人狼

1話 人狼(1)

9,278字 約19分 2009年1月15日 公開

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 登場人物

田原弥三郎

弥三郎の妻おいよ

弥三郎の妹お妙

猟師 源五郎

ホルトガルの宣教師 モウロ

モウロの弟子 正吉

村の男 善助

小坊主 昭全

村の娘 おあさ、おつぎ

第一幕

          一

 桃山時代の末期、慶長初年の頃。秋も暮れかかる九月なかばの午後。

 九州、肥前国。島原半島に近き山村。田原弥三郎の家。藁葺(わらぶき)屋根の二重家体(にじゅうやたい)にて、正面の上のかたに仏壇、その下に板戸の押入れあり。つづいて奥へ出入りの古びたる障子。下のかたは折りまわして古びたる壁、低き竹窓。前は竹縁にて、切株の踏み段あり。下のかたの()きところに炉を切りて土瓶をかけ、傍らに粗朶籠(そだかご)などあり。庭には秋草など咲きて、上のかたには大竹薮あり。下のかたには低き丸太の柱を立て、型ばかりの木戸あり。木戸の外には石の井戸ありて、やや赤らみたる柿の大樹あり。うしろは田畑を隔てて高き山々、恰もこの村を圧するが如くに近くみゆ。

(弥三郎の妹お妙、十七八歳。村の娘おあさ、おつぎと共に針仕事の稽古をしている。百姓善助、五十余歳、鍬を持ちて縁に腰をかけている。(きぬた)の音きこゆ。)

善助 みんな好く精が出るな。なんと云っても、女は針仕事が大事だ。こう遣って精を出していれば、どこへでも立派にお嫁さんに行かれるぞ。はははははは。

(弥三郎の女房おいよ、二十七八歳、色白くして品よき女、奥の障子をあけて出づ。)

おいよ 善助さん。あさ夕はめっきり冷えて来ましたな。

善助 いくら九州はあたたかいと云っても、九月の声を聞くと秋風が身にしみて来る。どこかで砧を打つ声が聞えたり、この娘たちが冬物を縫っているのを見たりすると、冬がもう眼の前へ押寄せて来たように思われますよ。

おいよ まったく冬はもう眼の前……。(娘等をみかえる。)それでも皆んなが精を出すので、親御さん達は仕合せです。

善助 それもお前が気をつけて、よく仕込んで呉れるからのことで、近所でも皆んな喜んでいます。時に旦那どのは、まだ山から戻られませんかな。

おいよ いつもの通り、朝から出て行きましたが、此頃はちっとも猟がないので、それからそれへと獲物をあさって、あまり深入りをせねばよいがと案じています。

善助 その獲物がないというのも、例の狼めがここらを荒らすせいではないかな。

おあさ ほんに此頃はここらへ悪い狼が出るので、日が暮れると滅多に外へは出られません。

おつぎ あしかけ三月のあいだに、この村中で七人も咬まれたとはまったく怖ろしいことですな。

お妙 兄さんも早くその狼を退治したいと云っていますが、なかなか姿をみせないのでどうすることも出来ないそうです。

善助 今までここらにそんな怖ろしい狼が出るという話は、ついぞ聞いたこともなかったが、山伝いに何処からか悪い狼が入り込んで来たと見える。初めは新仏(しんぼとけ)の墓をあらして、死骸をほり出して喰っていたが、それがだんだんに増長して、此頃は往来の人間にまで飛びかかるようになって来たので、村中は大騒ぎで、このあいだから二度も狼狩りを遣ってみたが、どうしても見付からない。もう立去ったのかと思って安心していると、また出て来る。現に一昨日(おととい)の晩も長福寺の小坊主が檀家から帰る途中で飛び付かれた。

おあさ それでも運よく無事に逃げ(おう)せたそうですな。

善助 むむ。あの小僧はふだんから悪戯者(いたずらもの)だけに、持っている松明(たいまつ)を叩きつけて、一生懸命に逃げ出してあぶない所を助かったそうだ。

おつぎ 小僧さんの話では、その狼はなんだか人間のような姿をしていたと云うではありませんか。

善助 (笑う。)はは、子供のいうことが当てになるものか。暗いなかから不意に飛び出して来たのと、こっちが慌てているのとで、そんな風にも見えたのだろう。狼が人間のような姿をしていては大変だ。

おあさ 姿ばかりでなく、顔までが真白な女のように見えたとか云いますが……。

善助 狼の顔が女にみえた……。(又笑う。)それはいよいよ大変だ。勿論、狼にも雌雄(めすおす)はあるが、いくら雌でも女のような顔はしていないだろう。こう云うときには色々の噂が立つものだ。はははははは。

(おいよは終始無言で聴いている。)

お妙 いつかはあの山に天狗が出ると云って、大騒ぎをしたことがありましたな。

おつぎ それから山男が出て来て、子どもを(さら)って行ったこともありました。

善助 むむ。天狗の出たこともある、山男の出たこともある。なにしろ()ういう山国(やまぐに)には不思議なことが絶えないので困る。いや、飛んだ長話でお邪魔をしました。(立上る。)

おいよ もうお帰りですか。

善助 狼の出ないうちに早く帰りましょう。

おあさ (おつぎと顔をみあわせて。)もう狼が出ますかえ。

善助 なに、狼の出るのは大抵夜更けだというから、日の暮れないうちは大丈夫だ、大丈夫だ。(おいよに。)では、御免なさい。

(善助は会釈して下のかたへ去る。)

おあさ わたし達もそろそろ帰ろうではありませんか。

おつぎ もう片付けて帰りましょう。

おいよ ふだんと違って此頃は、帰りが遅いと内でも案じるであろうから、日の暮れぬうちに早くお帰りなさい。

二人 あい、あい。

(おあさとおつぎは仕立物を早々に片付ける。)

二人 では、あした又お稽古にまいります。(おいよとお妙に会釈して縁を降りる。)

お妙 気をつけておいでなさい。

おいよ 狼の噂の絶えぬあいだは、決して夜歩きをなさるなよ。

二人 あい、あい。

(おあさとおつぎは足早に下のかたへ去る。お妙は後を見送る。)

お妙 此頃は寄れば障れば狼の噂ばかりで、ほんとうに(いや)なことですな。兄さんも狼のありかを探して、山の奥まで踏み込んだのではありますまいか。

おいよ そんなことかも知れません。今こそ狩人になっているが、おれも昔は武家の(ろく)()んだ者、今度の狼はどうでも我手で仕留めねばならぬと、日頃から云い暮らしていられたから、きょうも山奥へ踏み込んで……。(向うを見る。)当途(あてど)も無しに峰や谷間(たにあい)を駈けまわって、木の根や岩角にでも(つまず)くか、谷川へでも滑り落ちるか、飛んだ怪我でもしなさらねばよいが……。ここへ来てから足かけ八年、毎日の山かせぎには馴れていても、やっぱり戻るまでは案じられます。

(お妙は仕立物を片付ける。時の鐘。木の葉さびしく散る。)

おいよ (空をみる。)秋の日は短い。きょうももう暮れるか。

(鐘の声つづけて(きこ)ゆ。)

お妙 (おなじく空を見る。)日が暮れると、なんだか怖ろしいようです。

おいよ お前は日が暮れるのがそんなに怖ろしく思われますか。

お妙 悪い狼が出るというので……。

おいよ 悪い狼が出るというので……。(ため息をついて。)日が暮れると、わたしもまったく怖ろしい。いや、夜ばかりではない。昼間でも狼の噂を聞くと、わたしは身の毛が悚立(よだ)つような……。(身をふるわせる。)わたしは狼に取憑(とりつ)かれたのかも知れない。

お妙 (ぎょっとして。)え。

おいよ (気をかえて、無理に笑う。)ほほ、おまえは相変らず気が弱い。こんなことを云っているうちに、あの人ももう戻られるであろう。どれ、今のうちに炉の火を焚きつけて置きましょうか。おまえは夕御飯の仕度をして下さい。

お妙 あい、あい。

(薄く風の音。おいよは炉に粗朶(そだ)をくべる。お妙は仕立物を押入れに片付けて、奥に入る。下のかたより長福寺の小坊主昭全、十四五歳。足音をぬすんで忍び出で、木戸の外より内を窺いいる。おいよはやがて心づきて見かえる。)

おいよ そこにいるのは……。

(昭全は返答に躊躇していると、おいよは立って縁さきに出づ。)

おいよ おまえは長福寺のお小僧さんではないか。何でそこらに立っているのです。

昭全 (急に思案して。)実はこの……。(柿の木を指さす。)柿の実を取りに来ました。どうぞ堪忍してください。

おいよ 柿の実ならば、おまえのお寺にも沢山に()っているではないか。(疑うようにじっと見て。)ほんとうに柿の実をぬすみに来たのですか。

昭全 どうも済まぬことをしました。堪忍して下さい。

(云いすてて、昭全は逃るように下のかたへ立去る。おいよは(なお)もじっとその跡を見送る。風の音。向うより田原弥三郎、三十四五歳、以前は武士なれど、今は浪人して猟師となっている姿、大小を横えて火縄銃をかつぎ、小鳥二三羽をさげて出づ。)

おいよ おお、戻られましたか。きょうはどうでござりました。

弥三郎 いや、相変らずの不首尾で、山又山を一日かけ廻っても、狼の足あとさえも見付からない。(持ったる小鳥を指さして苦笑いする。)から手で戻るのも忌々しいので、帰りがけにこんな物を二三羽……。人に見られても恥かしいくらいだ。

おいよ それでも何かの獲物があれば結構でござります。幸いに天気は好うござりましたが、山風はなかなか冷えたでござりましょう。早く炉のそばへおいでなされませ。

(砧の音。おいよは桶を持ちて井戸ばたへ水を汲みに出る。弥三郎は縁に腰をかけて、藁の脛巾(はばき)を解き、草鞋(わらじ)をぬぐ。奥よりお妙出づ。)

お妙 お帰りなされませ。

(お妙は()ず草鞋を片付け、更においよが汲んで来りし桶を受取りて、弥三郎の足を洗わせる。)

弥三郎 稽古の娘たちは帰ったか。

お妙 先刻(さっき)もう帰りました。

弥三郎 あの娘たちも狼の噂に怯えていると見えるな。それも無理のないことだ。

(この話のうちに、弥三郎は足を洗い終りて、炉のまえに坐る。炉の火は次第に燃えあがる。お妙は井戸ばたへ水を捨てに行き、おいよは茶碗に湯をついで弥三郎にすすめる。)

おいよ すぐに御飯をあがりますか。

弥三郎 いや、待ってくれ。おれは又すぐに出なければならないのだ。

おいよ どこへお出でなさる……。

弥三郎 今そこで村の八蔵に出逢ったら、庄屋殿の宅に寄合があるから、直ぐに来てくれというのだ。

おいよ では又、狼狩の相談でござりますか。

弥三郎 (うなずく。)むむ、その相談だ。このあいだから二度までも狼狩を催したが、遂にその姿を見付けることが出来ない。と云って、このままに捨てて置いては、村方一同の難儀になるので、もう一度何とか相談して、今度こそはどうでもその狼めを退治しようと云うのだ。この村に狩人渡世をしている者は、おれのほかに三人あるが、そのなかでもおれは浪人、以前は武士であるというので、こういう時には大将分に押立てられて、何かの采配を振らねばならない。まったく一匹の(けもの)のために、諸人が難儀するというのは残念なことだ。なんとか工夫して退治したいと思うのだが……。

おいよ どなたも色々の御心配、お察し申します。

弥三郎 ところで、ここに又ひとつの評議がある。出没自在の狼を人間の力で退治することは覚束ない。いっそ神の力を借りようというのだ。

おいよ 神の力を借りるとは……。どうするのでござります。

弥三郎 おまえも知っている通り、ホルトガルの伴天連(バテレン)が長崎から天草へ渡り、天草から又ここらへ渡って来て、このあいだから切支丹の教えを弘めている。その教えがよいか悪いか、おれにはまだ本当に呑み込めないが、ここらでも信仰している者が随分あるらしい。その信者たちの発議で、切支丹の伴天連をたのみ、狼退治の祈祷をして貰おうというのだ。

おいよ 切支丹の教えの尊いことも、その伴天連のありがたいことも、かねて聴いていましたが……。(考えて。)おまえもそれに同意なさるのでござりますか。

弥三郎 さあ、同意というでもないが、押切って反対もしない積りだ。神の力を頼むものは頼むがよい。人間の力をたのむ者は頼むがよい。どちらにしても、その狼を退治して、諸人の難儀を救うことが出来れば好いのだ。(しか)しおれは武士の果で、今も狩人を商売にしているのだから、弓や鉄砲で働くのほかはあるまいよ。なにしろ、どんな相談があるか、これから直ぐに行ってみよう。(お妙に。)これ、履物を出してくれ。

お妙 はい。

(お妙は奥に入る。おいよは押入れをあけて袖無し羽織を取出し、弥三郎に着せる。お妙は藁草履を持ち来りて踏み段に直せば、弥三郎は草履を穿いて出る。風の音。)

弥三郎 山ふところは暮れるが早い。もう薄暗くなって来た。おれには構わずに、みんな夕飯を食ってしまえ。

(弥三郎は下のかたへ去る。おいよは門口まで送って出て、あとを見送る。風の音。舞台は次第に薄暗くなる。おいよはやがて引返して内に入る。)

おいよ ほんにもう薄暗くなった。あかりをつけて、早く裏口の戸締りをしましょう。

お妙 まったく此頃は戸締りが大切です。

(おいよにお妙も付添いて奥に入る。風の音。下のかたより以前の昭全が源五郎を案内して出づ。源五郎は二十二三歳の猟師にて、火縄銃を持つ。昭全は家内を指して何か囁けば、源五郎は半信半疑の(てい)にて考えている。)

源五郎 (小声で。)おまえは確に見たか。

(昭全うなずく。)

源五郎 (また疑うように。)併しこれはよく考えてみなければならない。して、和尚様は何と云われた。

昭全 (小声で。)和尚様は嘘だと云うのだ。

源五郎 むむ。誰でも嘘だと云うだろう。おれにしても本当とは思われないからな。

(源五郎は内をのぞきながら又考えている時、奥よりお妙は行燈(あんどん)をとぼして出づ。)

お妙 誰かそこにいるような。(表をすかし見る。)

源五郎 おお、お妙さん……。(小声で。)おれだ、おれだ。ちょいと来てくれ。

(お妙は源五郎を見つけて、奥をみかえりながら縁を降りる。)

お妙 なにか用ですかえ。

源五郎 むむ。ここでは話が出来ない。まあ、そこまで来てくれ。

(源五郎と昭全は先に立ちてゆく。お妙は再び奥をみかえりながら、そっと出て行く。風の音。奥よりおいよ出づ。)

おいよ 源五郎がよび出しに来て、お妙さんは出て行ったらしい。丁度幸い、今のうちに……。(決心して。)そうだ、今のうちに……。

(おいよは身繕いする。風の音。行燈の火消える。)

おいよ (暗い中で。)おお、あかりが消えた。

――暗転――

          二

 おなじ村の川端。よきところに柳の大樹二三本ありて、岸には芦の花が夕闇に白く咲きみだれている。正面は川を隔てて山々みゆ。

(水の音。下のかたより源五郎とお妙、あとより昭全も出づ。)

源五郎 今もいう通りのわけで、一昨日の晩、昭全さんに飛び付いたのは、確におまえの姉さんだと云うのだ。

お妙 内の姉さんが狼のようになって、往来の人に飛び付くなぞと……。そんな事のあろう筈がないので……。(考える。)わたしにはどうしても本当とは思われませんよ。

源五郎 あんまり途方もないことで、おれにも本当とは思われないが……。それでもこの小僧さんは確に本当だというのだ。

昭全 (進みよる。)本当だ、本当だ。たしかに本当だ。わたしは松明の火で確に見たのだ。狼は火を恐れると云うことを聞いているので、わたしは松明をたたき付けて、一生懸命に逃げたのだ。

お妙 その狼の顔が内の姉さんに見えましたか。

昭全 わたしが何で嘘をつくものか。顔も姿もおまえの(うち)の姉さんに相違なかったのだ。

お妙 まあ。

(お妙はやはり不思議そうに考えている。)

源五郎 (おなじく惑うように。)そうは云っても、自分の眼で確な証拠を見届けないうちは、おれも迂闊(うかつ)に手を出すことは出来ない。万一それが間違いであったら、取返しの付かないことになる。なにしろ弥三郎どのと相談の上でなければならないが、亭主にむかってお前の女房が狼らしいとは、なんぼ何でも云い出しにくい。お前からそっと兄さんに話してみては呉れまいかな。

昭全 まだ疑がっているのか。わたしはこの二つの眼で見たというのに……。

源五郎 お前ひとりが見たというのでは、まだ本当の証拠にはならないのだ。(お妙に。)おまえにも何か思い当るようなことは無いかな。

お妙 さあ。(又かんがえる。)そう云えば、このあいだの朝、姉さんが表の井戸端で……。血の付いたような着物の袖を……。

源五郎 血の付いたような着物の袖を……。井戸ばたで洗っていたのか。

昭全 それ、それが証拠だ。おまえの姉さんは夜なかに(うち)を抜け出して、往来の人を喰い殺しに行くのだ。それ見ろ。狼だ、狼だ。

源五郎 まあ、まあ、(しずか)にしろ。狐や狸が人間に化けるとは、昔からもよく云うことだが、狼が人間に化けて人の女房になり済ましているとは珍しいことだ。兄さんに聞いてみたら、又何か思い当ることがないとも云えないから、是非おまえから話して貰いたい。それがいよいよ狼と決まったら、いくら自分の女房でも兄さんも打っちゃっては置くまい。おれも加勢して……。(鉄砲をみせる。)これで一撃ちにして仕舞わなければならないのだ。

お妙 (身をふるわせる。)ああ、怖ろしい。なんと云うことだろう。わたしは夢のように思われてならない。

源五郎 まったく夢のようだが、今のおまえの話を聞くと、だんだんに疑念が募るばかりだ。

昭全 お前がいつまでもぐずぐずしていると、大事のお妙さんまでも狼に喰われてしまうぞ。

お妙 (源五郎と顔を見合せる。)あれ、あんなことを……。

源五郎 この小僧め。余計なおしゃべりをすると、承知しないぞ。(鉄砲をふりあげる。)

お妙 (遮る。)まあ、子供を相手にしないで……。

源五郎 こんな奴が方々へ行って触れ散らすので、おれが皆んなに(からか)われるのだ。貴様こそ狼に喰われてしまえ。

昭全 (頭をおさえて。)やれ、怖ろしい。南無あみ陀仏、なむ阿弥陀仏。

源五郎 ((にわか)に上のかたを見る。)や、あっちから来たのはお前さんの兄さんらしいぞ。

お妙 ほんに兄さん……。

源五郎 おれ達はまあ隠れるとしよう。(昭全に。)おまえも早く来い、来い。

(源五郎は昭全を促して、下のかたの芦のなかに隠れる。水の音。薄月の影。上のかたより弥三郎出づ。お妙はどうしようかと躊躇しているうちに、弥三郎は妹をみつける。)

弥三郎 おお、お妙か。今頃どこへ行く。おれを迎いに来たのか。

お妙 いえ、あの……。村はずれまで買い物に行くのです。

弥三郎 まだ日暮れだから狼も出まいが、気をつけて行けよ。

お妙 はい。(行きかけて立戻る。)あの、兄さん……。

弥三郎 なんだ。

お妙 あの……。(云いかけて躊躇する。)

弥三郎 なにか用か。

お妙 (云い出しかねて。)あの……。おまえも気をつけてお出でなさい。

弥三郎 はは、おれは大丈夫だ。(刀の柄を叩く。)何が出て来ても、これで真二つ……。おれはその狼の出るのを待っているのだ。村ではいよいよ切支丹の伴天連をたのんで、有難い祈りをして貰うことに決まったが、さっきも云う通り、祈祷は祈祷、おれは俺だ。おれは鉄砲かこの刀で、見ごとに狼を退治してみせるのだ。

お妙 (探るように。)狼のありかは判りましたか。

弥三郎 わかれば直ぐに退治に行くが……。そのありかが知れないので困るのだ。きょうは一度も源五郎に逢わなかったが、あいつも(きっ)と狼のありかを探しているに相違ない。おれも今夜は鉄砲を持ち出して、夜通し村中を見廻ってあるく積りだ。みんなが無暗に切支丹を有難がっているのを聞くと、おれは何だか腹が立って来た。どうしてもあの狼をおれたちの手で仕留めて、切支丹の坊主が偉いか、おれ達が偉いか、この腕をみせて遣らなければならないのだ。

お妙 兄さんの気性としては無理もないことですが、せいては事を仕損じます。よくその正体を見とどけた上で……。

弥三郎 なに、正体を見とどけろと……。

お妙 ()しも間違えて、人でも殺すようなことがあっては大変ですから……。

弥三郎 (笑う。)馬鹿をいえ。いくら慌てても、人間と獣とを間違える程のおれでは無いぞ。さあ、暗くならないうちに、早く行って来い。

(弥三郎は向うへ行きかかる。お妙は又よび返そうとして躊躇しているうちに、弥三郎は去る。芦のあいだより源五郎出づ。)

源五郎 兄さんは見つけ次第に、狼を退治する気だな。

お妙 それだから迂闊なことは云われず……。ああ、どうしたら好かろうか。

源五郎 今も聴いていれば、村では切支丹の伴天連をたのんで、祈祷をして貰うことになったそうだが、異国の坊主なぞに何が出来るものか。おれは不断から切支丹は大嫌いだ。兄さんのいう通り、こうなったら意地づくでも、おれたちの手で退治しなければならない。それに付けてもさっきの一件を、よく兄さんに話してくれ。

お妙 どうしても話さなければなるまいか。

源五郎 (じれる。)お前はおれがこれ程に云うのを肯いてくれないのか。

お妙 (慌てて。)いえ、そう云うわけではないけれど……。

源五郎 そんなら早く話してくれ。いいか。

お妙 (仕方無しに。)あい。

(芦のあいだより昭全あわただしく飛んで出づ。)

昭全 それ、何か来た……。何か来た……。(源五郎のうしろへ隠れる。)

源五郎 え。何か来た……。

(源五郎はお妙を囲いながら、下のかたを(きっ)と透し見る。)

源五郎 なんにも居ないではないか。こいつめ、おれ達を(おど)かしたな。

昭全 いいえ、どこかで芦の葉のがさがさ云う音がきこえた。

源五郎 芦の葉のがさ付くのは珍らしくない。大かた風の音だろう。はは、臆病な奴だ。なにしろ、いつまでもここにいても仕様がない。さあ、お妙さんはおれが途中まで送って遣ろう。

昭全 わたしを置去りにして、お妙さんだけを送って遣るのか。おまえも随分親切だな。

源五郎 ええ、やかましい。お前なぞは勝手に帰れ、帰れ。

昭全 おれが手柄をさせて遣ろうというのに、(かたき)にすることがあるものか。貴様こそ狼に喰われてしまえ。

源五郎 なんだ。

昭全 いや、これはおまえの口真似だ。

(昭全は笑いながら、下のかたへ足早に立去る。)

お妙 まったくあんな小僧が色々なことを云い触らすので、わたし達のことも大抵世間へ知れてしまったような。

源五郎 狼の一件が片付いたら、いっそ兄さんに打明けて、表向きの夫婦にして貰おうではないか。

お妙 そうなれば嬉しいけれど……。

源五郎 いつまでも世間に気兼ねをしているのは詰まらないことだ。

(二人は睦まじく語らいながら、向うへ去る。水の音。下のかたの芦をかきわけて、おいよ忍び出で、二人のあとを見送る。)

おいよ まあ、見付けられないで好かった。こうなったらもう一刻も猶予は出来ない。

(おいよはそこらの小石を拾いて袂に入れる。そのあいだに、下のかたよりホルトガルの宣教師モウロ、四十余歳、旧教の僧服をつけ、頚に十字架かけて出で来り、柳の木かげに身をよせて窺いいると、おいよはやがて合掌して川へ飛び込もうとする。モウロは駆け寄って抱きとめる。)

モウロ お待ちなさい。あなた、どうしますか。

おいよ (身を藻掻(もが)く。)放して下さい、放してください。

モウロ あなたは身を投げますか。いけません、いけません。

おいよ いいえ、放して……。殺して……。

(おいよは振放して飛び込もうとするを、モウロは又ひき戻せば、力余っておいよは地に倒れる。)

モウロ 殺すことはなりません。神さまのお指図です。

(モウロは両手を拡げて、おいよを遮る。おいよは相手が異国人なることを覚って、倒れながらにその顔をみあげる。薄月の影。水の音。)

――幕――

第二幕

          一

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