43話 辻川の話 神隠し
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『山の人生』という本を書いた時は、初めのうちは珍しい外部の事件を客観的に書いていたが、いつの間にか興味にかられて自分の、小さいころ経験した事柄まで書いてしまった。一つの本で二つの目的を追ったので、変なものになったが、私自身の経験した神隠しのことに説き及んだわけである。
七つ八つから十歳になるころまで、私は何度となく神隠しの話を耳にした。辻川の鈴の森神社は、丘陵の傾斜面の一部が段々になった側にある。その突端で村の者がいっしょになってお宮を拝むようになっているので、神隠しの話が生れるのに都合よく出来ていた。夕方、子供が村のどこかで遊んでいると、白髪のお爺さんが出て来て、「我は鈴の森じゃ、家で心配しているから、はよう戻れよ」と親切にいわれたから帰って来たという話を、子供心に本当のことのように思っていた。「ああ、それは明神さんに違いない」といったような話を、いくつもいくつも聞かされた揚句のことだから、小さい私としては無理もなかったのかと思う。
私より三つ年下の弟が生れる春先の少し前であったから、私の四つの年のことであった。産前の母はいくらかヒステリックになっていたのかもしれないが、私にちっともかまってくれなかった。
ある時、私が昼寝からさめて、母に向って「神戸に叔母さんがあるか」と何度も何度も聞いたらしい。母が面倒臭いので「ああ、あるよ」と答えたところ、昼寝していた私が急に起き上って外に出て行った。神戸に叔母などいなかったのに、何と思ったか、私はそのままとぼとぼ歩き出して、小一里もある遠方へ行ってしまった。
そこは西光寺野という、開墾場になっていて、隣家の非常に有能で勤勉な夫婦者が、ちょうどそこを開墾していた。よく働く親爺が、「おお、これは隣の子だ」というので、私をすぐに抱き上げて帰ってくれた。帰る途中で逢った人々が、「これはどこの子だい。さっき何だか一人で、てくてく歩いて行ったが……。一人でどこへ行くのか知らんと思ったまま声をかけなかったのだ」と、みなでいったことを今も覚えている。
それなども、もうちょっと先に行くか、または隣の親爺さんが畠をしていなければ、もうそれっきりになっていたに違いない。
もう一つ、十一歳の時に、母や弟たちといっしょに一里ぐらいはなれた山へ茸を採りに行った時のことである。山向うの裾の池の端にみなで休み、グミか何かを食べて、いざ帰ろうということになって、いっしょに歩き出したところ、どういうわけか、多分母親が道を間違えたのかと思うが、山を一つ越えて反対側へ引返したつもりだったのに、山は越えずに斜めに歩いただけで、また元の池の端に出てしまっていた。私がよほど変な顔をしていたと見えて、母が突然私の背中をがあんと叩きつけた。叩くなんてことは今までついぞなかったのに、その時は私の変な顔つきを見た拍子に背中をはっと叩いたのであろう。それっきりもう何も母は説明もせず、私も何も聞きもしないで、そのままにすごしてしまった。
私は後にこのことを『山の人生』の中に、これが神隠しというものに違いないと、私の独断かもしれないし、もう少し高尚な理由があったのかもしれないが、私はそういう風の解釈をしたのであった。
村にはこんな例が多く、ことに女が山に入るという話が多かった。隠し婆さんが夕方やって来るとよくいわれたが、不思議に女の妊娠時にそんな現象がよくあるのではないかと推測すると、確かに心理学の対象と見るべきであろう。これが私の神隠しについての、結論ではない結論ともいうべきものなのである。