我等以外のものに對する奉仕は、凡て我等自身の人格を通じてのみ可能なるが故に、我等自身に對する奉仕はあらゆる奉仕の基礎をなしてゐるといふことも亦出來るであらう。自己に對する奉仕――換言すれば自己の内面に「道」を把握する努力を閑却するとき、我等の奉仕は外面的事功の一面にのみ馳せて、確乎たる内面的基礎を缺くこととなるに違ひない。

 然らば我等の奉仕するを要するところは、畢竟するところ、自他の差別なく一般に人間であるか。「人間」の概念の如何によつては、余も又この思想に贊成することを躊躇しないであらう。併し「人間」といふ言葉を外延的普遍の意味にとるとき、その中に包括する個我の總計の意味にとるとき、我等は直ちに恐ろしき迷路に陷らなければならない。此の意味に於いて理解されたる「人間」は相互の間に無限の矛盾を包括するものである。彼等の欲情、彼等の現實的意志、彼等の利害は、常に錯綜し矛盾し分裂して、殆んど適歸するところを知り難き有樣である。曇らされざる眼を以つて世界の現状を見るとき、其處には國家の利害と矛盾する君主の利害もある、君主の利害と矛盾する大臣の利害もある、又國民の休戚と矛盾する政黨の利害もある。此等の個我に悉く一票を與へて――若しくはその代表する範圍の廣狹に從つてその投票權に差別を附して――我等の奉仕することを要する「人間」の本質を決定せむとするも、我等は到底何の成果にも達することが出來ないであらう。我等の奉仕の對象は一でなければならない。一を以つて貫かれたる多でなければならない。凡そ我等は何處に人間の一を求む可きであるか。我等の奉仕することを要するは人間の如何なる點にあるか。

 我等の奉仕す可きは如何なる人間の欲情でも福利でもない。欲情と福利とは我等の「己れ」に屬する。欲情の滿足と福利の所有とは、單にそれのみによつて我等の本質を生かすことが出來ない。此等のものが「己れ」を強めるの用をなすに過ぎないとき、此等のものの所有が如何に國家と民族と個人とを滅亡に導いたか、小兒の偏愛とその品性の崩壞と、國家の富強とその内面的墮落とが如何に屡手を繋いで行くか、此等の事實は凡ての人の熟知してゐるところである。我等は、眞正に他人や社會に奉仕せむがためには、彼等の普遍的自我を喚び醒まして、これを彼等の中に生かさなければならない。我等の奉仕することを要するは「人間」の普遍的本質である。普遍的本質は「人類」の一である。「一貫の道」である。又「神」である。我等の奉仕の最後の對象は、畢竟「道」若しくは「神」に歸する。さうして凡ての個體的存在に對する奉仕は、唯この唯一なるものを彼等の中に生かすところにのみ成立するのである。

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